第6話。伊織と千冬

「おじさん。おかえりなさい」


 仕事が終わり、自宅に帰ると瑠夏るかが玄関で出迎えてくれた。相変わらず、瑠夏は可愛らしい格好をしているが、よく似合っていると思った。


「ああ。ただいま」


 鞄に入れていた弁当箱を瑠夏に渡した。


「ごちそうさま」


 寝室まで行って、服を着替えることにした。あれから瑠夏と一緒の生活には慣れていたが、まだ心の距離のようなものを感じていた。


 瑠夏が家出をしている理由を聞いてない。本人も話したくないのか、これまで話題に上がったことは一度もなかった。


 あれから瑠夏の両親から連絡が来ることもなく平和そのもの。このまま瑠夏が一生、家に居るような気さえしていた。


 今ところ自分には結婚の予定もない。であれば自分の方から瑠夏を追い出すような状況にはならないだろう。


「おじさん」


 着替えている時。瑠夏が寝室に来た。


「どうした?」


「これ」


 瑠夏が手に持っていた紙。受け取って、書かれている文字を読んでみると、それが自分に関係あるものだとわかった。


「三者面談のお知らせか」


「あ、おじさんに来てもらうつもりはないですから。ただ、その場合、保護者の人と電話で話がしたいって言われました」


「俺が話をするのは問題があるんじゃないか?」


「お父さんとお母さんは余計なこと言いますから」


 余計なことか。瑠夏は両親のことをあまり信じていないのか。それともよく親のことを理解しているからこそ、口に出来る言葉なのか。


「俺が余計なことを言う可能性もあるだろ」


「おじさんなら何を言ってもいいです」


「うーん。にしても、三者面談か……」


 まだ自分は瑠夏のことを十分に理解していなかった。瑠夏の両親の代わりに話をするとしても、自分が語れるようなことは何も無いように思えた。


「瑠夏は将来どうするつもりだ?」


「ボクはおじさんと暮らしたいです」


「それは構わない。だが、学校を卒業をした後、何をするか聞いておきたい」


 瑠夏の将来の為に何も聞かないという選択は出来なかった。もし、自分に出来ることなら瑠夏に協力したいとも考えている。


「……何も決めてないです」


「そうか。まあ、焦って決める必要もないだろ」


「わかりました」


 三者面談の件は受けることにした。仕事中でなければ、対応も出来る。そのことを瑠夏から伝えてもらって、あらためて話をすることになった。


 着替えを終えれば、リビングに行く。テーブルの前に腰を下ろして、テレビをつけることにした。


「おじさん。ご飯の用意します」


「ああ。頼む」


 瑠夏が台所の方に行った。夕飯を作るのを手伝いたいところだが、前に一度やった時は瑠夏の邪魔になってしまった。


 瑠夏に負担をかけるくらいなら、何もしない方がいいだろう。そんなくだらない言い訳を頭の中で考えている時、玄関の呼び鈴が鳴った。


「あ、おじさん。今、手が……」


「俺が出るから大丈夫だ」


 手が離せない瑠夏の代わりに自分が対応をすることにした。念の為に外の様子を確認するが、そこに立っている人間の姿を見て驚いた。


「おじさん?」


「外にお前の知り合いがいる」


 それを聞いて、瑠夏は手を止めて駆け出した。その勢いのまま鍵を開けると、扉を開け放った。


千冬ちふゆ……」


「お兄ちゃん。一週間ぶり」


 瑠夏の妹。千冬。瑠夏とよく似た顔を持っているが、千冬の方が髪が長いという違いはある。自分が千冬のことを覚えていたのは、昔、瑠夏の傍に居た女の子が千冬だと聞かされていたからだ。


「どうして、ここに?」


 いつもと瑠夏の様子が違う。言葉にトゲがあるように感じて、千冬との関係が良好でないことはすぐにわかった。


「お兄ちゃんを連れ戻しに来た」


「……っ。ボクはあの家に戻るつもりはないよ。お父さんにもそう伝えたはずだけど」


「お兄ちゃんは、ママ達を困らせるの?」


「……っ!」


 急に瑠夏が千冬に掴みかかった。


「おい、瑠夏」


 止めに入るが、瑠夏は明確な怒りを千冬に向けていた。妹にこれほどの感情を向けられる兄が世の中にどれだけいるのか。


「ボクが家を出たのは、千冬のせいだよ」


「私はただお兄ちゃんのことを思って……」


「だから!そのせいだって言ってるでしょ!」


 そろそろ本気で瑠夏も手が出そうだ。瑠夏を止める為に無理やり千冬から引き離したが、瑠夏は暴れて逃げようとしていた。


「瑠夏、落ち着け。手を出したら相手の思うつぼだぞ」


 この千冬という人間。わざと瑠夏を怒らせているように思えた。そこに何の意味があるかは知らないが、瑠夏が千冬に暴力をふるうのはよくない。


鳴澤なるさわ 伊織いおりさん」


 千冬がコチラに向けて言葉を口にする。


「お兄ちゃんを渡してください」


 千冬が瑠夏のことを兄と呼ぶ度に自分は腹が立った。瑠夏を家族だと思うなら、どうして瑠夏のことをわかってやれないのか。


「瑠夏のことをなんだと思ってる」


 自分の怒りも抑えられない人間が他人に説教するなんてバカバカしいと思う。それでも、千冬に瑠夏を渡す気にはなれなかった。


「お兄ちゃんは私達の家族です。部外者が口を出すことではありません」


「今、瑠夏を預かってるのは俺だ。そして、瑠夏は俺の家族だ」


 その時、千冬が少しだけ笑ったように見えた。


「それって。鳴澤伊織さんにとって。都合のいい家族ってことですよね」


「それは……」


 千冬に言われて、そうだと思ってしまった。自分は都合よく瑠夏を利用しているだけ。瑠夏のことを理解しようともせず、ただ自分の偽善で瑠夏で家に置いているだけ。


 結局、この怒りすら、偽物なのだろう。


「いい加減にして」


 瑠夏の言葉が強く響くように聞こえた。


「お兄ちゃん……?」


「おじさんのことを悪く言わないで」


 先程までの瑠夏とはまるっきり違う。これは怒りというよりも、明確な敵意を千冬に向けている。この場で瑠夏が千冬を殺しても、驚きはしないほどの強い感情だった。


「でも、お兄ちゃん……」


「帰って」


 もう千冬の言葉は瑠夏には届かない。


「わかった。今日は帰る」


 千冬は逃げるようにして、立ち去った。


「すまない。俺がもう少し、ちゃんと対応していれば……」


 すべての言葉を伝えるよりも先に自分の胸に瑠夏が飛び込んできた。それを優しく、支えるようにして瑠夏の体に触れた。


「ううん。おじさんの言葉。嬉しかったです」


 掴んだ瑠夏の体は小さく震えていた。


「ボクはずっと不安でした。おじさんに迷惑をかけているじゃないかって……」


 瑠夏が自らを偽る為に付けていた仮面が外れたように思えた。取り繕っていた言葉がなくなり、本当の瑠夏が言葉を口にする。


「でも、ボクのことを家族って言ってくれて嬉しかった。それが嘘でも、ボクは嬉しかった」


「瑠夏……」


 偽りだとしても、瑠夏はそれを望む。


 どんな人生を歩めば、そんな人間になるのか。


 自分には想像も出来なかった。




「おじさん。出来ましたよ」


 あれから、瑠夏は元の様子に戻っていた。


 夕飯を食べる為にテーブルの前に二人で座っているが、瑠夏の目が少しだけ赤くなっているのが見えた。


「なあ、瑠夏」


「どうしました?」


「その言葉遣いって、わざとなのか?」


 ずっと気になっていたが事情があると思って、聞かなかった。いくら年上だと言っても、敬語が必要な関係ではないはずだ。


「これは線引きみたいなものです」


「線引き?」


「ボクが今のボクを演じる為に必要なことです。そうですね……わかりやすく言うなら、これはボクの嘘です」


 瑠夏は誰かを演じている。きっと、それは理想的な自分になりたいからだと思った。瑠夏は強く否定したい存在を嘘で隠している。


 本当の瑠夏は暴力的で、妹にも容赦がない。


 この可愛さからは想像も出来ないほどだ。


「俺の前でもやる必要があるのか?」


「それは……恥ずかしいですから……」


「俺はどんな瑠夏でもいいと思うぞ」


「だったら、言わないでください」


 瑠夏は以前と何も変わらない。しかし、確実に千冬の存在が瑠夏の根本を揺るがした。可能性の話ではあったが千冬を送り込んできたのは、両親のどちらかではないのか。


 親の立場を使えば、強引に瑠夏を連れ戻すことは出来るだろう。しかし、それでは瑠夏に逃げられると姉貴から説得されているはずだ。


 姑息な真似といえばそうだが、妹の千冬を使うのは賢いやり方だ。瑠夏を縛るものさえあれば、逃げられなくなるのだから。


「おじさん」


「どうした?」


「ボクのこと。話せる時が来たら話します」


「ああ。わかった」


 きっと再び近いうちに何からの接触をしてくるだろう。自分に出来ることは、瑠夏の願いを出来る限り叶えてやることだった。

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