第17話 救いの言葉

嫌だ、嫌だと喚くと、冷たい視線が肌に刺さりました。

『訓練を嫌がっている』『なんて怠け者』『あの方々に相手していただけるなんて光栄なことなのに』『お金ももらっているのだろ?ならば働くべきだ』

誰も、誰も助けてくれませんでした。

これは、私が忘れた記憶。


あの時と同じように、また、腕を掴まれる、髪を掴まれ、嫌だと、泣きました。

あぁ、またここでも、私は、『使われる』のかと、誰も助けてくれないのかと。


どこからか、怒鳴るような声、泣くような声、焦ったような声。

でも、その声は、私ではなく、私を苛む手の主に、向けられていました。


ーーーあぁ


『あの時』よりも、私を助けようとしてくれる人たちがいました。

それは優しい温かい光で。私のせいでまた、死んでしまうのではないかと不安で。

じゃあ、やっぱり私だけが耐えればよかったのかなと。


ーーー髪、髪が伸びてきてたんです。

彼と話してたんです。

彼は、真剣に考えてくれていて。伸ばしてもいいし、切るならどこかに頼もうかって。温かい大きな指で、私のボサボサの髪に触れてくれたんです。


本当は、もっと触ってほしいんです。

たくさん手も握って欲しいし、寝る時は一緒がいい。

何かを読んでいる彼の背中にぴったりくっつきたいといつも思いますし、私の心臓がちゃんと動いているか、彼の手を当てて確かめてほしい。


だめなんです。だって私は汚い。汚い汚い汚い汚い汚い。

肌は傷だらけなんです、骨も何度も折れたんです。

意思を持つことを叱られました。感情さえ操作されました。

×××を口に入れられました。××を何度もかけられました。


なんて汚いのでしょう。なんて穢らわしいのでしょう。

それを伝えることも、認めることもできず。

私は、思い出せない事をいいことに、彼に無邪気に笑うのです。

ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

本当は、『死にたい』と願って、私なんて死んでしまうべきなんです。

そんなこと簡単な事も、しない、できない、わたし。


やっぱり、わたしは、いないほうが、いいのかな


*****


「散れーーー!!!」


激昂して叫ぶ女性の声で、カラントは、はっとして目を覚ました。

その言葉の通り、カラントの『悪い夢』は霧散し、もう思い出せなくなる。

「いい歳した男どもが!騒ぐな!」

ブンブンと杖を振り回すのは治癒術師のスピネルだ。

おとなしそうな外見とは裏腹に、オーク2名、人間2名を怒鳴りつけている。

散れ!とは彼らに叫んでいたらしい。

「いや、こいつがぁ」

「だまらっしゃい!!!」

セオドアを指差すサベッジの言葉に、雷を落とすスピネル。

「あの子がまだ寝てるのがわかんないの!?あとそこのオーク!辛気臭い!じめっぽい!鬱陶しい!」

グロークロをずびし!と指さすスピネル。グロークロは普段から考えられぬほど大人しく、その大きい体を縮こませるばかりだ。

「彼女が起きた時に励ますこともできないなら!腹でも切ってろ!!!」

暴論がすぎると、その場の全員が思った。

「お嬢ちゃんも目覚めの腹切りショーは泣くだろ。あっ!痛い!やめろ!叩くな!」

嗜めた蜥蜴人のラドアグを、杖でバンバン叩くスピネル。

「セオドア様も!今度カラントちゃんにキッスするとか言ったらその唇に焼けた鉄板を押し付けるからね!」

荒ぶる治癒術師に、びっくりして目を丸くするカラント。

「あ!起きたぁ!」

いい大人たちの喧騒を背に、リグが嬉しそうに飛び跳ねて、カラントの側に寄る。

あら、と今更ながらにスピネルが優しい笑顔を作ってカラントに話かけた。

「大丈夫?殴られた時、口の中切ってない?見せてみて」

目に見える外傷は治したつもりだが、口の中はまだ未確認だったと、スピネルが寝ているカラントに口の中を見せるように促す。

そのスピネルの後ろから、顔が暑苦しい男どもも心配そうに覗くが、再度スピネルから「散れーーー!」と追い払われた。


*****


「大丈夫そうなので、我々はもう部屋から出ますね。私も隣の部屋にいるので、何かあれば呼んで下さい」

空気が読めるタムラが、サベッジを肘で突きながら微笑む。

「そうだな、俺も仲間達を安心させねぇとな」

サベッジの部下たちも、カラントを心配し「報復する?」と親切心で色々と準備しかねない勢いだったのを思い出す。

カラントの無事を伝えなければ、大変なことになりそうだ。

空気を察したラドアグも「俺も出るわ、またな嬢ちゃん」と声をかけ、「しっかり休め」と、グロークロも部屋を出ようとする。

「いやいやいや!なんで貴方も出るんですか!」

「お前は残れ!!どさくさに紛れて逃げるな!」

そんなグロークロを、人間とオークのおっさん二人が小声で責めたて、引き止めた。

そして、ラドアグは、『僕は残りますけど?』みたいな顔をするセオドアの首根っこを引っ張って部屋から出ていく。


「私たちも、宿に戻るわ」

部屋を出ようと、にこやかに手を振るガーネットに、あの、とカラントはおそるおそる声をかける。

「ご、ごめ、ごめんなさい、私のせいで」

自分を助けようとして、斬られてしまった女性に、カラントは必死に言葉を伝える。言葉がうまく出てこない事を恥じながら謝る少女に、あら、と優雅に魔術師は笑って見せた。

「気にしないで、あのバカ貴族からたっぷり慰謝料もらうから」

「そうそう、カラントちゃんが謝ることなんてなーんもないのよ。あの場で刃傷沙汰を起こした方が悪いんだから」

にっこり笑って励ますスピネル。部屋から出ようとするグロークロの足にローキックを入れておく。

「あんたがそばにいないとダメでしょ」

小さく耳打ちして、スピネルもじゃあね、出ていってしまう。


そうして、部屋にはカラントとリグ、グロークロだけが残されてしまう。


気まずい空気が部屋に満ち、リグはオロオロと二人を交互に見る。

「ま、前もこんなことありましたねぇ!ほら、集落で!」

あははと笑うリグに、二人は言葉を返さない。笑い声は尻すぼみになって消える。

「すぐに、駆け寄ってやれなくて、すまなかった」

ボソボソと謝罪するグロークロに、初めこそカラントは不思議そうな顔をしたが、安心させるように笑ってみせる。

「ううん、こっちこそ、みっともなくてごめんなさい」

と、カラントは自分が異常なまでに泣き叫んだ事を謝った。

謝ることではない!とグロークロとリグが異口同音に叫んだことにに、クスリと笑い、そして安心してしまう。

「あの人、私の『奇跡』の事知ってるみたいだったね」

ジアンに、急に殴られた事を思いだして、カラントは自分の頬を撫でた。

痛みはもうない。跡も残さないからとあの治癒術師は断言してくれたが、心の傷はそうではない。きっとまた、彼に会うことがあれば、カラントは半狂乱で泣き出すだろう。

「私の『奇跡』って、やっぱり皆知ったら、私を殺したがるのかな?」

カラントの疑問に、リグは答えられず、グロークロさえ言葉に詰まった。

『それ』を恐れているから。

ーーー信用している者たちすらこの子を殺しに来たらとーーーグロークロが誰にも伝えることができないのは事実だった。

「あの人も、私の事、殺したんだね」

カラントは寝台の上で、膝を抱えて力無く笑う。

「多分、グロークロに会う前かな。覚えてなくてよかった」

彼女が何をされてきたか知っているリグは、心配そうにカラントを見上げる。

カラントは自分の味方の、可愛いドリアードを優しく撫でた。

ねぇ、と、少女は問いたい。


私は化け物?私は汚い?私は、みんなの願いのために死に続けるべきかしら?


しかし、その言葉を飲み込む。そんな事を言っても二人を困らせるだけだから。

カラントの頭に響く、あの嘲るような男の声

『こいつは殺しても死なない。お前たちが護る必要のない生き物だ』

そうだ、その通りなら、死なないなら『何度殺されたっていい』のだ。

私には、助けてもらう意味なんてーーー


「カラント」


グロークロは寝台の側でかしずく。

「お前を、殺させはしない」

カラントは、その目で、真っ直ぐに見てくる目の前のオークを見る。

いけないと、思っていても、試すような困らせる言葉がとうとう漏れてしまった。

「私、死なない、化け物だよ。守らなくても大丈夫だよ」

「だが、痛いのは嫌だろう?」

「き、汚くない?私、汚くないかな?」

「そんなわけはない。綺麗好きじゃないか」

少女は、自分の胸を掻きむしり、震える声で問う。

「死ぬべきじゃ、ない、んだって、言ってくれる?」

「当たり前だ。お前は死ぬべきじゃない。何度でも言うぞ」

くすんだ金貨色の眼が、当然だろうと少し驚いたように、カラントを見つめるものだから。


「あ、あああああぁぁぁぁ……」


少女は耐えきれずに、嗚咽を漏らし、声をあげて泣き出した。

まるで子供のように、助けを求めるように、グロークロに両手を伸ばす。

グロークロは少女を恐る恐る、壊れないように、優しく抱きしめる。

泣き出した少女の体温が上がっているのが、よくわかった。


「怖かったの、痛かったの、もう殺されたくないの。」


そんな、当然の言葉を、少女はまるで懺悔するように訴える。


「わかった。お前を殺そうとする奴は、俺が殺す。」


だからーーーという言葉が出そうになった時。

「ハワワワワワ」

驚きとも照れとも言えない顔で、こちらを凝視しているブロッコリーと、グロークロは眼があう。

即座に後ろを向いて『見てません聞いてません』と言わんばかりに、ただのブロッコリーのふりをするリグ。無理がある。


グロークロがこのブロッコリーめ!と思った時には、カラントが「えへへへへ」と泣きながら笑っていた。

グロークロの、オークらしい言葉が心強かったらしい。


「大好きよ」


泣きながら笑い、少女がそう言った時、一度このオークの体が小さく跳ねた。


それが、恋慕なのか、親愛なのか、オークにはわからないけれども。

「あぁ」

と、それはそれは小さな声で返してやるのだった

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