第三部 再びの出会い 思い出
「出てるか~田中」
昼過ぎ、聡(さとし)の呼びかけに
「いや、さっぱりや。もうやめて帰ろか?3万もやられたで」
田中が悲痛な顔をこちらに向ける。
パチンコが勝てなくなった。昔はあんなに稼げていたのに。
全ては公安委員会のせいだ。これまで店はパチンコの釘を打ち、出玉をコントロールしていた。しかし公安委員会のお達しで店が釘を一切打てなくなった。代わりに基盤に仕込んである設定で出玉を調節するようになったのだ。こうなるといわゆるパチプロはお手上げである。釘を読んでいい台かどうか見抜くことだけがパチプロのよすがだったのに。パチプロと呼ばれていた男たちは全滅し、路頭に迷うことになった。
聡は元パチプロである。しかしこの一大事が起こる前に実家へ帰り、父のみかん農家で働くことにした。
パチプロをしていた時は大阪で暮らしていた。よく行くパチンコ屋にはいつも玉をガンガンに出している男がいた。就職に失敗してフリーターをしていた聡はその男にすがりついた。弟子入りを志願したのだ。
……
喫茶店で気まずい空気の中、自分のことを「カズ」と名のるその男が動く。
カズは食べ終わったスパゲティーの皿を隅にどかせ、10円玉を取りだし目の前で回し始めた。
「表か裏どっちに賭ける?」
自分の博才が試されているのだ。聡は緊張しながら言った。
「表です。表に賭けます」
「だめだ」
「バンッ」と10円玉を押さえながらカズが言った。手を上げると表だった。
「いや、当たり…ましたよ」
聡が反論するも、カズは知らんぷりだ。
「もう一度だけやってやる。表か裏か」
またカズが回し始める。聡は今度は頭にピンと浮かんだ裏に決めた。
「裏です!」
「だめだ」
今度は結果も見やしないで10円玉をすくいあげて、ジーンズのポケットに戻した。
「お前さんなんで、裏にしたんだい?」
「いやー頭に浮かんだからなんとなく」
「パチンコで負けているのもそれが原因だよ。ただなんとなく台にすわり、ただなんとなく勝負を止める。突き詰めて考える事なんかしたことがない。図星だろう」
カズが言っている通りである。しかし、さっきのコインの賭けは不可解だ。
なにやら禅問答のようなものなのか、それとも何か重要な問いなのか、聡にはカズの意図が全く分からない。
「ここの代金は俺が払っとくよ」
コーヒーを飲み終わったカズがテーブルの明細を取りながら言った。聡はスパゲティーを口の中へとかきこんだ。
カズが店を出た。少し雨が降り始めたようだ。カズが手を広げて雨かどうか確認している。その後を歩きなから、聡が訴える。
「お願いします、カズさん。掃除、洗濯何でもしますから!どうか、どうかお願い致します!」
するとカズは立ち止まり何かを考えているようだったがくるりと振り返り、黒い手帳を聡の目の前に出して言った。
「収支だ、収支をつけ続けろ。どんなに負けても、負けて負けて負けたおしても収支は正確につけ続けろ。勝つための第一歩だ。」
「はあ。あっ!は、はいっ!…はいっ!」
……
(ふふふ)
思わず微笑む聡。パチンコを打っている時いつも思い出す師匠との出会いの場面。なにも分からず頓珍漢なことばかり言っていた最初の頃。
「帰るか?」
田中が疲労困憊で聡の横の椅子に座る。
「飯、奢ったってもええで」
「ほんまか?そしたら今度新しできたラーメン屋いこか」
和歌山の田舎町から町場に出かけ、目的地のラーメン屋に入る。豚骨醤油ラーメンを二つオーダーし、世間話となる。
「最近株を始めてん」
聡の言葉に
「げほ。怖いこと言いよんなぁ」
「怖わないて。ツヒッターでいろいろ情報収集してたらな、みんな『オルカン、オルカン』言うてたんで、ネットで調べたらオールカントリーのインデックスに積み立てしていく投資法なんやて。これが資産づくりに最もいいらしいんやと。でおれはさらに調べて、発展著しいインドの上場投信ってやつを見つけ……」
「ああ!もう、何言ってるかさっぱり解らんわ。お前は経済出身やからええけど、おれは農学部やで。百姓に無駄な話をすな」
聡は笑う。
「うっははは。お前も月5万円ぐらいは積み立てできるやろ。もうパチンコで稼ぐ時代は終わりや。これからは株の時代やで」
「そんなもんかいな」
ラーメンはそれなりに美味かった。「いらっしゃいませー!」と元気に迎え入れている。さわやかな声が漆黒の板張りの店内に響き渡る。新しい店独特の張りつめた笑顔に新鮮な空気を感じる。
「パチンコは……もうやめよか」
「……そやな」
「これからは釣りや釣り!」
「……そやな」
「どないしたんや、いきなり暗い顔して」
田中がぼそりという。
「そのインドのなんちゃら、おれにも教えてんか……」
「後悔すなや。投資は自己責任やで」
「分かってる。お前の経済の知識と博才にかけるわ」
田中は席を立ち「ごっそーさん」と言うと、ふらふらと店を出ていった。
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