ドグラ・マグラ

——狂人が残した究極のミステリー


 どうもこんにちは。

 今回も作品のレビューを行っていきたいと思います。

 今回は日本3代奇書として呼び名が高く一番有名な、夢野久作による究極のミステリー「ドグラ・マグラ」を、なんと映画にしてしまった作品の感想を行っていきたいと思います。


 まず、あらすじになります。

 とある精神病院の1室で目を覚ました記憶消失の少年「私」。この少年はとある実験体であり、この「私」が記憶を取り戻すことで、精神医学者である正木博士が生涯かけた精神治療の研究の成功の証明になるというのと、とある狂人が引き起こした未解決の殺人事件を解決することができる。

 正木博士はなくなってしまっており、その代わりに若林博士がその研究を引き継ぎ、「私」の記憶を自力で戻してもらおうとするのだった。


 というのがあらすじになります。

 意外にもシンプルなんですよね。記憶を取り戻すためには自力で戻してもらわないと実験にならない。そのために、記憶を取り戻すきっかけになりそうな書物や映像を見て、情報を得て断片をつなげようとしていくのです。

 ただ、これは難解な物語で、よくわからないです。ただ、突き詰めてしまえば単純なのだろう。でも、わからなくなって、混乱して、くらくらして、目を回す。そして、気が狂う。

 この小説は読んだものは気が狂うという謳い文句もあります。それもこの小説のからくりというのでしょうか。それでそうなってしまうのです。

 小説を読んだことがありますが、非常によくできていてものすごく面白いです。ただ、書物を読み始めて読み終わるまでの間がつらいだけで、序盤とそこを抜けてからの読みごたえが物凄く楽しいです。

 この映画は、よくある漫画でわかる名作の映画版みたいなものです。ドグラ・マグラの小説のストーリーをものすごくかみ砕いたものになります。小説を読みたいけど……という方にめちゃくちゃお勧めです。こういうお話なんだってしれて、ある程度抵抗なく本も読めるようになると思います。

 このレビューでは、個人的な解釈が入りますが、基本的に夢野久作がこのドグラマグラで描きたかったものは、究極のパラドックスミステリーだと私は考えます。

 映画では軽く流されましたが、脳髄はモノを考えるところに非ず、という正木博士の論文のようなものがあります。

 要するに脳の役割というのは各部位に電気信号を伝達するためだけの装置でしかなく、電話の交換所の役割でしかない。つまるところ、考える場所ではない、というのが理論で、でも、じゃあ今考えているこれはどうやってやっているの? やはり脳か? でも脳の仕組みを突き詰めると……といった感じに同じ考えが何十にもわたり、見えなくなり、混乱していく。

 このパラドックスが複数にちりばめられたのがこの作品であるのではないかと考えます。

 この小説は10回読めば10通りの解釈が生まれるという言葉もありますが、その通りなんです。どの解釈もきっと正解なんです。ただその正解がどうあがいても円を描くように思考をループさせるのです。真実の終わりまでたどり着きそうと思ったら、いつのまにか思考はスタート地点に立っているのです。

 そのパラドックスミステリーを完成させることができたのが夢野久作である。

 本当に素晴らしい。

 解釈はいくつかあります。

 この作品でキーパーソンになっていくキャラは呉一郎というキャラである。「私」=呉一郎というのがおおい解釈であるが、私は呉一郎の子孫が「私」の正体ではないかと考えております。まあ、省きますが、メタ的なことで言えば、そうじゃなければ、長々とやってきていたことが無駄じゃないかな、みたいな感じです。

 そもそもなぜ「私」が記憶を失っているのかというと、この物語によく出てきている「精神遺伝」が関わってきているからです。

 精神遺伝とは何かというと、先祖の強い思いが子孫に受け継がれ、なにかが拍子で無意識にその先祖の記憶が呼び戻され、その行動を無意識に起こしてしまうのです。

 今回の発端は呉家の先祖の呉青秀です。残虐になられた主に命の尊さを思い出してほしかった絵描きの呉青秀は九相図という死体が朽ち果てるまでを9段階に分けて描いたものを見せたかった。主の娘を嫁にもらっていた呉青秀は、その妻の了承を得て、殺し、その死体が腐る様を絵に描きたかった。でも、腐敗のスピードが早く描き切ることはできなかった。それを悔やんだ彼は別の死体を探し回った。

 割愛しますが、やがて彼は変な性癖に目覚めます。主のことはどうでもよく、女性の腐敗死体を書くことに異様に執着するようになります。

 なんやかんやあって、新しい妻を見つけて、落ち着いて死んでしまうのですが、その時に宿った彼の子孫がその精神を引き継いでしまう。呉家の男子は彼の未完成の巻物を見ると、完成させようと殺し、写生しようとする呪いを持ってしまう。

 あらすじで書いたとある狂人が起こした事件というのが、この精神遺伝によって引き起こされた事件であるのだ。

 この物語は常に呉青秀の心理遺伝がつきまとっている。それで気が狂った呉一郎の影を追っていく。

 「私」の記憶喪失も発作のようなものであるということで、ただの病気のように思えるのだが、メタ的に考えると、呉一郎のその記憶を失って、思い出そうとするこの精神の遺伝が子供に伝わって、実験材料にされていると考えた方が面白そう、ていうのがメタ的な私の考えですが、答えはわかりません。

 そもそも映画では「私」=呉一郎という解釈で進めているような気がするので、それはそれでいいのではないか、と思います。

 でも、最後はよくわからない。びっくりすると思います。でも、それがこのドグラマグラらしいなと思います。

 小説のほうではありますが、もう少し入れてほしかったなという部分もありますが、よくできた作品だと思います。

 結局みんな終わらないループに苦しみ続けている、そんな報われないお話なのかもしれません。そして、人はみんな遺伝子によって動かされているに過ぎない。そこに自分の意志はあるようで無い。そこから解放できてこそ、正木博士の研究が証明できるのかもしれません。


 長くなりましたが、ドグラ・マグラに挑戦したいけど、という方にはぜひ見てみてほうしいという作品ですので、よければいかがですか? そして、自分なりの解釈と推理をしてみてください。ただ、永遠に思考をぐるぐるさせて気が狂うかもしれません。そして、夢野久作はそんなあなたを見てケタケタと笑うことでしょう。



 以上でレビューは終了となります。

 少しでもいいなと思ってくださったのならぜひ観てみてください

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