第9話 ぬくもり
「はぁ~、疲れた……」
逃げるようにお風呂を後にし、着替えを済ませた僕はリビングのソファにもたれかかっていた。
なんでお風呂に入ったのに、入る前よりも疲れているんだろう……。
いや、理由なんて考えなくてもわかっている。しかし……。
「綺麗、だったな」
お風呂場での光景を思い返し、自然とそんな言葉が出た。
「――何が綺麗だったの?」
「それはもちろん――って、ユズさん!?」
いきなり背後から声をかけられ、思わず飛び上がってしまう。
「あらあら、そんなにびっくりさせちゃった?」
「あ、い、いえ。ちょっと考え事をしていたので」
「それってもしかして……」
「そんなに心配しないでください。大したことではないので」
「それならいいんだけど。何か心配事があったら遠慮なく言ってね」
「はい。その時は頼らせてもらいます。……ところで、僕に何か用ですか?」
そう問いかけると、ユズさんは「あっ」と小さく声を漏らす。
「肇くんちょっと来てもらってもいいかしら。とっても大事なお話があるの」
「それは構いませんけど……」
どうしたんだろう。妙に真剣な顔つきになったのが気になる。
もしかして先ほどのサクラさんとのことがバレていて、『まさか肇くんが幼気なサクラちゃんにあんなことをするなんて。あなたのようなケダモノをこの家に置いておくわけにはいかないわ出て行って』。
とか言われてしまったら……。
「ユズさん違うんです! 誤解なんです!」
「? よくわからないけど、いいからついてきて」
ユズさんはそう言ってから、半ば強引に僕の手を引いて、階段を登っていく。
二階よりさらに上……屋根裏とも呼べる場所にある扉の前に立ち、
「じゃーん、今日からここが肇くんのお部屋よ」
「……へ?」
扉を開けた先に広がっていたのは、屋根裏にあるとは思えないほど綺麗に整理された部屋だった。
ベッドにテーブル、椅子など軽く見た限りでは必要なものは全部そろっているようにも見える。
「この部屋、どうしたんですか?」
「ふふっ、実はねアオイちゃんと二人でこっそりやっていたの。サクラちゃんも君を遠くに連れ出したり、お風呂場で足止めしてくれたりと手伝ってくれたのよ」
だからお風呂場でのサクラさんは少し強引だったのか。
「ありがとうございます。あとでサクラさんとアオイさんにもお礼を言わないと」
「ふふっ、ぜひそうしてあげて」
「それにしてもよくアオイさんは許してくれましたね」
「ちゃんと話し合ったらわかってくれたわよ」
「話し合い、ですか。ちなみにどんなことを?」
「もしも肇くんの部屋を用意するのが嫌なら誰かの部屋で預かるしかなくなっちゃうわね」
「でもサクラちゃんはベッドが小さいだろうし、私は朝がめちゃくちゃ早いから……。ってアオイちゃんの方を見たらすぐに」
「……それ話し合いじゃなくて脅迫って言うんじゃ」
「そんなことないわよ。それに肇くんがここに住まうのも良いって」
「……本当、ですか?」
「えぇ、今はひと月だけって条件だけど。それでも理解してくれたから嬉しいわ」
なんてユズさんは笑顔で言っているけど、
「(絶対に納得はしていないやつだこれ。……お礼を言う前に一言誤ったほうがいいかな)」
おっとりしていて優しいお姉さんではあるけれど、絶対に敵に回してはいけないタイプだと確信できる。
なんて思っていると、
「良かったぁ、ちゃんと終わっていたんですね」
「あら、サクラちゃん。……もしかして急いできたの?」
「あっ、えへへ……」
笑ってごまかそうとするが、誰が見てもバレバレだ。
髪先からは何度も雫が垂れ落ちているし、寝巻もボタンが一つずつズレているし、ズボンに至っては前と後ろが逆になってしまっている。
「わぁ~素敵なお部屋。流石アオイお姉ちゃんとユズお姉ちゃんです!」
「こら、感心していないでサクラちゃんはしっかりとパジャマを着て、髪を乾かさないとダメでしょ」
「はわわ、す、すみません……」
注意されてしゅんと体を小さくさせる。
「サクラさん、ありがとうございます」
「わたしは何もしてないです。凄いのはお姉ちゃんたちですよ」
「それでもです。本当にありがとうございます」
「な、なんだか照れちゃいますね」
頬を赤く染めて、身体をもじもじさせる。
「さ、行くわよ。肇くんもゆっくり休んでいてね」
「はーい」
そう言い残してユズさんはサクラさんを連れて部屋から出ていった。
……一人部屋か。
「…………柔らかい。それに良い匂いがいする」
吸い込まれるようにベッドに倒れ込むと、優しい香りに包まれる。
「(この世界に来てからずっとお世話になりっぱなしだな。何か返していければいいんだけど……)」
「(でもそんなことを言ったら逆に気を使わせてしまいそうだし……。それに、僕出来る一番のお返しは一刻も早く記憶を取り戻すこと、か)」
「はぁ……難しいな……」
思わず大きなため息が出てしまう。
これからのことを考えると不安でいっぱいだと再認識させられた。
――その夜。
ベッドに入り眠ろうかと思ったところで、控えめにノックされる。
「? はーい?」
「は、肇さん。その、入ってもいいですか?」
誰かと思ったらサクラさんだった。
「大丈夫ですよ」
「では失礼します」
ゆっくりと扉が開く。
「こんな時間にどうしたんです……か?」
「え、えへへ……」
恥ずかしそうに笑うサクラさん。その手には枕が握られていた。
「まさかとは思うけど……」
「その今日だけで良いので、一緒に寝たいなって……ダメ、ですか?」
サクラさんは上目遣いで尋ねる。
「いやいやダメですって!」
「むぅ、肇さんダメしか言わないです」
そう言って少し頬を膨らませる。
ちょっと怒っているところも可愛いと思ってしまう。
「お風呂の時は、まぁ理由があったのはわかりましたけど、今はそうじゃないですよね」
「肇さんともっとお話がしたいだけじゃダメですか?」
「お話ならいつでもできますから!」
「だったら今でも問題ありませんねっ」
「そういうことじゃ……」
と、言いかけたところで、
「えいっ!」
「さ、サクラさんっ!?」
抵抗する間もなく、サクラさんは僕のベッドの中へと侵入してきた。
「……ふふっ、やっぱり二人だと暖かいです」
「あぁ……」
もしかしたらサクラさんもユズさんに似たところがあるのかもしれない。
「今日だけですよ……」
言いながら枕を動かし、もう一つ置けるスペースを確保する。
「ありがとうございます。肇さん大好きですっ」
「――っ」
満面の笑みを浮かべるサクラさんに、ドキリとしてしまう。
それになんだか甘い香りもしてきて、なんだかおかしくなってしまいそうだ。
「肇さん」
「は、はいっ」
「大丈夫です。何があってもわたしやお姉ちゃんたちが何とかします。だから肇さんは安心してください」
「…………」
まさかの言葉にあっけに取られてしまう。
なるほど、見た目は押さなくてもちゃんと大人、なんだな。
「ありがとうございます。その時はぜひ頼らせてもらいますね」
「はいっ! あとは、その丁寧な話し方もわたしにはしなくていいです」
「えっ」
「わたしたちはもう家族のようなものですから!」
「でもサクラさんはずっとその話し方、ですよね」
「わ、わたしはいいんです!」
「はは、わかりました。ううん、わかったよサクラ」
「えへへ、これでわたしと肇さんは仲良し家族ですっ」
彼女の屈託のない笑顔にこれから何度救われるのだろうか。
「これからよろしくお願いします」
言いながらサクラは手を伸ばし、
「こちらこそ、よろしく」
僕はその手を取ると、ぎゅっと握り閉められる。離れないように、しっかりと。
きっとこれからいろんな事が待ち受けているだろう。
でも、サクラと一緒ならば乗り越えていける、不思議とそんな予感がした。
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