〇「夫の失踪は、この男のせいです。」と彼女は言った。



 オレは手紙を見返してから、封筒にしまった。そしてDの奥さんにそれを返す。

「夫の失踪は、この男のせいです。」と彼女は言った。

「そうですね。」とオレは答える。

「どうしたらいいのですか。警察に言うべきか。」と奥さんはさすがに涙目になっていた。

「警察に言うのはまずいかもしれない。」相手が警察に言うなと言っている。そもそも警察なんてあてにもできない。

「じゃあどうすれば。」と彼女は言う。

「もちろん、私も手をつくすだけのことはしてみます。」とオレは言った。そして封筒を見返す。

「夫の命は大丈夫でしょうか。」と奥さんは言う。離婚しようとしたとしても、情はあるのだ。

「どうでしょう。正義漢を気取る犯罪者だ。」とオレは決めつけて言う。

「何か手がかりはありますか。」と奥さんはオレを見て言った。

「消印は静岡の三島になっている。」とオレは言う。

「相手は静岡にいるということですか。」と奥さんはオレにすがるように言った。

「それは分かりません。罠ということも考えられる。」オレはアイスコーヒーを飲んだ。

「罠、なんのために。」と彼女は言った。

「わかりません。」そう相手の意図がわからない。あの手紙からは、率直な印象も受けた。フィアンセを取られたものの復讐劇。

「どうしたら。」と奥さんは繰り返すばかりだ。

「混乱する必要はありません。」とオレは彼女を落ち着かせた。

「そう言っても。」と答える彼女は憔悴していた。あの手紙を読んでから、眠れない日々が続いたのだろう。

「分かります。ただ、Dの失踪した原因は分かったわけですから。」なんとかそこから糸をたどるしかあるまい。

「はい。」と彼女はため息をついた。

「とにかく、三島に行ってみます。」とオレは言った。

「お願いします。」と彼女は言った。

「まだ警察には言わないでください。もし私から1週間以上連絡がなければ、その時は警察へ。」とオレは奥さんに言った。

「わかりました。」と素直に彼女は返事をした。

「こういう手紙が来るということは、Dは無事だと思います。」とオレは意識的に言った。

「本当ですか。」と奥さんは再びすがるような目でオレを見た。

「わかりませんが。」とオレは答える。なんのあてもないまま。



 その手紙のことを田中美千代に話した。オレは眉間にしわをよせて、最後にこう言った。

「信じられるか。」オレはコーヒーを飲む。

「ほんとなの?」と彼女はカフェラテに口をつけて言う。

「ああ、とんだ野郎だ。」とオレは言った。

「怖いんだけど。」と美千代はまだ信じられないといった顔だ。

「そういう奴もいるんだ、世の中。」とオレは知ったような口を叩く。

「男の嫉妬ね。」と彼女は言った。

「何をしでかすか分からない。」とオレは再びコーヒーを飲む。

「Dさんとナナは無事なの。」と彼女は心配そうにつぶやいた。

「多分な。」とオレは何の根拠もないまま言う。

「三島、あたしも行こうかな。」と美千代は言った。

「ああ。」とオレは言った。

「仕事休めるか確認してみるね。」と彼女は言う。

「そうしてくれ。」とオレも言う。

「でもさ、三島に行ってどうするの?」と改めて彼女に言われると、オレもどうしたものやら分からなかった。

「そうだな、まずは三島大社にでもお参りでもして。」観光とでも行くか、とオレは思った。

「もう神頼みだね。」と彼女も言う。オレたちには何の手がかりもなかった。

「警察なんてあてにできない。」とオレはつぶやいた。

「信じられるものは、自分だけ。」と美千代が言った言葉が、やけに重く感じられた。

「そういうこった。」と言って、ようやくオレはDのことが可哀そうに思えてきた。

「ナナも変な男と婚約なんてしてさ。」と美千代は言った。

「結婚してみるまでは分からないもんだ。」とオレが言う。

「そういうもんかな。こういうのも、一つの愛の形なのかも。」と彼女は静かに言った。

「嫉妬と執着。」コーヒーをテーブルに置いてオレは言いながら、その男のことを考えていた。

「とにかく三島だね。」と美千代は言ってカフェラテを空にした。

「ああ。」とオレは立ち上がった。



「何をぼさっとしてるんだ。」とDが立ち上がる。

「え、ああ。」とオレは言って頭をかく。ネットカフェで一晩をあかしたのだ。

「仕方ねーな、もう一杯飲んでいくか。」と奴はフリードリンクでスープか何かを入れにいく。

「まいったな。」とオレは言った。住む部屋がなくなって一か月が過ぎようとしていた。

「朝食は牛丼屋か。」とDは隣のブースから言う。

「そうだな。」とオレは適当に答えた。

「その前にシャワー浴びたらどうだ。」とDは言った。

「そうだな。」と言ってオレは立ち上がる。このネットカフェのおかげでだいぶ助かった。少なくともぷんぷん匂いをさせるようなホームレスにはならずにすむ。

「まったくよ。」とDはぶつくさ言いながら、ネットで仕事を探している。

「何か見つかったか。」とオレはシャワーを浴びて戻ってきた。

「選ばなかったら、とは言うものの。」とDはタバコを吹かしながら言う。

「ああ。」とオレはフリードリンクの不味いコーヒーに口をつける。

「年齢のこともあるしな。」とDは言った。

「そうだ、若いときとはまた違う。」とオレもネットで検索しながら言う。

「とはいうものの、それほど年ってわけでもなし。」とDは言う。

「どうしろって言うんだ。」とオレは答える。

「それをオレも教えてほしい。」とDは言う。

「なぁ、箱根に温泉でもつかりに行くか。」とオレは提案した。金もないのに。

「ああ、そういう手があったか。」とDは言った。

「なんのことだ?」とオレは聞く。

「箱根で仕事を見つければいいんだ。」とDはタバコを灰皿に押しつけて言った。

「なるほどな。」とオレは再び検索をかける。いくつかリストが出てくる。

「なるほど、仲居さん、仲居さん、ホテルの清掃。」と隣からDが呼び上げる。

「ないこともないな。」とオレが言ったところで、別のブースから「うるさいぞ。」と声が上がった。

「やかましい。」とDが言い返したもんで、オレはプイっと笑った。

「じゃあ、箱根に行きますか。」とオレは言った。


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