第12話。伊織と階段
「それじゃあ、ごちそうさま」
自分に
兼島を見送る為に玄関を開けた時、既に日が暮れて辺りは暗くなっていた。車で兼島を家まで送ろうとしたが、疲れていると気づかれたのか、丁寧にお断りされた。
「もう暗いので気をつけてくださいよ」
「大丈夫。家はそんなに遠くないから」
玄関の扉を閉じれば兼島の姿は見えなくなる。鍵を掛けてから、リビングに戻ることにしたが、瑠夏が廊下の途中に立っていた。
「どうした?」
「いい人でしたね」
「まあ、よく出来た人間ではあるだろうな」
ただ、兼島は少しばかり不器用で、他人を頼るということを知らない。それらを払拭するくらい努力家でもあるが、物事のすべてが上手くいくとは限らない。
瑠夏と一緒にリビングに戻り、ソファーに座ることにした。瑠夏も隣に座って来たが、少しだけ離れた位置に座っている。
「兼島先輩のこと、色々と悪かったな」
「おじさんが謝る必要はないですよ」
今日一日で自分の将来について、真面目に考える必要があると思い始めた。兼島と曖昧な関係を続けていたら、瑠夏にも余計な負担をかけてしまう。
「……兼島先輩のこと。瑠夏は好きか?」
それは大事な確認だった。
「まだ、よくわかりません」
食事中もたいした会話があったわけではない。瑠夏も家庭の話を兼島にしたが、その後に瑠夏が自分の考えや思っていることを何も口にしなかった。
瑠夏が兼島を警戒するのは仕方がない。兼島も強い意志を持った人間であり、初めて顔を合わせた瑠夏であっても、それに気づいただろう。
お互いに主張の強い人間同士はぶつかりあう。
「あの……おじさん……」
「どうした?」
「おじさんはあの人のこと……」
瑠夏の言葉を遮るようにケータイが鳴った。
「兼島先輩がどうした?」
「電話鳴ってますよ」
わかっている。それでも途中まで口にしていた瑠夏の言葉が気になった。ただ、瑠夏が気を使って何も答えないとわかると、仕方なくケータイの画面を確認することにした。
「兼島先輩……」
着信の相手は兼島だった。すぐに通話を開始すると、向こう側から声が聞こえてきた。
「
「ほんとですか?探してみます……」
いざ体を動かそうと思った時、先程まで兼島の座っていた辺りに目を向けた。ソファーの隙間に落ちていたら、探すのは一苦労だ。
「鳴澤君。今、近くに瑠夏ちゃんいる?」
鍵を探している時に兼島からそんなことを聞かれた。
「瑠夏なら……」
顔を上げると、瑠夏が居なかった。どうやら他の場所を探しているようで、なんとか姿を見える位置にはいる。
「瑠夏は玄関の方を探してます」
「そっか」
兼島の声から明るさが失われていくようだった。
鍵を無くして迷惑をかけたと思っているのか。責任感の強い兼島が他人を頼ることは珍しいと思ったが、こればかりは仕方がないだろう。
「鳴澤君。もし、鳴澤君が嫌だったら、今日のことは忘れてもらっていいから」
「今日のことって……」
「私の気持ち。ううん。わがままかな」
一度はお互いの気持ちを確かめたつもりだった。
それでも、今の兼島が不安を感じているのは、自分が返事を曖昧にしてしまったからなのか。
「兼島先輩。俺は……」
まだ何も決まっていない。
だから、適当な返事は出来ない。
「……っ!」
突然、短い沈黙を切り裂くような大きな音が電話越しに聞こえてきた。思わず耳からケータイを離してしまうが、すぐに新しい音が聞こえた。
「鳴澤君……」
弱く、消えそうな兼島の声。
「兼島先輩!どうしたんですか!」
聞き逃さないようにケータイを耳に押し当てる。
「……階段から、落ちた」
「……っ!」
兼島の言葉を聞いて玄関の方まで駆け出す。廊下ですれ違う瑠夏を避けながら、玄関では靴を踏むようにして履く。
「おじさん?何かあったんですか……?」
背後から瑠夏にかけられた声。
「ちょっと、鍵を届けてくる」
瑠夏に兼島のことを話さないことにした。
「わかりました」
それ以上、瑠夏が引き止めなかったのは、きっと自分がまともな顔をしていなかったせいだ。冷静を装えるほど、今は落ち着いていられない。
家を飛び出して、エレベーターは使わず、階段を使って一階まで降りることにした。兼島が家を出てからそれほど時間は経っていない。近くで階段がある場所は限られているはずだ。
「兼島先輩!今どこですか!」
「──」
何か言っているが聞き取れない。
救急車を呼ぼうにも場所がわからなければ意味がない。それに今、電話切るのは兼島を完全に見失うことになる。
「兼島先輩!どこですか!」
家の走り回って兼島のことを探す。階段がありそうな場所を探していたが、大通りに出たところでそこに視線が向いた。
「歩道橋……」
そういえば、兼島の電話に出た時、最初に階段を上る音が聞こえた気がする。もし、歩道橋の上から落とされでもしたら、軽い怪我では済まないだろう。
急いで、片方の階段に向かうが、そこには誰もいなかった。後は反対側を確認したところで、すぐに気づいた。
「兼島先輩!」
階段の途中で倒れている兼島を見つけた。
兼島は意識を失っているのか返事はない。
すぐに駆け寄り抱き上げようとしたが、兼島は頭から血を流していた。下手に体を動かして、悪化させるようなことは避けるべきだ。
すぐに救急車を呼ぶことにした。電話で対応をしている時、道路の向こう側から音が聞こえた。
「アイツ……」
そこに立っている人物がいた。
兼島と電話をしている時、確かに兼島は立ち止まっていたはずだ。それでも階段から落ちたというのなら、誰かに突き落とされたのではないか。
「お前ッ!」
ガードレールを乗り越えようとした瞬間、道路の向こう側に居た人物が動き出した。ここからでは顔を確認することが出来ず、正体を確かめる為には追いついて捕まえる必要があった。
道路を半分くらい渡ったところで、その人物が角を曲がる姿が見えた。さらに追いかけることにしたが、同じ角を曲がったところで、完全に見失ってしまった。
日頃の運動不足が原因か。感情的に追いかけたとしても、捕まえることすら出来ない。これ以上、距離の縮まらない人間を追い回して、兼島を一人にするのは愚かなことではないのか。
「くそっ……」
今は諦めて兼島の元に戻ることにした。
走って、兼島の倒れている場所まで戻ってきた。
「鳴澤君……」
兼島に近づくと声が聞こえた。
「兼島先輩、今救急車来てくれますから……」
兼島が手を動かした。
「お願い。手……握ってて……」
すぐに兼島の手を両手で握った。すると、兼島が弱々しく握り返してくる。
「兼島先輩……すみません……」
「どうして……鳴澤君が謝るの……?」
「俺が余計なことしなければ……」
今日、兼島と関係に変化が起きなければ。家に兼島が来ることはなかった。自分が余計なことをしたせいで、兼島に怪我を負わせてしまった。
「私……そんな鳴澤君は嫌だって言ったよ……そうやって、自分を責めないで……」
救急車の音が遠くから聞こえてきた。
「兼島先輩。俺はずっと傍にいますから」
「そっか……なら、安心だね……」
兼島の手から力が抜けていく。
「兼島先輩……?」
「大丈夫。私は死んだりしないから……」
それが兼島が意識を失う前に残した最後の言葉だった。救急車に乗って、病院に行くまでの時間、ずっと兼島の手を握っていた。
兼島は確かに生きている。
なのに、兼島を失うという恐怖が心を蝕むようだった。それを糧にして兼島に危害を加えた、あの人間に対して強い怒りを抱き始めている。
あれはいったい何者だったのか。
兼島を狙ったのだとしたら。
それは誰だったのか。
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