第22話 過ぎた力は身を滅ぼす
「わたくしは、ルバーブ大司教様こそが上に立つべき唯一のお方だと思っております。よろしければ、こちらを……」
ルバーブは、布で隠すように包まれた物を胡乱げな表情で受け取る。
布を捲ると、思わず息を呑んだ。
そこには黒く禍々しい石が転がっていた。飴玉よりも小さく丸い石は、黒曜石とよく似ていた。
「……目的はなんだ?」
「目的などとは、滅相もございません。この石はあなた様の野望を叶えるために、きっとお役に立つはずです。わたくしは、ルバーブ様を応援したいという……ただその一心のみでございます」
商人の男は恭しく一礼すると、足音も立てずに去って行く。
ルバーブも闇の石の危うさは知っていた。
だが、驕りがあった。自分なら上手く使える、という根拠なき自信。
商人の男が扉を出る間際に「ああ!」と何かを思い出したように振り返る。
「一つだけ、お伝えし忘れていたことがございました。もしも……万が一ですよ? あなた様が窮地に陥るようなことがあれば、その時は起死回生の裏技がございます……それは——」
◇
「——闇の竜となり、神の化身として愚か者共に鉄槌を下すのだ! ハハ……フハハハハッ!」
ルバーブの極々小さく呟く声から位置を探り、レイとイリスが辿り着いた時、独り笑う男の姿があった。空虚な空の下、天を仰ぎ笑うルバーブからは不穏な空気が流れていた。
ルバーブの持つ闇の石からは、仄暗い光が蠢く。
黒い靄がルバーブを覆い隠すと、狂気じみた嗤い声が次第に遠退いていく。すると今度は、ルバーブの苦痛に歪んだ割れんばかりの叫び声が耳を劈く。
その悲鳴もついには枯れ果てたかと思うと、身動きひとつせずに倒れ込んだ。
異様な雰囲気に、イリスはただそれを見ていることしかできなかった。ルバーブの身に何が起きたのか理解が追いつかない。
「……生きてるよね? 闇の竜って何?」
隣にいたレイも答えを持たない。
イリスの腰に提げていた袋から、虹色の光が漏れ出す。
その光に気づいたイリスは、女神の石に触れる。
ドクンッ……ドクンッ……。
「女神の石から鼓動を感じる」
「今までに、こんなことは?」
「ないよ、初めて。……光も強くなってる」
レイも触れようとしたその時——。
闇を打ち消すように、鮮烈な彩光が飛散した。全ての色を備えた美しく豊かな虹色の光。
輝きは粒子となり一所に集まると、儚くも威厳に満ちた人の形を造る。
透き通るような白い肌に、ゆるく波打った黄金色の髪。光の加減で色が変わる虹色の瞳を持った神秘的な女性が現れた。
「……時が来てしまったのね」
諦めとも、悲しみとも言えないような女性の声は鈴の音のように澄んでいた。
「女神……様ですか?」
答えはわかっていた。それでもイリスは、尋ねずにはいられなかった。
女神の不思議な虹色の瞳が細められ、朗らかに微笑むと、周囲に華が舞うような錯覚を覚える。女神の微笑み一つで、その場の空気が変わった。
「ええ。私が女神——アグニよ」
アグニはすぐにイリスから視線を外し、ルバーブだったもの——闇の竜に向き合う。
イリスに背を向けたまま、アグニは話す。
「……巻き込んでしまって、ごめんなさい。でも、貴女じゃなきゃダメだったの」
「それってどういう……?」
声とも呼べない闇の竜の咆哮に、空気がビリビリと震える。
闇の竜は本能のままに口を開き炎球を作り出すと、アグニに狙いを定めた。
吐き出された炎球の速度は、決して速くはなかったが、巨大な炎球は焼失範囲が広過ぎる。逃げても回避することはできない。
アグニは慌てる様子もなく、片腕を上げる。
虹色の光が独特な魔術図を描き、そこにアグニの指が触れた。
その魔術図から無限とも思える水のうねりが生ずると、炎球を凌駕するほどの大波が闇の竜を呑み込んだ。
「すごい……」
イリスは大きな力のぶつかり合いに、感嘆の声を漏らす。
レイも頷きかけて、アグニの様子に違和感を抱く。アグニの肩が不自然に上下に動き、息も乱れている。
力の消費はわかるが、それにしても消耗しすぎでは?
「アグニ様、大丈夫ですか?」
レイは女神を心配するなど不敬かもしれないと思いつつ、疲弊した様子を無視することはできなかった。
「女神様、完全ジャナイ。力足リナイ」
不意に地面から声がした。イリスとレイは声の主を探す。
この低い声と特徴のある話し方は……!
「土竜ーー!!」
イリスは思わず抱きついた。
「放セ、下僕。気色悪イ」
「その憎まれ口すら、久しぶりで愛おしい」
土竜姿の土の精霊は、イリスに軽い平手打ちをかますと器用に腕からすり抜けた。
アグニが出現する際の光に紛れて、土竜も姿を現していた。
「完全じゃない……とは、どういうことだ?」
「その質問には、私が答えるわ」
レイの疑問に反応したのはアグニだ。
「闇の力は徐々に力を増していて、それをずっと私の力で抑えていたの。国が豊かになることを望んでいたけど、人々の間で格差ができるようになると、心に負の感情を抱く者が増えた……皮肉なものよね」
「ダカラ今ノ女神様、力半分シカ出セナイ」
「もう何百年もそんなことを繰り返してる。この実体を保つのも、実はやっとなの……」
眉尻を下げながら弱々しく笑うアグニの姿は、想像していた女神像とは異なっていた。
イリスは"女神"という存在は、強く万能で全てを統べるような堂々たる人物をイメージしていた。
「闇の竜は人の体を奪い、言うなれば"鎧"を得て力を発揮しているけど、今の私は一糸纏わぬ裸の状態で戦っているようなもの……しかも、この瘴気の中での実体化はじわじわと力が削られている」
アグニは深呼吸すると、再び飛んできた炎球を水の奔流で打ち消した。
「それでもまだ希望を持って諦めない人がいる限り、私は女神で在り続けることができる!」
アグニの瞳に生気が漲り煌めいた。
闇の竜は、毅然としたアグニの態度から神々しい力を感じとると、お気に入りの玩具をみつけた子どものように無邪気に嗤った。
悦んでいる?
イリスは背筋が凍るような不快感を覚えた。
この闇の竜には目的がない。純然たる破壊衝動のみで闇が光を奪おうとしている……そんな風にイリスは感じた。
もうルバーブの人としての感情や理性は見受けられなかった。
「私に何かできることはありませんか? さっき、貴女じゃなきゃって……」
意を決してアグニに問いかける。
アグニは頷くと徐に口を開いた。
「お願いしたら、なんでもしてくれる?」
アグニは、窺うような上目遣いで可愛いさを振り撒いた。
先程までの緊迫感が薄れる。
「えっ、まあ……私にできることなら……」
少し嫌な予感がしたイリスだったが、魔力もないし大したお願いはされないだろうと、楽観的に考えていた。
アグニが満面の笑みを浮かべる。
「貴女の身体を貸して」
イリスは数秒時が止まり、言葉を失った。
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