第23話 来客
「童貞を拗らせすぎたな……失恋が思ったより心に響く」
あれから五日。
フレームの調整が長引くとのことで、三日引きこもるはずが五日間も引きこもってしまった。
そんな中でも静香は仕事の合間を縫って俺に話しかけに来てくれたが、正直何を話したのか覚えてない。
「……ひょっとして、青春を森の中で消費したのって愚行も愚行だったりするか?」
梶原さんは東北水爆が約十年前の出来事だと言っていた。
俺が家出をしたのもその時期なので、俺が森で暮らしていたのは十年間ということになる。
つまり、今の俺は推定二十歳。花の青春時代はとっくに終わりを告げ、立派な社会人になっているような年齢だ。
いずれはこうして人間社会に戻ってくるつもりだったのなら、家を出るべきではなかったのではないのだろうか────
「ああヤバい。急に寒気が」
焦り、不安そして劣等感。
もしも俺に今の力がなかったとしたら、俺はどうやって人間社会に戻っていたのだろう。
幸い世が世なので、働き口は腐るほどある。大工、配達、会社員など、就職先はある程度自由に選べるだろう。資格が必要な職も、頭をこすりつけて頼めば、働きながら資格を取らせてもらえる場所もあると聞いたことがある。
とはいえその職の大半に将来性はない。給料は生活していくのも困難な量で、もしかしたら上がったりしないかもしれない。
「あれ……? ヤクザに居候して正解だったか?」
梶原さんのように健康と心を削りながら、一生を終えるようなこともあったかもしれない。妻も友人も作らず、孤独に死んでいく自分の姿が、目を閉じると瞼の裏に浮かんでくるようで────
「暗い部屋、飲みかけのビール、小銭だらけの財布、やけに古い仕事道具、写真の入ってない携帯────」
「ギャアアア!?」
不穏な文字列と唐突な背後からの声に驚いて振り向くと、すぐ耳元に静香の顔があった。
声を上げて驚いた俺を見て、静香は笑い交じりに言う。
「意外とメンタル弱いんだね、森ってそういうのは鍛えられないの?」
「はぁ……みたいだな。そういうのはこっちじゃないと育たないらしい」
「へぇ……」
静香は何か言いたげだ。
ただ、今はそれを聞くのも億劫なので、反応はしない。
それよりも、五日間も引きこもってしまった事の方がまずいので、立ち上がって地下室から出ようとする。
「どこ行くの?」
「フレームがそろそろ届くだろうから、事務所の外に座っとく」
「うーん……分かった。ただ、チンピラ対策で事務所からは離れないでね」
「あいさー」
特訓のおかげで、コンクリートやアスファルトが体に触れても溶けないようにすることができるようになった。ただ、感情が高ぶると熱が急上昇するのでそれは気を付けなければならない。
事務所の外で待つと言っても反対されなかったのは、特訓の成果を静香に伝えていたからだ。ただ、依然として体は黒焦げなのでチンピラに絡まれやすいのは否めない。
「やっぱ元気ないよね……?」
静香が何か呟いている。多分、独り言だろう。
体の温度が下がってきたので、以前ほどここのヤクザに避けられることもなくなった。話しかけられることは無いが、常に五メートルくらい距離を取られていた時に比べれば大分マシだ。
そして遂に、地下室から出てきた俺にヤクザの一人が話しかけてきた。
「おい燃えカス」
「え、俺?」
「お前以外に誰がいんだよ」
一瞬耳を疑ったが、燃えカスとは俺のことだったらしい。
手が出そうだ。
「お前に客だぞ」
「あ、はい」
「あっつ……はよ行け」
それだけ言って、その男は階段を上って去った。
玄関に向かいながら、多分来たのは檜山だろうなと予想する。できれば会いたくないので、受け取りを静香に任せてしまおうかと思ったが、さすがにふざけすぎだとその考えを捨てる。
玄関に着くと、待っていたのは知らない女だった。
視界がぼやけているのではっきりとは分からないが、結構スタイルがいい。
「童貞みたいな目ぇ向けないでくれる?」
「えぇ!?」
「どうもこんにちは。私、小森奏ね」
待っていたのは檜山ではなかった。
そのため、一瞬ヤクザ以外の客が来たのかと期待が膨らんだが、今の口調を鑑みて確信した、絶対ヤクザだ。
「……もしかして、ROを制御できてる?」
「え?」
「あ、そうそう。そこ、フレーム持ってきたから」
指された場所に目をやると、そこには車の中の箱に積まれたフレームのパーツがあった。檜山が届けにくると思っていたので、ちょっとホッとした。
「ねぇ、ちょっと体調べてもいい?」
「え? いいけど……」
「はい、じゃあ止まって」
言われた通り、俺はその場に直立不動で立ち止まった。
そんな俺にそいつは近付き、立てた人差し指の先を俺のおでこに突きつけてきた。
「ふんふん……」
「あ、熱くないのか? 一応、皮膚が燃えるくらいには熱いと思うけど」
「黙って」
時間にして三十秒、ずっとその態勢を維持させられた。
体にはなんの異常もない。いや、元から異常だらけではあるが、この小森という女に触れられてから、体には何の変化も起こっていない。
てっきり静香や檜山と同じ被移植者かと思ったが、違うのだろうか?
「扉じゃない……穴? 耐性がないから、エネルギーの通り道が塞がれてない?」
「何この女、こえぇ……」
「体が燃えるのはそのエネルギーを大量に流し込まれた反動……再生能力は……あぐっ!?」
「えっ大丈夫?」
小森は、急に何かに弾かれたような反応をし、仰向けに倒れてしまった。
俺が駆け寄ろうとするとそいつは「大丈夫」と言い、すぐに立ち上がる。
「情報が高次元すぎてキャパが足りない……ダメか」
「さっきからなにブツブツ言ってんだよこえぇよ」
スーツの表面についた土を払いながら、小森は俺に言った。
「その力を手にしてから、衝動的なものを感じたことは?」
「え? うーん……そうだな」
急に思い出せと言われても無理なので、数秒考えこむ。
言われてみれば、この体になってからやけに冷静に考えるようになったかもしれない。
以前の俺は結構感情的だったはずなので、これも能力の影響かと考える。
そう考えている内に、最も感情的になった出来事が頭に浮かんできた。
「あー……」
「なに? 何でも良いよ」
「確か、あの石を移植されてから気絶して、初めて目が覚めた時」
「気絶って、本当に炎に包まれたの!?」
「え、うん」
「やっぱ燃えるんだ……よくショック死しなかったね」
確かに、あの熱さならショック死していても変ではない。
時々思い出しても怒りが沸々と湧いてくるが、それは一旦置いておこう。俺はその出来事を詳しく説明する。
「なんか暗い場所で目が覚めてさ、体がめっちゃ痛いし熱いから『ああ、死ぬんだな』って思ってたんだけど、徐々に腹立ってきてさ」
「うん、で?」
「静香のせいで死ぬんだと思ったらめちゃくちゃ腹立ってさ、見つけ出して殴りに行った時が……」
「一番感情的になった時?」
「そうだ……な」
感情に支配されていると言えば、今も失恋して落ち込んでいるのだが、それは恥ずかしいので話さない。
「……うん、分かった」
俺の説明を聞いた小森は、しばらく考え込み、一瞬だけ眉間にしわを寄せた。
「他にも感情的になることがあったら教えてね」
「ああうん、分かった」
「あ、フレーム付けても良いよ。調整し終わってるから」
「あざーす!」
あのフレームはひんやりしてて触り心地が良いので、動きづらくても着るのに抵抗はない。なんなら、ずっとつけていたい。
俺は車に積まれていたフレームを体に装着し、熱を発している体の部分を隠す。
「おお、もっと冷たくなってる」
「でしょ? 静香の頼みだから頑張ったよ」
小森は得意げにそう語る。
こいつは相当静香のことを気に入っているようだ。せっかくなら呼んできてあげようかと事務所の中に戻ろうとしたが、振り返ると静香が顔をのぞかせていた。
「奏? 来てたの」
「静香ぁ!!」
事務所から静香が出てくるなり、小森は興奮した犬のように抱きついた。
抱きつかれている静香も小森と会えてうれしそうな様子だ。この二人はかなり仲がいいらしい。
小森の俺自身への用は済んだようなので、二人が楽しそうに会話しているのを横目に、俺は事務所の中の地下室に戻っていった。
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