〇「下田か。」とオレはつぶやく。


 オレと田中美千代はレンタカーで下田までやってきた。

「下田か。」とオレはつぶやく。

「気持ちいい。」と波風に当たりながら美千代が言った。

「さて、ホテルはこの近くかな。」と海岸沿いを走りながらオレは言う。

「あれじゃない?」と少し遠くに見えるホテルを彼女が指差した。

「ああ、多分な。」とオレは言って、そこにDたちがいることを期待した。

「歩く?」と美千代が言って、オレたちは車を海岸沿いに止めた。

「波音が心地いい。」と彼女は笑った。

「そうだな。」これから修羅場が待っているとは思えないくらいの平和だ。

「こんな所にずっと住めたらいいのに。」と能天気なことを美千代が言った。

「海の底にか。」とオレはくだらないことの一つも言ってみたくなった。

「そんなこと言ってないでしょ。」と美千代は言う。

「奴らは無事見つかるのか。」とオレは独り言のように言った。

「どうかな。手紙が届いたのって、少し前だよね。」とあらたまって彼女は聞く。

「ああ、数週間前。」と言いながら、あんなホテルにずっと監禁することなどできるのだろうかとオレは疑問に思った。

「今もそこにいるか分からないね。」と美千代もオレと同じことを考えているようだ。

「そうだな。」とオレは息を吐きながら言った。空気を吸うと、海の匂いが肺にまで入ってくる。

「その時は?」と彼女はオレの腕をつかんで尋ねた。

「その時はその時だ。」としかオレにも答えようがない。

「ナナ、大丈夫かな。」と美千代は言ったが、その言葉もどこか場違いな感じがする。

「相手が彼女を愛しているというなら。」きっと無事に違いない。

「じゃあDさんは。」と声のトーンを落としながら彼女は言った。

「無事を祈るしかない。」とオレは親友の安否を気遣った。

「警察に言ったほうがよくない?」と歩きながら彼女は言った。

「そうだな。」と言いながら、オレは咳払いをする。

「分かってる。警察は動いてくれないのね。」と彼女は言った。

「ああ。」とオレは答える。あくまで警察は情報源で、お互い利用しあう関係というわけだ。


「どこだここは。」と最果ての岩壁でオレはつぶやいた。

「さぁな。」とDはタバコに火をつける。

「寝てる間に、こんな場所まで来ちまってよ。」オレは遠くへ去るバスの後ろ姿を見た。

「海か、いいね。」とDが言う。

「どこが。」とオレもあらためて海を眺める。

「コバルトブルーとまでいかないが、わるくはない。」とタバコを吹かしながらDが言う。

「だから、どこだよここは。」とオレはもう一度言う。

「どこだっていいじゃねぇか。」と言って、Dは歩き始める。

「いいのかよ。」とオレはホテルで稼いだ金をポケットの中で握りしめる。

「ま、そういうこと。」とDはあくびをした。

「考えようによっては悪くない。」とオレもつられてあくびをする。

「どこかへ道はつながってるんだ。」とDはどこかで聞いたようなことを言う。

「だからってどこだっていいってわけでもなかろう。」とオレはぶつくさ言った。

「地獄の沙汰も金次第。」とDは言って笑った。

「金か。」とオレはポケットの中の札束を数えた。

「おい。」と突然、Dがその金を奪おうとする。

「やめろ。」ジョークのつもりかもしれないが、オレは必死になった。

「冗談だ。」とDが笑う。だけど、その瞬間に思わずオレは転んでしまった。

「おっと。」という拍子にオレの手から札束が離れていく。

「おいおい。」とDが言う間に、お札が風に乗って飛んでいく。

「やばい。」とオレは叫んで立ち上がる。

「拾えよ。」とDも言いながら、空中の札束を掴もうとする。

「拾ってくれ。」とオレも言って、路上の金を拾った。

「風が。」吹いていた。Dはタバコを捨てて、札束に手をのばした。

「クソ。」とオレも千手観音のように手を広げた。

「ああ。」とDが言う。

「血と涙の結晶が。」オレの札束の大半は風に乗って、海の上に消えていった。

「拾おう。」とDは言って、オレを見た。

「この崖を下りてか。」とオレは答える。


「下田にはあまりいい思い出がないんだ。」とオレは田中美千代に向かって言った。

「そうなの?」と気軽に彼女は答えた。

「ああ。」とオレは言いながら、海風に身を預ける。

「いい所だけど。」と言って彼女とオレはヤシの木なんかが並ぶ道路を仲良く歩く。その先の十字路にクロスロード・ホテルはあった。

「見た感じは悪くない。」とオレは言った。

「受付でなんて聞こうか。」と美千代は現実にオレを引き戻す。

「そうだな、この手紙を見せるか。それとも。」とオレは答える。

「それとも?」と彼女はなぜか楽しそうだ。

「それとも、まぁ男性二人と女性一人を探していることを告げるんだな。」とオレは言った。

「教えてくれるかな。」と彼女は言う。

「行方不明だと言うしかない。」とオレは言った。

「そうだね。」と彼女が答えている間に、オレたちはそのホテルの真ん前まで来ていた。

「さぁ、ここに奴らはいるのか。」とオレは言いながら中に入る。

「大きいね。」と美千代が言うように、わりと大きなホテルだった。

「どうも。」とオレはフロントに向かって言った。

「いらっしゃいませ。お二人様ですか。」と迎えたのは黒いジャケットを着たホテルマンだった。

「宿泊じゃないんです。」とオレは言う。

「どのようなご用件で。」と彼は聞く。

「人を探してて。」と彼女が言うと、彼は少し訝しげな顔をする。

「はぁ、どのような方でしょう。」と彼は言った。

「一人は彼女くらいの年の女の子、もう一人は自分くらいの男。あと、もう一人若い男もいるはずです。」とオレは説明した。

「三人様となると。」と彼は帳簿のようなものをめくった。

「二組泊まっていますが。」と彼は簡単に言った。美千代がオレの手を握った。

「どんな方ですか。」とオレは聞いた。

「うーん、一組は女性ばかりの三人様。あとの一組は老夫婦とご子息ですね。」とあっけなく彼は言った。

「老夫婦。」オレは肩を落とした。

「残念ですが。」とホテルマンはホテルマンらしい笑顔で言った。

「残念だね。」と美千代がオレの隣で繰り返す。

「ああ。」とオレは首をかしげるしかない。


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