三章 獣人族の国(3)
こうしてはじまったディノンの格闘技勝ち抜き戦。闘技場は観客席に囲われた広場で、中央に正方形の舞台が設けられていた。舞台の周りには挑戦者と思われる獣人族の冒険者が取り囲んでいて、観客席にも人が集まっていた。
「ざっと三十人くらいか。これじゃあ金貨二枚にすらならねぇな」
「全員倒せばいい」
のんきそうに言ったガルに、ディノンは鋭い一瞥をくれるが、すぐに彼の手もとに視線が向いた。小さな紙の束をめくって、そこに書かれた数字を帳簿に記入していた。
「なんだそれ?」
「お前が何回勝ち続けるか記入したのと、かけ金を帳簿に書いてるんだ」
「は? なんだそれ?」
「君が控室で準備をしている間に、数人の冒険者が賭け事をはじめてね。それで彼が胴元を務めるようになったんだ。かけ金の一割を取り分にね」
そう言ったメイアは投票券をひらひらと見せてきた。リーヌとタルラも同じような券を持っていた。
「お前らまで……」
「稼げるときに稼がねぇとな」
言いながらガルは硬貨を積み重ね、その数を帳簿に記した。
「お前、見ないうちに金にがめつくなったな」
「産まれてくるガキのためにもな。育児にいくら金がかかってもいいわけだし」
「すっかり父親になりやがって……」
「ほら、さっそく第一試合だぞ。しっかり稼いで来い」
「こいつ……。覚えてろよ」
悪態をつきながらディノンは舞台に上がった。同じく舞台に上がった相手を見据える。
相手は狐の耳と尻尾を持つ男。年の頃はディノンより少し上くらいで、いかにも剽悍そうな体躯をしている。慣例にのっとり一礼して構えた。構えも堂に入った様子で、一目でその手強さが伝わった。
ディノンも一礼して構えた。真ん中に立った審判が開始の合図をした瞬間、二人はひと息で間合いをつめ、手をのばした。
勝負はその一瞬で決した。舞台にひっくり返った狐人は、驚いたように目をまるくしている。周りで見ていたほかの挑戦者や観客も、同じように目を見開いていた。
「さすが……」
ただ一人、ガルだけは、この結果を当然というように笑う。
「いまの、見えましたか?」
囁くようにたずねたリーヌに、メイアは首を振った。
「なにをしたんだ?」
「特別なにもしてないさ」
答えたガルは帳簿に結果を記入する。決まり手の欄に「足払い」と記した。
「組み合った瞬間、相手の足を払って、ひっくり返したんだ」
「それだけ?」
「それだけだが、それを目にも止まらぬ速さでやっちまうからディノンは強い。切れもいいから、分かっていても回避することもできん。ディノンは単純な技でも大技のような鋭さで繰り出す。あれは、そうとう鍛錬を積まなきゃできることではない」
そう説明している間に二試合目が決した。今度も一瞬で相手をひっくり返してしまう。ひっくり返された相手はなにが起きたのか分かっていない様子で、きょとんとディノンを見上げていた。苦笑するディノンに引っ張り起こされ、労うように肩を叩かれながら舞台から下りていった。
その後も試合は着々と進んだ。その大半は一瞬で決着がつき一時間もしないうちに二十人が床に倒された。
「二時間以内に終わっちまいそうだな」
呆れたようにガルは言うが、試合を観戦していたメイアたちは言葉がなかった。二十連勝したディノンに圧倒されたようだ。それは挑戦者たちも同様で、試合前から勝負をあきらめたような顔をする者が現れはじめた。いっぽうディノンは多少息切れしてはいるものの、表情にはまだ余裕があった。
やがて一時間半が経過し、全三十二試合が終わった。
「どうだ? いい奴はいたか?」
いや、と短く答えると、ガルはそうだろうと苦笑する。
「じゃあ、続行だ」
「は? いや、ちょっと待て」
ディノンの制止も聞かず、ガルは舞台に上がって闘技場に残った冒険者に声をかけた。
「もう挑戦者はいねぇか?」
しかし、返ってくるのは苦笑だけで、名乗りを上げる冒険者はいなかった。
「おいおい、うちのギルドには腰抜けしかいねぇのか?」
呆れたように集まった冒険者を見回していたガルは、ふと、一人の冒険者に目を留めた。
「ウリ!」
呼ばれた瞬間、その者はびくっと跳ね上がった。
「は、はい!」
「来い。お前がやれ」
注目が集まる。板金鎧を着て大きな盾と槍斧を背負ったその者は、子供ほどの背丈しかなかった。兜のバイザーで顔は隠れていたが、声の高さから女子供だと予想がついた。
「い、いえ、でも……参加費が……」
「貸してやる」
来い、というように手招きするガルに従って、その者は舞台に上がった。
「兜を脱いで顔を見せてやれ」
はい、と頷いて兜を取った相手を見てディノンは驚いた。年の頃は十一、二歳ほど。ふっさりとした茶髪に丸みのある小ぶりな鼠耳が生え、意外にもほっそりとした顔に、くりっとした黒い瞳が不安げな色を湛えていた。その見た目から、女の子だと察しがついた。
「こいつは鼠人族のウリ。最近冒険者になったばかりの新米だ」
お辞儀をするウリに、ディノンは不審そうな顔をする。
「新米って、お前、歳はいくつだ?」
「十四です」
「十四? もっと下かと思った」
「鼠人族は小柄で童顔な奴が多いからな。ちなみに成人済みだ」
ガルがそう付け加えた瞬間、ウリは恥ずかしそうに顔をしかめた。獣人族は、精通、初潮を迎えた者は大人とみなす風習があった。
ガルはディノンに顔を近づけ、小声で言った。
「見かけはこんなんだが、ほかの連中よりは戦える」
「だからって、十四のガキを俺たちの旅に連れていけるか。大山脈に行こうとしてんだぞ」
「連れていくかどうかは、こいつと手合わせして決めればいい。俺はこいつに目をかけてる。将来、いい冒険者になる素質がある。鍛えると思って見てやってくれんか」
ディノンは深くため息をついた。
「分かったよ」
「助かるぜ。よし、ウリ。準備してこい」
「は、はい」
頷いたウリは慌てた様子で控室に向かった。鎧を脱いで戻ってきたウリを見て、ディノンは再びため息をつく。鎧姿は多少ずんぐりとした見た目だったが、伸縮性のある黒いインナーと短パン姿のウリは、想像以上に小柄で華奢な身体つきをしていた。
「お、お待たせしました」
消え入りそうな声に頷き、ディノンは構えた。同じく構えたウリの姿を見て、ディノンは、ほう、と眉を上げた。少し変わっているが、隙の無い構えだった。しかも、ちゃんと洗礼された武術の構えのようだ。
審判の合図で前に飛び込んだとき、ディノンはさらに驚いた。ディノンよりわずかに速くウリが動いたのだ。拳を握った手がディノンのみぞおちに突き込まれた。
ディノンは拳をはじき、掴もうとするが、それよりも速くウリが身体をひねって回し蹴りを叩き込んできた。それを手の甲で受けるが、反撃する前にウリは間合いを取った。
ディノンは蹴りを受けた手を振って笑みを浮かべた。見た目に反して重く鋭い拳と蹴りに、驚きとともに高揚感が沸いた。その目には先ほどまでの侮った様子はなく、鋭い視線をウリに向けた。戦いに集中しているのか、ウリはディノンの視線を受けても怯む様子がなかった。
「いいね。本気にさせてくれる……」
今度はディノンが動いた。わざと大振りに蹴りを叩き込む。すると、ウリは身体を沈めながらディノンの蹴りを避け、その動きに合わせて逆にディノンの脇腹に蹴りを入れた。
来ると分かっていたからディノンはその蹴りを防ぐことができた。ウリの防御と攻撃が連動した動き。普通ならこの一撃は脇腹をえぐり、ディノンの身体を崩していただろう。しかし蹴りを防がれたウリは、驚いたように目を見開いた。そして、そのまま天地が反転し、気がつけば舞台上にひっくり返っていた。
「あ、れ?」
せわしなく瞬いていたウリに、ディノンは手を差し伸べた。引っ張り起こされたウリは、いまだ困惑した様子でディノンを見上げていた。そんなウリの頭を撫でながらディノンは苦笑した。
「なるほど。こいつは、たしかに逸材だ」
だろ、と自分のことのように嬉しそうにするガルに、しかし、ディノンは首を振った。
「だが、こいつは連れてけねぇ」
「なんでだ?」
ディノンは軽く息をついた。
「こいつを侮るような言い方になっちまうが、女の子は連れていけねぇ。今回の旅はそれだけ危険なんだ」
あぁ、とガルは苦笑し、ウリも身体を硬直させた。
「あー、その……な。実は、こいつ、こんな見た目だけど男なんだ」
「は?」
振り返ると、うつむいたウリは少しだけ頬を膨らませていた。見た目から間違いなく女の子だと思っていた。どちらかというと、美少女と呼べるほど整った顔立ちをしている。それが実は男の子で……。
「マジで?」
「はい……」
しゅん、としたように頷いて、ウリは細長い尻尾を力なくたらした。
「……すまん」
「いいんです。ボク、慣れてますから」
そう言うが、ウリは明らかに気落ちしたようにうなだれていた。そんなウリを見てディノンは肩を落とした。
「あー、もう。分かったよ。こいつを連れてく」
ディノンの言葉にガルは笑った。
「お前ならそう言ってくれると思ったぜ」
「くそ野郎が。情に訴えやがって」
状況を理解できていないウリは、戸惑ったようにディノンとガルを見上げた。ガルはウリの頭を撫でた。
「ウリ。お前に重要な仕事を与える」
腕試しを終えたディノンは執務室でウリに依頼内容を話すと同時に、ディノンの身体に起きている異変――〈老衰の呪い〉が〈若返りの薬〉の影響で変異した〈終生回帰症〉という病についても語った。
ウリと一緒に話を聞いていたガルは、深く息を吐いた。
「不思議なこともあるもんだ。まぁ、うちの新人にはいい経験になりそうだが」
そう言ってガルはウリの頭をポンと叩いた。
当のウリは、緊張と不安が入り交じった表情でディノンの話を聞いていたが、最後に「やってみます」と力強く頷いて、依頼の契約が成立した。
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