Extra: Missing piece2
*
今日は朝から雲がかかった天気で、昼間になっても気温が上がらない。いよいよ冬が近づいてきている。
この冬を、この国は越せるだろうか。
麻薬精製工場の味気ない塀を眺め、煙草をふかしていると、近づいてくる人影があった。
戦闘服に身を固め、
ブラウンにしては金色の強い、暗いブロンドの髪と、
自分と2メートルほどの距離を取り、敬礼される。
「大佐」
自分はもう、その階級ではなくなっているだろう、と答えると、男は眉間に皺を寄せて首を横に振る。
苦い笑いが込み上げてくる。
この国で、自分のような敗者に肩入れするのは、即ち死だ。
「大佐が今、国でなんて言われているか、ご存知なんですか?」
まるで責めるような口ぶり。だが、そうなるのも仕方ない。
クーデター実行犯になってしまった以上、自分の部下や後輩だった若手は、随分とやりにくくなっただろう。
「どうせ悪口だろう? 聞くまでもない」
2メートル先にいる男。
ナリンジェス、という名前だったと思う。
今いる後輩の中で一番、腕がいいと思った
本来なら、自分が死ぬなりリタイアすれば、『
正直、それ以外の印象がない。
「大佐は、大統領府にいた仲間と民間人を皆殺しにした、重罪人として扱われています」
「ならお前は、俺を大統領名前に突き出した方がいい。昇進できるチャンスだ」
そう言いながら、腰に挿した
処刑などごめんだ。引き金は自分で引く。
「あなたは、そんな浅はかなことをする人ではないです。みんな、そう言ってます」
そう言ってナリンジェスは、困ったように眉を下げる。
「いや、俺は浅はかだ」
他人が言う「みんな」とやらはアテにならない。どうせ、ナリンジェスの思い込みで、相手の反応をいいように捉えているだけだ。
「ナリンジェス」
「ナロンヴァスです」
何とか思い出した名前を訂正されて、無言の気まずい空気になる。
「ナロンヴァス……お前はその足で
煙草の煙をゆっくり吐き出し、気を取り直すための時間を十分に取って、切り出した。
「大佐?」
ナロンヴァスが目を見開いて、固まっている。
「『六匹の猟犬』がいなくなった今、反政府勢力の存在感が増す。対クルネキシア戦で四苦八苦している今の軍が、それに耐えられるとは思えない」
それが、軍の中から見た景色ではなく、市井を歩いて感じて得た感想だ。
「でも、我々は国民のために」
「国民のために、お前らが必要なんだ」
ナロンヴァスが言い切るのを遮って、言葉を続ける。
「お前は軍を捨てろ。あと、軍にいる有能な若手を説得して、市民を巻き込む戦闘になる前に、反政府勢力側もしくはクルネキシア側に寝返らせろ。
これ以上死なすわけにはいかない」
「大佐」
ナロンヴァスは反論したそうな顔をしているが、今言ったことを全否定できる余力は、今のこの国にない。
「それだけを伝えに来たんですか」
苦虫を噛み潰したような顔で、琥珀色の瞳から鋭い視線を向けられる。
「そのためだけじゃないけどな」
何のために、ここにいる?
それは、尋ねられると一番、回答に困る質問だった。
「大佐」
自分があれこれ考えている間に表情を元に戻したナロンヴァスは、声をかけてくる。
「今まで、ありがとうございました」
最後までナロンヴァスは、こちらに銃口を向けてはこなかった。軍にいた頃と同様に、敬礼をしてから踵を返していく。
今の自分には、その後ろ姿に幸運を祈るしかない。
翌日、ナロンヴァスを含めた数名が反政府勢力側に寝返ったと聞いた。
その翌日には、陸軍・空軍の幹部クラスが数十名と訓練生約200人が一度に脱走した。その次の日も、大量に兵士は脱走した。
この人数に逃げ出されると、軍には行方を追う余力がない。
10月の半ばには、軍は完全に空中分解した状態になり、反政府勢力やクルネキシアへ寝返る兵士に歯止めが効かなくなっていた。
そうこうしているうちに、大統領だったアヴェダは反政府勢力に拘束された。
あの女に渡した暗号は、解読されないまま、放置されているのかもしれない。
この場所の座標を書き残した、あの包み紙は、もう捨てられた後かもしれない。
それなら、それでいい。
国の混乱がこれ以上悪化する前に、自分はそろそろ引き上げた方がいい。
そう思いながら空を見上げると、うっすらと空気に水分が混ざり始める。
まだ本格的に降り出す前の、服を満遍なく濡らすタイプの小雨だった。
火をつけたばかりの煙草が湿気そうな、嫌な雨。
そこにやっと現れた。
見えないくらい細かい雨の中、差し出された手。その掌に置かれたチョコレート。
「はい、どーぞ」
自分が国を出ようとした日に、フチノベ ミチルはやって来た。
ちゃんと暗号を解いて、サハラの骨を持って、ここに現れた。
*
リエハラシアから第三国に出られたのは、フチノベ ミチルと再会して10時間ほどしてからだ。
日本からリエハラシアへ向かうまで紆余曲折あったらしく、国境警備隊とのやり取りだったり、手続き関係の処理に、フチノベ ミチルはだいぶ慣れていた。
数々の手続きから解放された昼下がり。
交通機関を乗り継いで、この国の首都に出る。
ここまで来ると、国境側の雑多な混乱は遠い出来事のように、穏やかで平和な時間が流れている。
喫煙スペースのあるレストランをやっと探し当て、
軽い腹ごしらえをしようと言いつつも、煙草を吸うために入ったようなものだから、奢らされる気がする。相手が非喫煙者である以上、これは仕方ないのだろうが。
フチノベ ミチルはレストランの端の席で、メニューを熱心に見つめている。
「イベリコ豚のソテーと、牛肉の赤ワイン煮込み……美味しそうですよね」
「奢られるつもりなんだろうが、一番高い肉料理は頼ませないからな」
席に座りながら言うと、恨みがましく睨まれ、しっかり聞こえる音量で舌打ちされる。
「態度が悪い」
この女には、人に敬意を払え、とその昔も言ったはずだが、すっかり忘れているらしい。
自分が席に戻ったのに気づいたスタッフが、オーダーを取りに来て、コーヒーとサンドイッチを頼む。
「この後どうするつもりだ」
なんとなく合流して、リエハラシアを脱出するまで、この先の話は全くしなかった。
この後の話をするのは、今が初めてだ。フチノベ ミチルは薄く笑って見せた。
「2月になったら一旦、日本へ戻ります。墓参りがしたいから」
「それまでは?」
2月までは4ヶ月近い時間がある。
「なんにも」
フチノベ ミチルは、「せっかくだからオーロラでも観に行くのもアリだと思う」などと、本気でもないだろうに、のんきに呟いている。
この空気が、懐かしかった。
素直に言えば、このまま別れがたいと思った。
「ついてくる気は」
「いいですよ」
宛てのない旅と表現していいのか、逃亡生活と呼ぶべきなのか。
それに付き合う気があるのか、と聞こうとしたが、言い終わる前に首を縦に振られる。
「いや、そんな気楽に即答する話じゃないだろうが」
何も考えずに頷いたようにしか見えず、呆れるしかない。
「だって、バイト辞めたし、自宅も引き払っちゃったし」
「は?」
サラッと言われたが、要するにこの女は、今回のリエハラシア行きでも、無事に日本に帰るつもりなどなかったのだ。
「因縁深いリエハラシアに行くんだから、こちらとしても死ぬ気だったんですよ。玖賀パパとマナトとも涙のお別れしてきた」
クガが絡んでいるというからには、フチノベ ミチルの住居や生活基盤は、おそらく綺麗さっぱり後始末された後だ。
この女、墓参り以外で日本に帰る理由が、なくなっている。
「お前は、破れかぶれにも程がある」
思わず右手で額を押さえた。
「サバちゃんに言われたくないですけどね」
フチノベ ミチルは、たった今テーブルに届いた、イベリコ豚のソテーと牛肉の赤ワイン煮込みに、きらきらした目を向ける。
この料理は、いつの間に頼んでいた?
*
フチノベ ユウコの墓参りの後、立ち寄ったのはカフェだった。
奢らない、としっかり承知させてからメニューを頼ませた。
他人の奢りでないと、コーヒーだけで済ますのが小賢しいと思う。
「反政府勢力代表で、クルネキシアとの統合交渉に出てきてた人、もとはリエハラシア軍の狙撃手だったそうですよ」
スマートフォンでニュースでも読んでいるのか、画面に視線を落としたまま、話しかけてくる。
「そうか」
自分は、適当に頷くしかない。
ナロンヴァスは生きていて、活躍しているのは知っている。自分が託したことは、大体やってくれている。
決して望ましいやり方ではなかったし、市民の犠牲はあまりに多い。
だが、自分は何の手伝いもしなかったのだから、文句を言う権利がない。
人間とは身勝手な生き物だ。
どんなに言い聞かせたところで、自分がこの結果を受け入れるには、時間がかかる。
「ここまでの流れが、自然発生的に起きたって言う?」
フチノベ ミチルはコーヒーを一口飲み、そのままカップを両手で持ち、指先を温めようとしている。
「軍の狙撃手だったからって、全員が知り合いってわけじゃない。そもそも俺は特殊部隊所属だから、公の存在じゃなかったからな」
自分が頼んだコーヒーとホットドッグが、テーブルに運ばれる。
湯気を立てるコーヒーカップを手に、フチノベ ミチルを見る。自分の言葉に対し、納得していないのがよくわかる顔をしていた。
自分が教えてきた後輩だと知れば、この流れになるように仕向けたのだろうと言ってくるのは、目に見えている。
「いつも、どこまで計算してやってるんですか?」
フチノベ ミチルは、じっとこちらを見つめてくる。
本心は窺わせずに、映り込む自分の姿だけが見える黒い瞳。
「そんな綿密な計算ができるなら、
鼻で笑うしかない。
「思わせぶりに振る舞っておけば、上手くいった時に、ここまで人を疑心暗鬼にできるものなんだな」
計算も何も、その場その場で最適解を選んできただけだ。
結果的に成功した、もしくは失敗した、そのどちらかでしかない。
サハラも同じような選択をしただろうし、サハラがそう教えてきたから、こうなった。
フチノベ ミチルは無言で、ゆっくり瞬きを繰り返す。
視線は手元のカップへ移り、また一口、コーヒーに口をつけた。
「サバちゃんって、性格悪い」
そう言いながら、呆れた様子で笑った。
「知らなかったのか」
自分は、趣味も性格も悪い。
ホットドッグに齧り付くと、恨めしそうな目で二、三秒見られた。
「最近、穏やかに過ごしてたから、サバちゃんが性格悪いことを忘れてた」
「ちゃんと覚えておけ」
ニヤリと笑ってみせると、案の定「不気味」と呟かれる。この流れに、もう慣れてきてしまった。
「今度はどこへ行きましょう?」
墓参りが終われば、フチノベ ミチルには、日本にいる理由がなくなる。
故郷なのだから、もっとゆっくり過ごせばいいのに、と思うが、本人は日本に滞在したがらない。
――この女も、現実を受け入れるのに必死なのかもしれない。
どこへ行くか、と尋ねられた瞬間、
"どこかの島でも買おうかなぁ"
とボヤいていた男の姿を思い出す。
「南の島。寒いところはもう飽きた」
その男は無事にリタイアできなかった。自分も、無事にリタイアしたとは言い難い。
お互い、思っていたような人生にはならなかった。今まで、他人から人生を奪ってきた報いだろう。
「キャラに似合ってないですよ。オーロラ観に行く方が似合うと思う」
「お前が観たいだけだろ」
会話で気軽に笑うこの女の手も、血で汚れている。
この旅は、地獄までの片道。
マイ・ファニー・ヴァレンタイン 卯月 朔々 @udukisakusaku
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