第5幕 第4場 グラウンドにて

 僕は、白鷹の妹のことが頭に引っかかっていた。自分には弟しかいないこともあり、正直妹は未知の存在だが、心配する気持ちは同じだろう。

 もし弟の昌二が引きこもりになったら、力づくで部屋から引きずり出してしまうだろう。そのことで取っ組み合いの喧嘩にでも発展したら、それこそ殴ってしまいそうだ。だが女の子が相手となると、そうもいかないのだろう。女の気持ちを考えるのは難しいな、と思いながら頭を抱える。

 僕は千歳に白鷹の妹のことを話し、どうにかしたいと思っていることを伝えた。話を聞いた千歳は、白鷹の幼馴染である大平なら、白鷹の妹について何か知っているのではないかと考えを示してくれた。そこから話は進み、一度、大平の元を訪ねてみることになった。

「部室に来る途中で、バレー部からスカウトされました!」

 歩が部室に入ってくるなり、挨拶もなしに話を始めた。昨日は陸上部からスカウトされたんですよ、と嬉しそうに口元を緩ませている。

「すごいねえ」と千歳が素直に褒めている。

「もちろん断ったので、安心してくださいね」

 歩が得意げに胸を張った。

「飯豊くん、球技大会が終わってからずっとこの調子らしいんですよ」

 舞鶴さんが呆れたように言った。

「あれだけ走れれば、周りが放っておかないよね」

 千歳が苦笑いを浮かべた。

「満衣香、夏南ちゃんから飯豊くんが調子に乗らないように見張っててねって頼まれたんですよ」

「夏南ちゃんって、アユの彼女?」

 千歳が舞鶴さんに訊ねた。

「そうです。満衣香、夏南ちゃんと同じクラスで仲がいいんです」

「舞鶴、夏南ちゃんに変なことを吹き込まないでよ。でも夏南ちゃん、クラスでおれの話をしてるんだ」

 歩が嬉しそうに話に乗った。

「前から気になってたんだけど、その『舞鶴』って呼び方、何か偉そうに感じるんだよね」

 舞鶴さんが腕を組んだ。

「えー。そんなつもりはこれっぽっちもないんだけど。それにタカさんも『舞鶴』って呼んでるじゃん」

 歩が不満げに口先を尖らせた。

「白鷹さんは、仮にも先輩だし……」

 まだ白鷹が部室に来ていないのをいいことに、舞鶴さんがケロリと言った。

「おれも『マイマイ』って呼んだ方がいい?」

「『マイマイ』は、吾妻さんだけの特別な呼び方だからダメ!」

 舞鶴さんが机に手をついて身を乗り出した。

「それなら何て呼べば満足なの?」

 歩が困ったように顔を傾げた。

「『舞鶴さん』か『マイちゃん』のどっちかにして」

「それなら『マっちゃん』にするね」

 歩が、うん、いいな、それ、と自分の思い付きに満足して頷いている。

「なんかおじさんくさいからやめてよ。それに人の話を聞いてた? 勝手に別の選択肢を増やさないでよ」

 舞鶴さんが表情を歪めた。本気で嫌がっている様子だ。

「お疲れさまです」

 白鷹がすっかり騒がしくなった部室に入ってきた。下級生二人の言い争いを気にすることなく自分の席に座ると、いつも通り鞄からノートパソコンを取り出した。

 僕は千歳に目配せをしてから部室を後にした。



 パソコン室の戸を開けると、中にいた数人の生徒が一斉に僕を見た。その視線に居心地の悪さを感じながら後手に戸を閉める。生徒たちはすぐにまたモニターに視線を戻してしまい、目当ての顔が見つかるまで一人、一人顔を覗いていくしかないかと思っていると、

「あ、演劇部の……」

 まさに目当ての顔である、昨日白鷹のスマートフォンを届けてくれた大平が、デスクトップパソコンのモニターから顔を上げると同時に椅子から腰を浮かせた。

 彼の身長は僕よりも低かったが、背筋が伸びているせいか、数字以上に高く見える。百七十五センチぐらいだろう。白鷹が言っていた通り、彼とほぼ同じぐらいの背丈だ。

 僕は大平のところまで急ぎ足で近づくと、彼に向けて言った。

「忙しそうなところ悪いが、少し時間をくれないか? 白鷹の妹のことで、君に聞きたいことがあるんだ」

 僕の頼みに、大平が驚いたように重たそうな瞼を持ち上げた。が、彼は、僕が瞬きをしている間に表情を整えると、

「いいですよ。それなら隣のサーバ室に行きましょう」

 モニターの電源を落とすと、教室の後方に向かって歩き出した。

 パソコン室は隣にあるサーバ室と扉一枚で仕切られているだけで中は繋がっている。大平はスラックスのポケットから鍵の束を取り出すと、その中の一つを使って錠を外し扉を開いた。途端、涼しい空気が足元を滑り出した。

「機械の音が少しうるさいですが、邪魔は入りませんので」

 大平に促され、僕は先に部屋の中に足を踏み入れた。大平が内扉の錠をかけ、言葉どおり邪魔が入らない環境を整えた。

 授業でパソコン室に入ったことは何度かあったが、サーバ室に立ち入るのは初めてだ。壁には一面ラックが設置されている。ラックの中には機械が幾つも並んでおり、それぞれが唸り声のような音を立てていた。その音と共鳴するように、ピカピカと小さな光が点滅している。見慣れない光景に、ついつい辺りの様子を伺ってしまう。

 僕は大平が勧めるがままにオフィスチェアに腰掛けた。

「葉山さんは、コージではなくて、みっちゃんのことが知りたいんですか?」

 落ち着く間もなく、大平の方から話を切り出してきた。やはり忙しいのだろう。

「白鷹の妹は、みっちゃんっていうのか。ああ、そのみっちゃんについて知りたいんだ。彼女、ずいぶん長いこと部屋に引きこもっているらしいんだが、もし何か知っていることがあったら、些細なことでもかまわないから教えてほしいんだ」

 僕はメモ帳こそ取り出さなかったが、頭のノートに一言一句漏らさずに書き留めるつもりで身構えた。

「知ってますよ。みっちゃんとは、コージの応援仲間だったので」

「応援仲間……?」

 予想外の返答に、身構えたポーズが崩れてしまった。大平は僕にかまわず話を続けた。

「僕は小さい頃からからきし運動が苦手で、自分ではスポーツを何もやってこなかったんです。その代わりと言っちゃなんですが、コージの野球の試合の応援にはよく行ってました。野球って、試合時間が長いうえに守備が交代制なので、試合の中断時間も多いじゃないですか。なので、みっちゃんと喋って過ごしているうちに、すっかり親しい仲になりました」

「それで応援仲間か」

「はい。みっちゃんは照れ屋で普段はすごく大人しい子なんですけど、コージの応援をするときは、人目を気にせず、めいいっぱい口を開いて大声を出すんです。その姿が本当に一生懸命で……」

 大平が懐かしむように目を細めた。

「偏見かもしれませんが、女子小学生にとって、野球はあまり面白いものではなかったと思いますし、高学年になるにつれて、兄への興味も薄くなっていたと思うんですけど、みっちゃんはコージが野球を辞めるまで、ずっと応援に来ていました」

 大平がそこで一度唇を休めた。

 思い出したように機械の音が流れ始める。音は不思議だ。集中すると聞こえなくなるときがある。

「……実は僕、みっちゃんがいじめられていたことを、コージより先に知ってたんです」

 大平の話が再開し、また音が聞こえなくなっていく。

「みっちゃんと学校帰りが一緒になったときがあって、そのとき、みっちゃんが一緒にいた子たちの鞄を持たせられていたんです。ランドセルではなく、本を入れるような布の鞄だったので最初は気が付かなかったんですけど、やけに肩を左右に揺らしながら歩いているなって思って気が付いたんです。みっちゃんがその子たちから少し離れて歩いていたので、『大丈夫?』って声を掛けたんです。そしたらおれに気が付いた一人の女の子がわざわざ引き返してきて『ゲームをしながら帰っているんです。邪魔をしないでください』と答えました。みっちゃんの顔を見たら、みっちゃんが無言で小さく頷いたんです。情けない話ですが、それ以上は踏み込めなくて、その場から離れました。その後、みっちゃんがおれの家に来て『お兄ちゃんには絶対に言わないで!』と泣きつかれ、コージには秘密にしていたんです」

 大平がそのときのことを後悔するように溜め息を吐いた。それから手持無沙汰のようで指を頻りに擦り始めた。

「それで、どうしてわざわざおれにみっちゃんのことを訊きに来たんですか?」

 大平の目つきが変わった。

「コージからは直接訊けない理由があるんですよね?」

 急に機械の音がうるさく感じる。僕は膝に置いていた手で拳を作ってから口を開いた。

「オレは、白鷹の妹を部屋から出してやりたいと考えている」

 大平が喉を引くつかせ、顔を後ろに引いた。僕はその反応を無視して台詞を続けた。

「兄貴にできないことが、赤の他人のオレにできるわけがないと思っているんだろう?」

 僕の言葉に、大平は返事をしなければ頷くこともしなかった。

 機械が唸った。

 僕にとってはコンピュータよりも人間の方がよほど単純で扱いやすいのだが、大平にとってはコンピュータの方が扱いやすいのだろうか。

 大平は瞳の中に戸惑いを乗せたまま、口を開いた。

「みっちゃんが部屋に引きこもるようになってから、もうすぐで一年が経ちます。当時の僕たちは、みっちゃんの引きこもりがまさかここまで長く続くとは思っていなかったんですよね。狭い部屋の中でできることって限られているじゃないですか。だから数日ぐらいで部屋から出てくると思っていたんです」

 大平が目を伏せた。

「責任を感じているんです。コージとみっちゃんにオンラインゲームを教えたのは……僕なんです」

 大平の膝の上に乗っていた手が震え出した。

「みっちゃんが部屋に引きこもるようになってすぐの頃、コージから相談されたんです。みっちゃんが家族の誰にも顔を見せてくれないし会話もしてくれないって言うので、それならチャットを試してみるのはどうだろうって思ったんです。でも、家の外に出ていない相手との会話なんてそう長くは続かないだろうと思い、会話のきっかけになるネタがあった方がいいと思って、それでオンラインゲームを勧めました」

 テレビでCMが流れていることもあり、僕でも聞いたことのあるタイトルだった。

「あの頃は、コージ自身も肩を壊して間もなかったので、ゲームで気分転換になればいいくらいの軽い気持ちだったんです。でも、もしかしたらオンラインゲームがみっちゃんの引きこもりを助長させてしまったんじゃないかって、僕の思いつきは軽率で浅はかだったんじゃないかって……」

 大平の声も震え始めていた。ここに並んでいる機械よりも震えている。やっぱり人間の方が、ずっとずっと単純だ。

「コージは、本当はゲームなんか全く好きじゃないんですよ……。小学生のときから野球漬けの生活を送っていて、視力を落としたくないからってゲームもほとんどしたことがなかったぐらいで……。もちろんパソコンも全く得意じゃなくて、僕が一から教えたんです」

 大平の頭が垂れた。髪の毛が彼の表情を隠した。

「僕とコージは幼稚園のときに同じクラスだった縁があるだけで、性格も得意なことも興味を持っていることも全然違っていて、仲がよくなるような要素は一つもないんです。でもコージはそんな僕と仲よくしてくれて、だから僕もコージの活躍を素直に一緒に喜ぶことができたし、友人として誇らしくもあったんです」

 大平の表情が和らいだ。

 僕にも同い年で幼馴染の腐れ縁が一人いるが、相手が女ということもあり、年齢を重ねるにつれ関係性は薄くなっている。

「正直な気持ちを言いますと、マウンドに立っていたコージは本当に格好よかったんですよ。でも、ステージに立っているコージも、格好いいとおれは思うんです」

 大平がようやく僕の顔を見た。

「みっちゃんは観たことがないんですよ。演劇をやっているコージを……」

 観たことがないのか、と思った。

 校内公演であろうと、活動記録として舞台は全て録画している。白鷹が妹に見せてあげようと思えば、見せてあげられるはずだ。オンラインゲームをしているのなら部屋にパソコンがあるだろうし、動画を再生できる環境も整っていることだろう。

 だが観たことがないというのならむしろ好都合だ。これを利用しない手はない。あとは、どう調理するかを考えればいい。

「大平がしたことは間違っていない!」

 僕の声の大きさに驚いたのか、大平が目を見開いた。

「白鷹が演劇部にいられるのは、きっとオンラインゲームのおかげだ。オンラインゲームがなかったら、白鷹は帰宅部で、学校の授業が終わったら速攻で家に帰るような生活を送っていたと思う。だから白鷹が自分の時間を作れるのは、大平のおかげだ」

 大平が僕の様子を伺うように見ていた。

「それにしても、インターネットってすごいよな。対面しなくてもコミュニケーションが取れるんだから……そうだ! インターネットだ!」

 僕はオフィスチェアから立ち上がった。キャスターがついているせいで、椅子が後ろへ転がっていく。

「時間が足りないのならば作ればいいんだ!」

 僕は閃いた。

「時間? 足りないって?」

 大平は突然変貌した僕の様子に、目を大きくさせてから首を傾げた。

「脚本の前半部分を動画にしてインターネットに流すんだ! そしたら脚本を修正する必要はないし、白鷹の妹に演劇を見せてあげられるし一石二鳥だろう!」

 僕は喜びを誰かに共有したい一心で、思わず大平の肩を掴んで叫んだ。

「演劇をインターネットで配信するつもりなんですか……?」

 目を輝かせる僕とは裏腹に、大平は表情を苦くした。

「その通りだ! 劇の続きが観たかったら部屋から出るしかないんだ! 絶対に引きずり出してやる!」

 僕は掴んだままの大平の肩を揺さぶった。

「葉山さんは本気なんですね……」

 言い方が少し物騒ですけど、と大平が呟いた。

「ああ、オレは本気だぜ」

 僕は頭の中でこれからの流れを組み立て始めた。

「それなら、僕にも手伝わせて下さい!」

 今度は大平が僕の肩に手をのせた。

「ホームページ作りでも動画編集でも何でもやります! 僕に手伝わせてください!」

 力強い眼差しが、僕を真っ直ぐに射抜いた。

「そりゃあ嬉しい申し出だが、パソコン部も忙しいんじゃないのか?」

 コンピュータ関連の作業は白鷹に押し付けようと思っていたが、彼が協力してくれるというのならば渡りに船だ。だがパソコン部も展示会の準備があるだろう。

「……ずっと羨ましかったんですよ」

「え?」

「コージのキャッチャーが羨ましかったんですよ。マウンド上でコージと並んで立っている姿が、グローブで口元を隠しながら会話をしている姿が眩しくて、ずっと羨ましかったんです」

 大平の声がすとんと落ちた。

「そういうことなら遠慮はしないぞ。オレはパソコンのことは全くわからないから白鷹に頼もうと考えていたんだが、アイツ、眼鏡が伊達ならパソコンに詳しいのも伊達らしいからな」

「ははっ……」

 大平が笑い声を零した。

「よろしく頼むな!」

 僕はもう一度、大平の肩に手を乗せた。はい、と大平が大きく頷いた。

 話がまとまったところでサーバ室から出て、パソコン室に戻った。大平が入口までついてきてくれた。

 パソコン室は、来たときよりも生徒が増えており、何か話し合いながらキーボードを叩いていた。

「確かパソコン部って、三年生はもう引退しているんだよな?」

 靴を履きながら、もう一度室内を眺めた。

「はい。三月で引退しています。大会やコンテストがあるわけではないので、活動は二年生までなんです」

「それもまた大変だな。文化祭は何をするんだ?」

「ゲーム作品の展示です。部内で二チームに分かれてそれぞれゲームを作りまして、それをお客さんに試遊していただき、どちらのゲームが面白かったかを投票してもらうんです」

「ゲームを作るなんてすごいんだな」

 へえ、と感嘆の息が零れる。

「そんなすごいものじゃないですよ。例えば、じゃんけんもゲームの一種ですけれど、それをプログラムで作ると数分でできちゃうんです。ゲームってある程度構造化されていて、またソースが書籍やインターネットで公表されているんです。そういう情報を組み合わせれば、意外と簡単に作れちゃうんです。なのでゲーム作りって、プログラミングよりもアイデアを考える方が難しいんですよ。そうですね、ツムツムとかスイカゲームなんていい例だと思います」

 結局は、昔からあるテトリスやぷよぷよみたいなパズルゲームですよね、と大平が語る。

「あとはデザインですね。どんなに面白いゲームが作れても、デザインが微妙だと遊びたいという気持ちになかなかならないじゃないですか。漫画やアニメと同じですよね。ただデザインって結局はセンスなので、一朝一夕では磨けないですし……」

 大平はああだこうだ言っているが、高校生ならゲームが作れるだけで十分すごいだろう。ましてや一、二年生だけで活動しているのだから大したものだ。

「そういえば、コージから聞いたんですが、演劇部にすごい絵が上手な子がいるんですよね?」

「舞鶴さんのことだな。衣装のデザインをしてもらったんだ」

「いいですね。こちらは兼部でかまわないので、パソコン部に興味がないか聞いてみてくださいよ」

「いやいや、舞鶴さんは演劇部にとっても貴重な人材だから、半分たりとも貸してあげられないぞ」

 僕は顔の前で手を振った。

「そもそもパソコン部、女子部員が一人もいないんですよね」

 大平が残念そうに肩を竦めた。改めてパソコン室を見渡すと、確かに男子の姿しか見当たらない。

「コージからよく葉山さんの話を聞かされていたんですけど、実際に葉山さんと喋ってみて、コージの言っていたことがよくわかりました」

 大平の肩が下がった。

「白鷹のヤツ、大平にオレのことをなんて話してるんだ?」

 大平は口の両端を持ち上げてから、

「演劇部にめちゃくちゃ格好いい先輩がいるって」

 歯並びのよい白い歯を見せた。 

「それ、オレのことじゃないと思うぜ。演劇部の三年には、他に吾妻っていう男がいるんだが、多分そいつのことだ」

 自分で言って、ちょっと虚しくなってきた。

「いえ、葉山さんであってますよ。去年の球技大会のバスケの試合、コージに連れられて観に行っているんです。そのときに葉山さんのことを教えられましたし、文化祭の舞台を観て、吾妻さんのことも知っているので」

 大平が頷きながら言った。

「コージは、最初こそ笹野さんが目当てで演劇部に入部しましたが、今も演劇部にいるのは葉山さんがいたからだと思います」

「それはどうかな。アイツ、まだ笹野のことを諦めていないからな」

「コージはどこまでも一途なヤツなんですよ。笹野さんに彼氏ができても、簡単には諦めないと思います」

 大平が口を大きく開いて笑い出した。

「コージのこと、よろしくお願いしますね」

「こっちこそ、白鷹が笹野に振られて暴走しないよう、見張っていてくれよな」

「せめて見守ってやってくれって言ってくださいよ」

 大平がからっとした笑い声を立てた。



 大平と別れ、部室に向かった。

「みんな! 作業をしたまま、オレの話を聞いてくれ!」

 部室の戸を開けるなり叫んだ僕の声に、何だという様子で部員たちが次々に顔を上げた。

「さっき閃いたんだ! 脚本の前半部分を動画にして、それをインターネットに流すのはどうだろうか!」

 僕の突拍子もない提案に、みんな戸惑っている様子だ。

「映画とかにある予告編っていう感じ?」

 歩が顔を傾げた。

「動画パートと演技パートの内容が異なるわけだから、前日譚の方がしっくりこない?」

 千歳が衣装を縫っていた手を止めて言った。確かにそうですね、と歩が頷く。

「ホームページを立ち上げて、撮影した動画をアップロードする。動画の内容は脚本の前半部分にして、続きは本番をお楽しみにという形を取る。もちろん舞台の方は、舞台だけで完結するように編成する。文化祭の宣伝をしつつ演技時間をさらに拡張させるという手立てだ!」

 僕は頭の中でシナリオを組み立てながら答えた。

「そのホームページ作りは誰がやるんですか?」

 白鷹が手を挙げて訊ねた。

「そりゃあ、それはパソコンオタクの白鷹がやるに決まっているだろう」

 僕が白鷹を指差すと、

「え? 自分ですか?」

 白鷹が天然パーマの頭を揺らした。

「もちろん、できるだろう?」

 白鷹の眼鏡のレンズの向こう側の目が揺れた。

「そんなこと、急に言われましても……」

 白鷹が口ごもった。

「白鷹だったらできるだろう?」

 白鷹が咽をひくつかせた。

「よく考えろ。白鷹にだって、舞台を観てもらいたい相手がいるだろう」

「相手って……そんな人いませんよ!」

 白鷹が笹野の顔を盗み見ながら慌てて手を振り、

「葉山先輩、ちょっと外に出ましょう!」

 背中を押され、廊下に連れて来られた。

「笹野先輩に勘違いされるようなことを言わないでくださいよっ!」

 白鷹が小声だが語気を強めていった。目が血走っていて少し怖い。残念だが、おそらく笹野は全く気にしていないだろう。

「そのことに関してはオレが悪かったから、そんなに怒るなよ」

「あとでちゃんとフォローしておいてくださいよ! ついでに、自分がいかにいい男かも売り込んでおいてください」

 そこまで言うと、ようやく白鷹は強張らせていた肩を下げた。

「注文の多いヤツだな……」

 僕は呆れて溜め息を零した。部室に戻るために、白鷹に背を向けると、 

「それで、あの、実は自分……」

 白鷹が再び話を切り出した。

 足を止めて体ごと振り返る。白鷹の目が、まるで溺れているように泳いでいた。堪らず、ふっと鼻から息が漏れた。マウンド上で、視線だけで小虫を叩き落としそうな目をしていた男とは思えない狼狽え具合だ。

「心配するな。ホームページ作りなら、あてがあるんだ」

「え?」

 白鷹が目を丸くした。

「白鷹の相棒が引き受けてくれるって、名乗り出てくれたんだ」

「相棒って……」

 白鷹が瞬きをする。

「複数人も思い浮かぶのか? 意外と浮気性なんだな」

 僕がからかうと、

「違いますよ! どうして葉山先輩が、自分が本当はパソコンが得意ではないことを知っているの……」

 かと思って。

 白鷹が言葉を飲み込んだように途中で黙り込んだ。

 いつまでももったいぶっているのも意地が悪いか。そろそろ種明かしの時間だな。僕はむずむずしていた口を開いた。

「白鷹の幼なじみが、オレのことを格好いいってベタ褒めでさ、何でも教えてくれたぞ。吾妻じゃなくて、このオレを格好いいってさ」

 僕は自分を指差した。

「葉山先輩。男相手に、吾妻先輩と張り合わないでくださいよ」

 白鷹が呆れたように目を細めた。

「実は前々から怪しいと思ってたんだ、白鷹のタイピング。パソコンが得意なヤツにしたら、少し遅いなって。まさか影武者がいるとは思わなかったけど」

 情報の授業で、隣の席のパソコン部だった男のキーボードを打つ音を思い出す。その早打ちは、キーボードがメカニカル式なこともあり、弾丸のように感じられた。

 白鷹はバツが悪そうに顔を歪め、唇を震わせている。

「オレたち演劇部員を相手に騙したいのなら、役作りは徹底しろよ」

「これでもブラインドタッチは、キーボードソフトを使って練習したんですよ」

「努力が全然足りてねえよ。専門用語の方は完璧に覚えたみたいだけどな。台詞回しは、白鷹が考えたにしては上手いほうだと思うし。オレ以外にはバレてないんだから、今後のためにもっと練習しておけよ」

 白鷹がげんなりと眉を下げた。

「それで葉山先輩は、いつの間にかっちゃんを演劇部に巻き込んだんですか?」

「巻き込んだとは人聞きが悪いな。あくまでも大平の方から話に乗ってきたんだぜ」

「葉山先輩、意外と人たらしじゃないですか。飯豊の懐き具合も異常ですし……」

「凡例が歩と大平の二人だけじゃ、たらしとは言わないだろう」

 僕が言い返すと、白鷹は何か物を申したそうな目で僕を見たが、いえ何でもないです、と顔を横に振った。

「自覚がないのなら、何を言っても無駄ですし……」

 白鷹が呆れたように目を伏せた。

「とにかくだ、パソコン作業は任せた……」

 白鷹の肩を叩きそうになって、すんでのところで思い留まった。そんな僕の姿を見て、白鷹がははっ、と乾いた笑い声を零した。

「そりゃあ自分は、未だに左肩を庇ってショルダーバッグを使っているような未練タラタラな男ですが、先輩からの激励の肩叩きに目くじら立てたりしませんよ」

 勘のいいヤツめ。

「うるせぇぞ」

 僕は代わりに、白鷹の尻を靴の爪先で軽く蹴った。

「やめてくださいよ!」

 白鷹が声を上げた。

 僕は、そんなことよりも、と前置きをしてから口を開いた。

「白鷹は一つ、大きな勘違いをしているぞ」

 僕は腕を組むと話を始めた。

「妹は、白鷹がエースだったから球場までわざわざ応援に来てくれていたわけじゃないだろう。白鷹の頑張っている姿を観たかったから、応援に来てくれていたんじゃないのか?」

 白鷹が唇に歯を立てた。

 白鷹なら、こんなことをわざわざ僕が言わなくともわかってはいるだろう。だが人は、ときには自分でわかっていることでも、わざわざ他人の口から聞きたいときもあるのではないかと僕は思う。それをあえて口にすることに価値と意味がある。

 僕は台本の台詞を指でなぞるように読み上げる。

「みっちゃんに、白鷹の演劇を観てもらおうぜ。まずは自室から。そんで、本番は体育館からだ」

 僕は目を閉じて想像した。 

「彼女のために、特等席を用意するからさ」

 白鷹が膝を曲げて中腰になると、自身の頭を掻き上げた。

 はあ、と少しわざとらしい大きな溜め息を吐いた後、

「葉山先輩には本当に敵いませんね。自分も腹を括る覚悟を決めました。もう一度、光緒を部屋から連れ出す努力をしてみます!」

 握り締めた拳で自身の胸を叩いた。

「でも、葉山先輩の口から『みっちゃん』が聞けるとは思いませんでしたよ」

「なあ、みっちゃんの顔って、白鷹に似てるのか?」

「どうですかね? 自分じゃ分かりませんけど、たまに似てるとは言われますね」

 白鷹が首を傾げた。

「そうと決まれば、さっさと部室に戻るぞ! やることはまだまだたくさんあるんだからな」

 僕は白鷹の背中を押した。

 重苦しい学生服の上着を脱ぎ捨て、ワイシャツのボタンをいつもより一つ多く外すと鎖骨に風が滑り込んできて、その心地よさに目を閉じれば、夏の匂いがぐっと近づいてきた。

 衣替えまで、あと数日前のできごとだった。

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