第1章 寂しがりのユニコーン02

 風の強い日のことだ、サフィーがいつも通り森の中を駆けていると、獣道に見慣れぬ足跡を見つけた。それは兎でも狼でもない、人の靴の跡だった。


「あらら、また人間が迷い込んじゃったのかしら?」


彼女の森に最後に人が迷い込んだのは、もう五年前のことだ。


「さぁ、今回はどんな人間がやって来たのかしら?フフッ、楽しみね」


森にやって来る人間は十人十色だ。そんな彼らとの邂逅は彼女の楽しみの一つとなりつつあった。今回はどんな人間がやって来たのか?彼女はそんな期待を膨らませながら、足跡を追って走り出した。


 足跡は森のずっと奥に続いていた。だが、その跡はいつもとは少し違う。蛇のように畝っているのではなく、直線に伸びているのだ。これは意図せず森に迷い込み、当てもなくフラフラと歩いている遭難者のものとは少し異なる。この足跡の主は、何か明確な目的をもってこの森にやって来たようだ。


「もっと先に行ってしまう前に連れ戻さなくては。お腹を空かせた獣に食べられちゃうかもしれないわ!」


針のような枝の間を慣れた様子で抜けていき、彼女はすぐさま足跡の主の元にたどり着いた。森の中にポツンと出来た小さな広場、そこに背の高い男が一人佇んでいた。


 男は質の良いコートを身に纏い、フードを深々と被っていた。その手にはペンとメモ帳を握っており、周囲の植物のスケッチを描いていたようだ。だが眼前にユニコーンが立っていることに気づくと、そそくさとメモ帳を閉じた。


「おや、噂は本当だったみたいだね。本当にユニコーンがいるなんてね。う~ん、遠出してきた甲斐があったよ」


「え?貴方は……何者ですか?」


彼女は大層驚いた。何せ自分に話しかけてきた人間など、これまで一人たりともいなかったのだから。そう考えると、今目の前に立つ人間は只者ではない……。そんな考えが彼女の脳裏を過る。言われもない警戒心が彼女の内に沸き上がる。そうして気づいた時にはもう一歩二歩、後退っていた。


「あ!待ってくれ!何も君を捕まえにきたんじゃないんだ!」


ユニコーンを怯えさせてしまったと思ったのか、男はその柔和な声で彼女を引き留めた。そして深々と被ったフードを彼女の前で脱いだ。そこから現れたのは金髪で美形の青年だった。


「あ、えぇ?どういう……」


「まぁ、そんなに怖がらないでくれよ。僕はただ君に会いに来ただけさ。ここでひっ捕らえて、サーカスに売り飛ばしたりなんかしないからさ」


「お話?」


その言葉にユニコーンは食いついた。彼女は兼ねてからこの森を訪れる人々に興味を持っていた。そんな好奇心の対象とこうやって会話出来る機会がこの先あるかは分からない。ならば、この機会を逃すわけにはいかないだろう。


「……えぇ、構いませんよ」


「え!?本当に?」


思わぬ乗り気な姿勢に、アリトンも困惑していた。だが彼もまた『ユニコーンと対話する』というビッグチャンスを逃すつもりは毛頭なかった。


「君が良いというならば……その言葉に甘えさせてもらおう。じゃあ、改めて自己紹介だ。僕はアリトン、君の名前は?」


「えっと、ユニコーンのサフィーです。どうぞよろしく……」


サフィーの自己紹介は、何処かぎこちないものだった。人と初めてまともに会話するのだ、無理もない。


「ごめんなさい、しどろもどろなってしまって……。私、こうやって誰かとお話するのは初めてなんです……」

 

「……まぁ、君が困惑するのも分かるさ。僕みたいに君に話しかけてきた人がいなかったんだろう?」


「え、え?まぁ……そう……」


「その返答からして図星みたいだね?いや、別に恥じることじゃない。恐らく君が出会ってきた人間達はみな君の“魔法”にかかってしまったんだろうね。幸いなことに、僕は君たちのそれから逃れる術を知っている“魔法使い”なのさ」


「え?……?……?」


聞いたことのない単語に、彼女は間の抜けた声を上げる。ユニコーンは高い魔力を持っている。だが彼らは魔法という概念を理解していなかった。その為か、ユニコーン達は無自覚の内に魔法を行使している。上述した春を起こす能力もその内の一つである。


「おっと、君たちユニコーンは魔法が何なのかを知らないんだね?」


「え、えぇ。恥ずかしながら……」


「だから、別に恥じることじゃないさ。無知を自覚し、智を得ようとする姿勢が最も大事なんだからね」


「ちょ、ちょっと!む、無知って!」


見栄っ張りなユニコーンは頬を赤らめ、男の元に二三歩程詰め寄った。


「ごめんごめん!別に君を馬鹿にしたわけじゃないさ」


「本当に?」


「本当さ!僕は君と喧嘩しに来た訳じゃないんだぞ?」


「ふぅん……」


ユニコーンの彼女は目を細め、男の顔を疑り深く見つめる。


「……その様子、全く信じていないようだね?」


「……まぁ、そうですね」


「何故だい?僕は君にとってそんなに疑わしい存在なのかい?」


「いや、貴方のことは疑っていませんよ」


「……?じゃあ何を疑っているんだい?」


「まほう……ですね。そもそも?とは何なのですか?」


「あぁ、何だ。そこからかい?……魔法とは何なのか?う~ん難しい質問だね……」


アリトンは頭を捻った。目の前にいるユニコーンにも分かるように“魔法”というものを説明するのは相当困難なことだ。眠くなるような魔法理論を話す訳にもいかず、とうとう彼は言葉で説明することを諦めた。


「……まぁ、魔法を理解してもらうには口頭で説明するよりも見てもらった方が早いか。見逃さないでくれよ?これが魔法だ!」


そう啖呵を切った男は手を突き出し、何やら呪文を唱え始める。すると彼の手が煙に包まれたかと思うと、そこには一凛の小さなチューリップが握られていた。男の唱えた魔法はそこまで高度なものとは言えず、殆ど手品じみたものだった。だが、そんなちっぽけな魔法にもユニコーンは目を輝かせていた。


「まぁ!可愛いお花!私の森には咲いてない子ね!」


「フフッ、喜んでもらえて嬉しいよ。これはチューリップって花だ。随分と昔に見た花さ。まぁ、これは魔法で生み出した偽物だ。本物のそれの輝かしさには遠く及ばないよ」


「そうなのですか?でもこのお花もこんなに瑞々しく……」


彼女が鼻先でチューリップを小突くと、それは直ぐさま光の粒子となって散ってしまった。


「あぁ!お花さん……」


「ね?言った通りだろう?まぁ、でもこれが“魔法”さ。ないものを生み出し、あるものを消し去る……魔法というのはそういうものさ。そうして僕は、そんな魔法を沢山知って、使いこなせる“魔法使い”って訳さ」


「う~ん、何となくは理解しました」


ユニコーンは首を縦に振った。


「――でも、『ないものを生み出す』ってことも魔法といえるのなら、私にも使える魔法があります。それもとびっきり凄いものが!」


「ほう、随分と自信満々だね。それで、君の使える魔法とは一体どんなものなんだい?」


「辺りをお花畑する魔法です!」


ユニコーンの彼女は得意げな表情を浮かべ、その場でぴょんと跳ねた。


「う~む、そいつは正しくユニコーンらしい魔法だね。是非僕にも見せてくれないか?」


「もちろんです!ちゃんと見ててくださいよ?」


「当たり前さ」


「フフフ、じゃあ始めますね……」


ユニコーンはそう言うと、地面にその割れた蹄を打ち付ける。最初の内は、ただ土が舞い上がるだけだった。だが三回目で、次第に彼女の神秘的な魔法がその片鱗を見せ始めた。


「こ、これは……」


彼女が何度も足踏みをする中で、その足元から春の陽気が湧き始めたのだ。それは不可視であったが、アリトンは生物としての本能でそれを感じ取ることが出来た。


「そ~れ!」


そして特段強い踏み込みと同時に、春の陽気は彼女を中心に波紋のように広がっていく。そしてその波が過ぎた後から、多種多様な花々が一斉に顔を出し始めた。スイートロップ、クロッカス、チオノドクサ、そしてヤブイチゲ……。本来ならもう少し先で芽吹く筈だったであろう花達だ。気づけば、ついさっきまで二人のいた森の開けた空き地は、一瞬にして花畑と化していた。


「す、凄いな……聞いていた以上だ……」


男は感嘆のあまり思わず膝をつき、足元に咲いていたクロッカスを手に置いた。


「間違いない……本物だ。本物の花だ!これは……これはとんでもないことだぞ!?」


「え?これがそんなに凄いことなのですか?」


「凄いことさ!」


アリトンは即答して顔を上げた。


「ユニコーンが高い魔力を持った種族であることは、魔法使いであれば誰だって知っている常識さ。だけど、君たちがこうやって自分達の魔力を応用するところを見た者は誰もいないのさ!本当にありがとう!僕にこんな魔法を超えて“奇跡”に近しいものを見せてくれて!」


「い、いえ。そこまでのことでは……。実はこれ、なんです……」


「イカサマだって!?一体どういうイカサマなんだい?」


「あの、私はさっき貴方が言った『ないものを生み出し、あるものを消し去る』という魔法のルールを守れていなかったのです……」


「ほうほう……」


アリトンはそこからは口を挟まず、静かに彼女の弁解を聞いていた。


「私がさっきやったことは、この世界に生まれたのに綺麗な花を咲かせることが叶わなかった種たちを、起こしてあげただけなんです。種たちはとっても頑強ですからね。私が頬を軽く小突くだけで、彼らは簡単に顔を出してくれるのですよ。だから、さっき私がやったことは魔法ではありません。それっぽく見せかけた、“ただの手品”なんです……」


「なるほどね……」


男は顔を抑えて、隙間風のような声を出す。


「あの……もしかして泣いているのですか?」


「いや、笑ってる」


「え?」


ここでアリトンの笑いの間欠泉が吹き出した。


「君のその発言、“本物の”手品師が聞いたらどんな反応するんだろう!」


そして森全体に響き渡る程の笑い声を上げた。


「……私、そんなに可笑しいこと言いました?」


「いや、君を馬鹿にしている訳じゃないんだよ!?ただ、君がその……過ぎてね……」


「……!?純粋なのが……可笑しいんですか!?わ、笑わないでくださいよぉ……」


ユニコーンは頬を膨らませて、そっぽを向いた。


「まぁまぁ、そんなに怒らないでくれよ。僕の伝え方が悪かったんだ。“ないものを生み出し、あるものを消し去る”――確かにこれは魔法の基本的な形さ。だけど、それに当てはまらない“特別な魔法”もあるのさ」


「……というと、私がさっき使ったのは特別な魔法だったということですか?」


「そう言わざるを得ないね。あれはとんでもない魔法だよ。一度眠り朽ちた種を目覚めさせる魔法なんてね……。多分、我々がどれだけ研究を重ねても、君のこの特別な魔法は再現出来ないかもしれない。……うん、あれは正しく“春風の魔法”だね。君が初めて定義し、君だけが使える特別な魔法さ」


「春風の……魔法。何だかいい響きですね」


「あぁ、僕もそう思うよ……」


その刹那、力強い風が二者の間を吹き抜けた。それに靡かれ、辺りの花々が一様に揺れていた。まるでそこに立つ二人の意見に相槌を打つかのようだ。


「うふふ、お花さんたちもそうだと思っているみたいですね」


「そりゃあそうさ。この子たちは君のお陰で目を覚ますことが出来たんだからね」


そしてまた、アリトンの言葉に頷くかのように、花達は風に靡かれた。

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