第23話 夢の続き、女神と一匹

「……私の身体……ですか?」

「そう!」

「いいですけど……それでどうにかなるんですか?」


 アグニが親指を立て、顔を縦に振る。

 女神のなんとも言えない還俗的な仕草に、イリスは一抹の不安を覚えた。


「十月十日共に育った貴女の身体は、それだけで神の依代になる。この姿に充てている力も闇の竜を屠るために使えるわ」

「それなら……どうぞ」


 イリスから快諾の返事をもらったアグニは、ゆっくりと目を閉じる。

 アグニの姿が薄れ、たなびく遊糸のように流れると虹色の玉光へ形を変えた。その輝きがイリスと同化するように吸い込まれていく。


「……なんかキラキラしてない?」


 イリスは自分の体が僅かに発光していることに気づいた。


「間違いなく、輝いてるな」


 レイも同意し、興味深そうにまじまじとイリスを見ていた。


「マダ足リナイ」


 土竜がイリスの中の女神を探るように、つぶらな瞳で凝視する。


「女神様、ソレデモ力足リナイ。オレモ力貸ス!」


 土竜から淡い黄金色の光が放たれると、土の精霊としての力を纏った真砂のような微光が、イリスの身体を満たす。


「イリス! 瞳の色が……」


 イリスの瞳に変化が起こる。

 木蘭色の瞳が、女神と同じ虹色へと変わっていた。

 イリスは自分の瞳を見ることはできないが、確かに変わったことは実感していた。世界の彩が変質した言えばいいだろうか……全てを見通す眼を得たような感覚があった。


「貴女の身体で、一度だけなら闇の竜を倒す力が発揮できる」


 アグニの声が直接脳内に響く。

 虹色の瞳が、イリスの身体に女神の力が満ちた証だった。

 

 あんなに恐ろしかった闇の竜が、今では悲しい生き物に見える。

 ルバーブの魂が闇の竜に縛られ、絶望と無力感に苛まれている。イリスは虹色の瞳を通して彼が独り苦しむ姿を視ることができた。

 

 じっと見つめるイリスと、闇の竜の視線が絡む。

 暗く濁った黄色い瞳。その瞳の色だけが大司教と呼ばれた男の面影を残していた。


 アグニと同化したイリスを認識すると、「ギャギャッ」と潰れた嗤い声と共に、大きな翼を一振りする。

 息もできないほどの強風が吹き荒れ、イリスとレイを囲むように突風が巻き起こる。


「大丈夫だ。俺が守る」


 レイが少し乱暴にイリスの肩を抱き寄せると、もう片方の手を上空へ向ける。

 すぐさま防御魔術が展開され、矢継ぎ早に氷魔術を使い結界を重ね掛けした。

 その直後、防御魔術の方が破られたが、壮麗な氷結界のおかげで間一髪で難を逃れた。

 

「氷牢結界……懐かしいわ。結界の中でも上級魔術、よくこの一瞬で完璧に築けたわね。これで暫くは持ちそうね」


 イリスの中にいるアグニが称賛した。

 『懐かしい』という言葉が妙に気になったイリスの心を読んだように話を続けた。


「そろそろ、シヴァにも出てきてもらいましょう」

「シヴァ……さんとは?」

 

 懐古するような少しの沈黙の後、アグニは柔らかく微笑んだ。


「……この結界を創り出した人物であり、私の愛しの狼」


 その言葉を聞いた瞬間、隣にいたレイが驚愕し獣耳が跳ねた。

 心が大きく動いたり、動揺すると制御できずに獣耳が飛び出ると聞いたことはあったが、まさかレイの獣耳を拝める日がくるとは思っていなかった。

 硬直しているレイになんと声をかけるかイリスは迷ったが、結局はありきたりな言葉だった。


「大丈夫?」

「あぁ……」


 硬直しているレイを他所に、アグニが呼びかけた。


「シヴァ……起きて」


 アグニの声に呼応するように、レイの胸元にある神霊石が白銀の粒子を散らす。それは細雪のように幻想的だった。


 じわりと温もりがあった神霊石は、雪が舞うと共に徐々に温度を下げていく。

 レイは冷たくなった石に触れると、命が宿る気配を感じ、すぐさま敬意を持って大地に石を置いた。


 神狼の神霊石が冷気を生じて凍る。雪の結晶が石に触れた瞬間——。

 刻まれた月の模様から、凄烈な月明かりが溢れ出す。

 水蒸気が昇華し、霜が降りる。そこに、音もなく大地を踏みしめる美麗な獣。


 神狼——シヴァの顕現である。


 凛然とした佇まいに、アグニ以外は言葉を発することができなかった。


 シヴァからは高潔さと厳粛な雰囲気が漂い、安易に声を出すことさえ憚られた。


「シヴァー! 会いたかったよー!」


 イリスの姿をしたアグニが、無遠慮にシヴァの首元へ抱きつく。

 シヴァの艶やかでふわりとした毛並みに顔を埋め頬を緩めるアグニとは対照的に、シヴァは表情を曇らせた。


「涙と鼻水を拭け。我の毛並みが汚れる」


 心底嫌そうな声音で、女神の涙と鼻水が汚いと批判した。


「再会して、開口一番がそれ……?」

「我は綺麗好きだからな」


 膨れっ面のアグニが、子供のように責め立てる。

 シヴァはアグニに苦言を呈しつつも、僅かに尻尾が揺れていた。

 

 

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