第11話。伊織と夕食

「おじさん。寝てますか?」


 瑠夏るかに声をかけられて目を開けた。


「いや……起きてる」


 仕事が終わり、自宅に帰ってきてからはずっとソファーに横になっていた。ちょうど瑠夏は買い物に出かけていたようで、疲労を癒すためにも仮眠をとっていた。


「今日は大変だったんですか?」


「まあ、そんな感じだ……」


 心身共に疲れたとはこういうことか。ここまでの疲労感を味わったのは学生時代に真夏の部活で死にかけた時以来だ。


「夕飯は食べますか?」


「ああ……」


 飯を抜いたら後で余計に大変なことになる。そう自分に言い聞かせて、体を起こそうとした。まだ夕飯が出来るまで時間はかかるだろうけど、このままでは深く眠ってしまいそうだった。


「……っ」


 体を起こした時、玄関の呼び鈴が鳴った。


千冬ちふゆか?」


「今日は来るなんて聞いてませんけど……」


 瑠夏が外の様子を見ていた。


「おじさん。女の人ですよ」


 うちを訪ねてくる女性なんて姉くらいしか思いつかない。急いで自分でも確認してみるが、外に立っていた人物を見て思わず驚いてしまった。


「知り合いの方ですか?」


「……会社の上司だ」


「ボクが追い払いましょうか?」


 相手がただの上司なら瑠夏が対応すれば追い返せる可能性はあった。しかし、わざわざ家を訪ねてくる会社の人間なんて一人しかいなかった。


「いや、俺が対応するから、待っててくれ」


「はーい」


 自分が玄関の方まで歩いて行き、扉を開けることにした。瑠夏は寝室の方に行ったみたいだが、何かを察して隠れたのだろうか。


「やっほー」


「何の用ですか……兼島かねしま先輩……」


 そこに立っていたのは兼島だった。普段の何倍も元気があって怖い。どうして、そんなに元気が残っているのか。


「仕事の打ち合わせ。全然進まなかったから、今日のうちに終わらせようと思って」


「それは……まあ、すみません……」


「じゃあ、お邪魔します」


「ちょっと待ってください」


 家の中に入ろうとする兼島の腕を引っ張って止めた。ここからでは瑠夏の姿は見えないが、顔を合わせると色々面倒なことになる。


「あ、もしかして、彼女でも連れ込んでた?」


「連れ込んでませんよ!」


「私は平気だよ。二番目でも三番目でも」


「変なこと言わないでください……」


 今の兼島はかなり瑠夏の教育に悪い。色々と吹っ切れたせいか、以前よりも自分を隠さなくなっている。


「それに返事もいつまでも待ってるから」


 兼島の言葉の真意に気づかないほど馬鹿じゃなかった。でも、それに対しての返事を先送りにしたのは簡単に決められることではなかったからだ。


 それでもいいと兼島は言ったが、うやむやにするつもりはなかった。近いうちに必ず答えを出すと考えていた。


「……っ」


 兼島を引き止めている最中に部屋の奥で何かが落ちる音が聞こえた。瑠夏がわざと落としたとは思わないが、なんともタイミングが悪い。


「あれ、本当に彼女……?」


「それは……」


 瑠夏は自分にとって家族だ。だったら、普通に紹介すればいいだけだというのに、瑠夏の存在を隠したいと考える自分がいた。


「こんばんは」


 自分が答えに困っていると、瑠夏の方から近寄ってきた。瑠夏が自ら対応するなら、止める理由もなかった。


「え、なに、この可愛い子」


 兼島は動揺しながらも不気味な目をしていた。それは可愛い猫を見た時の姉の顔と同じだ。急に抱きついたりしてもおかしくない。


「ボクの名前は瑠夏です」


「瑠夏ちゃん。私は兼島……じゃなくて、奈穂美 なほみって言うの。気軽に奈穂なほって呼んでいいよ」


 兼島奈穂美。当然、兼島の名前は知っていたが今さら名前で呼ぶのは違和感があった。本人はどちらでもいいと言っていたが、やはり兼島の方がしっくりくる。


「で、鳴澤なるさわ君。この子って、もしかして、隠し子だったりする?」


「ええ、そうですよ」


 アピールする為に瑠夏の体を掴んで抱き寄せた。


「いやいや、年齢的におかしいでしょ」


「連れ子の可能性もありますよ」


「鳴澤君が結婚する方がありえない!」


 このまま適当なことを言って、ごまかすことも出来たが。瑠夏の方から話してもいいと言われた。兼島に状況を説明をする為には瑠夏の家庭の事情をある程度は話す必要があった。




「ふーん。それで鳴澤君が面倒見てるってわけね」


 話を終えた時、兼島は納得したようだった。テーブルに置かれているお茶を兼島が一口飲むと、瑠夏の方に視線を向けた。


「でもそれってさ。問題を先送りにしてるだけじゃないの?」


 兼島の言葉は正しいと思えた。千冬の件は解決したが、一番の問題である瑠夏の父親に関する問題が残っていた。


 それは瑠夏と千冬が二人で頑張ったとしても、解決すると思えない。もちろん、それは自分が加わったとしても同じだと考えていた。


「兼島先輩。俺は瑠夏と父親が仲直りするべきではないと考えてます」


「それって、お父さんが瑠夏ちゃんに酷いことしたから?」


「そうですよ。下手をすれば虐待と受け取られてもおかしくない。そんな人間を親として扱う必要がありますか?」


 父親の悪口を言った。それで瑠夏に嫌われても構わない。今、口にした言葉は自分が感じている本心であり、隠すべきことではないからだ。


「親だって完璧な生き物じゃないよ。失敗もするし、間違えることだってある。二人は……父親という存在に理想を抱き過ぎてるんじゃないの?」


 父親に何かを期待したことはない。ただ、瑠夏も自分と同じ考えを持っているとは思わない。本当に瑠夏が父親との仲直りを望むなら、それを否定するつもりはなかった。


「ボクはあの人を父親だとは認めません」


 瑠夏が自分の言葉に同調したわけでない。それは瑠夏が大切にしていたモノを奪われた時から、瑠夏の心に刻まれた信念のようなものだ。


「だったら、いっそこと親子の縁を切ったら?」


 それは兼島が瑠夏に与えた選択肢だと思った。


「兼島先輩。さっきと言ってることが逆ですよ」


「私としては仲直りしてほしいんだけどね。そこまで心が折れてるのに、無理やり引き合せるのは残酷だと思うから」


 兼島は兼島なりに考えてくれている。兼島が提示している選択肢はちゃんと瑠夏が選べるようになっていた。


 後は瑠夏が何を選ぶのか。


「まあ、ゆっくり考えなよ」


 瑠夏が黙って何も答えないとわかると、兼島も責めることをやめた。いきなり答えを出せと言われても現実から目を背けてきた瑠夏が簡単に決められるわけがない。


「奈穂さん。ありがとうございます」


「お礼なんて要らないよ」


 兼島が話を終えて立ち上がろうとした。


「兼島先輩。夕飯まだですよね?」


「帰りに何処か寄って行くつもりだけど」


「だったら、うちで食べていきませんか?」


 瑠夏の顔を見て、兼島と食事を一緒にしても問題ないことを確認する。瑠夏の話を聞いてもらったお礼代わりとすれば、瑠夏も兼島に余計な気を使う必要がなくなるだろう。


「ご飯は瑠夏ちゃんが作るんだよね?いきなりお邪魔したら迷惑じゃない?」


「あ、それなら平気です。今日はお鍋をする予定でしたから、使う物を増やせばなんとかなります」


「じゃあ、私も手伝うよ」


 兼島は料理出来るのだろうか。


「鳴澤君。今、失礼なこと考えたでしょ?」


「兼島先輩が自炊するイメージがないので」


「いつもは時間が無いからやらないだけよ」


 兼島が瑠夏を手伝うなら自分も手伝った方がいいと一瞬だけ考えた。しかし、瑠夏から待っているように言われ、大人しく待つことにした。


「……」


 台所に瑠夏と兼島の姿が見える。


 そういえば兼島は瑠夏の容姿について何も言わなかった。それに触れるつもりはないのか、それとも受け入れているのか。


 兼島と関わることは瑠夏にとっても、案外悪くないのではないか。そんなことを考えた時、自分が兼島と一緒にいる未来を少しだけ想像してしまった。






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