〇 オレは崖っぷちに立っている。



 オレは崖っぷちに立っている。風に舞ったお金はいまや海の藻屑だ。

「もったいない。」とDが波しぶきを浴びながら言った。

「くそ。」とオレはつぶやく。

「何やってるんだ。」とDは笑った。

「風のせいだ。」とオレは天を仰いだ。

「もったいない。」とまたDは言って、タバコに火をつけようとするが波風で火がつかない。

「あー。」とオレは半ばやけっぱちで叫んだ。

「すべては無駄ってわけだ。」とDは言った。

「ああ。」とオレはホテルの清掃のことを思った。

「バカだな。」とDはそんなオレを見て言う。

「くそ。」とオレは再び唇を噛む。

「また稼ぐしかない。」とDはタバコをオレに差し出した。

「本当だ。」オレはやめていたタバコに火をつける。

「ここらでも探せば仕事があるだろ。」といい加減なことを奴は言う。

「だといいんだがな。」とオレはタバコを吸いながら感傷に浸る。

「そう落ち込むなよ。」とDはオレの背中を叩いた。

「これが落ち込まずにすむかよ。」とオレは言って、風に身をまかせた。

「タバコ、あとで返せよ。」とDが言ったので、オレは奴のケツを蹴った。

「くそ。」そうつぶやいてオレは歩きだした。

「きっといいこともあるぜ。」とDは後ろから言う。

「かもな。」と言いながら、オレは海に飛び降りたい気持ちだった。

「また女をゲットしてだな。」とDはのたまう。

「ああ。」とオレは適当に返事をする。

「ここをホームにしようぜ。」とDは言った。

「ホームか。」と言って、オレはアウェイな気分になった。

「まさか帰りたいなんて言わないよな。」とDは先を読んで言った。

「東京砂漠。」どこかにオアシスのような女はないものか、とオレは思った。

「住めば都って言うだろ。」とDは吸いさしのタバコを海に投げた。

「都落ちした奴が言うことかよ。」とオレは悪態をついたが、案外Dの言うことは正しいような気もした。


 オレと田中美千代が困っていると、ホテルマンが話しかけてきた。

「その、ペーパーですが。」とオレたちの持っている手紙を指差した。

「ここのホテルの便せん、ですよね。」と美千代は聞いた。

「んーいや、これは姉妹ホテルのものですね。」と彼は言った。

「え?」とオレと美千代は顔を見合わせる。

「ここのじゃないのですか。」とオレはもう一度確認する。

「いえ、似てるのですが。これは三保の松原にあるクロスロード・ホテルのものです。」と彼は言う。

「三保の松原。」と美千代とオレは口を合わせる。

「ええ、ここに松の木が描かれているでしょ。」と彼は言った。確かに左下に松の木がうっすらと浮かんでいる。

「下田じゃなかったんだ。」と美千代が言った。

「うちのはヤシの木が描かれているので。」とホテルマンは下田の便せんを見せてくれた。

「まいったな。」とオレは天を仰ぐ。

「でもよかったよ、教えてもらって。」と美千代が海岸沿いを歩きながら言った。

「そうかもな。」と言いつつ、オレは波風を感じる。

「ここにいないんだね。」と彼女はオレと並んで歩く。

「三保の松原。」とオレは首を振った。

「またドライブだね。」となぜか美千代は嬉しそうにしている。

「そうだな。」とオレはシンプルに答えて、海を見る。

「ナナとDさん、無事だといいんだけど。」と彼女は車に乗り込むと言った。

「ああ。」とオレはハンドルを握りながら言う。

「そこにもいないかもだけど。」と悲観的なことを美千代は言った。

「その可能性もある。」とアクセルを踏んでオレは言う。

「下田、さよなら。」と彼女は窓を開けて言った。

「何しに来たことやら。」オレは海岸沿いを北に向かいながら言う。

「いい思い出?」と美千代はオレの顔を伺いながら言った。

「ここにはいい思い出はない。」とオレは鼻をかきながら答える。

「そうなんだ。」と彼女は言って、窓から外を見た。

「ああ。」海は真っ青で、何色にも染まっていない。


 オレとDはそのまま東京へと戻った。

「結局地元が一番ってわけだ。」とDが言った。

「そういうこと。」とオレは肩をすくめる。

「なけなしの金も消えてしまったしな。」とDがニヤリとする。

「ああ。」とオレは言って首を振った。

「ま、飯くらいおごってやるぜ。」とDは言った。

「ありがとよ。」とオレはDの肩を叩く。

「なんならキャバクラでも行くか。」と酒を飲みながらDは言った。

「いいね。」とオレは日本酒をひっかけて言う。

「東京のネエちゃんはやっぱキレイだからな。」とDは言った。

「そうだな。」とオレはうなずいた。

「歌舞伎町とかはボったくられるからよ。」と言って、オレとDはなぜか中野界隈を練り歩いた。

「ここらの方が値段も手ごろだし、女も素朴だな。」とオレは言った。

「かもな。ここでいいんじゃないか。」とブロードウェイの裏手にあるキャバラクの看板を見てDが言った。

「ああ、任せる。」とオレは答える。

「入ろうぜ。」とDが言って、オレたちはそのキャバラクに入っていった。最初は冴えない店のような気もした。しかし、確かに女の子たちは素朴な感じもして悪くない。キャバラクで働いているからと言って、みんながみんなすれてるわけじゃない。

「なんて名前だ?」とオレは隣の女の子に聞いた。

「カオリです。」と相手は答えた。

「本名じゃないんだろ。」とDが口を出す。

「まぁね。」と相手は笑った。笑顔のかわいい子だった。

「何してるの?」とオレが聞く。

「接客?」と相手は今してることを答えた。

「いや、キャバクラ以外で。」とオレはさらりと聞く。話を膨らませて、どこまで膨らむのかもわからないが。

「んーあのね、シンガーなんだ。」と相手は答えた。

「シンガーってタバコのことか。」とまたDが口を出した。

「それはシガー。歌手よ。」と言って彼女はウィンクしてみせた。

「じゃあ今度聴きに行ってやるよ。」とDが言った。

「ほんとに?」と相手は笑った。

「ああ、連絡先おしえてくれたら。」とDが言う。

「いいよ。」とあっけなく彼女は番号と名前を書いた。

「新井ナナ。」とDはそれを読んだ。


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