処刑まで、あと6日

 足音を立てることなく、忍び寄る影が一つ。覚えのあるその気配に、オスカーは起き上がると、壁に背を向けて座り、


「今度は何の用だ」


と、気配の主に、気怠げに声をかけた。すると


「先日、弟弟子が泣いて帰ってきたので。その真相を教えていただきたく」


長い銀髪を一つにまとめ、また、それを揺らしながら、先日とは異なる弟子・アーサーが彼の前に姿を現した。


「ルナの世話はどうした」


オスカーが聞くと、アーサーは複雑そうに笑い


「こんな時まで他人の心配ですか。実に、貴方らしい。安心してください。きちんと保護してもらっていますよ。として」


そう話した。オスカーは、安心した顔で微笑むと、そっと目を閉じる。


「貴方も人が悪い。始めから、自分だけが死ぬつもりだったのでしょう? 貴方はそういう人です。昔から、他人の逃げ道だけは必ず確保している」


責めるような、強い口調。言葉こそ『平常』であったが、オスカーは、アーサーが怒っていることを、長年の付き合いから察した。


「……何が不服なんだ。平穏な暮らしを望んでいただろうに」


まるで駄々をこねる息子に呆れる父のように、オスカーは言う。すると、アーサーは、深々とため息をついてから、


「貴方がいない暮らしなど、望んでいません」


小さく、本音を溢した。


「言ったはずです。どこまでも、ついて行くと。例えその先が地獄であろうと、私は、お供するつもりでした。『覚悟のない者は置いていく』と言いながら、覚悟があれど、貴方は私を置き去りにした。どうしても、私のこのワガママを許すつもりはないのですね」


檻の前で静かに胸に手を当てて話すアーサー。昂る感情を抑制する際の、彼の癖だ。しかし、それを知りながら、オスカーは何も返さない。これが不服だったのか、アーサーはやや語気を強め、


「……貴方が死んだと聞いたら、ルナは、何を思うでしょうね」


第三者の名前を出せば、ようやく、オスカーがピクリと動きを見せる。狙い通りに師匠を刺激できたことに、アーサーは口角を上げた。心の中では、ガッツポーズをしていた。そうして、畳み掛けるようにして、感情に訴える。


「貴方と私の出会いは二十二年前。私が六歳の時でしたね。戦争に巻き込まれ、両親を失った私を、貴方が拾ってくださったことが、全ての始まりでした」


静かに昔話をするアーサーの瞳には、確かに、憧れの『恩師』が映っていた。


「魔力の高い私は、『魔物の子に違いない』と忌み嫌われ、迫害されていました。幼い人間の子どもでありながら、高い魔力を理由に、誰も助けてくれなかったのです。……当時は、全てが私の敵でした。一人で生きるしか、他に道などありませんでしたから。そんな荒くれ者だった私を……『バケモノ』と呼ばれたこの私を……『人間』に戻してくださったのが、そう、貴方でしたね、先生」


オスカーは、時折、頷いたり、微笑んだりして話を聞いていた。昔を思い出しているからか、心なしか、常に柔らかい表情を見せている。


「貴方に酷いことをしました。貴方を殺そうとしました。それでも貴方は私を見捨てることはありませんでした。私の攻撃を物ともせずに、私に触れ、“ぬくもり”を教えてくれました」


思い出しながら、アーサーは微笑みながらも、ぽろぽろと、涙を溢していた。オスカーは手を伸ばしてそれを拭おうとするが、二人を分つ、冷たい鉄格子がそれを許さない。


「私の幸せは、貴方がいるからこそ成り立つのです。それはきっと、ルナにとっても同じこと。私たちにとって先生は親でもあります。救世主と言っても過言ではない。親が殺される瞬間を、救世主が殺される瞬間を、どうして黙って見ていられましょう……!」


アーサーの強さならば、一国を滅ぼすことも、本物の魔王になることも、容易いだろう。そう育てたのはオスカー自身だった。そんな彼の、激情を前に、オスカーは微かに息を呑んだ。が、


「今度は私が貴方を救いたい。貴方のためなら喜んでバケモノに戻ります。ですから、どうか、お願いします。この手を取ってください」


アーサーの懇願する姿が、あまりにも、先日のレオと似ていたから。『似た物同士だな』と、オスカーは苦笑した。そうして、


「断る。お前をバケモノにするために、お前を育てたわけじゃない」


レオと同様、オスカーはハッキリと拒絶した。アーサーは、「そうですか……」と、意外にも聞き分け良く身を引くと、


「貴方の意思は固いのですね」


苦しそうな顔でそう笑うから。彼の無理な笑顔に心を痛めつつ、オスカーは無言で頷いた。


「また来ます」


アーサーは、足を引き摺るようにしてその場を去っていった。


 オスカーは、愛弟子であり、息子である彼の後ろ姿を見送ると、静かに目を閉じて、その身を小さく丸めた。


 蝙蝠コウモリは、キィキィ鳴き声を上げながら、バサバサとせわしく、地下牢を飛び回っていた。

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