三章 獣人族の国(2)
城塞都市ソルリアムを発って二日、馬車で街道を南に移動したディノンたちは獣人族の領地ビストリアに入った。国境には小さな町に関所があるだけで、これといった目印があるわけではない。その町を出てさらに南西へ一日、大山脈の麓に広がる猫人族の都市ロワーヌまでやって来た。
獣人族は、獣の耳や尻尾、角などが生えた諸種族のことで、その姿は人間族と大差ない。猫人族や犬人族などさまざまな氏族があり、総じて獣人族と呼んでいる。
彼らは人間界の南方の地
人間族と魔族が戦争をはじめたとき、ビストリアは中立を取った。しかし獣人族の中にアースィル神族の信者が多くいたため、世論は人間族寄りに傾いているらしい。そのためフィオルーナには獣人族の姿が見られ、ビストリアにも人間族の姿が多く見られた。特にフィオルーナと領地が隣接している猫人族は人間族との交易が盛んで、その富によって領内は活気があった。
猫人族は猫の耳や尻尾を持つ獣人族が基本だが、獅子や虎、豹などの見た目の者も猫人族に数えられる。同様に犬人族も犬だけではなく狼や狐、狸の姿の者もいる。かつてはそれぞれ氏族に別れていたが、次第に一つにまとまったのだという。
そろそろ昼時という時刻、ロワーヌに入ったディノンたちは宿屋に馬車と荷をあずけ冒険者ギルドに向かった。大山脈に隠されたエルフの里を見つけるには、獣人族の鋭敏な感覚が必要だとリーヌは語る。危険な大山脈をともに旅し、エルフの里を見つけてくれる獣人を探さなければならなかった。
巨大な掲示板が正面の壁にかけられ、その左右にカウンダ―が設けられたギルド会館の中央ホールは、多くの冒険者たちがたむろしていた。隅のほうには椅子とテーブルが並び、味は酷いが酒と食べ物を出している食堂もあった。
ディノンたちはまず受付で依頼の申請を行った。依頼主の名前と所在地、依頼内容、報酬、そのほか希望することを記入し、身分証を提示して申請する。依頼が受け付けられれば掲示板に張り出され、同時にギルド側が該当する冒険者を探す。
「どれくらいで冒険者が見つかるのでしょう?」
食堂で昼食を食べながらギルドからの返答を待っていたディノンたち。リーヌは硬いパンを両手に持って、受付のほうを眺めていた。
さてな、とディノンはひと口大にちぎったパンを赤いスープに浸しながら答えた。
「該当する冒険者が近くにいればすぐに返答が来るが、いなければほかの街のギルドに連絡して該当者を探す。もしくは掲示板を見た冒険者が名乗り出るのを待つ。どちらにしても時間はかかるな。しかも名乗り出た冒険者がこちらの条件に合わない場合もあるから余計大変だ」
ディノンはスープに浸したパンを頬張って、軽く眉を上げた。スープはここの食堂でゆいいつ味がまともらしく、トマトを中心とした野菜を煮詰め肉団子を加えたもの。やや香辛料が効きすぎで、味も少々濃いが、硬いパンに浸して食べればちょうどよい味になり、さらにパンの硬さが絶妙な歯ごたえを生み出してくれていた。
「依頼主は高い金を出して冒険者を雇うわけだから、それなりに腕の立つ冒険者を見つけたい。仕事を途中ですっぽかされたくねぇから、人柄も考慮に入れる」
「仕事をすっぽかしては、お金がもらえないのでは?」
「前金制度があるからな。依頼内容にもよるが、たいがい前金で報酬の半分を渡し、依頼が終わったら成功報酬として残りを渡す。報酬を日当で渡す場合もあるな。護衛の仕事なんかは日当で渡すのが普通だ。当然、仕事を途中ですっぽかせば悪評がついて今後の冒険者業に影響が出るから、そんなことする奴はそうそういねぇが、それでもやはり人柄は見られる」
「浮気をしない恋人を探すみたいだな」
メイアの言葉に、ディノンは思わず笑った。
「面白い例えだ。でも、たしかにその通りかもしれねぇな。冒険者も同じで、いい恋人を探すみたいに金払いのいい常連を探す奴がいる」
「君はどうなんだい?」
「俺は浮気ばっかしてたな。いろんな依頼を引き受けるし、常連と呼べる奴もいなかった」
「これは興味本位で聞くが、実際に恋人ができたらどうなんだい?」
ディノンは複雑な笑みを浮かべて答えた。
「たぶん、しねぇだろうな。そもそも浮気する気も起きねぇような人を恋人にしたいと思ってるんだし、そんな人と一緒になったら、普通はしねぇだろ」
ほう、とメイアは感心したように笑った。
「わたくしも浮気しませんよ。もう、身も心もあなた様のものです」
リーヌは身を乗り出すようにして言うが、ディノンは顔をしかめて首を振った。
「本来なら嬉しい限りなんだが、その台詞が幼児の俺に対して言ってると思うと、ぞっとする」
この感想は、リーヌの性癖が原因だった。
リーヌは幼児に対して過剰な感情を抱く、幼児性愛者だった。メイアに幼児に対して淫らな行為を行えないよう呪いをかけられた彼女だったが、少年の姿のディノンを前にすると理性を失ってしまい、何度か襲いかかろうとした。しかし、メイアの呪いで身体が動く前にすさまじい頭痛に襲われ、衝動がおさまるまで悶絶するのを繰り返していた。
「最近、朝が怖くて仕方ない……」
肩を落としたディノンの背を、タルラが無言でなでた。朝、幼児の姿になったディノンは、眠りを必要としないタルラの腕の中で目覚める。呪いの苦痛に耐えながらも欲情に駆られたリーヌから守るためだ。
「これでも理性を保とうと必死なのですよ」
「たしかに、努力は見られるな」
メイアが苦笑交じりに言った。
「今朝は前日より呪いの発動が一回少ない」
「一回だけな。あんだけ頭痛に苦しんで、一回だけ」
メイアは不審そうにディノンを見た。
「なにがそんなに不満なんだ? 多少性癖に偏りがあるが、リーヌは素晴らしい女性だろう? 清楚な見た目にやわらかな物腰、スタイルだって君好みではないか」
「そ、そうなのですか?」
「ディノンは肉感的な女性が好みらしい」
そう言われてリーヌは顔を真っ赤にし、自分の身体を隠すように縮こまった。そんな彼女を見てメイアは笑みを浮かべた。
「このように、可愛らしい一面もある」
「か、からかわないでください」
ディノンは深くため息をついた。
「勘違いしているみてぇだから言っとくぞ。たしかにエロイ身体は好きだ。でも、そういう女が好みってわけじゃねぇ。まぁ、いい身体をしてるに越したことはねぇけど、そんなのより大切なのは相性だ。結婚して爺さん婆さんになったら、スタイルのよさなんて関係なくなるんだからな」
メイアとリーヌは関心と驚きを含んだ表情をした。
「結婚のことまで考えてるとは、意外と誠実なのだな」
「大人のディノン様のこと、少しだけ見直しました」
「お前ら、マジで失礼」
「――なんだ、お前、結婚するのか?」
笑い含みに太い声が降って来た。振り返ると大柄の獣人の男が笑みを浮かべて立っていた。やや赤みのある金の髪に三角の獣耳が覗き、黒い縞模様がある長い尾を持つ彼は猫人族の一派の虎人族。服装にはギルド局長を示す腕章ついていた。
彼を見てディノンは笑い返した。
「ガル。久しぶりだな」
「ああ、本当に。また会えて嬉しいぜ」
立ち上がったディノンはガルと拳を突き合わせた。ガルはディノンの真っ白な髪を見て複雑そうに笑った。
「つか、なんだその髪は? まさか、その歳で白髪か?」
「いろいろ事情があってな」
「事情だぁ?」
ガルは同席している三人の女性を見てディノンの肩に手を回した。
「まさか、多角関係の修羅場によるストレスってわけじゃねぇだろ? 本命はどれだ?」
「なに言ってんだ、お前……」
「まぁ、お前に限ってそんないい加減なことはしねぇと思うが、気をつけろよ。お前にその気がなくても、無意識に相手をその気にさせて、トラブルを引き起こすことだってあるんだからな」
「は、はぁ……」
曖昧に頷いたとき、メイアがディノンを呼んだ。
「――ディノン。その人は知り合いか?」
ディノンは頷き、ガルは丁寧に頭を下げた。
「申し遅れた。当ギルドの局長を務める、ガルと申す。ディノンとは軍学校の同期で」
「軍学校?」
「学生時代はフィオルーナ王都の軍学校に留学していた。そこでこいつと仲良くなってな。お互い冒険者になったあとも、ちょくちょく組んだりしていた」
メイアはディノンを見た。
「王都の軍学校に通っていたのか?」
「まあ、いちおうな」
ガルはディノンの肩に手を置いた。
「優秀だったぞ、こいつは。剣術も優れていたが、用兵家としての才能もあってな、将来、有能な指揮官になるだろうと周りから期待されていたのに、冒険者なんぞになって」
「お前も人の事言えねぇだろ。最初は軍人になるつもりだったくせに。つか、いつ局長になったんだ?」
「今年に入ってからだ。前任の局長が高齢で引退しちまって、後任の話が俺んところに来たんだ」
ガルは、少し照れたように笑った。
「実は女房にガキができてな。俺もちょうど収入が安定してて安全な仕事に転職しようと思ってたところだったから、後任の話を引き受けたんだ」
「お前、結婚してたのか?」
「去年の暮れごろにな」
「なんだ、そうだったのか。おめでとう」
「おう、ありがと。――それで獣人の冒険者を探してるみてぇだが?」
ガルは先ほどディノンが申請した依頼書を見せながら言った。
ディノンは頷き、正面の席をガルに勧めた。ガルが座ると、軽く身を乗り出して内緒話をするようにこれまでの経緯を語った。聞き終えたガルは、椅子の背もたれに体重をかけながら腕を組んだ。
「なるほど。それで腕の立つ獣人の冒険者を探してるってわけか」
「ああ。できれば、仕事中に得た情報――特にエルフの里に関することは一切口外しない、口の堅ぇ奴がいい。いや、むしろそっちに重点を置きたい。腕が立つかはその次だ」
ガルは渋い表情を作った。
「難しいな。そもそも腕の立つ奴はみんな人間族の国に行っちまってるし、この辺に残ってるのは金さえ稼げればいいって連中ばかりだ」
「そんな奴じゃ秘密を守ってくれるとは思えねぇな」
「つっても、ここには新米の冒険者もたくさんいるし、掘り出し物もいるっちゃいる。手っ取り早く探すなら、あれをやるのがいいな」
そう言って親指で示したのは、ホールの奥にある両開きの大きな扉。闘技場という扁額がかかっていた。大きな街などに置かれるギルド会館には、こういった闘技場などが設置される。おもに冒険者同士の訓練に使われるが、同時に依頼者に自分の強さをアピールする目的もあった。
「お前、これの報酬、すぐに出せるか?」
ガルは依頼書を示した。依頼書に書かれた報酬は、前金が銀貨十枚、成功報酬が銀貨十五枚、合わせて金貨一枚相当、さらに別で日当銅貨三十枚と三回の食事が加えられている。
「いちおう、金貨二枚くらいなら用意してあるが」
「よし」
ガルはにやりと笑うと、立ち上がってホールにいる冒険者たちにむかって声を上げた。
「勇猛な冒険者諸君に告げる。これから、ここにいるディノンと腕試しをして、勝利した者に金貨二枚を贈呈する」
ざわっ、と冒険者たちが沸いた。ディノンは慌ててガルの腕を掴む。
「おい。なに勝手なこと言ってんだ」
「これが手っ取り早く腕利きを探す方法だ。直接組み合えば、相手の人柄も分かるだろ」
「それは……」
ディノンの言葉を遮って、ガルはさらに声を上げた。
「試合内容は武器や魔法を一切使わない格闘技による一本勝負。参加費として、銀貨一枚をいただく。新米でもベテランでも、どんな奴でも挑戦可能だ。ただし、戦士系の獣人に限る。――七番窓口、これの受付を頼む。掲示板にも貼っておけよ」
ガルの指示に、ぽかんとしていた受付嬢たちが慌てて動いた。同時に、我先にと獣人族の冒険者たちが七番窓口に並んだ。
「マジかよ……」
「大変なことになったな」
唖然とするディノンに、メイアは薄笑いを投げた。ディノンは恨めしそうにガルを睨み上げた。
「そんなおっかねぇ顔すんなよ。腕利きを探せて、しかも金も稼げる。あ、参加費の半分はこっちの取り分でいただくからな」
「負けたらどうすんだよ」
「負けねぇよ、お前は。少なくとも金貨二枚分は勝ち続けられる」
「五十勝もか」
「なんだ? まさか、できねぇとか言わねぇよな?」
挑発するガルをしばらく睨んで、ディノンはため息をついた。
「くっそ……。分かったよ。ただし、この催しは二時間でお開きにする」
「二時間? なんでだ?」
「こっちの事情だ。この条件が呑めねぇんなら、俺は辞退する」
「分かった。二時間で終わらせるよう計らおう」
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