三章 獣人族の国(4)

 翌日、ディノンたちは新たに鼠人族のウリを仲間に加えて大山脈へと旅立った。麓に広がる森には馬車が通れるほどの道が続き、徐々に起伏が激しくなる地形を登っていった。大山脈を探索する冒険者たちによって切り開かれ、踏み慣らされた道だ。


 雲を貫くほど高くそびえる峻峰を持つ大山脈は、人間界と魔界を隔てるように世界の中心を北の果てから南の果てまで縦断している。人を拒むようなこの地には、毒に満ちた湖沼があり、落石や沈下が起こり、生類に害をなす多種多様な植物が自生する。そのため、大山脈に挑む冒険者はそれなりの備えをする必要があった。


 食料、水、薬、それと毛布など暖を取るためのもの。ただ、それらは多ければいいというわけではない。重すぎれば身動きがしづらくなり、動きの鈍い人や荷を狙って襲ってくる連中が大山脈には多く存在する。――魔獣や魔物だ。大山脈は彼らの根城であり、そこに足を踏み入れれば否応なくその襲撃を受ける。


「――よし、いいぞ、ウリ。次ぎ、奥の虫だ」

「はい!」


 ディノンの指示に折り目正しく返事をして、ウリは自身を覆い隠せるほどの大きな丸盾を身体の正面に構え、その脇で槍斧を突きつけるように構えた。


 目の前にはウリと同じ背丈ほどもある昆虫がいる。後ろ脚のみで立ち、中脚と前脚には鎌のような爪がある。頭頂には発達した一角があり、前かがみになった姿勢でその先端をウリに向けていた。


 虫は角を突きつけた姿勢のまま突進してきた。ウリはそれを盾で受けると同時に槍斧を突き込んだ。鋭利な穂先が虫の首もとを刺し貫いた。しかし、急所からややそれてしまいその一突きで仕留めきれなかった虫は、さらに中脚と前脚を振るおうとした。


 臍を噛んだウリは盾で虫を押し返した。引き抜いた槍斧を横に払い、鋭利な斧刃で虫の身体を両断した。


 痙攣して倒れた虫が動かなくなるのを見てウリは深く息を吐いた。


「大丈夫か?」


 ウリは兜のバイザーを上げて、ディノンを振り返った。彼の周りには虫の死骸が十体ほど横たわっていた。そのどれもが急所を一突きしただけで仕留められている。


「は、はい。大丈夫です」


 恐縮したように頷くウリに頷き返して、ディノンは懐から取り出した紙で太刀の刃についた虫の体液を拭い鞘におさめた。


 メイアは、周囲を確認するように見回した。


「どうやら、いまので最後のようだな」


 タルラが虫の死骸を積み重ね、メイアは炎の魔法で焼いた。死骸の処理が終わると一行はそのまましばらく歩いて道を進み、そのあとをタルラが御する馬車が続いた。


「魔獣や魔物が跋扈する領域と聞いていたが、意外とあっけないな」


 再度周囲を眺めて、メイアは言った。樹々や岩の影からこちらをうかがう生き物の気配はあるが、襲ってくる様子はない。ときおり襲ってくる敵はいるが、そのほとんどが脅威という感じはしない。


「ウリが思ったよりずっと戦えてるからな。俺も集中して敵の相手ができる」


 しかし、とディノンは苦笑した。


「ちっこいなりで、こんな重そうな盾と槍斧を振り回し続けられんのは、感嘆を通り越して呆れちまうな」


 鼠人族は、とメイアは御者台に上がってタルラの隣に座りながら言った。


「鼠の名を冠してはいるが、獣人族の中でも上位の怪力を持つと聞く」

「そうなのか?」


 ウリは頷いた。


「はい。熊人族に次いで強いとは言われます」

「どうりで、腕力と体力が桁違いなわけだ」

「でも一族の中では、ボクは非力なほうなんです。お兄ちゃ――兄は、ボクの槍斧よりもずっと重い槍を片手にひと振りずつ持って振り回しますし、父は自分の体重と同じくらい重い斧と鎚をそれぞれ両方の手に持って戦います」

「そいつはすげぇな。つか、ウリの親父さんと兄貴も戦士なのか?」

「はい。ボクの家は代々氏族長に仕える兵士の家系で、父は氏族師の副将軍なんです」


 氏族師とは、ビストリア連合国の各氏族長が掌握する軍隊のことで、将軍を指揮官に二人から四人の副将軍が副官として就く。さらに氏族師が集まってビストリア連合軍となり、将軍の中から指揮官を選別して大将軍と称する。


「じゃあ、ウリは親父さんから武術を?」

「いえ。武術は、おばあちゃんに教わりました。若いころは冒険者だったとかで、おもに人間族の国で活動しながら、人間族の古い武術を習っていたとか。ボクが冒険者になったのも、おばあちゃんの影響なんです」


 へぇ、とディノンは素直に感心する。ウリの武術の腕は、十四の子供にしてはかなり洗練されている。それを教えたウリの祖母は、そうとうな達人だったのだろう。


「ディノンさんは誰から武術を習ったんですか?」

「俺は爺ちゃんからだ」


 ディノンは苦笑するふうに、しかし、どこか懐かしむような表情で語った。


「ひねくれたじじいでよ。軍学校に通う許可をもらおうとしたら『俺の門下五十人と戦って、それを見て判断する』とか言い出して……」

「まさか、一度に五十人を相手に?」

「いや、一対一の戦いを五十回繰り返しただけだ。でも最後の五十人目で負けた。相手は幼馴染の女の子だ」

「その方はディノンさんより強かったんですか?」

「聖騎士レミルだ」


 これにはリーヌも驚いたように目を見開いた。


「ディノン様、レミル様と幼馴染だったのですか?」

「同じ村の出身だ。お互い幼いころに魔族兵に家族を殺されちまって、そんで爺ちゃんに引き取られた。一緒に爺ちゃんから武術を習って、俺を追って軍学校に入った。レミルの剣の腕は俺よりずっと上で、俺はあいつに勝てたことがねぇ」


 ウリは首をかしげた。


「五十人目のレミルさんに負けたのに、軍学校には入れたんですか?」


 ディノンは呆れたように笑った。


「そこが爺ちゃんのひねくれたところだ。『戦いを見て判断する』とは言ったが『全勝しろ』とは言ってない、とか言ってよ。要は五十人を相手にどう戦うかを見たかったらしい。最後の戦いに俺が一度も勝ったことない相手を置いて、どのような姿勢で戦うのかを見て判断したんだと」


 ああ、とウリたちは納得したように声を上げた。


「まぁ、一対一での戦いにしてくれただけ、まともだったがな。さすがの俺でも、多勢を相手にするのは無理だ。一度に相手できるのは、せいぜい二、三人までだ」


 ディノンのその言葉に、リーヌはソルリアムでレヴァロスに絡まれたときのことを思い出した。


「街でわたくしたちを襲ったレヴァロスたちは、四人以上おりましたよね?」

「あれは連中が数の有利を活かせるほど戦いに慣れていなかったからなんとかなった。普通、一人が打ち合っている間、ほかの奴が背後から斬りかかるもんだ。なのに連中は、ただ威嚇するだけでなにもしてこなかった」


 ああ、とリーヌは納得したように頷いた。


「もちろん、多勢を相手に立ち回れる奴もいるにはいる。四、五人以上の敵を相手にできる奴は、特にそれが可能だ」

「どうして、四、五人以上?」

「それ以上だと逆に相手の動きが鈍くなる。同士討ちの危険が増して連携も取りにくい。だから四、五人以上を相手にできて、かつそれらを確実に仕留められる奴は多勢を相手に戦える」


 言って、ディノンは笑った。


「レミルがそうだ。あいつは攻撃を躱すのがめちゃくちゃうまい上に一撃離脱戦法を得意とする。その素早さを利用して多勢を相手に立ち回れる。しかも、一撃一撃は確実に相手の急所を狙うから討ち損じることはほとんどねぇ。まぁ、さすがに弓矢とか射かけられたらどうしようもねぇが」


 では、とリーヌは先ほど戦闘があったあたりを振り返った。


「先ほどの魔物との戦闘は? ディノン様、お一人で十体近い魔物を倒しておりましたよね?」

「お前らがいたからな」


 リーヌたちは首をかしげた。ウリはともかく、先ほどの戦闘でリーヌもメイアもタルラも、ほとんどなにもしていない。ディノンの指示で序盤にメイアが一度だけ炎の魔法を放ち、リーヌはディノンとウリに身体強化の加護を与えただけ。タルラにいたってはリーヌとメイアのそばにいるだけだった。


「たしかに、さっきの戦闘で魔物どもは俺に集中してた。だが、奴らの意識は終始散漫としてた。そばで戦っていたウリ、後方に控えていたメイア、リーヌ、タルラ……。序盤で放ったメイアの魔法で魔物どもの注意はメイアに向いた。だが、そのあとに身体強化した俺とウリの猛攻で、奴らの集中は乱れた。万が一、奴らがお前らに襲いかかっても対処できるよう、そばにタルラを控えさせた」


 メイアが生み出したホムンクルスであるタルラは、幼いメイアを守るため戦闘もできるよう調整されていた。暗器――おもに短剣と投剣、これを操るための体術の心得があった。腕力も桁違いで、怪力に長けた鼠人族のウリと互角だった。


「すべて、計算されていた」


 ウリの呟きにディノンは頷いた。


「分析と予測は戦闘において基本だし、重要なことだ。どういう状態になれば勝ちか、勝つためにどう動くべきか、敵をどう動かすか、自分と仲間の能力、敵の能力、地の利や天候、それらを分析、計算して、勝算を導き出す――勝つための予測をするわけだな。だから、少数でも多勢を相手に戦える。ちなみに、その勝算が低かった場合は戦わずに逃げる」


 ウリは瞬いた。


「逃げちゃうんですか?」

「ああ。勝算のねぇ戦いに命はかけられねぇからな。勝てるか見込みがねぇのに、敵に突っ込んでいくのは愚か者がすることだ。――昔の俺みたいにな」

「実体験だったか」


 笑い含みにメイアが言って、ディノンは顔をしかめた。


「エルザ・シュベートを倒したあとの話だ。調子に乗って、ヴォスキエロ軍の大物を狙ったことがある。――獣魔将だ。聞いたことあんだろ?」


 ウリとリーヌは、ぎょっと目を見開いた。メイアは呆れたような顔をする。


 獣魔将はヴォスキエロ軍を統括する最高司令官で、世界最強の武人と称されている。もともとは獣魔族の王だったが、現在の魔王に降り、その軍勢を率いるようになったという。噂では、彼と戦って生き残った者は――ディノンを除いて――いないとされている。


「シュベート城を奪還しに大軍を率いてきた奴を叩こうとして失敗した。ヴォスキエロ軍を撃退することはできたが、奴の首までは取れなかった。むしろ逆に殺されかけた。多少、打ち合えたが勝てる気がまったくしねぇんだ。はじめて無謀って言葉の意味を知った戦いだった。命が残ったのは奇跡だったな」


 そう言って、ディノンは深いため息を落とした。


「だからお前も、気張って攻め急ぐことはするな」


 と、ウリの頭に手を置いた。


「ガルの言う通り、お前は見込がある。長く続けられりゃあいい冒険者になるはずだ。まぁ、俺と違ってお前は思慮深そうだから、その心配はねぇと思うが」


 ウリは少し上目遣いにディノンを見上げた。


「あの、じゃあ、ディノンさんから、いろいろ学ばせてもらってもいいですか?」


 ディノンは眉を上げて笑った。


「俺なんかで参考になりゃあ、いくらでも学べ。俺の知ってることなら、なんでも教えてやる」

「は、はい! よろしくお願いします!」


 ウリは満面の笑みを浮かべて頷いた。

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