ウィカナ・フライングダッチ―Ⅱ

 夏季休暇が始まるまで、誰が想像出来ただろう。


 コルトがやって来る事もそうだが、彼に関わった少女達が爆発的に力をつけ、一年生の中でも周囲と圧倒的差をつけたトップスリーが出来上がる事など、誰も想像出来なかったはずだ。


 一年生最強にして、入学時歴代最高魔力を叩き出したレイーシャ・フルハウス。

 夢遊病の辻斬りにして当代きっての天才魔剣士、ウェンリィ・アダマス。

 そして元軍人にして、コルト・ノーワードの与えた無詠唱魔法を駆使するイルミナ・ノイシュテッター。


 最早この三名の誰が十字天騎士の序列十位、ライム・ライクと取って代わるのか。噂が好きな人達はその話題に華を咲かせ、その話だけに暇を費やす。

 その時間を使って勉強ないし鍛錬を積んでいれば、自分も座の争いに加われるかもしれないのにと考えるコルトは、それこそが三名と他の生徒達の明確な差なんだよ、と半ば呆れていた。


 だがコルトは、工房に戻って来てまた溜息を漏らす。

 一階と二階の窓を全部開けて喚起。地下施設に籠っていた煙を排煙したコルトは、地下で煙草を吸っていたイルミナの軍帽に魔法陣を描き、すぐさま魔法を起動した。


 イルミナは酸欠状態に陥り、火の消えた煙草を落として咳き込む事さえ出来ずに首を押さえ、蹲る。

 意識が途切れるか否かのギリギリで魔法が解除され、イルミナは思い切り息を吸い、やっとの思いで咳き込んだ。


(ここで吸わないで下さいと、何度お願いしたら聞いて頂けるんですか? せめて吸うなら喚起して下さい)

「ゲホッ! ゲホゲホっ! んの……殺すっ! あんた絶対、この手で殺す!」

(出来るといいですね) ――無理ですけどね一生

「あんた、今絶対無理だって思ったでしょ!」

(ヤ ナーそ な事 い スヨー)

「わかりやすく嘘つくな! ってか、テレパスわざと乱したでしょ今!」

(さぁ、どうでしょうね)

「こんの……!」


 振り下ろされた拳を屈んで躱し、足を払って体勢を崩す。

 前のめりに倒れそうになって踏ん張る彼女の下顎を掌底で打ち上げて脳を揺らすと、フラつく彼女の腹部に掌底を叩き込んで全身に衝撃を巡らせた。


 軍帽を落とし、背中から倒れたイルミナは動けず、ビクビクと痙攣して動けない。

 落ちた軍帽を取って被ったコルトは、だらしないですねと言いたげにイルミナを見下ろした。


(その様子じゃ、僕に勝つのはまだまだ先ですね)

「んの、野郎……!」

「あれれ、もう特訓開始? 気が早いなぁ……ふわぁあ」

「すみません、遅れました。今日もよろしくお願いします、コルト様」


 ウェンリィとレイーシャが到着。

 大の字に倒されているところを見られたイルミナは、恥ずかしさのあまり顔を隠したかったが、軍帽を取られていたので両腕で必死に隠すしかなかった。


「御師様……昨晩はまたご迷惑をお掛けしたようで……」

(構いませんよ。ただ夢遊病の時のあなたは容赦なく来るので、無傷で拘束するのが大変でしたけどね)

「それは御足労をお掛けしました」


 最近の夢遊病状態のウェンリィを止めるのは、コルトの役目だ。

 他の生徒に怪我をさせてはいけないし、教師に任せると怪我してしまった時に代役が効かないので、理事長からの要請でコルトが担当する事となったのだ。


 一度、夢遊病状態の彼女にイルミナをぶつけてみたが、イルミナには無理だと判断した。

 事実、前回の手合わせでイルミナは起きている状態のウェンリィに勝てたものの、真の力を解放している状態とも言える夢遊病状態では手も足も出なかったのである。


 まぁおそらく、この学校で十本の指に入る生徒達――十字天騎士と呼ばれている彼らになら任せてもいいのかもしれないが、彼らも生徒。実力があるからと言って、怪我をさせていい訳ではない。


 それに彼女を無力化出来るほどの無詠唱魔法が作れれば、コルトとしても利益はある訳で。


「コルト様……あの、新しい防御魔法の術式が構築し終わったんです……まだ試験段階、何ですが……コルト様の魔法を相手に、どれだけ耐久出来るか……試してもいい、ですか?」

(だ、そうです。出番ですよお嬢様。さっさと戦艦、出して下さい)

「あんた、あたしにだけ当たりキツくない?!」

(お嬢様のようなじゃじゃ馬――失礼。優秀な生徒には厳しくいきませんと)

「あんたマジで張っ倒すからね?!」

(一分前に似た事言って返り討ちに遭ってた人の台詞とは思えないですね、お嬢様)


 かれこれもう二ヶ月近い付き合いとなって、コルトもイルミナの扱いがわかってきた。


 彼女は雑である事を訴えているようだが、彼女の場合はこれでいい。

 彼女は悔しさをバネに伸びるタイプだ。込み上げる悔しさを別の誰かや別の分野にぶつけるのではなく、その分野でその相手にぶつけないと気が済まない。


 だから、彼女の場合はこれでいい――というか、これがいい。

 軍人気質の彼女だからこそ、出来る教育方針だ。


「そういえば御師様……最近、学内で噂があるのは、知ってますか?」

(あなたではないのですか?)

「私の辻斬りは、御師様が止めてくれてるではないですか……そうではなくて、生徒会長の噂です……」

(生徒会長? 確か……名前はウィカナ・フライングダッチさん、でしたか)


 学内一位の成績に、泡沫の乙女の異名まで持つ魔法の天才。

 現状、学内で唯一世界魔法使い序列千位以内の九九八位にランクインする程の実力者だと聞いている。

 今のところ面識はないが、フライングダッチ家も貴族の家系。イルミナの事は多少気になっているだろう。


(その彼女が何か?)

「泡沫の乙女。フライングダッチ家の御令嬢。そんなあの人に、最近黒い噂があるんです」

(ほぉ……)


 ノイシュテッター家と同じ、貴族の中でも高位の公爵の地位にあるフライングダッチ家。その令嬢に黒い噂とは。

 そしてそれらが広まっている現段階で、家が動かないのも気になる。

 フライングダッチの家柄とか人柄とか知らないけれど、自分の家の品位にも関わるだろう噂など、瞬く間に根絶するはずだろうに。


(どんな噂が?)

「夜な夜な一人で歩いてる男子を暗いところに連れて行ってるとか、怪しい何かを渡してる、とか……目撃者はいるんですが、結局何が目的で、最終的に何をしたいのかまでは……わかってないんですよねぇ……はあぁ……」

(なるほど。確かに、それは気になりますね)

「今日生徒会長の名前こそ出てなかったですが……先生から、夜に出歩くなって注意喚起があったんですよ……だから余計、真実味が増してしまってる感じで……」

(そうですか)


 とりあえずアンドロメダ理事長に相談して、それから――


 その夜、世界二位の魔法使いが、出る。

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