2024.11.23

時田さんが市役所に勤めていた頃の話だ。

ある年配の女性が手続きにやってきた。

女性はカウンターに座り、時田さんの案内に従って複数の書類を記入し、順調に手続きを済ませていく。

最後に個人情報を転記する場面で、いつも財布の中に入れている身分証明書が見当たらない、と女性は身を屈め、足元の鞄を探り始めた。

時田さんは「少し見ていて」と言われカウンターに置かれたままの財布を見張っていた。

ふと、財布の端に目が止まる。そこにはキーホルダーが付いていた。天然石だろうか、少し濁ってはいるが青くかすかに透ける石が一粒飾られた、小洒落た品だ。

時田さんの視線に気づいたのか「綺麗でしょ」と顔を上げた女性は言った。

「そうですね、青い色が爽やかで」

「そうでしょう」

差し障りない返事をしたつもりだったが、時田さんの言葉に思いのほか気を良くしたらしい。女性は書類への記入もそっちのけに「写真を見せてあげる」とスマートフォンを取り出し、画像フォルダをスクロールしはじめた。

正直時田さんとしては早く手続きを進めたかったが、女性の上機嫌な様子に、かえって止めるとトラブルになるかと思い、素直に向けられた画面に目をやった。

写真は、暗い部屋をフラッシュ撮影したものだった。煤けた壁と物が散乱した床の真ん中に、ぽつんと一つの椅子がある。

そこに、何かがぐったりともたれかかっていた。人間ともゲルともつかないそれは、キーホルダーに着いたあの石と同じ、濁った半透明の青色をしている。

「御本尊なのよ」

異様な光景に言葉を失った時田さんに、女性は満面の笑みを向ける。

「少しすくって身につけておくと、さわられないの。いいでしょう」

噛んで含めるように言われた言葉の真意は、理解できなかった。

笑ったままじっとこちらを見る視線に気圧された時田さんが頷くと、女性は満足そうに残りの手続きを終え、帰っていったという。


「あとで気づいたんですけど」と時田さんは当時を思い出しながら付け加える。

「あの写真の椅子、旅客機の座席だったんです。何であんな廃墟にあるのか、そもそもあれはなんなのか、もう意味がわからないです」

だからあまり考えないようにしている、と時田さんはそう話を締めくくった。

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聞書 岡田翠子 @suiko66

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