第10話 ツバキ

「――ふぅ、こんなもんかな。あとは……」


 綺麗な花で満ちたビニールハウスの中央で、今日の作業を終え額の汗を拭う。

 ……僕がこの世界に来てから一週間が経過した。

 記憶の方は相変わらず進展はないままだけど、あれから僕たちの関係は少し変わったことがあった。


「あっ、アオイさん。さっきユズさんが、仕事が終わったら私の部屋に来て、だそうです」

「そう、わかったわ。ありがとう」


 そう言い残してアオイさんはビニールハウスから出ていく。

 それはアオイさんだ。今でも壁を感じるけれど、それでも不必要に話しかけたり近付かないという条件で、同室で食事や仕事もしてくれるようになったのだから。


「肇さ~ん! もうすぐ歌いますよ~」

「すぐ行くよ」


 ビニールハウスの真ん中でこちらに手を振る。なんだか小動物みたいで可愛い。

 彼女の前には変わらず枯れかけている花がある。

 サクラは毎日、この花に歌を聴かさせていて、それを花と一緒に聴くのが日課になっていた。


「今日も精いっぱい歌うので聴いてくださいね」




「――ふぅ」


 歌い終えたサクラは軽く息を吐いた。


「今日もすごくよかったよ」

「ありがとうございます! ……でもこのお花はまだ元気にならないですね」

「毎日しっかりお世話もして、お歌も歌って……何が足りないんでしょう」


 この枯れかけている命の花は僕が来る少し前からこの状態になっていたらしい。

 つまりこの状態のまま一週間は経過している。

 ユズさん曰くこんなことは滅多にない、とのことだ。


「大丈夫だよ。サクラはちゃんとやれているよ。第一なにか問題があればユズさんやアオイさんが気付かないわけがないでしょ」

「それは……そう、ですけど。でもでも、やっぱり不安なんです。このまま枯れちゃったらどうしようって」


 もしも枯れてしまったとしても、サクラのせいではない。きっとこの花の寿命だ。

 ……なんて言えないよな。この世界のことも、命の花のことも良くわかっていない僕が言ったところで気休めにすらならないだろう。


「一生懸命にお世話をしてもダメな時はあるって、お姉ちゃんたちからは言われているんです」

「それはわかっているつもりだったんですけど、でもやっぱり考えちゃいます。」

「お世話をしているのがわたしじゃなかったら、もっと早くに回復して……いいえ、そもそも枯れかけることもなかったのかなって」

「そんなことないと思うよ。確かに別の人がお世話をしていたら違う運命もあったのかもしれないけどさ、この花が枯れずに堪えているのはサクラのお陰だよ」

「きっと普通のお世話だけじゃ足りなくて、サクラの歌があるからなんとか踏みとどまっている。そして今は回復の機会を今か今かと待っているだけ、なんて都合がよすぎるか」

「……ふふっ、肇さんは本当に優しいです」

「そうかな。多分ユズさんやアオイさんならもっと気の利いたことを言えると思うんだけど」

「いいえ! 肇さんがいいんです、肇さんじゃないとダメなんです!」

「お、おおぅ」


 少し食い気味に顔を近づけられる。

 ほんの数センチ動くだけでくっついてしまいそうなほどだ。

 だけどそれを意識しているのはどうやら僕だけのようで、サクラは何事もなかったかのように顔を離し、


「肇さん」

「ご心配おかけしました。わたしはもう大丈夫です」


 そう言って笑顔を浮かべる。

 まだどこか無理をしているようにも見えるけど、これ以上はきっとユズさん達になんとかしてもらおう。


「(僕じゃないとダメ、か……)」

 なんだろうこの気持ちは。

 別に何か


「さ、肇さん早くおうちに戻りましょう。お姉ちゃんたちが待っています」

「う、うん」

 こんなにも胸がざわめいてしまうんだろう……。



 ――その夜、僕は不思議な体験をしていた。

 この世界とは違った景色。無機質な高い建物がいくつも並んでいて、近くを大きな何かが嫌な臭いをまき散らしながらいくつも通り過ぎていく。

 そんな危ない場所にいるのに、僕はずっと寝そべったまま動かず、動けずにただ青い空を見つめたままで……。


「おい肇! しっかりしろ!」

「どうして……どうして……」


 うっすらと目を開けると、そこにはいつか思い出した懐かしい顔。

 あれは、父さんと、母さん……?

 必死に僕の名前を呼びかけているのがわかる。だけど、何があったんだ……?

 頭の中が真っ白になっていて、よくわからない。

 遠くからけたたましいサイレンが近づいてくるのがわかる。


「――っ! ―――!」


 父さんが何かを言っている。

 けれど、ごめん。もう何を言っているのかはわからないや。

 激しい眠気に誘われて、瞼が重くなっていく。

 ここで目を閉じてしまえば、恐らく僕は二度と目を覚ますことは無いだろう。それだけは絶対に嫌だと思っていても、抵抗することは叶わず僕は静かに目を閉じた。




「――ッ!?」


 おかしな夢を見て、一気に現実へと引き戻される。


「はぁ、はぁ、はぁ……なんだ夢か……」


 呼吸も荒く、全身から汗が噴き出していて、寝巻も背中が濡れていた。

 夢の中とはいえ、自分が死の間際に立っている光景は中々にクる。

 それにまるでこの夢が現実で起こった出来事のような感覚だ。

 気が付けば僕の手は恐怖で震えていた。


「これは、眠れそうにないな」


 枕元の時計を見ると、針は零時を示している。

 明日もサクラやユズさんのお手伝いをしなくてはいけないからじっかりと休みたいのだが。


「……冷たいものでも飲んで切り替えよう」


 このまま眠ると夢の続きを見てしまいそうだし、そうなるとしっかり眠るなんてほぼ無理だろうから。

 僕はベッドから起き上がり部屋を出る。


「んくっ、んく、ぷは」


 キブシの柄が入ったコップに水を注ぎ、一気に飲み干した。

 冷たい水が全身を行き渡り、多少は楽になった気がする。依然として左手の震えは止まらないけれど。


「やっぱり風にもあたろう」


 ベランダに出ると風が身体を抜けていく。

 ほんのりと冷たい風がとても心地よい。


「ん?」


 ふと、風にのってどこからか歌が聞こえてきた。


「こんな時間に? いやでもこの歌は」


 こっちの世界に来てから毎日のように聴いているのだ、間違えるはずがない。


「ちょっと行ってみるか」


 歌の主を尋ねてビニールハウスに入ると、すぐに見つかった。


「サクラ――」


 彼女の元へと近付こうとしたところで足が止まる。


「――――♪」


 僕の目に映ったのは、ほのかに光る命の花々の中心で慈愛に満ちた表情で歌う妖精だった。

 あまりにも幻想的な光景に、歌っているのが別人のようにも見えてしまうほどに。


「(……とても、綺麗だ)」


 僕に見惚れてしまっている。

 いいや僕だけじゃない。命の花たちも彼女に見惚れているではないか。

 僕はこの場を壊してしまわないように、そっとその場に座って歌声に耳を傾ける。


「(なんだろうこの気持ち。まるでサクラに優しく抱きしめられているみたいで、胸がとても暖かい)」


 サクラの優しさが歌を通して僕を包みこんでくれているようだ。

 彼女の歌に心酔していると、

 ――どんなことがあっても大丈夫、わたしが絶対に守ってあげるから。だから早くわたしに元気な姿を見せて。

 と、声が聞こえた。その声は他でもないサクラだった。

 僕はびっくりして辺りをきょろきょろと見回すが、ここにいるのは二人だけ。そのうえ彼女は今もなお歌い続けている。


「(幻聴? いやでも、確かにはっきりと……)」


 まるで狐につままれたようにぽかんとしていると、サクラは歌い終えて大きく息を漏した。


「ふぅ。心配になって見に来ちゃいましたけど、そんな必要はなかったですね、えへへ」


 枯れかけの花に話しかける彼女の顔はいつもの無邪気な笑顔に戻っていた。


「早く元気になってくださいね。まだまだ頼りないですけど、わたしが絶対に枯れないように守ってみせますから!」

 サクラはそう言って胸の前で小さく握りこぶしを作る。

 その姿を見て、僕は確証する。さきほどの言葉はやっぱり彼女からの言葉だったのだと。


「あっ、肇さん、居たんだったら声をかけてくださいよ!」

「ごめん。なんだか邪魔したら悪いかなって」

「そんなこと気にしなくていいですよ。ところで肇さんはどうしてここに?」

「あ、いや、たまたま窓を開けたら歌が聴こえてきて……」

「……もしかして眠れないんですか?」

「変なタイミングで起きちゃって、ね」


 言いながら震える手をそっと隠す。


「肇さん肇さん、ちょっとしゃがんでもらえますか?」

「別に構わないけど……」

「それではいきますね、ぎゅ~~~~っ!」


 …………えっ?

 一瞬、何が何だかわからなかった。

 気がついたら僕は甘い香りに包まれていた。


「昔、よくお姉ちゃんたちにこうして抱擁して貰ったんです」

「あ……」


 そこでようやく自分が彼女に抱きしめられているのだと理解する。

 歌を聴いている時とは違う。実際に肌を通して伝わってくるこの優しさと温もり……。

 そして何よりもサクラのほんのりと膨らんでいる胸がほどよく心地よい。

 まるで母の愛を受けているような気にさえなる。

 だからだろうか、


「……サクラ」

「はい?」

「聞いてほしいことがあるんだ。ちゃんと話せるかわからないけど、いいかな?」

「はい」


 ――それから僕は一つ一つ夢で見た内容を話した。

 その時に感じたことや、あれは夢だけど現実で起きたことではないかと思っていること。

 決して長くはない出来事のはずなのにかなり時間がかかってしまったけど。

 それでもサクラは最後まで時々あいづちを交えながら聞いてくれた。


「……ということなんだ」


 話し終え、大きく息を吐く。

 するとサクラはより強く僕を抱きしめ、


「怖かったですよね。わたしにはその、車、というのがよくわからないですけど、それでも肇さんの気持ちはちゃんと伝わりました」

「でも大丈夫ですよ。ここにはそんな怖いものもありませんし、何かあったらわたしやお姉ちゃんたちが守ってあげます」

「わたし、こう見えても肇さんよりはお姉さんなので」

「……うん」


 それを今すごく感じている。

 容姿や普段の言動はどこか幼いように見えるけれど、僕にはない大人な部分を沢山持っているって。


「んっ……。もっと胸が大きければよかったですね」

「そんなことないよ。むしろ……」


 叶うのならこのままずっとこうしていたいくらいだ。

 と、言いかけたが寸前で思いとどまる。


「むしろ、なんでしょうか?」

「い、いや、なんでもない」

「ぁっ……」


 これ以上は危険だと判断し、彼女の抱擁を解く。

 手の震えは消えたけど、かわりに心臓がバクバクと煩いくらいに高鳴っている。

 少し息を整えてから顔を上げると、サクラの表情はどこか寂し気のようにも見えた。


「サクラ……?」

「あっ、いえっ、なんでもありません」

「それより、もう大丈夫、なんですか?」

「おかげさまで。本当にありがとう」

「えへへ、どういたしましてです。では肇さん、帰りましょう。今日も起きたらお仕事をしないと!」


 そう言って笑顔で小さな手を差し出してくる。


「うん」


 僕はその手を優しく握る。こっちの世界に来てからいつもやっていることで、特別なことではない。そのはずなのに、


「…………~~~っ」


 どうしてだろう。顔がものすごく熱い。心臓もうるさいくらいバクバクしている。

 さっきまではどうということはなかったのに、今は彼女の顔を見ることが出来ない。

 だけど、サクラはそんな僕のことなんてお構いなしに僕の顔を覗き込み、


「今度は肇さんのためだけに歌を歌いますねっ!」

「……あっ!」

「どうしたの!?」


 サクラが枯れかけの花を指して声を上げる。

 何事かと思って駆け寄ると、


「これは……」


 そこには、ここへ来た時にはいつ枯れ果ててもおかしくなかったはずの花に、ほんの少しではあるものの活力が戻ってきていた。


「肇さんやりました! 少しですが、元気になってます!」


 そう言って嬉しそうに元気いっぱいの笑みを浮かべる。


「う、うん。楽しみに、している」


 その笑顔を見た瞬間に理解した。

 あぁそうか。僕は彼女のことが心の底から好きになったんだと。


「(これは、違う意味で眠れなくなりそうだ……)」




 ――同刻、そんな二人の様子をこっそりと伺っていた人物がいた。


「……やっぱり、か」


 あたしは二人から身を隠しながらこっそりと話を聞いていた。

 肇がビニールハウスへと向かったのが気になって後を追ったのだけど、思わぬ収穫を得た。

 あたしは、いや、あたしとユズは肇と似た事例をよく知っている。

 その結果がどうなったのかも。

 恐らくだけどこのままだと、あの時と同じ結果を迎える……そんな気がした。

 だからこそ、最悪の結果だけは阻止したいのだが。


「…………」


 未だにあたしはあの時のことを割り切れていない。

 絶対に間違っていると思っている自分と、これで良かったと思う自分の両方が存在している。

 妖精と人間、種族も違えば生きる時間も違う。そんな両者がくっついて幸せになれるなんて夢のまた夢……。

 だけど姉さんはあの人間と居るときはいつも幸せそうな表情をしていた。それこそ今のサクラみたいに。


「……あたしはどうするのが正解なんだ。教えてよ……ツバキ姉さん」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る