● オレは中野に帰ってくる。
オレは中野に帰ってくる。そしてバーに立ち寄った。他に仕事がきてるかと思ったが、何も依頼はなかった。
「まいったね。」とオレはバーテンにジントニックを頼む。
「どうしました。」と彼は言って、優しく微笑んだ。
「ま、金と権力ってやつさ。」とオレは言ってため息をついた。まだ××の言う言葉が頭に残っていたし、寧々の病院での姿も頭に焼き付いていた。
「そうですか。」とバーテンは言って、すみやかにカクテルを作ってくれる。
「しがない世の中。」とオレは言ったが、その言葉さえ空しく聞こえてくる。
「ま、一杯飲んで。」と彼に手渡されて、オレはジントニックに口をつけた。
「わるいね。」とオレが言ったところで、客がドアから入ってくる。黒いコートを着ていた。
「いらっしゃいませ。」とバーテンは言って、無表情のまま口だけで笑みを浮かべた。
「あんたが探偵か。」と男は言った。
「え、そうですよ。」オレは振り向いて答えた。男は、年配でひげも白くなりかけている。
「一つ言いたいことがある。」と相手は座りもしないで、オレの目の前に立った。
「なんです。」と言ったところで、男は突然オレを殴りつけた。オレは思わずカウンターの椅子から転げ落ちる。
「娘のことを思ったらこれじゃすまないぞ。」と男はいきりたつ。バーテンが男を押さえつけなければ、オレはもう一発くらっていたことだろう。
「なにをするんです。相手が違うんじゃないですか。」とオレは唇から出た血を拭きながら言った。
「違わない。おめーのせいで娘たちが。」と男は言うと、もう一発オレにケリをいれた。
「うぅ、オレは何もしてない。娘だって?」とオレは言ったが、男が「娘たち」と言ったことには気が付かなかった。
「病院にいる娘だ。」と彼は言って、ようやく拳を下した。
「ああ、寧々さんですか。彼女の事故はオレのせいじゃない。」と言いながら、逆にオレは男の腹を殴りつけた。
「なにを。」と言って、男は座り込んだ。
「やられたら、やりかえせ。戦場での鉄則だ。」とオレは都会の真ん中で言ってのけた。
「そうか。」と言ってから男が殴りかかってくるかと思ったが、彼はゆっくり立ち上がるだけだった。
「寧々さんの父親なら、オレを殴るのは見当違いですよ。」とオレは言った。
「探偵のせいで、こうなったんだ。」と男はまだ言っていた。
「誤解を解くのには時間がかかりそうですね。」とオレは言って、カウンターにあったジントニックをゆっくりと味わった。
男は黒いコートを着たままだった。しかしカウンターに座り、今はウィスキーを飲んでいる。
「何もかも、狂っている。」と年配の男は顔に皺を作りながら言った。
「たしかに。」とオレは殴られた頬をさすりながら、頷いた。
「言ってる意味がわかるか。」若造、とまでは言わないまでも男はオレの方を見た。
「ええ。」とオレは答えながら首を振る。
「金だよ、金。」とこの男もまたお金の話をする。
「わかりますよ。」金は天下の回りものってわけだ。
「それをあの男は。」と男は言って舌打ちする。
「あの男?」とオレは年配の男の顔を見る。
「ああ、お前さんも知っているあの男が、娘たちをたぶらかしてるんだ。」と言って男はウィスキーに口をつけた。
「ええ、××さんのことはもちろん存じ上げてます。」しかしその「娘たち」とは?
「あいつもお金に狂ってるんだ。娘はそれに気づかなかった。」彼が何の話をしているのか途中で見失ってしまった。
「ちょっと待ってください。××さんは企業の秘密をバラしましたが、しかし何の利益も得ていないはず。正義のために行ったと思いますが。それに。」とオレが言いかけるのを遮って、男は喋った。
「バカな。奴がそんな正義漢に見えるか。子供だましもいいところだ。」と彼は言って、顔を上げた。ライトが当たるとますます険しい表情に見えた。
「そうじゃないというんですか。」とオレは言った。
「当たり前だ。利益がないところでは、何も動かん。」と男は切って捨てるように言った。
「ええ、そうかもしれません。しかし。」とオレが言う終わらないうちに、男は立ち上がった。
「ここに来たのは間違いだった。」と黒いコートの男は言う。
「一つだけいいですか?」とオレは行こうとする男に聞いた。
「なんだ。」と彼は親切にも立ち止まる。
「娘さん。いえ、娘たちとは誰のことです。」とオレは尋ねた。
「探偵のくせに何も知らないのか。バカバカしい。」と言って、男は足を進める。
「ええ、もちろん。寧々さんことは知ってますが、もう一人は誰です。」とオレは言葉を投げ返す。
「自分で探せ。探偵だろ。」と男は黒いコートのまま行ってしまった。
「ったく。」と言ってオレは彼の飲み残したウィスキーを眺めた。
「お代がまだのようですが。」とバーテンが親切にも教えてくれた。
「ああ。」と言って、オレは奴の分も支払い外に出た。しかし男はすでに闇の中に消えている。
オレは黒いコートの男のことを調べるために、まず電話を手に取る。
「もしもし、私です。」とオレは言う。
「ええ、わかるわ。」と赤い服の女の声がした。
「男がやってきました。年配の。」とオレはコーヒーを片手に言った。
「ああ、彼が来たのね。」と女は言った。
「知っていたのですか。」オレは不機嫌な声で言う。
「まぁね。」と彼女は答える。
「殴られましたよ。理由も言わず。」とオレが言うと女が笑うのがわかった。
「そう、気が短い人だからね。」と彼女は言う。
「そのようですね。何も言わずに去っていきました。」詳細は省いてオレは言った。
「そう。」と彼女は答えるのみだ。
「誰です。」とオレは聞いた。もちろん寧々の父親であることは知っていた。
「あの女の親父よ。」と彼女は言った。
「その人がなぜ。」とオレは言った。
「さぁ、それは知らないわ。」と彼女はあくまで言葉少ない。
「娘たち、と言ってました。もう一人は誰です?」とオレはさらに尋ねる。
「ええ、彼には娘が二人いたのよ。」と女は言った。
「いた、ということは?」とオレは聞き返した。
「寧々の妹で、姿を消したらしいの。」と彼女は言った。
「姿を消した?」とオレは聞く。
「そう、それ以上は知らないわ。」と彼女は言った。
「なるほど。しかしあの親父さんは、××さんのことを恨んでいるようですが。」とオレは探りを入れる。
「そうでしょうね。娘を二人も取られた形になったんだから。」と言って××の妹は笑った。
「二人とも?」とオレは聞き返す。
「そうよ。妹の方がもともとは恋人だったの。」と赤い服の女は言った。
「そして姿を消した。」とオレはコーヒーをテーブルに置いた。
「そういうこと。」と彼女は言って、そのあとに沈黙が続いた。
「ありがとうございます。で、妹の名前は?」とオレは聞いた。
「奈々っていうの。」と女は切る直前に言った。
「なんですって?」オレは思わず聞き返した。
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