絶望と希望の交錯

 聡がふたたび鬼のような形相でパソコン画面をにらんでいる。

(分からん。まったく分からん。全滅やんか)

 聡が必死に選んだ20銘柄がすべて下落していた。日経平均がその日1000円以上の暴落。ジリ下げが続いて今日皆が投げ売りしたのだ。それを理解できずにいる聡。市場の集団心理が読めていないことが分かっていない。業績のいい銘柄は上がるはずだと信じて疑うことができない。それを深く考えようともしない。ダウを見ていない。ナスダックも見ていない。必然の負けに気づくことができない。焦りがいっそう深くなる。鼓動がはげしくなる。思いつめた顔で伸びをする。

 いくら負けたのか。資産の合計を見てみる。絶句する聡。

(ヤバいな。ここだけは夏海に見せることでけへんな)

 急いで証券口座のアイコンを消した。取引ツールのありかはパソコンに内蔵されているAIに質問しなければ分からない。夏海にたどれるはずがない。

 夕食時、家族はテレビを見ながら笑っている中、聡だけが暗い顔をしている。

 夏海だけが分かっている。

(また負けたのね)

 夏海は台所に直行する。

「はい、ビール」

「ええわ」

「飲みなさい」

 だまってビールをごくごく飲む。少しはおちついた。

「はぁ」

 夏海はなにも言わず、またテレビを見てみんなで笑う。

 寝る時間。一彦がすやすや夫婦の布団の真ん中で眠っている。

 聡は夕食時の夏海の行動を思い出し、もうばれてるなと観念しながらパソコンの前へ。

「株な、やめたわ。投資信託は残してるけど。これ見いや」

 パソコンを起動し、夏海にデスクトップを見せる。続いてスタートボタンを押し、すべてのツールをゆっくり下にスクロールしため息をつく。


 今日は元気に仕事場に軽トラでむかう聡。笑顔で手をふる夏海。

「わろてるわ」

「ん?夏海ちゃんのことか」

 助手席から父が眠そうに横をむく。

「まぁそやけど。夫婦のことやん。変な口はさみなや」

 父が腕組みをしてさらに問う。

「なんやしたんか」

「あのな。こんどデパートにふたりで行って、空気ベッド買うんや。知ってるか空気ベッド。おとん」

 聡がにやにやしながら父を見る。

「なんやそれ、知ってるわ。うはははは。どないしたんや。マンネリか」

「まあそんなとこや」


 笑って手を振っていた夏海だったが顔が真顔になる。

 あやしさ満点、取ってつけたようなカラ元気。

「ふん!」

 夏海は夫婦の部屋に行き、パソコンを起動する。

(私が仕事でパソコン使ってたのもう忘れてるのね。ばかにしてるわ)

 慣れた手つきでAI画面を出し、質問する。

「証券会社のトレードツールのありかを教えなさい」

 ずらっと出るプログラム候補の一覧。

「あったあった。おろかものめ。お見通しよ」

 夏海は再びトレードツールをデスクトップに復活させると、アイコンをクリックする。

 パスワードの入力画面が。

 ぐるぐる回る夏海の頭。

(しょうもない)

 自分のスマホで「パスワードを忘れた場合」のヘルプ画面を読む。

 それを見ながらパスワードの再設定をする。

 ハッカーよろしくやすやすとパスを突破。ホーム画面が立ち上がる。おそるべし夏海。

(ふふ単細胞め。どれどれ……)

 評価額合計をのぞく。先月と比較するとなんと三十八万円のマイナス!

 あぜん、ぼうぜん、だめだこりゃ。

 夏海は決意する。


「パソコン捨てよ♡」

「ん、なんで?」

「パソコン見ちゃったよ」

「で?」

 焦る聡に余裕の夏海。

「まあ、パソコン起動してみなさいよ」

 がさごそと問題の物体をいじくる聡。デスクトップにツールが復活しているのを見て動揺をかくせない。

 アイコンをクリックする。パスを打ち込む。しかしエラーだ。

「どういうことや」

「私が再設定したの。もうあなたはそれをあたることはできないわ」

 聡はがっくりうなだれる。

「あなたプロのギャンブラーやって言っていたわよね。プロならそういう心のコントロールはできるはずじゃない。でもできない。キャパ超えてるのよ。かくれて信用取引に手を出しそうで怖いわ。ね?捨てよ。投資信託はパソコンがなくてもそのままじゃない」

 聡はだまって聞いている。

 次の日夏海がじっと見つめる中、聡はパソコンを廃棄業者に手渡す。

 夏海が安堵の表情をうかべる。それでよしそれでよし。

 昼過ぎ、畑の中で聡はスマホにロックをかける。その中には同じ証券会社のトレードツールが入っているのだ。パスを再び再設定しなおしたツールが……


 正が公園に停まっている凜の軽自動車を見つけた。

 駐車場に自分の車を置き、かけよる正。

 それに気づいた凜。

(え?正さん?)

 自分のスマホを見てみる凜。あらためて仰天する。

(正さんやん!)

 正は凜の運転席をのぞく。

 目をうるませながら凜がこっちを見ている。

 ほほ笑む正。凜がおたおたと車から出る。そしてふたり抱きしめ合う。熱いキスを涙ながらに交わす。

 長い時間そうしていた。

 正がようやく言葉をつむぐ。

「やりなおそうや」

(運命の人や)

 凜も正も同じことを思いながら。

「どこか行きたいとこあるか」

「とりあえずなんか食べたいわ」

「よっしゃ。ステーキ腹いっぱい食わせたるわ」

 近くのステーキハウスで和牛Aランクのステーキをふたりでもりもり食べる。

 会話がない。なにを話していいのか分からない。ただ嬉しいだけの凜。

 町を歩く。ようやくぽつぽつ話しはじめる。

 小雨が降ってきた。商店の玄関で雨宿り。

「カラオケでもいこか。近くにあるし」

「うん!」

 近頃できた「ひとカラ」なるものにふたりで入る。一人でカラオケの練習をする場所だ。フリードリンクつきで一時間五百円と各安。

 まずは正がむかしよく歌っていたおはこを披露する。凜は笑顔で手拍子をしている。

 採点の瞬間。

「72点て、あなた」

 ふたりで大爆笑。ようやく緊張がとけた。

 凜が歌う。93点。どんなもんよと得意げに正を見る。

「へへ。負けたわ」

「はなしにならないわね。ふふ」

 基本一人用なので部屋は狭い。自然と体が密着する。こんなに近くで正を感じたのはいつのことだったろう。凜が高揚してくる。本能が押さえきれなくなってくる。

「ねぇ」

 気分よく歌っている正に凜が上目づかいで言う。

「今日、いい?」

「なにが」

「ホテル」

「……ええよ。嬉しいわ」

 カラオケ屋を出て腕組みをし、ホテルへむかって町の中を歩いていく。


 休憩時、腕組みをし改めて考えている聡。タバコを取り出す。

「禁煙やって言うてるやろ」

 父が注意しても知らんふりでタバコを吸い始める。父もしゃーないと自分もタバコを取り出す。

「吸い殻はちゃんと持って帰るんやで」

「ん」

 聡は次の投資の方策を立てている。そのことで頭はいっぱいだ。

(日経平均には逆らえん。どうしたらええねん)

 分からない。ちんぷんかんぷんだ。

 スマホを取り出し、ネットを検索してみる。見つけたのはあるデータセンターの銘柄。官庁のビッグデータを一括管理しているいわば国策銘柄だ。

 株式ニュースではその送電網を総とっかえするという記事が。

(なんやこれ。企業名が載ってる!)

 BOタワーが受注。低位株だが、これだけの材料が出たのだ。株価がストップ高に貼りついていた!

 興奮した聡はすかさず全預り金をこの企業に賭ける決意をした。

 仕事の最中ちょくちょくスマホをのぞく。市場の終了一歩手前で落ちた。全資金投入。全株約定。

(これで取り戻せる!)

 スマホをしまい、興奮してタバコの煙を深くすいこんだ。


 夕食どき、カラ元気ではなく自然に家族と笑っている聡。

 ビールを飲みながら夏海は考えている。

(不自然なところがないわね。やっとふんぎりがついたのね)

 そう受けとめてしまった。

 夜、スマホでツールをこっそりのぞく聡。青ざめた。BOタワーは一日もせずにストップ安。

(うわー!!!)

 ヤフーの個物株掲示板にすっ飛ぶ。そこには時系列でなにが起きたのか皆の喧々諤々の議論が巻き起こっていた。

 理由が分かった。ガセ情報だったのだ。株式ニュースを信じていた。公式なサイトなのでまさかガセを載せるなんて考えてもいなかった。情報の裏をとらない。公式サイトの権威を安易に信用する。材料にすぐ飛びつく。低位株にまた手を出す。ガセだった場合の保険のかけ方を知らない。逆指値を入れない。暴落を喰らうのも当然だ。

 夜間取引で全株売却。

 そこへ夏海が機嫌よく上がってきた。

「あなた。あしたはデパートでしょ?空気ベッドのほかについでにいろんなもの見てまわりましょうよ」

 聡はそれどころではない。その表情から一瞬ですべてを理解した夏海。

「スマホしばらく取り上げるわよ」

「……」

「貸しなさい」

 うなだれて、だまってスマホを差し出す聡。

「ロックを解除してよ」

「はぁ」

 聡のスマホからトレードツールをアンインストールする。

「ほかに隠してることは?」

「ない」

「どうだか。もう自覚しなさいよ。あなたはギャンブル依存症にかかっているのよ!」

 その大声で一彦が目をさます。

「けんかしないでー」

「ほら。かずちゃんまで心配して。父親の自覚が足りない!」

「……はい」

 夏海は台所にいき、ビールを手にもどってきた。

「これ飲んで早く寝なさい」

「ああ」


 絶望、希望、また絶望。


 夢を見るのは終わりだ。

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