第8話。伊織と兄妹
「はぁ……」
自宅の玄関に座り、ため息を吐いてしまう。
カラオケ店から帰ってきたが、まるで状況が理解出来なかった。
何度か兼島と連絡を取ろうとしたが、電話には出なかった。兼島の自宅に行くことも考えたが、それはやり過ぎだと自分を納得させた。
そもそも、何故、兼島が泣いたのかもわからなかった。酒を飲み過ぎたせいで、色々弱い部分が出てしまったとしても、あの光景は異常に思えた。
「おじさん。おかえりなさい」
「ああ……」
「何かありました?」
「いや、なんでもない」
一人で悩んではみたが、答えは出ない。
玄関から離れて、リビングに行くことにした。
「こんばんは」
テーブルの前に
「おい、なんで、コイツがここに」
「おじさん。待ってください」
瑠夏が両手を広げて間に入ってきた。この前は喧嘩をしてしまったが、いきなり千冬と言い合いをする気はなかった。
「千冬はもう何もしませんから」
この前、千冬は瑠夏を連れ戻すと言っていたが。
千冬が立ち上がり、コチラに近づいてきた。
そして千冬は頭を下げた。
「何の真似だ?」
「謝罪です」
今の千冬からは以前とは違った印象に受けた。
「おじさん。ボクは千冬のこと誤解してたんです」
「誤解だと?」
一度、瑠夏が傍を離れる。瑠夏はテーブルの近くに置かれていた、片手で持てるくらいの布袋を手にして戻ってきた。
「これは千冬が持ってきてくれた物です」
「……それに何が入ってるんだ?」
瑠夏が紐を解いて、中身を見せる。恐る恐る覗いて見れば、布袋に入っているのが人間の髪だとわかった。
すぐに瑠夏は袋に手を入れて髪を取りだした。長く、綺麗な黒い髪だ。だからか、それを見ても不気味には感じなかった。
「これはボクの髪です」
「瑠夏の髪だと?」
瑠夏が髪を自らの顔に近づけた。
「ボクの髪は切り落とされました」
切り落とされた。瑠夏の言い方からして、自分の意志とは関係なくということだろうか。
「誰が、やったんだ?」
「最初はボクの髪を持っていた千冬が髪を切ったと思っていました。あの時は感情的になって、千冬から詳しい事情も聞きませんでした」
つまり、瑠夏の髪を切ったのは。
「ボクの髪を切ったのはお父さんです」
ようやく、瑠夏が家出をした理由がわかった。
これだけ綺麗に伸ばした髪だ。それを勝手に切り落とされて瑠夏が何も思わないはずがない。
「しかし、髪なんて、どうやって切った?」
「……ボクが眠ってる間に切ったみたいです」
「瑠夏は気づかなかったのか?」
「その日は、凄く眠くて……起きた時には手遅れでした」
まさか、瑠夏を目を覚まさないように何かしたのではないか。そう考えてしまうほど、瑠夏の家庭に問題があるように思えた。
「千冬は何か知らないのか?」
「パパが何かしたと思います」
ハッキリと言った。千冬は父親の味方をすると思ったが、瑠夏の様子を見て心変わりでもしたのか。
「……虐待だな」
瑠夏と千冬の表情が曇った。
自分でも酷い言い方をしたとわかっている。だが、どんな理由があったとしても、親が子供から何かを理不尽に奪ったりするなんて許されるわけがない。
「千冬は平気なのか?」
「私は何もされてません」
こうなれば、自分が千冬を責める理由もないように思えてしまう。千冬が父親にいいように使われただけとしたら、本当の問題は別にあるのだから。
「おじさん。ボクは問題を大きくするつもりはありません。でも、ボクがあの家に居続けたら、また問題が起きると思います」
本当にそれ以外の選択肢はなかったのか。
しかし、瑠夏が髪を伸ばしていた理由。そこにどれだけ正当性があったとしても、父親は簡単に説得出来るような相手だとは思えなかった。
つまり、現状は何も変えられない。
瑠夏自身が変化を望んでおらず、今の生活を望んでいる。それなら、自分に出来ることは何も無かった。
「あの。
瑠夏が夕飯の支度をしている間に千冬に声をかけられた。どうやら、夕飯を食べてから千冬は帰るそうだ。
「どうした?」
「何故、兄を預かったんですか?」
始めから姉貴に瑠夏を押し付けられたとは思っていなかった。だとしたら、自分は何故、瑠夏の面倒を見ることにしたのか。
「昔、俺は瑠夏に会ったことがある。その時から自分の中で、瑠夏のことは強く印象に残っていた」
「それじゃあ、兄が髪を伸ばしていたことを知っていたんですか?」
「まあ、そうだな」
あの時の瑠夏は髪を伸ばしていた。髪の短くなった瑠夏と再会をした時に何も言わなかったのは、ただ単に瑠夏が髪を切ったものだと思っていたからだ。
「……兄に同情でもしたんですか?」
「そうだと言ったら?」
「別に何も。そもそも、鳴澤伊織さんを頼って家を訪ねたのは兄の方ですから」
千冬は同情を望んだのは瑠夏の方だと言っているのか。自分の偽善を向けられて、瑠夏が何も言わないのはそれが原因なのかもしれない。
「髪を伸ばしていた理由。聞かないんですね」
自分がソレに触れないことに痺れを切らしたのか千冬の方から切り出してきた。正直、瑠夏のいないところで勝手に話を進めたくないというが本音ではあった。
「瑠夏はいずれ話すと言っていた。だったら、俺は瑠夏が話すのを待つだけだ」
「それは兄から逃げてるだけです」
「逃げて何が悪い?」
「そんなの本当の家族じゃ……」
千冬がすべてを口にする前に扉が開け放たれた。
当然、二人の視線はそちらに向けられる。
「おじさんはボクの家族だよ」
瑠夏は怒ってる。わけではなさそうだ。夕飯を運んできて、テーブルの上に並べていく。その光景を千冬は気まずそうに見ていた。
「千冬さ、別に家族だからなんでも話せるわけじゃないよ。話したところで理解されるともかぎらないし、むしろ話をしたせいで理解から遠のく場合もある」
「でも、ママはお兄ちゃんのこと理解しようとしてくれた」
「それは違うよ。あの人はボクのやることに興味がないだけ。そのうちボクが飽きたらやめると思ってるから、ずっと何も言わなかった」
それがどうしようもない事実であることを口にする瑠夏。怒りも悲しみも感じない。淡々と言葉は吐き出されていた。
瑠夏の父親は瑠夏のやることに反対をして。
瑠夏の母親は瑠夏のやることに興味が無い。
だいたいそんな感じになっているようだ。父親の行動も母親がやらないことを代わりにやっていると思えば、父親を責める気も無くなってしまう。
「お兄ちゃんはずっと、鳴澤伊織と一緒にいるつもり?」
「ボクが家に帰る理由はないよ」
自分と一緒に居ると瑠夏は答えなかった。
なんとなく、瑠夏が諦めているように思えた。今の生活を永遠には続けられない予感。それが瑠夏にはあったのかもしれない。
瑠夏の方が父親のことに詳しいだろう。どんな考えを持っていて、どんな行動を取るのか。その予測で未来の出来事が想像出来ているのか。
「伊織さん」
千冬がコチラを見た。
「このままだと。兄は父の言いなりです」
それは、何かを訴えかけるような言葉だった。
父親のことが嫌で家出をしたのに、父親の言葉で家に帰る。それが瑠夏にとっての幸せでないことくらいわかっている。
「俺にどうしろと?」
「兄のことを縛り付けてください」
千冬が冗談を言っている様子はなかった。
「千冬、おじさんに余計なこと言わないで」
「私はお兄ちゃんのことが心配だから」
千冬の視線はコチラを向いたままだ。
「伊織さん。兄をお願いします」
瑠夏の未来を左右するような選択。それぐらい本気で何かを選ばなければ、瑠夏の人生は変えられないということだろうか。
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