第7話。伊織と恋愛

鳴澤なるさわ君って。私のこと嫌い?」


 自販機で飲み物を買っていると、兼島かねしまから突然そんな質問をされた。このタイミングで話しかけてきたのは、確実に逃がさない為だろう。


「兼島先輩のことは尊敬してますよ」


「ありがとう。でも、そうじゃなくて。私達って、二人でお酒も飲めないような関係だった?」


 これまでに何度か兼島の誘いを断っていた。適当な理由を付けるわけでもなく、ハッキリと弟の為に早く帰りたいと伝えていた。


「弟君。そんなに子供ってわけじゃないんでしょ?」


「ええ。でも、心配なものは心配ですから」


 それに兼島の誘いを断り続けているのは、瑠夏るかのこととは別に理由があったからだ。


「わかった。それじゃあ、一時間だけでいいから」


「一時間って、何処に飲み行くつもりですか」


「会社の近くにある焼肉屋に行くつもり。お店がなければ、どこでもいいんだけどね」


 そういえば、兼島は何よりも肉が好きな人間だった。昔、一緒に飲みに行った時は焼き鳥屋に行ったことを覚えている。


 それから、一度も兼島に誘われなかったのはお互いに仕事が忙しかったからだ。最近になってよくやく落ち着いてきたが、自分の方は正直、仕事が上手くやれているとは思っていない。


「鳴澤君。私、他に誘える人がいないのよ」


「兼島先輩が声をかけたら、喜んでついて行く人間もいると思いますけど」


「私には人の判別なんて出来ない」


 それは相手の本心がわからないということか。会社の中を探せば兼島の誘いを快く受ける人間はいるとは思うが、普段から取り繕っている人間は何を考えているかわからない。


 どれだけ賢い人間でも、相手の本音までは見抜けないだろう。間違って、自分を嫌っているような人間を兼島も誘いたくはないようだ。


「わかりました。行きます」


「あーもしかして、同情しちゃった?」


「ええ。そうですよ」


「嘘つき。でも、付き合ってはもらうから」


 付き合うのは一時間だけだ。それで兼島の機嫌が治るなら、周りの人間も落ち着いて仕事が出来るだろう。


「仕事が終わったら、待ってて」


 兼島が立ち去ったところで、入れ替わるように人が来た。また小林こばやしが来たのかと思ったが、その相手を見た時に一瞬だけ戸惑ってしまった。


「なにかしら?」


「いえ、何も……」


 この人物を言い表すなら椿の花だ。綺麗な長い髪と落ち着いた大人の雰囲気。もし、自分が誰かを愛せるとしたら、彼女のような人間なのではないか。


 彼女は俺の前を通り過ぎると、自販機で何かを買っていた。取り出し口からソレを取り出すと俺の方に近づいてきた。


「これ。ワタシのおすすめ」


 差し出された缶ジュース。それは時々社員が罰ゲームで買っている、あまり美味しくないと噂の飲み物だった。


 その事実を知りながらも受け取らないわけにはいかなかった。缶ジュースを受け取り、パッケージをあらためて見つめなおしていた。


「兼島さんが羨ましいわ」


「兼島先輩……?」


 彼女の口から告げられた、思いもよらない言葉に自分は疑問を抱いてしまう。


「ワタシは不器用な人間だから、仕事と別の何かを両立させることが出来ない。でも、兼島さんには簡単に出来てしまう」


「兼島先輩だって、努力してると思いますよ」


「ごめんなさい。ワタシと比べるのは彼女に失礼だったかしら」


 随分と自己評価が低い人だと思った。この会社に働いている女性社員はそれなりに多いが、だいたいが自信を持って働いている人間ばかりだ。


 しかし、彼女から吐き出されたマイナスな言葉とは裏腹に不安や動揺を一切感じない。むしろ、こっちが緊張感を味わうような、重みを言葉から感じてしまう。


「それじゃあ、ワタシは失礼するわ」


 彼女の雰囲気に呑み込まれる前に、立ち去ってもらって助かった。服の中で嫌な汗をかいたのは、思った以上に緊張していたからだろう。


「そうだ、確かあの人……」


 今、言葉を交わした女性が既婚者だったことを思い出した。以前、飲み会の席で彼女から写真を見せてもらったことがあり、旦那と娘が二人いると言っていた。


 恋が始まる前に終わった。なんて、若者のような考えを持つ気はなかったが、実際のところ人を好きになるとはどんな感覚なのか。


 それを知ることは今後あるのだろうか。




「お店、何処にしようか?」


 仕事が終わり、兼島と店を探していた。車は会社に停めっぱなしているから、歩きで移動している。


「ケータイで調べたらいいじゃないですか」


「そんなの味気ないじゃんか」


 一時間と約束はしたが、移動時間は含めないそうだ。となれば行けたとしても一件だろう。兼島が選ぶのを待っていたら、いつまでも決まりそうになかったが。


「兼島先輩?」


 しばらく歩き回って、兼島が立ち止まった。


「ここにしようよ」


 兼島の前にある店。それは居酒屋ではなく、ただのカラオケ店だ。一応酒も飲むことは出来るが、兼島は何を考えているのか。


「鳴澤君。お酒飲むつもりないでしょ?」


 着いてから適当に誤魔化すつもりだったが、確かに酒を飲むつもりはなかった。それを兼島は気づいていたのか。


「確かに飲む気はないですけど……」


「それに今、私は歌いたい気分だし」


 止める間もなく、兼島が店に入って行った。今さら引き返すわけにもいかず、兼島と一緒にカラオケ店に入ることにした。


 個室に案内されたが、思っていたより広い。兼島が先に座ったのを見てから、離れた位置に座ることにした。


「カラオケに来たの学生の時以来かも。鳴澤君はカラオケとか来たことある?」


「まあ、昔は友達とよく行ってましたね」


「お、じゃあ歌の方にも期待しちゃおうかな」


 学生の時はゲーセンとカラオケに何度も行っていたが、大人になってからはそれも無くなった。昔の友人とは時々連絡をとっていたが、今さらカラオケに誘われたりしなかった。




「ちょっと、休憩」


 兼島と交代で何曲が歌ってはみたが、やはり久しぶりに声を出して自分が下手になっていると感じた。


 ただ、兼島の方も綺麗に歌うというよりも、声を出すことが目的に思える歌い方をしていた。


「鳴澤君。いえーい」


 俺が歌っている時、兼島は頼んでいた飲み物やら食べ物を口にしていた。最初は兼島もジュースを飲んでいたが、途中から酒を頼んでどんどん飲んでいた。


 少し、兼島の顔が赤く見えるが、酔っているわけではなさそうだ。兼島は酒に強いイメージはあったが歌っているせいで、酒の回りが早いのだろうか。


「ちょっと、鳴澤君」


 兼島が席を移動して、隣に来た。


「選曲が古いってば」


「最近の曲なんて知りませんよ」


「んなもん、雰囲気で歌えばいいの」


 適当な曲を入れようとする兼島の腕を掴んで止めた。すると、兼島が肩に寄りかかってきた。


「ちょっ、兼島先輩」


「鳴澤君は彼女作らないの?」


 話がころころ変わってついていけない。下手なこと口にして後悔するのは兼島の方なのではないか。


「恋愛とか、よくわからないので」


「……鳴澤君は恋したことないの?」


 兼島の僅かに赤みがかった顔が近い。喋り方もいつもと違って、気が抜けている感じだ。酒が入るとここまで変わるのか。


「俺は誰かを好きになったことはないです」


「ふーん……」


 誰かを好きになる自分が想像出来ない。


「じゃあさ──」


 兼島が何かを口にする前にケータイが鳴った。その電話に出る為に兼島から離れた。外に出ることも考えたが、今は兼島も歌っていないから必要はないか。


「もしもし、瑠夏」


「おじさん。ごめんなさい。さっきの電話に気づかなくて」


「いや、いいんだ。少し帰るのが遅くなりそうだから、言っておこうと思ってな」


 それに自分はあまり食べてない。これなら帰った後でも夕飯を食べられるだろう。そのことを瑠夏に伝えると、通話はすぐに終了した。


「それで兼島先輩。さっきは何を……」


「そんな顔。初めてみた」


 振り返ると、兼島が立ち上がっていた。


 その時、兼島は瞳から涙を流していた。


「ごめん。もう、私は帰るから」


「兼島先輩!」


 伸ばした手は、兼島には届かない。兼島は部屋から出て行き、二度と戻ってくることはなかった。


 いったい、自分は何を間違えたのだろうか。

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