第21話 帰還
「みんな今日は遅くなっちゃってごめんなさい~」
ビニールハウスに入ると、そう言いながらいつもの定位置に向かって駆け出す。
サクラが横を通ると、ぼんやりと光を放っている花が揺れる。
まるでサクラが来るのをずっと待っていたかのように。
遅れて僕も彼女の近くまで行くと、
「肇さん、見てください。あの枯れかけだったお花がここまで回復しました」
「…………」
僕がここに来た時は、本当にいつ枯れてもおかしくないくらいに弱っていたのに。
どこか頼りなさはあるものの、それでもしっかりと綺麗な花を咲かせていた。
「気付いていますか? この命の花って肇さんのお花らしいですよ」
「えっ?」
「わたしもユズお姉ちゃんから聞かされた時はびっくりしました」
「ユズさんが……?」
本当にあの人は怖いくらいになんでも知っているな。
でも、そうか。だから……。
「? 肇さん、そんなに嬉しそうな顔をしてどうしたんですか?」
「ううん。ずっと不思議だったんだ。サクラの歌っていつも僕の心というか、魂に響いているような感じがしていたから」
「えへへ、これも運命ですね」
「……運命、か」
なんだか最近は余りよくない意味でしか耳にしていなかったから、少し新鮮だ。
「……それでは、そろそろ歌いますね」
「……うん」
僕は二、三歩下がった場所で耳を傾ける。
さっき自分の命の花を見て確信した。
どんなに悲しくても、どんなに辛くても、次はもう来ない。これが正真正銘、最後だと。
だから僕は彼女の姿を、歌を、目に、耳に、焼き付けよう。この先何年経っても忘れることがないように。
「――――」
始まった、始まってしまった。最後の歌が。
月明かりに照らされ、命の花のほのかな輝きに囲まれてサクラは歌う。
彼女の発する一つ一つの音が、五官だけではなく、花を通して僕の中へ流れ込んでくる。
でも嫌な感じは全くしない。むしろ心地よいくらいだ。
「……これ、は」
声が聞こえてきた。あの時と同じサクラの声だ。
「肇さん、ありがとうございます。わたしに恋を教えてくれて、素敵な時間を与えてくれて」
「僕の方こそありがとう。最初から最後までずっとお世話になりっぱなしだった」
「結局、何も返せないまま去ることになっちゃいそうだけど……」
「そんなことありません。わたしは肇さんにかけがえのないものを貰いました」
「恋、です。きっとわたしは肇さんに出会わなければ、恋を知らないままだったと思います」
「恋をすることの楽しさ、辛さ、そして……大好きな人と繋がれた時の喜び」
「全部肇さんがいなかったらわたしは知らないままでした」
「肇さんに出会ってから今日までわたしの毎日は輝いていました」
「僕も、僕もそうだよ。サクラと出会えたからこそ……ぁっ」
歌が中盤に差し掛かった瞬間、古い記憶が蘇る。
それはまだ肇が幼かったころ、母ツバキが口ずさんでいた歌。
……どうして今まで気が付かなかったんだろう。
「(この歌、母さんが歌っていたんだ。母さんが自分で作った世界で一つだけの歌……」」
あれ、でもそうだとしたら母さんはどうやってサクラに歌を……。
……もしかして、この世界に来る方法はある?
「あ、ああぁ……」
その可能性にたどり着いた瞬間、僕の両目から熱いモノが零れだした。
「……肇さん?」
「サクラ、前にその歌を教えた人を探しているって言ってたよね」
「は、はい」
「見つけたよ。サクラにその歌を教えたのは僕の母さんだったんだ」
それを告げると、一瞬だけ歌声が乱れる。
「……そんな偶然あるんですね。……あれ、でもそれって」
「僕の母さんは妖精で、父さんと人間の世界に戻った。でもサクラに歌を教えたのはそれより後だ」
「ということは……!」
「うん、うんっ!」
サクラも僕と同じ考えに至ったのか、ぽろぽろと大粒の涙を流していた。
「何年かかっても、絶対に」
歌も終わりに近づいていく。
自分の身体がどんどん薄くなっていく。
視界が、どんどんぼやけて真っ白になる。
「サクラ、さようなら」
そう言うと、サクラは涙を流しながら笑ってくれた。
だから僕も最後は笑う。さよならが悲しいだけで終わらないように。
――大丈夫です、肇さんは一人じゃありません。たとえ離れ離れになってもわたしたちはずっと繋がっています。肇さんの命の花が枯れない限りずっと。
そうして僕の意識は真っ白の世界へと沈んでいった。
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