第6話 屋敷

 ダイハツ・ハイゼットカーゴ。G3フォースの社用車である。業務用ではなく乗用であり、脚立やバケツ、ポータブルバッテリーなどなど、G3フォースの活動において必要であるものが積み込まれている。カサネが命名した「トライカーゴ」という愛称が付いている。

 しかしながら、使い込まれた中古であるため、ステアリングの癖や、前の所有者がつけた凹みなどはひどく、トーコやジローには「オンボロ」「ポンコツ」などと呼ばれている。人一倍愛着の湧いているカサネも、時折この車を指して「おじいちゃん」と呼んでいる始末である。せめて外装を綺麗に、とカサネが案を出したが、予算の関係とデザインセンスから却下になり、いわゆる「宅配の軽」のような見た目である。

 その車が、赤茶けた落ち葉が舞う、林の中を走っていく。舗装はされているが、ふとしたことでタイヤが滑りそうになるほどの落ち葉である。

「こんなの教習で習わなかったって」

「こういう道の方が珍しいでしょ。スピード出しちゃダメよ」

ガチガチになりながらハンドルを握っているカサネを、冷静な言葉で誘導するトーコ。カサネの運転は、あー、とかうー、とか唸りつつではあったが、ゆっくりと目的地に到着した。

「あたしトライカーゴ運転するたんびに寿命削れてる気がする……」

「慣れよ慣れ。上手くなってるよ。ほらいくよ」

「俺は残る」

ジローのその言葉で、カサネとトーコが後部座席を覗き込んだ。ジローがうざったそうに視線を逸らすのを見て、カサネはため息をこぼした。

「あのねえ。これはお仕事なの。需要があるって大事なことなのよ?てゆーか、ご近所の猫探しには乗り気じゃない。この案件だけ何でそんなに嫌なのさ」

カサネがジローと目線を合わそうとするたび、ジローはカサネから目線を逸らす。ムクれていくカサネの表情がウォンバットのようになった時、ジローはようやくトライカーゴのドアを開けた。

「ジローのイヤイヤ期にも困ったもんだ」

「なんか言ったか」

「べっつにー」

と、とぼけたように振る舞いつつ、ハンドルの横からキーを引き抜き、トライカーゴに鍵をかけるカサネ。

 3人の目の前には巨大な屋敷が聳えている。カサネとトーコは驚嘆の声を漏らしているが、ジローは白い目線をその建物に送っていた。屋敷の表札らしきもの、そこにあるであろう家紋には、わざとらしく目隠しが掛けてあった。ジローの鼻から短い息が漏れる。笑うこともないが、鼻で笑わなければ気も晴れない、と言わんばかりだった。


 そもそも、巨大な屋敷にカサネたちが何用なのか。もちろん仕事であるが。


 G3フォースへの主な連絡手段は、トーコが作った公式Webサイトに掲載されている連絡フォームと携帯電話番号への電話、カサネが運営する各種SNSのダイレクトメッセージとEメールである。

 ある日、発信者番号非通知の状態で電話があった。匿名での依頼であり、電話番号も教えられず、メールでの連絡も頑なに断られた。電話口で住所と時間を指定され、その場所に来るように、とのほぼ一方的な電話であった。そのため、トーコは初め、不審に思いその案件を受けない姿勢でいた。

 しかし、カサネは違った。不審すぎる態度に、余計にその裏で何か起きているかもしれない、と考えたのである。トーコは、内容が内容であるため、警察への通報を提案したが、カサネは聞き入れなかった。

「それで相手さんが困ったまんまで、うちにケチつけられるのも癪だしさ!相手のお困りごとがほんとだった時、取り返しつかなくかったら取り返しつかないよ!」

トーコは、カサネの「頭痛が痛い」感のある言葉に、妙に納得させられてしまった。

 ジローは、行くべき場所を指定された時に、やる気をすでに失っていた。ジローには、その場所が馴染み深く、恨みの絶えない場所であることが、心と体に刻まれていたからである。やる気が出ない、などという生易しいものではない、明確な殺意が自分の中に生まれる場所。誰も好き好んでそのような場所に行きたいと思うはずがない。当然のことであるが、一方でチャンスとも取れるのも、また面倒な話である。殺意を覚えるほど、ジローにとって因縁深い場所。


「霧島……」


 ジローがポツリと呟くと、カサネとトーコが振り返った。巨大な屋敷に呆けているようである。

「ジローなんかいった?」

「いや、何も」

カサネの言葉にそっけなく返す。カサネは怪訝な顔で、ジローを見つめた。先ほどまでのやる気のない表情とは変わり、何か思い詰めた様子、それも、ともすれば一線を超えてしまいそうな、緊張感のある表情であった。

「……ジロー?」

カサネの問いかけに、ジローは答えなかった。険しい表情のまま、屋敷を見つめている。カサネは目を見開き首を傾げ、「何を考えてんだか」というジェスチャーをし、屋敷の玄関へ向かっていった。

トーコもカサネに続こうとしたが、はた、と足を止めた。

「ねえジローくん」

トーコの声掛けで、ようやく首だけ動かした。しかしその動きは、油を差していない機械のように、ひどくぎこちない。

「カサネはああ言ったけど、やっぱりトライカーゴで待ってたら?」

「余計な気遣いはいい。俺も行く」

「……無理してるでしょ」

トーコはジローの拳を一瞥した。全身の力を込めるように、拳の骨を砕かんばかりの勢いで握りしめており、小刻みに震えている。拳から目線を上げると、ジローは微かにではあるが、肩で息をしている。

「この場所、知ってるのよね?」

ジローは震えながら、頭を縦に振った。ジローはその口を横に引き、歯を食いしばっている。まるで、何かに耐えるように。

「……わかった。大丈夫。何も聞かないでおくから」

トーコが優しく、しかしあっさりとしたように言った。その言葉が、そしてその「音」が、ジローを少しだけ安堵させた。ジローは、大きく深い息を、鼻から吐き出した。


 その頃、カサネは能天気にもズンズンと屋敷の玄関へと向かい、すでに呼び鈴を押していた。

「……ありゃ?返事ないな」

 カサネは自分がいま押したものが『呼び鈴』であることに気づいていなかった。しばらくカサネは『インターフォン』だと思い込んだものを見つめながら、首を傾げていた。

「居留守かなあ……やっぱトーコの言う通りだったかな」

口を尖らせていると、突然、玄関のドアが開いた。突然開いたドアに驚いたカサネは、きゅうりを背後に置かれた猫の如く、後ろへ飛び退いた。冷や汗を垂らしつつ、開いたドアの内側に立っている人物へと目をやった。ヴィクトリアン・メイドの小柄な女性。だが、異常な違和感が顔面にある。


 そのメイドは、昆虫の仮面……「アリ」の仮面をつけていた。


 カサネにはこの仮面に見覚えがあった。かつて、霧島イチロウがつけていたあの仮面によく似たものであった。カサネの脳裏に、あの事件での出来事がフラッシュバックする。体が砂に変わり消えていく人、そして、イチロウによる呪縛。

 カサネが硬直していると、カサネの後ろからトーコとジローが近づいてきた。

「カサネ、何してるのよ」と、声をかける間もなく、トーコも同様に言葉を失った。

「『G3フォース』の小鳥カサネさま、葛城トーコさま、本日は当家の依頼をご快諾いただきまして、ありがとうございます。奥方様がお待ちですので、こちらへどうぞ」

機械のように正確な角度でのお辞儀、言葉遣い、そして依頼主がいる部屋へ案内する手の角度。カサネとトーコはすっかり気圧されつつ、

「お邪魔しま〜す」

と、屋敷の中へ足を踏み入れた。

「げ、敷居って踏んじゃダメなんだよね」

「大丈夫、ちゃんと跨げてるから」

とボソボソ喋りながら、屋敷に入っていく二人を見つめる、ジロー。

「小鳥さま、葛城さま。お連れ様がまだでございます。少々お待ちいただけますでしょうか」

「ジローまだぐずってんの?」

「思うところあるのよ、ちょっと待ったげて」

 ジローはようやく足を屋敷に向けた。玄関に近づくと、メイドが深々とジローにお辞儀する。


「おかえりなさいませ、ジローおぼっちゃま。奥様が7年ぶりの再会をお待ちでございます」


 カサネとトーコ、目を見開いてジローを見る。二人は、霧島イチロウとジローの関係を知っていたつもりでいた。二人の「兄弟」と言う関係性は、友情を示す、血縁関係のないものであると。

「ジロー、あんた」

カサネが声をかけると、ジローは、深く大きなため息を吐いた。


「ただいま。会いたくないと言っても会わせる気だろうが」

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