08 火中に飛び込むお人好し

 曇天の空の下、真依と途中で分かれた楓は一人通学路を下校していた。

 季節は梅雨を迎え、楓は制服を夏服に衣替えしていた。


「最近、物騒な事件が続いていて落ち着かないですよねぇ」

「ええ、ここでも最近警察署でイルフが暴れ回ったそうじゃないですか?」

「そうなのよ。 イルフといえば年明けのニュースになったあの大事故もイルフが関係してる噂があるって家の息子が……」

「本当? やっぱりイルフって危ないんじゃ……」


 楓は道端で会議をしている主婦らしき女性達を横目に家路を進む。

 幾程かの道のりを歩くと何やら大声で叫んでいる人の集団が楓の目に留まった。


(喧嘩、でしょうか……?)


 他校の高校の制服を着た男子学生達が血走ったような目で睨む視線の先に目を向けると、楓と同じ制服を着た長く明るい茶髪の女子学生がそこにはいた。


「長谷川ァ……! その顔ボコボコにしてやるからなぁ……!」

「……」


 長谷川と呼ばれた女子学生は四人程の男子学生達に囲まれ大声で脅されていたが、眉一つ動かすことなく涼しい顔をしていた。


「てめぇ……!」


 男子学生の一人が腕を振り上げ女子学生を掴みかかろうとしたその瞬間、


「ごめんなさい! 待たせてしまいましたね。 さぁ早く行きましょう!」


 急に茶髪の女子学生の腕を握り連れて行こうとする赤髪の女子学生が現れた。

 楓である。


「ちょ、ちょっと!? 待って!?」

「すみません、通してもらえますか」


 先程までの涼しい顔とは打って変わって、突然のことに目を丸くし驚く茶髪の女子学生。

 彼女の制止を無視し、楓は男子学生の集団を掻き分けて進もうとする。


「おい! 待てっ!」


 怒声を上げ楓に手を伸ばす男子学生。

 が、

 

「フッ!」


 楓は茶髪の女子学生から離した両手を使い、逆に男子学生の手を取ると勢いを利用し受け流す。

 男子学生の向きを変えさせると、背中を軽く突き飛ばして距離を遠ざけた。


「乱暴は止めてください……!」


 刺すような鋭い視線を男子学生達へ向ける楓。

 彼女の視線の迫力に男子学生達は一瞬怯む。

 その隙を突いて茶髪の女子学生が楓の手を引き走り出した。


「こっち!」


 男子学生達から逃げるため二人は次々と角を曲がり町を駆ける。


「どこ行ったぁ!?」

「長谷川ァ!」


 楓と茶髪の女子学生の二人を見失い熱り立つ男子学生達。

 しかし町中を血眼で探したものの彼女達の姿を見つけることは出来なかった。

 二人はどこへ身を隠したのか?

 それは、あるカラオケ店の中であった。


 +++++


 薄暗いカラオケ店の個室。

 二人はモニターの光に照らされながらソファに隣り合って座っていた。


「いやぁ助かったよ! でも、あの連れ出し方はいくら何でも無理じゃね?」

「咄嗟だったので良い方法が思い浮かばなくて……」


 茶髪の女子学生の指摘に顔を赤くする楓。

 赤面して俯く楓の姿を見て茶髪の女子学生はけらけら笑い、


「アハハッ! まぁ、おかげで逃げられたし。

 ありがとね、三島ちゃん」

「えっ? 私の名前を知ってるんですか?」

「三島ちゃんでしょ? 三島楓ちゃん。 あたし、同じクラスだよ」


 自分を指差しながらニッと笑顔になる茶髪の女子学生。

 一方の楓は気まずそうな様子であった。


「すみません……気付きませんでした」

「ああ、いいっていいって。 あたし、よく授業サボってるし。

 長谷川凛はせがわりんだよ、ヨロシクね三島ちゃん」

「はい、こちらこそ宜しくお願いします、長谷川さん」


 と、楓の頭にある疑問が浮かぶ。


「長谷川さんは何故、あの男子学生達に脅されていたんですか?」

「んー……あたしがあいつらをボコったから、かな?」

「えっ!?」


 調子外れの声を上げ動揺する楓。

 凛が一方的な被害者だと楓は思っていたためであった。

 すると凛は呆れたように肩を竦めて、


「前にあいつらがウチの女子生徒を無理矢理ナンパしてたから止めるように言ったんだよ。

 そしたら突然キレだして、手を出して来たから逆にボコボコにしてやったんだ。

 それ以来、恨みを買っちゃったってわけ」

「な、成程……」


 自分が助けた相手は完全な悪人ではないと知り、楓は心の中で安堵の息をつくのだった。

 

 二人が使用している個室のドアの前を掃除機型のイルフが床を清掃し通り過ぎて行く。 

 楓はふと凛の明るい茶色の髪を見つめる。


(長谷川さんのこの髪は地毛ではないですよね。 確か校則では髪を染めるのは禁止されていたはず……)

 

 と、凛がいきなり楓の側に寄り、顔を近づけてくる。

 

「ど、どうしましたか長谷川さん!?」


 再び心が動揺しだす楓。

 凛はそうした楓の様子を気にもせずに楓の髪を摘む。


「すげぇ、マジで真っ赤だ。 これ地毛なんでしょ、三島ちゃん?」

「え、ええ! そうですけど!」 

「めっちゃ綺麗な髪だね。 羨ましいわ」

「き、綺麗!?」


 綺麗という全く慣れていない褒め言葉を言われ、楓は最早パニック状態に陥っていた。

 しかし凛は混乱の最中にある楓の事を一瞥もせずに自分の鞄を手に取り中を開けると、何かを取り出す。

 凛はその取り出したものを楓の髪へと差した。


「おー! いいじゃん!」


 それはフラワーモチーフのヘアピンであった。

 楓は自分の髪にヘアピンが差された事を切っ掛けに正気を取り戻す。

 我に返った楓はヘアピンを外し手に取った。


「これは?」

「あたしの持ち物なんだけど、今日のお礼に三島ちゃんにあげるよ」

「いいんですか? ありがとうございます、長谷川さん」

「ほら、もう一度髪に差して」


 凛に求められ楓は再びヘアピンを髪に差した。

 ヘアピンを差した楓の姿に満足そうな顔をする凛。

 それから彼女は通信カラオケのリモコンを手に取り検索した曲を予約する。


「せっかくお金払うんだから何か歌わないとね」


 マイクを手に取りスイッチを入れる凛。

 個室のスピーカーから前奏が流れ、やがてモニターに歌の歌詞が表示される。

 そしてAメロが流れだし凛の歌唱が始った。

 凛の歌う曲は流行りの歌に疎い楓でも知っている最近流行の有名なポップスだった。

 その曲を歌う凛の張りがあり透き通る様な歌声に楓はすぐに引き込まれ、いつの間にかうっとりと聞き惚れているのであった。


 ──モニターにスタッフクレジットが表示されスピーカーから凛の歌った曲の演奏が終わった。

 パチパチパチ……

 凛の歌を聞き終えて楓は自然と拍手をしていた。


「ありがと、三島ちゃん!」


 楓の拍手に凛は笑顔で応えた。

 と、彼女は手にしていたマイクを楓へと差し出す。


「今度は三島ちゃんの番。」

「えっ!?」


 凛から歌うことを求められ体も思考も固まる楓。

 彼女は生まれて活動を始めてから今までの半生の中でカラオケで歌を歌ったことなど一度もありはしなかった。

 楓の意外な反応に凛は不思議そうな表情をする。


「どうしたの、三島ちゃん?」

「私、初めてなんです……カラオケで歌を歌ったこと、ないんです」

「マジ!?」


 予想外の答えに驚きの声を上げる凛。

 彼女は通信カラオケのリモコンを手に取ると、


「じゃあ、一緒に何か歌おう? リモコンの使い方も教えてあげるからさ」

「ええと、でも……」

「声出して歌うのって結構気持ちいいんだよ。 まぁ、嫌なら無理にとは言わないけど」


 楓は暫し沈思黙考すると大きく深呼吸をし、


「……分かりました。 やります!」


 カラオケで初めて歌うことを決断する。

 それはとある大きな寺院の舞台から飛び降りるが如く、彼女にとって必死の覚悟であった。


 凛が楓と一緒に決めた二人で歌う曲は楓がよく観ていたドラマの主題歌の曲であった。

 恐る恐るマイクを手に持ち口へと近づける楓。

 そして曲が始まった。


 ──最後のフレーズを歌い終える楓と凛。

 スピーカーから流れていた曲の演奏が終わる。

 パチパチパチ……

 手を叩き拍手をした主、凛が微笑みながら楓の歌唱を褒め称える。


「いいじゃんいいじゃん。 初めてにしては上出来だったよ、三島ちゃん」


 一方の楓はというと、今にも火が出そうなくらい顔を真っ赤にしていた。


「とんでもないです……一番のサビくらいしかまともに歌えなかったのに……

 それにこの曲、Cメロもあったんですね。 全然知りませんでした……」


 自分の歌の出来栄えに両手で顔を押さえ酷く恥ずかしがる楓に、凛は少し困ったように笑いながらフォローを入れた。


「うーん、まぁ、最初は誰だってこんなもんだよ。 でも、三島ちゃんは初めてにチャレンジしたんだからさ、立派だって!」

「そうですか……」


 顔を押さえていた両手を下にずらし、目だけを出すと自信無さげに凛の方を見る楓。

 凛は気まずそうに楓から視線を外すと呟くように話しかける。


「あー……やっぱ歌うの嫌になっちゃったかな? ごめんね、三島ちゃん」


 すると楓が、


「いえ、正直恥ずかしかったですし、まともに歌えたのは一部分でしたけど声を出して歌うというのは気持ちいいものだと知る事が出来ました。

 それだけでも今日この場で初めて歌う事が出来て、とても良かったです」


 楓の言葉にぱぁっと明るい表情になる凛。


「でしょ!? あたしも歌うの大好きなの!

 ねぇ、もう一回歌わない、三島ちゃん?」

「え、ええと、じゃあさっきと同じ曲でもいいですか?」

「オッケー、二人で練習しよっか!」


 再びスピーカーから先程と同じ曲が流れ出す。

 この後、二人はこの曲を何度も歌った。

 その度、自分の歌が上手くなっていくことに快感の様なものを感じて楓はカラオケで歌うことにのめり込んでいった。

 それから、欲が出てきた彼女は他のいろんな曲にも挑戦していく。

 気が付けば二人はルー厶の利用時間を何度か延長し殆ど途切れること無く歌を歌い続けていたのだった。


 +++++


「一緒に歌えてマジで楽しかったよ、三島ちゃん」


 カラオケ店の受付前。

 二人はそのまま分かれて帰ることになった。

 楓はある事情で申し訳なさそうに凛に話し掛ける。


「本当に良いんですか? 私の分まで料金を支払ってもらうなんて」

「このカラオケ店に三島ちゃんを連れ込んだのはあたし。 その切っ掛けになった喧嘩もあたしが原因。

 だから三島ちゃんは気にする事なんか全然ないよ。

 それにさっきも言ったけど三島ちゃんと歌ったの楽しかったし!」


 ニッと笑顔になる凛。

 凜の明るい笑顔に楓も微笑むと、


「分かりました。 それでは長谷川さんの言葉に甘えさせてもらいます。

 それから私も長谷川さんと歌えて楽しかったです」


 楓の言葉に凜は少し照れくさそうに口の端を上げると自動ドアを抜けて去って行った。


「じゃーねー、三島ちゃん!」


 楓は楽しいひと時を過ごして忘れていたが、時計の針は日没の時刻をとっくに過ぎていたのだった。


 +++++


「ただいま帰りました……」


 おずおずと玄関のドアを開け家の中へと入る楓。

 彼女は帰宅が遅くなってしまったことで瑠奈から叱られるのではないかと思い、体が無意識に縮こまっていた。

 玄関のドアを静かに静かに閉める楓。

 そして、廊下の方に振り返ると、


「お帰り、楓」

「ッッッ!?」


 そこには金髪碧眼の長身の女性、三島瑠奈が立ち塞がっていた。


「ごめんなさいっ!」


 瑠奈が何か言葉を喋るより早く飛び散る火花の様なスピードで頭を下げる楓。

 楓の謝る姿を見て瑠奈は短く溜息を吐くと、


「色々言いたい事はあるけどお前の事だ。 その謝罪は心底からのものだろう。

 反省してるようなら次からは遅くなる時、連絡を入れること、いいな?」

「はい……」

「と、まぁお前が謝ったから説教してみたものの実際は何があったんだ?」

「それが──」


 楓が瑠奈に今日の下校中に起きた凜との顛末の大体を語ると、二人はキッチンへと場所を移していた。

 楓から聞いた話に瑠奈は呆れた様な深い溜息をついた。


「はぁー、本当にお人好しだなお前は」

「でも、女の子が一人で何人もの男の子から乱暴を受けるだなんて見過ごせませんよ」

「確かになぁ……だが、する暇が無かったとはいえ事情をよく把握もせずに首を突っ込むのはどうかと思うぞ」

「それは……その通りですね」


 楓は凛があの喧嘩の一方的な被害者ではなかったことを知り、自分の行動を後悔しかけた事を思い出していた。

 落ち込んだ様子の楓を見て、これ以上彼女を注意する必要が無いと判断した瑠奈は、


「まぁ、次からは気をつけてくれよ。

 それよりもだ。 楽しかったか、カラオケ? 時間を忘れるくらいハマってたみたいだけど?」


 クスッと微笑む瑠奈。

 と、楓が、


「そうですね。

 初めは全然歌えなかったんですけど繰り返すうちに次第に上達していくのが楽しくって、歌を覚えて盛り上がる箇所で声を張って高音を出すのが気持ち良くって、歌を歌い終えた後、拍手をして褒めてくれるのが、もう病み付きになる程の快感で──」

「ハハハッ、もうドが付く程ハマってるじゃないか」


 落ち込んでいた様子から一変。

 夢中でカラオケの体験を熱く語る楓に瑠奈は初めてで楽しい経験を味わえたのだと心から嬉しく思うのであった。


「で、長谷川さんがくれたんだっけ? 今、髪に差してるその花のヘアピン?」

「ええ」


 瑠奈が指差すフラワーモチーフのヘアピンを手に取る楓。

 ふと楓の赤い髪を瑠奈はじっと見つめる。


「なぁ楓、お前は自分の髪のこと、どう思ってるんだ?」

「どうしたんですか突然に?」

「いやな、お前は自分の赤い髪のこと好きじゃなさそうなのに、それに因んだ楓って名前をつけちゃったから、その辺りどう考えているのかなって思ってさ」


 瑠奈はばつが悪そうに自分の頬を指で掻いた。

 楓は思案するように視線を上へと向けると、


「好きじゃないというのはちょっと違いますね。 周りから浮いて目立つのが気になるってくらいです。

 瑠奈のつけてくれた楓という名前はとても素敵なものだと思っていますよ」

「そうなのか。 なら良かったよ」


 楓の言葉に瑠奈は安堵する。

 瑠奈が胸を撫で下ろすと楓は自分の髪を撫でながら呟くように話し出した。


「それに私のこの赤い髪のことをとても綺麗だと言ってもらえたんです。

 その言葉でなんだか私、この髪のことが好きになれそうな気がするんです」


 楓ははにかみ微笑んだ。


「そうか」


 と、短く応えた瑠奈が楓の両肩を突然がしりと掴む。

 にわかに真剣な表情になった彼女は楓に顔を近づけ、


「で、お前の髪を綺麗だと言ったそいつは男か? 女か?」


 重く低いトーンの声で問い詰める瑠奈にたじろぐ楓。


「ええと、その……女性、というか長谷川さん、なんですけど……」

「そうか……いいか? お前は優しい奴だから男に騙されないように気をつけろよ、楓」

「あっ、はい……」


 瑠奈の迫力に気圧された楓の返事はとてもか細いものとなるのだった。


 +++++


 翌日の放課後。

 学校に残ってテスト対策をしていた楓と真依は勉強を終え、下校するために校門へと向かっていた。

 その勉強の中で楓の意外な一面を知った真依。


「楓って勉強教えるの上手いんですね。 特に数学はやり方を分かりやすく順番に教えてくれて、今まで分からなかった事がこんなに簡単に理解できちゃうなんて……」

「記憶と計算と簡潔な表現は得意なんですよ。 何故って……こう見えて私、イルフですから」


 感心する真依の耳に小声で冗談を囁く楓。

 彼女の冗談に二人はクスクスと笑い出す。

 楓の冗談に笑いながら歩いていると校門の直ぐ外が何やら騒がしい事に気付き二人は歩みを止める。


「何かあったんでしょうか?」


 楓は校門の外に目を向ける。

 そこには昨日、凛を脅していた学生達と同じ制服を着た男子の集団と楓と同じ制服を着た長く明るい茶髪の女子学生、凛本人の姿があった。

 楓は凛の姿を確認するや否や校門に向けて走り出す。


「楓!?」


 突如、走り出した楓に驚き彼女の名前を呼ぶと楓の後を追って真依も駆け出した。


「長谷川ァ!!」

「怒鳴らなくても聞こえてるよ」


 凛の名を叫ぶ男子学生に彼女は冷ややかな反応を示す。

 校門前で凛の下校を待ち構えていた男子学生達は囲んだ目的の獲物を今にも噛み付きそうな視線で睨んでいた。

 そこへ、校舎の方から駆けてきた楓が現れる。


「長谷川さん!」

「おっ、三島ちゃんじゃん。 元気ー?」


 凛の身を案じ心騒ぎしていた楓とは真逆に凛は平然とした態度で楓に挨拶をした。

 自分たちを無視したようなやり取りをする二人に男子学生達は激昂する。


「てめぇらァ!!」

 

 怒号を上げる男子学生。

 騒ぎ立てる男子学生達の輪からやや離れた場所へ楓の後を追ってやって来た真依が足を止める。

 すると真依に気付いた男子学生の一人が彼女へと走り寄る。

 そして、その手を振り上げ真依へと向けて──


「キャアアアア!!」


つづく

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