第22話 過ぎた力は身を滅ぼす

「わたくしは、ルバーブ大司教様こそが上に立つべき唯一のお方だと思っております。よろしければ、こちらを……」


 ルバーブは、布で隠すように包まれた物を胡乱げな表情で受け取る。

 布を捲ると、思わず息を呑んだ。

 そこには黒く禍々しい石が転がっていた。飴玉よりも小さく丸い石は、黒曜石とよく似ていた。


「……目的はなんだ?」

「目的などとは、滅相もございません。この石はあなた様の野望を叶えるために、きっとお役に立つはずです。わたくしは、ルバーブ様を応援したいという……ただその一心のみでございます」


 商人の男は恭しく一礼すると、足音も立てずに去って行く。


 ルバーブも闇の石の危うさは知っていた。

 だが、驕りがあった。自分なら上手く使える、という根拠なき自信。


 商人の男が扉を出る間際に「ああ!」と何かを思い出したように振り返る。


「一つだけ、お伝えし忘れていたことがございました。もしも……万が一ですよ? あなた様が窮地に陥るようなことがあれば、その時は起死回生の裏技がございます……それは——」





「——闇の竜となり、神の化身として愚か者共に鉄槌を下すのだ! ハハ……フハハハハッ!」


 ルバーブの極々小さく呟く声から位置を探り、レイとイリスが辿り着いた時、独り笑う男の姿があった。空虚な空の下、天を仰ぎ笑うルバーブからは不穏な空気が流れていた。


 ルバーブの持つ闇の石からは、仄暗い光が蠢く。

 黒い靄がルバーブを覆い隠すと、狂気じみた嗤い声が次第に遠退いていく。すると今度は、ルバーブの苦痛に歪んだ割れんばかりの叫び声が耳を劈く。

 その悲鳴もついには枯れ果てたかと思うと、身動きひとつせずに倒れ込んだ。


 異様な雰囲気に、イリスはただそれを見ていることしかできなかった。ルバーブの身に何が起きたのか理解が追いつかない。


「……生きてるよね? 闇の竜って何?」


 隣にいたレイも答えを持たない。

 

 イリスの腰に提げていた袋から、虹色の光が漏れ出す。

 その光に気づいたイリスは、女神の石に触れる。


 ドクンッ……ドクンッ……。


「女神の石から鼓動を感じる」

「今までに、こんなことは?」

「ないよ、初めて。……光も強くなってる」


 レイも触れようとしたその時——。


 闇を打ち消すように、鮮烈な彩光が飛散した。全ての色を備えた美しく豊かな虹色の光。

 輝きは粒子となり一所に集まると、儚くも威厳に満ちた人の形を造る。

 透き通るような白い肌に、ゆるく波打った黄金色の髪。光の加減で色が変わる虹色の瞳を持った神秘的な女性が現れた。

 

「……時が来てしまったのね」


 諦めとも、悲しみとも言えないような女性の声は鈴の音のように澄んでいた。


「女神……様ですか?」


 答えはわかっていた。それでもイリスは、尋ねずにはいられなかった。


 女神の不思議な虹色の瞳が細められ、朗らかに微笑むと、周囲に華が舞うような錯覚を覚える。女神の微笑み一つで、その場の空気が変わった。


「ええ。私が女神——アグニよ」


 アグニはすぐにイリスから視線を外し、ルバーブだったもの——闇の竜に向き合う。


 イリスに背を向けたまま、アグニは話す。


「……巻き込んでしまって、ごめんなさい。でも、貴女じゃなきゃダメだったの」

「それってどういう……?」


 声とも呼べない闇の竜の咆哮に、空気がビリビリと震える。

 闇の竜は本能のままに口を開き炎球を作り出すと、アグニに狙いを定めた。

 吐き出された炎球の速度は、決して速くはなかったが、巨大な炎球は焼失範囲が広過ぎる。逃げても回避することはできない。


 アグニは慌てる様子もなく、片腕を上げる。

 虹色の光が独特な魔術図を描き、そこにアグニの指が触れた。

 その魔術図から無限とも思える水のうねりが生ずると、炎球を凌駕するほどの大波が闇の竜を呑み込んだ。


「すごい……」


 イリスは大きな力のぶつかり合いに、感嘆の声を漏らす。

 レイも頷きかけて、アグニの様子に違和感を抱く。アグニの肩が不自然に上下に動き、息も乱れている。


 力の消費はわかるが、それにしても消耗しすぎでは?


「アグニ様、大丈夫ですか?」


 レイは女神を心配するなど不敬かもしれないと思いつつ、疲弊した様子を無視することはできなかった。


「女神様、完全ジャナイ。力足リナイ」


 不意に地面から声がした。イリスとレイは声の主を探す。


 この低い声と特徴のある話し方は……!


「土竜ーー!!」


 イリスは思わず抱きついた。


「放セ、下僕。気色悪イ」

「その憎まれ口すら、久しぶりで愛おしい」


 土竜姿の土の精霊は、イリスに軽い平手打ちをかますと器用に腕からすり抜けた。

 アグニが出現する際の光に紛れて、土竜も姿を現していた。


「完全じゃない……とは、どういうことだ?」

「その質問には、私が答えるわ」


 レイの疑問に反応したのはアグニだ。


「闇の力は徐々に力を増していて、それをずっと私の力で抑えていたの。国が豊かになることを望んでいたけど、人々の間で格差ができるようになると、心に負の感情を抱く者が増えた……皮肉なものよね」

「ダカラ今ノ女神様、力半分シカ出セナイ」

「もう何百年もそんなことを繰り返してる。この実体を保つのも、実はやっとなの……」


 眉尻を下げながら弱々しく笑うアグニの姿は、想像していた女神像とは異なっていた。

 イリスは"女神"という存在は、強く万能で全てを統べるような堂々たる人物をイメージしていた。


「闇の竜は人の体を奪い、言うなれば"鎧"を得て力を発揮しているけど、今の私は一糸纏わぬ裸の状態で戦っているようなもの……しかも、この瘴気の中での実体化はじわじわと力が削られている」


 アグニは深呼吸すると、再び飛んできた炎球を水の奔流で打ち消した。


「それでもまだ希望を持って諦めない人がいる限り、私は女神で在り続けることができる!」


 アグニの瞳に生気が漲り煌めいた。

 闇の竜は、毅然としたアグニの態度から神々しい力を感じとると、お気に入りの玩具をみつけた子どものように無邪気に嗤った。

 

 悦んでいる?


 イリスは背筋が凍るような不快感を覚えた。


 この闇の竜には目的がない。純然たる破壊衝動のみで闇が光を奪おうとしている……そんな風にイリスは感じた。

 もうルバーブの人としての感情や理性は見受けられなかった。


「私に何かできることはありませんか? さっき、貴女じゃなきゃって……」


 意を決してアグニに問いかける。

 アグニは頷くと徐に口を開いた。


「お願いしたら、なんでもしてくれる?」


 アグニは、窺うような上目遣いで可愛いさを振り撒いた。

 先程までの緊迫感が薄れる。


「えっ、まあ……私にできることなら……」


 少し嫌な予感がしたイリスだったが、魔力もないし大したお願いはされないだろうと、楽観的に考えていた。

 アグニが満面の笑みを浮かべる。


「貴女の身体を貸して」


 イリスは数秒時が止まり、言葉を失った。

 

 

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