第25話 黒い炎

 またしても聞いたことのない知識だ。

 被移植者の生死にも関わることなので、俺の興味はすっかりそれに向いていた。

「この炎って、そんなことができんの?」

 指先から蝋燭のような大きさの黒い炎を出して見せ、周囲の温度が上がる前に手を握ってかき消す。

 依然として俺の指は黒焦げのままだが、再生能力を妨害されたような感覚はない。だから、静香の先程の言葉には疑問があった。

「俺の再生は別に止まってないぞ? ホントか、それ?」

 様々な色の炎を出せるようになったが、その中でも黒い炎は温度が段違いに高い。一瞬指に灯しただけでも骨まで炭化しそうな熱を発するが、再生能力がそれを引き留めてくれている。

 それほどの再生能力が働いているので、妨害されているとは考えにくい。

「あんたに対してはそうなんだね。でも、私に対しては全然違うかな」

 そう言って、静香は自身の左の頬を指さした。俺のぼやけている視界でも、そこには何の異変も無いように見えた。そう思った次の瞬間、とてもグロテスクな現象が起こった。

「いっ……」

 左の頬の皮膚が中心から溶けていくように傷が出来上がる。次に血管が続々と焼き消え、筋肉が溶けたかと思えば血液と混ざってドロドロの液体が出来上がった。

 静香の頬からはポタポタと赤い体液がとめどなく滴り、その傷はとても痛々しい。

「どっ、どうしたんだ? それ」

「っ────はぁ……ちょっと、待ってね」

 彼女のその言葉に続くように、左の頬は黒いオーロラのような物を伴って五秒足らずで再生した。再生した皮膚にはケガをした形跡はない。辛そうにしていた表情も、幾ばくか落ち着きを取り戻している。

 どう声をかければいいか分からず手と口をあわあわさせていると、少し口角を上げて彼女は答えた。

「今のは……そう、ヤバいやつにつけられた傷で、そいつは君と同じ黒い炎を使ってたの」

「そ、そうなのか? でも……」

 傷は治っているので、再生能力自体は働いているのだろう。だが、今の辛そうな様子と傷が勝手に現れたことを考えると、そう単純な話ではなさそうだ。

「……黒い炎でできた傷は莫大な再生のリソースを払う必要がある、ってことか?」

「そ、しかも再生が負け始めると傷が開いてくるんだよね。多分、自然治癒でしか治らないと思う」

「自然治癒て……」

 さきほどの傷は、とても自然に治るようなものではない。しかも、できたばかりの傷のような見た目だった。おそらく、再生させず放置し、自然に治癒するのを待つ必要があるのだろう。

「私だってホントは凛と同じくらい強いのに、この前はこれのせいでリソースを食われてボコボコにされたからね! ホントに困ったもんだよ」

 おそらく、いつぞやの京都での出来事を言っているのだろう。やけに動きが悪いと思ったが、そんな事情があったとは全く分からなかった。

 忘れそうになるが、彼女はヤクザだ。敵対する人間も多いだろう。だからそんな中で負った傷なのだろうが、それにしてはさすがに重すぎる。

「今は痛くないのか?」

「治ってるからね。でも、寝てるときはさすがに再生能力をコントロールできないから、ありったけの包帯を巻いて鎮痛剤を飲みまくって寝てるよ」

「凄い絵面だな」

 静香は「ふふっ」と笑いながら話しているが、満足に寝れないのは相当に辛いことだろう。俺もこの体になってから寝れた試しがないので、気持ちが痛い程よく分かる。

 それでもクマの一つも見えないのはROのおかげなのか、それとも化粧をしているからなのかは俺には分からない。

「ってな感じで、その黒い炎にはそういう効果があるっぽいから、多分頑張れば籏崎にも勝てるよ」

「いや、正直そっちはどうでも良くなってるんだが」

「ダメ! ほら、この依頼受けるの?」

「……まぁ、受けるよ」

 というか受ける以外の選択肢を感じない。もしも断れば、ヤクザ的な報復のバーゲンセールを体験するような予感がする。もし断って、その篠原和彦がどんな顔をするのかは見てみたい気がするが、まぁさすがに実行はせず、大人しく依頼を受託する。

「分かった! じゃ、和彦にはそう伝えとくね」

「そういえば、静香は傭兵やってないのか?」

「やんないよ。私、代理とはいえ組長だし」

「そうか」

「……」

「……」

 会話が終わってしまった。しかしこれは珍しいことではなくて、最近、静香とは仕事に関すること以外の会話をできていない。

 こうして会話が止まるたびに、頭の中が緊張でいっぱいになる感じがする。本当はもっと言葉を交わして静香との時間を大切にしたいはずなのに、山で暮らして人との関りを断ってきた俺にはそれを現実にする頭がない。

 やはり山に行くべきではなかった。山に行かず、ちゃんと人の暮らしをして人として学ぶことを学ぶべきだった。最近はそう後悔してばかりだ。

「なんか、和彦に言っときたいこととかある?」

「いや、特に」

「じゃあ、私には?」

 顔を覗き込まれ、目を合わせようとしてきた。

 そうなる前に視線を逸らしたが、横目に見えた静香の目は、こちらを逃がすまいと強い意志が宿っているように見える。


 言いたいことなど山ほどある。なぜ俺を山から攫ったのか、なぜそこまで強く生きられるのか、なぜ檜山と付き合っているのか、なぜ梶原さんの元に向かわせたのか────

「それは……」

 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ。いくつもの疑問が、俺の喉を伝って落ちていく。俺の中に渦巻く「静香に嫌われたくない」という想いが、それらの言葉を嚥下してなかったことにしてしまう。

 少し考えれば分かる。静香は、どんな本心をぶつけても彼女なりに真摯に応じてくれるはずだ。言えないことは言わないだろうが、それくらいは誰にでもある。

「な……」

 ────なぜ、俺をここまで気にかけてくれるのか。それが、今まで静香と暮らしてきて最も感じた疑問だった。

 会長に押し付けられた、と言ってはいたが、正直どこかに捨てられても仕方ないという気持ちはある。この事務所に来て、いくつの機械を壊して書類を燃やしたか、それはもう数えきれないところまで来ている。

 不良物件もいいとこだ。よくこんなもんを抱えていられるな、と感心してしまう。

「……いや、もう少し、時間をくれ」

「そう」

 そう返す彼女の顔には、落胆も安堵の感情も浮かんでいなかった。

 俺は『男ならガンガン行くべきだ』という謎に男らしいもう一人の自分を張り倒し、地下室を出ていく静香をただただ無言で見守った。

「……言うべきことも沢山あるんだけどな」

 俺は静香に教えていないことが沢山ある。それ自体は普通の人同士の関係の中でもあることだろう。だが、俺は本当の名前すら教えていない。

「名前言っても、あいつなら分かってくれるはずなのになぁ」

 俺には名前を名乗りたくない理由がある。それは俺が山で暮らし始めるまでに学んだ処世術であり、人との関係を維持する方法でもある。

「いや、問題は苗字だから、下の名前を言うだけなら問題ないか?」

 とはいえ、今になってそこだけ名乗り出るのもなんか気まずいので、どうせ名乗るなら苗字と一緒に名乗りたい。

 それに、苗字を名乗ったとして面と向かって嫌悪感をぶつけてくる人間も少ない。まぁ、その奥から覗いてくる敵意にも似た忌避の感情が、俺にとって一番辛いのだが。

「あ、名前で思いだした!」

 そう言えば、俺の傭兵としての名前の問題が一切解決していない。

「明日、ヤクザの前で『傭兵のプラズマです』って名乗らないといけないのか!? 絶対嫌だぞ!」

 依頼の開始までに、この対策を考えておく必要がある。もしもそのまま名乗れば、俺は一生消えることのない巨大な傷を負うことになるだろう。それも、たかがヤクザ相手に。

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