第36話


そうして俺は、季節が巡るごとに心の中の濁りを隠せなくなってきて、余裕がなくなってきた。

夏莉が汗をかくことがなくなり、少し冷えてきた、冬の始まりなんて言われる時期。

夏莉はまた笑顔で、いや焦りを隠しながら、イルミネーションを見に行こうと笑った。

アルバイトは続けているのか、付き合いが悪くなった。彼氏に関してもあまり言わなくなり、今夏莉に恋人がいるのかどうかもわからなくなった。

3人でラーメン行く時間も増えながら、ふゆちゃんも早く帰ることが増えた。


そんな日々の中の、体育の時間だった。

くだらないほどつまらなくて、何も明かしてくれない夏莉と、なんだか曖昧な春希と、冬のようなふゆちゃんへのヘイトが高まっていたんだと思う。とにかくむしゃくしゃして仕方がなかった。

みんな俺を子供扱いして何も言ってくれないが、俺だって立派な人間なんだと……何かを遂げることはできるんだと、示したかったんだと思う。


いつもの3人と、美咲さんが話しているのは見えていた。退屈すぎて徘徊している俺に誰も気づいていないのか、気づいていない振りをしてるのか、どっちなんだろうか。どちらにしろ腹が立つ。そうして、俺は先生のバインダーの上に置かれていた大きい拡声器を手に取って、夏莉たちの方へ向かった。


「松田くん!聞きたいことがぁ……って、なにそれ。」


美咲さんが笑顔で振り向いて、そして真顔になった。なにそれって、拡声器に決まってるだろう、なんて返しそうになった。


「秋也……お前それどっから持ってきたん」

「備品勝手に持ってきたのぉ?怒られるよぉ?」


春希と美咲さんを横目に、1歩1歩前に出る。右手に持った拡声器にはじっとりとした手汗と、そして不安と挑戦への笑みがこぼれそうになった。


「ねぇちょっと、ちょっと……」


座っている夏莉は何度か俺の右手を掴もうと空振りし、やがて立ち止まった。


「なにすんだよ〜」

「ちょっと待ちなよ、ねえ」

「大丈夫だから、見てて見てて」

「大丈夫じゃないって、秋也待っ――――」


「わ!!!!!!!!!!!!」


全力で叫んだ。自分が思ってる5倍くらい大きな音が出て、なんだかスッキリした。もはや汗か冷や汗かなんだかわからない液体すら、散って消えそうなほどの爽快感だった。

同時に宇野が倒れ込んだ。


「宇野くん!!!!!!!!!」


最初に声を上げたのは夏莉だった。イメージ通りだった。


「宇野くん、保健室行こう。春希そっちの肩お願い、せーので持ち上げていこう」

「了解、宇野、俺らに体重任せていいから」

「ふゆちゃん、先生に宇野くんと私たちのこと伝えてもらえる?」


前方でいつもの3人が、見たことも無い顔で、見たことも無い宇野を看護し始めた。

俺の気持ちは、誰も気づかずわかってくれず、飲み込んで我慢して苦しいのに。

よくわからない宇野には優しくするのか。

もう一度拡声器を口元に持っていこうとした時、右手を鮮明に掴まれた。


「その必要はないよ」


驚いて後ろを振り返ると、体育教師がそこには立っていた。


「多少のいたずらは許すけどな、こういう笑えないのはやっちゃダメなんだよ。わかるか?俺だってさ、ここのみんなのこと放置しすぎたからあんまり強く言えないけど――」


先生が何を言っていたか全然頭に入ってこなかった。

宇野への心配と、憎悪や妬みと、夏莉たちへの憎悪と、全てがぐちゃぐちゃで、もう一度叫びたかった。先生の説教はすぐに終わって、体育はわりとすぐに再開して、そしてすぐに終わった。

隣にいたふゆちゃんは終始何も言わなかった。冷たいなと思った。理由も何も聞かないことは、配慮なんだと当時の俺は思えなかった。


「なぁ〜秋也ぁ、あれはやりすぎだって」

「マジびっくりしたんだけど〜、どっから持ってきたんよアレ」


教室に戻れば、いつもの不良グループの富田たちに絡まれた。なんだかすごく嬉しそうで、そして……肯定されている気分だった。


「すまんすまん、あんな音出ると思ってなくて!暇だったし、先生のバインダーの上にあったからつい……」

「でも俺らもめっちゃ退屈してたからさぁ、助かったわ」

「宇野はなんかやばそーだったけど、俺ら的には満点的な?」


富田たちが肯定してくれてる間、夏莉たちは俺を見てひそひそと何かを話している。

言いたいことがあるなら言えよ―――そう思いながら、言わないでいる俺にも刃物が刺さった。

富田たちの話がエスカレートし、「宇野は大袈裟だ」と言ったところで、俺らの夏莉が黙ってるわけなかった。


「あのさぁ!」


そうして立ち上がった夏莉の方を、春希が強く押して、座らせた。


「夏莉は何もしなくていい」

「春希どういうこと―――」


春希は俺に近づいてきて、「ちょっと来い」なんて言って、腕を掴んで教室から出した。


「春希……?」

「気安く呼ぶな。黙ってついてこい。」


今迄にないほどの冷たい声だった。ふゆちゃんの冷たさが優しさだとわかるほどには、春希の声は冷たくて冷たくて……春希の背中の棘が俺に刺さっているような感覚だった。


そうして人が使わない階段の踊り場で、春希は俺の腕を離した。


「何してんのお前」


一言目は、それだった。

いつにも増して鋭い目は、軽蔑そのものだった。


「いや……えっと」

「ハッキリ言え、なんであんなことした」

「なんでって……」


なんでって、言えるわけが無い。

春希への気持ち、夏莉への気持ち、ふゆちゃんへの気持ち、それぞれをこじらせて、限界が来て、なにかしてやろうとやってしまったなんて。

今更反省を口にすらできない。


「言わなくてもさあ!」


春希の大きな声が階段に響き渡るが、階下から聞こえる喧騒は変わらなかった。


「わかるよ、なぁ。夏莉と俺になにか思ってんだろ、言いたいことがあるならハッキリ言えよ!」


体が芯から冷えていく感覚がする。暑いのか寒いのかわからないような、あの感覚が。

どうして?春希は俺の気持ちに気づいてた?いつから?こんなに怒る春希見たことがないが、俺は嫌われたのか?そんな考えばかり頭によぎっては、吐きそうになり、たまらなく逃げたくなる。


嫌われたくない。


「春希、俺の事嫌い?」


思ってもない、くだらない質問が口から飛び出た。自分でも信じられないほどに情けない声だった。


「ああ、こんなお前は大っ嫌いだ」


その言葉で、全てが壊れた気がした。

止めたいのに涙が溢れて、何をしてるんだと

自責の念なんかより、春希に嫌われる方が嫌なんだということ自体に嫌気がさした。


「とにかく、自分のした事くらいちゃんと反省しろ!お前とはしばらく話したくないし顔も見たくない。大人げないことすんなよ………って、夏莉、とふゆちゃん」


もはや、夏莉とふゆちゃんを見る余裕すらなかった。そこにいるのかすらわからないが、夏莉の落ち着いても甲高い声が響き渡った。


「秋也、武勇伝にはならないからね。富田たちが笑ってくれたのも、お前おかしいなって、悪い意味の笑いなんだよ。」


下を俯いて泣き続けるしかなかった。富田たちは肯定なんて最初からしていなくて、そんなことよくわかっていて……。


「てか夏莉、汗……どした?走ってきたの?」

「えーっと……ハハッ、なんかね、焦っちゃって――――」

「富田に殴られたんだよ」


ふゆちゃんのその言葉で、ばっと夏莉の方を見た。確かにありえないほどの汗で、太ももは強く変色していた。夏莉のことだから、あの後富田に食ってかかったのだろうか……それならば、俺のせいで……。


「いやぁ〜ちょっと〜ね、うん、あはは」

「保健室連れてくぞ。秋也とふゆちゃんは教室戻っとけ。ほら、夏莉はおんぶ!!」

「……お、重いからいいよ」

「うるせえな、早く乗れって、自分の足見てる?」

「え?」


夏莉は足を見て状況を理解したのか、大人しく春希の背中に乗った。

こんな状況でも嫉妬してしまう自分を殺したくなった。

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