第4話 抱きしめるほどの


 「おい…起きろ…おい」

「…ん」

 「チッ…たしか水が…」

「んあ…ん」

 「よし…行くぞ…」

「あぁ? なんだ?」


『バシャッ!!』


「ふぎゃあ!!」


 顔を、水しぶきが跳ねる!

 「よう、起きたかよ」 ポタポタと垂れるリズミカルな冷たさ。少年は犬みたく顔をブルッと振るうと『キッ』 目の前にいた女を強く睨みつけた。


「なにしやがる!」

「何もこうもあるか。お前が先にブッ倒れてたんだろ?」


 「ぶっ倒れ…あー?」 思考をグルグルとかき回し、さっきまでのことを思い出そうとしてみる。が、うぅん。どうにも思い出せない。まるで横断幕の降りたように、キッチリカッチリ覆い隠されているかのようだ。

 『思い出せない…』 そう口に出そうとした。その時。『ん?』 少年は気付く。


『いま、俺外にいる?』


 周りを見渡してみると、確かにさっきまで自分を外界から隔離していた柵は無く、えらく病院的な白い天井、積み立てられた荷物が軒を連ねていた。さらに、加えて言うなら、逆光で暗くなったクマ女の顔も見える。『…』 どうやら自分は、ヒザを枕に寝かされているらしい。


「…なに見てやがる」

「ん? や、単純に。デミをひざ枕出来るなんて、夢にも思ってなかったからさ」


 クマ女は手を、少年の頭に添えた。「いやぁ、役得ヤクトク」「うるせっ!」 頭を振って、手を払う。


「なにがデミだ! バカにしやがってさ」

「あら、カワイくないねぇ。もうちょい寝ててもらってた方が良かったか?」

「どーだかね~~~」


 少年はプイっと顔を横にする。耳に、温かさが伝わった。『まだ子供だねえ』 クマ女はタバコを吸おうと、ポケットに手を伸ばす。すると、


「…お前は?」

「あん?」

「クマ。ひどいぞ」

「…へぇ、心配してくれてんだ。前言撤回。カワイイねぇ」


 タバコを口に咥えながら、また頭に手を添えた。今度はちゃんと乗った。「子供に心配されるとは、それもオスの」「うるせぇ。あと、そのタバコってのも身体に悪いぞ」「おっとっと。胸が痛いね」 くつくつと笑いながら、そのよく張ったワイシャツの胸部を撫でた。


「そうさね。お前がジッと大人しくしてくれたら、辞めてみようかね」

「あぁん? チッ! 心配してソン…したぜっ!」


 瞬間! 「油断したなぁ! そこで一生ケムリ吐いてろ!」 足に溜めた力を開放し、全速力のマッハダッシュ! その目的地は、もちろんこの部屋のドアー。『やった!』 きっと呆気に取られているのか、後ろから追跡の気配は感じない。少年は意気揚々と、そのドアノブを捻り開けた。


「ふぎゃ!」

「おっと、わーるい」


 ふわっとした匂いが鼻をツいた。良いとも悪いとも言えない、ちょっと汗っぽい匂いだった。

 「てめ…なんてタイミングだ」 急いで踵を返し、別のドアなり何かしらを探そうとする。が、


「あ…ははは、いやぁ、へへ」

「リュウハ、コイツを沈めな」

「へい」


 反り立つは、ケムリを吐く目ツキの鋭い女。「うわぁ!」 途端、少年はまた後ろから抱きかかえられる。「さぁさ、お前は何秒息を止めてられるかな?」 宙に浮く身体。ブラつく足。


「はなせ!」

「やーだね」


 リュウハは少年の向きを変えると、その顔を自分の胸に押し沈めた!


「ふぐっ…」


 視界は真っ暗になり、顔中を熱とさっき嗅いだ匂いが支配する。「あらら、怖いおネェさんに捕まって。可哀そうに」『テメェが指示したんだろ!』 ふごふご聞こえるが、クマ女は無視して少年のツムジに副流煙を吹いた。「うわっぷ!」「あ、悪い」 リュウハは涙目になりながら、少年の後頭部を押さえ続けた。


「ほらぁ、謝る気になったッスかぁ?」

『この…』


 振り解こうとジッタバッタ身をよじる。が、ギュッっっ…! 瞬間! 体がワッフルメーカーに挟まれたみたく、強烈に締め付けられた!

 「ナ・マ・イ・キ」 サバ折り…当たる箇所は柔らかいが、クッションでも人は死ぬ。『ボケ…』 耐えきれず背中をタップ。するも、「ダメダメ。気絶するまで圧するから」『ぅ…』 頭がクラつく。


「…!……!…!!」

「…どうだ? 反省したかキッズ」

「! …!!」

「リュウハ、顔だけ離してやれ」

「だぁ! テメェらホントマジで」

「リュウハ、沈めろ」

「!! …!…!!」


 やがて、少年は檻に返された。


・・・・・・・・・


 9時、55分。そう、『9時55分』 だ。それすなわちオークションの開始時間である10時の5分前であり、世界中の名だたる富豪たちが一つのコンサートホールに集まる時間でもある。「首尾は?」「イイ感じです」 当然、警備は硬い。張りつめた空気が場を支配して、ピンと弾けば琴の音さえ鳴るかのようだった。


「うっひゃっひゃ! みんながみんな、まるで蝋人形だねぇ」


 ところが、そんな空気にさえ負けず「あー愉快ユカイ!」 ケタケタと笑う席があった。

 「もっとゆったりやりゃいいのにさぁ」 娘は定規で測ったように整列する警備たちを見ながら、笑う口元を着物のスソで隠し、「アンタも、そう思わねぇかい?」 隣の席に水を向けた。


「万が一ということもあるでしょう? ワタクシ的には、このくらい強固な方が安心しますわ」


 隣人、もといマダムは、深めの赤でうるおう唇を、プルンと艶やかなモーションで弾いた。「そうかねぇ? アタシぁ何だか委縮しちまうがねぇ」 口元と、口元を隠すスソを傾ける。モミジの刺繍が施された、紅の美しい着物だった。


『…紅竜(コウリュウ)』


 アイシャドウの映える瞳を細める。

 『赤手形。血のサプライチェーン。彼女が根を下ろした地域では、全てのマーケットが再編される』

 奥歯をキリリと噛みつつも、バレないように口角を上げた。『覚えてないでしょうけど。ずいぶん損させられたことよ』 当時を思い出してみれば、未だに「うひゃ! やっぱしオモシロ」 この笑顔を裏拳で破壊したくなる。しかし、今にしてみて その経営的な才覚は、悔しくも認めざるを得ない。


『得ない…ハズなんだけど』

「あぁところで! どうにも最近デスクワークが多くてねぇ。肩が凝ってて仕方ないワケよ! まったく、今日はちゃんと手ぇ上げられんのか心配になって来たや!」


 紅竜はカカと笑うと、その小さな肩関節をグルグルと回した。目に見えて、紅竜の身長は150cmほど。まるで中学生かそれくらいの見た目だ。さらに言えば顔まで幼い。『あれ? ワタクシが20歳の時にはとっくに第一線で…』 混乱。年月のバグ。


「アンタも凝ってんだろ? 肩。こんな立派なモンたずさえてさ!」


 マダムの首元を指さす。「あぁ。このネックレス…」「違う! ムネだよ、ムネ! まったく羨ましい。ひゃっひゃ!」「…」 そう言えば、調べた時のデータに『巨乳好き』 とか書いてあった気がする。

 『まったく、くだらんコトを思い出したわ…』 タメ息をついた。その時!


『ビビーーーーーー!!!』


 コンサートホールに! 甲高い笛が鳴り響いた!


「あらら? もうかい。もうチョイお喋りしたかったんだがねぇ」

「えぇ。それは、またの機会に」『助かった…』


 背を正して前を向く。と、『パッ!』 ステージ上に、一筋のライトが差し込んでいた。


「「えー、ご来場の皆様! 大変長らくお待たせいたしましたッ! 只今より、第121回。コインデック号船内オークションを始めさせていただきたいと思います!!」」


 登壇したのは、オークショニア。ホールからは『パチパチパチ!』 儀礼じみた拍手が鳴り響く。「おや、彼女もずいぶん肩が凝りそうだの」「…」


「「ありがとうございます。それではまずオークションの説明から…」」


 それから、淡々とスケジュールが流れていく。正直退屈この上ないが、ひとつ文化の最たる催しとして、聞いている全員が顔をウンウンと振っていた。「「続きまして!」」 船長のスピーチ。まるでブリキロボットのようにカチカチ歩く船長が登壇する。


「「ほんじち、ほんじちゅ、ほんじゅ…」」


 舞台袖の操縦士は、両手を握りしめて無事を祈っていた。


「「えー、い、以上でーす」」

「「ありがとうございました! それでは、いよいよ。メインイベントの方に移らせていただきたいと思いますッ!」」


 拍手で船長を送る。大きな大きな、盛大と言って過言ではない拍手だ。「聞いてください船長。すごい…」「うん! 結果良しだな」 もちろんスピーチに対しての拍手ではない。冬が終わるように、つまらん開会式が終わったことへの解放感からの拍手だった。


「「まずはッ! カタログ番号の一番から…」」


 元劇団員のオークショニアによる過剰な腕振りによって、舞台上には商品が運ばれてくる。世界中から運び込まれた、人生を金に換えてようやく触れられる一品たち。ここに運ばれるまでの血まみれの経緯さえ、スポットライトの光は白くトばしていく。「「さぁ! 入札は1000万…」」 オークションが今…始まった。


「ぐごー、ぐごー」

「…」

「んぎゅ、ぎゅ…」

「…紅竜さん。始まりましたよ」

「ぐえっ! おぉ! スマンスマン。が、はて? 自己紹介なんてしたかな」

「エッ! ホホ、されましたよホホホ!」

「「さぁ!! もういませんか? ……それでは!」」


 オークショニアの鳴らしたハンマーが、会場に轟く。と、同時に、ステージの商品が、左の袖へとスライドしていった。「「どんどん行きますよ! 続いての商品は…」」 2回、3回。オークションは繰り返されていく。


「…」


 マダムは顎を引き、その全貌を推察していた。


『やはり、値の動きが疎い』


 長くこのオークションに参加してきた身として言わせてもらう。このセリ。目玉以外の商品は全て、ただの添え物でしかない。

 『当然ね。絶対欲しいのもを前に、無駄遣いする奴なんていないもの』 出品側もそれを分かっているのか、マダムの目キキからしてピンとくるものが無かった。


『おそらく、メインただ一品の為だけに作られたコース』

「アレすごいのぉ!」

「主様、どうか声を…」


 従者とペラペラ雑談する隣人を尻目に、マダムは唸りかけた喉をグッと堪えた。

 『この会場の全員が、狙う。なんて恐ろしい話かしら』 戦々恐々。元来、昇り詰める人間は眼が変わって来るものだ。気迫、求心力。色々あったんだろう。しかし、総じて持ち合わせているものがある。


『相手の情報をピンで止め、合算し、値段を付ける力…人を見る目』


 そんな目が、一心に、一人の子供に注がれる。


『まるで公開解剖、ね…』


 『…』 色々と、思わないでも無い。年齢だけで見れば、自分の娘とはずいぶん重なる。

 しかし、マダムは頬杖を突き、ズイとステージ上を見下した。

 『カンケーないわ』

 今ここで心を痛めるなら、今までにも痛がる機会なんて多数あった。『デミの子供を手に入れたとなれば、それはどんなトロフィーよりも価値がある』 その剛腕に、光も影も無い。後はただ、掴むだけ。


『ほっほー、お隣さん。気合入っとるねぇー!!』


 紅竜は思わず吹きたがった口笛をこらえて、懐から取り出した扇子に隠した。


『じゃあがぁ。気合だけじゃどうにもならんのよねぇ。それじゃあまりにイッペントウすぎるもんで』


 扇子を従者の耳に寄こす。「………」「…?」「あれ…よろしく…」「うひっ! …ハイ」 小声で指示を受けると、従者はケータイを操作しだした。

 すると、大体5分くらい経っただろうか。


『ブルルルルル』

「!?」


 稲妻の轟くように、会場をケータイの音が通過! それも、一つではない。『ピロロロロロロ!』『ヴィー、ヴィー』 連鎖。ドミノ仕立て。まるで呼応するかのように、次々とコールが鳴り響いていく!


「なっ!」


 マダムのケータイも例外ではない。振動し、光る。そして逆に、音を聞いたマダムの驚き。これも他の人にとって例外ではない。みんながみんな血相を変えて、コール音ではなく悲鳴を聞いたかのように顔を青く染めている。


『緊急…ダイアル…』


 ガタンと席を立ちあがり、出口の方に体を向けた。しかし、『コルルルル』『ピー、ピー』 出口はとっくに電話を抱える人々でごった返し、 オロオロと足踏みをしている。


「やぁ! どうしたどうした。こりゃ一体なんのオーケストラだい」


 紅竜は目を見開き、大きく肩をすくめた。

 「貴方…!」 マダムの鋭い目ツキが襲う。


「貴方の…仕業ね!」

「おっとマイったねこりゃ。そうオカンムリになられても、何のこっちゃ知れないよ」

「このッ…」

「ひゃ! 怖いねぇ怖いねぇ。何のことか分からないから、より一層怖いねぇ…あぁ、だけどさ」


 立ち上がり、扇子をマダムの耳に近づける。


「もし困ってるんならさ。201号室…アタシの部屋さね。後でおいでよ。もちろん、子供も連れて」

「ッ! …失礼っ…!」


 マダムは踵を返し、忌々しくその場から去って行った。


「あの…お知り合いですか?」

「うむ、昔にな。風のウワサで子供ができたと聞いとったが、ありゃ色気も増してタマランねぇ」


 くすぶるように笑う。それは、イタズラが成功した時のような。誰かをからかったり、茶化した時のような。シメシメと口を押えて笑う、狐のようなカタチをしていた。「くくく、からかいがいは変っとらんが」 いや、あるいは少し、魔が掛かっているようにも見える。


『もしホントに来たら、わしの子も作ってもらおうかの』


 妄想に機嫌よくおどけ、扇子を舞わせる。その時だった。


「…!」


 目に入ったのは、細く、黒い髪を肩に掛けた女性。ステージから溢れたライトに照らされて、まるで今にも消え入りそうな女性。


『鬼め…来とるのか』

「「続いて! カタログナンバー6! 距離にして遥か遠く、年月にしてますます遠い!かの呪術大国、アスポロメリアより神官の末裔であります! 『ウロボロ…」」


 紅竜は舌をペロリ、唇に一周させた。『後で茶々でも入れに行くかの』 思い描いてニタリ顔。だが、ふと気に掛けたオークショニアの様子がおかしい。


「「あ、えー。失礼いたしました。こちらの商品に関してなのですが」」


 オークショニアは気マズそうに「その…」 さっきまでの演技ばった自分を縮こまらせている。


「「申し訳ございません。諸事情により、本日の出品を中止させていただきます」」


 「…」「……」 会場からは、特に何の反応もない。ブーイングもドヨメキもない。ただ『へ~』 くらいの雰囲気しかなかった。

 と言うのも…『自殺か』 みんな察していた。生物、特に人間を扱うオークションでは、往々にしてこういうことが起こる。もちろん明らかに抵抗の激しい者に対しては相応の拘束がなされるのだが、事前段階で問題ない場合は檻に入れられているだけのことが多い。


『まっ、今日はみんなデミ目当てじゃて、文句の一つも出んじゃ…』

「…チッ」


 鼓膜を打つ、舌の音。目を向けると、さっき見つけたばかりの鬼が、まるでたなびく木綿タオルのごとく椅子から立ち上がっていた。「!」 驚き、眉を吊る。『また、奇怪な』 鬼はそのまま、少し垣間見えたイラ立ちさえ失せた足取りで、会場の外へと揺れていった。


『相も変わらず、変わったヤツ』


 背もたれに体を預け、ずんぐりとステージを見下ろす。ホールには、さっき電話で追い出した人間たち以外の人間(鬼は鬼だから例外)。紅竜の持つ権力を持ってして、動かしきれなかった連中が残っている。


「まぁまぁ、今はこっちか」


 紅竜は楽しそうに顔を歪めると、空いた右の席を活用してゴロンと寝転がった。足は従者のモモの乗せた。

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ショタ、逃げるだけ ポロポロ五月雨 @PURUPURUCHAGAMA

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