第1章 寂しがりのユニコーン03

  その後、サフィーとアリトンは共に腰を下ろし、他愛もない雑談に花を開かせた。アリトンは自身のこれまでの旅の出来事を、彼女に語り合った。ゴブリンの盗賊団に出くわしたり、村を覆いつくす程巨大なドラゴンと遭遇したりと、嘘か真かがあやふやなものばかりだ。だがサフィーはアリトンの語りに疑いなど一片も抱かず、彼の奇想天外な冒険譚に目を輝かせていた。


「……凄いですね。貴方は世界中を旅して、色々なものを見てきたんですね!」


「アハハ、そんなに褒められることでもないさ。僕はただ見てきた“だけ”さ。物語の英雄ならば、悪鬼やドラゴンを退治するために動いた筈さ。でも、僕はただそれらに出会って、逃げ出しただけ。全く誇れることじゃないよ」


それまで明るかった男の声色が若干曇る。


「そ、そんなことないですよ!私なんて生まれてから一度も森から出かけたこともないんですから……」


「……あぁ、それが正解さ。外の世界はは危険だよ。君の“魅惑の魔法”も森の中でしか効果を発揮しないんだからね。それに、森の外では、薄汚い化け物が我が物顔で闊歩してるんだ。一歩でも外に出れば、あっという間に奴らの餌食さ」


「こ、怖がらせないでくださいよ……」


「いや、これは本当の話だよ」


これまでお茶らけていた男の顔に、突如真剣な表情が浮かび上がる。


「いいかいサフィー?この森からは決して出てはいけないよ?君には自覚はないかもしれないけど、ユニコーンはとっても特別な存在なんだ。傲慢で強欲な怪物達が、喉から手が出る程欲しがるぐらいにね」


「う~ん、そこまで言われると逆に気になってくるかも……?」


「あぁ!ダメダメ!そんなことに興味持っちゃ!後から絶対後悔することになるんだから!絶対森の外に出ないでよ!絶対だよ!?」


「わ、分かりましたよぉ……」


男の圧に押され、サフィーは鬣が乱れる程の勢いで頭を縦に振った。正直、彼女自身も森の外へ出ることを恐れていた。なのでアリトンがここまで釘を刺す必要は正直なかった。


「……もっと、もっと明るい話をしてくださいよ。何も貴方は怪物ばかりを見てきたわけではなのでしょう?」


「……それもそうだね。じゃあ次は妖精王に目玉をくり抜かれそうになった話をしようか」


「ま、また怖い話……」


サフィーがさっと首を引く。


「ハハハ、大丈夫さ。話の最後では大爆笑してる筈だから!」


「本当かなぁ……?」


少々の不安を抱きつつも、結局サフィーはアリトンの冒険譚の続きに耳を傾けた。


 

 あっという間に時間は過ぎていき、気づいた時には日が沈み始めていた。夜の森は相応に危険だ。腹を減らした獣たちが狩りを始める為である。彼らの前では人の身はあまりに無力だ。それはちっぽけな魔術師とて例外ではなかった。


「……おっと、君と話していたらもうこんな時間か……」


アリトンはポケットに入れていた懐中時計を見て呟く。


「それじゃあ、僕はそろそろ帰らないといけないね。夜に森の中にいる人間なんて、熊や狼の御馳走でしかないしね」


「え⁉そんなぁ……」


サフィーの耳がシュンっと垂れ下がった。


「まぁそう気を落とすことはないだろう?元来ユニコーンはその生涯を孤独に生きていくものなんだからさ」


「私は……独りぼっちは……嫌です……」


「そうなる気持ちも分かるさ。人間だって、仲良くなった誰かと別れを告げるのは辛いものさ。でも、辛いのはサヨナラしてからほんの少しの間だけ。結局次の日からは普通に生きていくものなんだよ。


「……」


「今日僕とであったことは忘れないでほしいかな?それじゃあサフィー、元気でね。悪い密猟者に捕まらないでよ?」


アリトンはそう言い残し、サフィーに背を向けて歩き出す。


――この日初めて出来た“友達”が去っていく。もう、二度と会えないかもしれない友達が……。そうなれば、私はまた独りぼっちに逆戻り……。


そんな思考が巡った刹那、彼女は既に行動していた。


「だめ……行かないで!」


サフィーはアリトンのローブに噛みつき、彼を強引に引き留めた。


「うおっ!な、なんだい⁉」


突然の足止めにアリトンは転びそうになるが、サフィーが咄嗟に彼の背中を抑えた為、服が泥まみれなることは避けられた。


「サ、サフィー?どうしたんだい?」


「ご、ごめんなさい。私、我儘して……」


サフィーは自分の傲慢さを恥じ、慌ててアリトンに謝罪した。彼女自身、何故このような行為に出たのかを上手く理解出来ていなかった。ただ一つ確かなのは、彼女は“会話”という行為が好きになっていたということだ。サフィーはこの日、初めて誰かと言葉を交わし、会話を楽しむという経験をした。それは彼女が抱く筈の無かった孤独を打ち消していき、胸に空いた空白を満たしてくれたのだ。だからこそ、自分とのお話を楽しむ相手が消え、また独りぼっちになることを恐れていたのだ。


 対してアリトンはただただ驚いていた。人を森に引き留めるユニコーンなんぞ前代未聞だ。あわよくば彼女の好意を利用し世界で初めてユニコーンを生け捕りに……なんて邪悪な発想を頭からかき消し、彼はサフィーに対して質問を投げかけた。


「な、何で僕のことを引き留めたんだい?」


「……ごめんなさい……本当にごめんなさい……」


「いや謝らなくたっていいさ。別に怒ってないよ。ただ、何で僕をローブに噛みついてまで引き留めたのか知りたいんだ」


「それは……とっても、とっても我儘な理由です……。ただ、寂しかった……から……。また独りぼっちになるのが嫌だった……から」


サフィーはそれを幼稚な理由だと自虐し、アリトンからは幻滅されるだろうと覚悟していた。だが彼女の予想に反して、彼の返答は優しいものだった。


「……フフフ、君は本当に変わったユニコーンなんだね」


「え?」


アリトンは震えるサフィーの元に歩み寄る。彼は決して彼女の身体に触れることはなかった。ユニコーンは世界で一番清浄な生き物であるべきであり、決して人が触れざるものであるべきだからだ。例え当の彼女が自分に友好的でも、それを利用してユニコーンと距離を縮めようとするのは言語道断だ。賢明な魔術師であったアリトンはそこをしっかりと心得ていたのだ。


「君がそこまで望むのなら……僕はまた、この森に訪れるよ」


「え!ほ、本当ですか⁉」


「ただ、毎日君の元に行ける訳じゃない。僕たち人間の世界はその……色々としがらみが多いんだ」


「構いません。貴方がまたこの森に来てくれるということが知れれば……望んで待ち続けますよ」


サフィーはニッコリと笑みを浮かべた。


「そ、そんなに喜ばれると少し……照れるなぁ……。あ、でも今日はもう帰らせてもらうよ。君の後ろからおっかない者達が僕を睨みつけているからね」


アリトンは魔法の力でサフィーの裏に潜む獣達を察知してた。そして彼らが彼女と違って自分に友好的ではないことも察していたのだ。


「それは……確かに間違いありませんね。彼らにとって貴方は森の異物でしかないのかもしれません……。い、いや!私は貴方のことをそんな風には思っていませんよ⁉」


「ハハハ、分かってるさ。君はちょっと気を遣い過ぎだよ。僕達、もう“友達”って言える関係だろう?」


?ともだちとは一体……」


友達……生まれて初めて聞く単語に、サフィーは首を傾げた。


「あぁ、そうか。ユニコーンが友達って概念を知っている筈がないか……」


「えぇ、でもきっといい意味なんですよね?」


「あぁ、それは間違いない。それで……えぇっとね、友達というのはその……」


アリトンは頭を捻り、“友達”を言い表す言葉を自身の脳内から探し求めた。普段当たり前のように使う単語をいざ説明しろというのは、中々に難儀なことだ。数秒間の思考の末、彼は単純ながらこうとしか言いようのない答えを導き出した。


「……そう!とっても親しい関係ってことだ!」


「親しい関係?」


「この人とはまた会いたい、お話したいってことさ!」


「なるほど……まさに今の私と貴方とのことを指していますね!」


サフィーが瞳を輝かせ、その場で軽く飛び跳ねた。内心アリトンも自分がユニコーンに友達と認められたことに大はしゃぎだった。だが、彼女の前では大人ぶりたかったが為に喜びをグッと胸に抑え込んでいた。


「あぁ、それは間違いないさ……ってもうこんな時間じゃないか!」


既に日は地平線に落ちかけている。もうじき夜に突入してしまうだろう。


「まぁ大変!早くお家に帰らなければ!」


「家?僕の家……ま、まぁいいさ。じゃあ、今日はここでお別れだ」


「こ、こういうときは“さようなら”と言うんでしたっけ?」


「うん、それで合ってる」


「そ、それじゃあさようなら~!またここに来てくださいね!」


サフィーは前足を振ってアリトンを見送る。彼もそれに応えて手を大きく振り返した。


「勿論そのつもりさ!またこの森に来れる時がいつになるかは分からないけどね。でも、出来る限り早く来れるようにするつもりさ」


「それは良かった!私はいつだってこの森で待っていますよぉ~」


サフィーの言葉にアリトンは笑みを浮かべ、彼女に背を向けそっと立ち去っていった。サフィーはその姿が夜の陰りに隠されるまで、ずっと眺め続けていた。


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 彼女の背後には一つの影があった。赤く燃えるような姿に七色の翼を持った猛禽……。言うまでもなく“不死鳥”だ。彼女もユニコーンと同じように、条件さえ揃えば永遠に生き続ける存在だ。その瞳はサフィーに負けず劣らず澄み切っていたが、そこからは鋭く冷たい視線が伸びていた。


「愚かな、永遠なる幻獣が定命なる人と馴れ合うなど……」


不死鳥は自信を絶対的で不変なる存在だと自負していた。彼女にとって他の生物は自分より遥かに劣って見えるのだ。特に人間は卑小な割に、群れて傲慢に振る舞っていると見なし、特段嫌悪していた。だが、彼女は進んで人を殺しはしない。他の命を奪うことは、不死鳥にとっては汚らしいことだからだ。


――彼女はただ生き続ける、地上から人が消え失せるまで


「……まぁいいでしょう。私には関係ないことです」


吐き捨てるように言い、彼女は煌めく翼を広げて飛び去って行った。

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