07 姉

「翔馬の靴が無い……あいつ、こんな時間に一人で外へ出て行ったみたいなの!」

「なんですって!?」


 翔馬が家からいなくなった事に狼狽える飛鳥の言葉を聞き、楓も驚きの声を上げる。

 飛鳥は踵を返して家の奥へと向かった後、暫くして楓と真依がいる玄関へと戻って来た。


「──スマホも家に置きっぱなしだった……! どうしよう! 一体どうすれば……!」

「私達で探しましょう。 それと警察にも連絡を」


 楓の提案に三人は直ぐに行動を開始する。

 警察へ翔馬の捜索を依頼すると、三人は飛鳥の家の前へと出た。

 そこで翔馬を探すための確認を楓が取る。


「先程言ったそれぞれの場所へ三人で手分けして探しに行きましょう。 楠さんはまず、近所の人へ翔馬くん捜索の協力をお願いしてください。

 何か情報があれば直ぐに電話で連絡を。

 真依、楠さんから翔馬くんの写真を貰いましたか?」

「はい、確かに」


 翔馬の写真が映ったスマートフォンの画面を楓に見せる真依。


「了解です。 では行きましょう」


 楓の言葉を受け、三人は夜の町を駆け出した。


 +++++


 スーパーマーケット、コンビニエンスストア、ありとあらゆる飲食店。

 この時間に人が集る様々な場所で三人は翔馬の姿を見かけていないかの聞き込みを行った。

 だが中々翔馬の目撃情報を得ることは出来なかった。

 その後、三人は一度集まって情報を整理することにした。

 すると、


「翔馬の姿を見た人がいたの!?」

「ええ、今、そこで、会った、人が、水路沿いの、線路の、方で、翔馬くん、らしき、男の子を、見たって、ハァッハァッ……!」


 ようやく掴んだ情報を息も絶え絶えに伝える真依。

 彼女は飛鳥にその情報を一刻も早く伝えるため、体力を使うことが苦手にもかかわらず必死に走ってやって来たのだった。

 真依の情報を聞いて一目散に水路沿いの線路へと向かい走り出す飛鳥。

 その飛鳥の背中に向かって彼女の名を楓は叫ぶ。


「楠さんっ!」

「楓、わたしの、ことは、いいから、ハァッハァッ……楠さんに、付いて、行って、あげて、ください、ハァッ……!」

「すみません。 行かせてもらいます、真依!」


 飛鳥の後を追い、楓も水路沿いの線路へと走り出す。


 +++++


 (お父さん、お母さんどうして俺の誕生日の日に家にいてくれないの……? 何で一緒にお祝いしてくれないの……?)


 真っ暗な夜の闇の中、線路への侵入を遮る金網の横の道路を翔馬は一人とぼとぼと歩いていた。

 その手には飛鳥が手作りをし、今日プレゼントしてくれた天馬のキーホルダーが握られていた。


(飛鳥姉ちゃん……)


 街灯に照らされ輝く手の中のキーホルダー。

 翔馬がそのキーホルダーをじっと見つめて歩いていると後ろから強烈な光が迫って来る。

 プゥウウウウ!!

 大きなクラクションの音を響かせ、およそ線路沿いの細い道を通るためとは思えない猛スピードで自動車が通り過ぎる。


「あっ!」


 自動車を咄嗟に避けようとした翔馬の手から天馬のキーホルダーが金網をすり抜け線路内へ放物線を描き飛んでいく。

 猛スピードの自動車はスピードを緩めることもせず、そのまま遠くの方へと走り去って行った。

 キーホルダーを落としてしまった金網の向こうの線路内を呆然と見つめる翔馬。


『フフッ、ハッピーバースデー、翔馬』


 彼の頭の中には今日、自分へ素敵なプレゼントをしてくれて優しく微笑みながら自分の誕生日を祝福してくれた、たった一人の姉の姿が思い浮かんでいた。 

 翔馬は金網を掴む。

 そして手と足を掛けて力を込めると金網をよじ登り線路の中へと入って行った。


 +++++


 翔馬を目撃したという情報があった水路沿いの線路へとやって来た飛鳥。

 彼女は水路を挟んで向こう側にある線路の奥に目を向けながら苦しくなる呼吸も厭わず必死で走り続ける。

「翔馬ーっ! ハァッハァッ! 翔馬ーっ!

 ……あれは!?」


 飛鳥は金網の中の線路の上で何かをしている男の子らしき人影を見つける。

 目を凝らしその人影を見る飛鳥。


「翔馬!?」


 その時、

 カンカンカンカン……


「ッ!?」


 遠くの方で踏切の警報が鳴る音が聞こえる。


(もし今、電車がやって来たら……)


 飛鳥は想像する。

 電車があそこにいる誰かを轢いたとしたら。

 その誰かが翔馬であったら。

 ──という最悪の展開を。


 飛鳥はガードレールを乗り越え水路の横にある高水敷の上へと飛び降りる。


(助走は殆ど出来ない……でも、やるしかない!)


「楠さん!」


 ようやく飛鳥に追いつき彼女の名を呼ぶ楓。

 だが集中する飛鳥の耳に楓の声は届かない。

 水路の向こう側を見つめながら深呼吸をする飛鳥。

 彼女の記録からは大した事もないはずの水路の向こう側の距離が、今の飛鳥の目には遠く彼方に見えてくる。

 そして彼女は目の前の水路を跳び越えようと覚悟を決める。


「せ、え、のぉっ!」


 後方のコンクリートの壁を押して勢いを付けると高水敷の僅かな距離で助走して、そのまま高水敷の縁で強く踏切り宙へと舞う飛鳥。

 両腕を上に上げ伸び上がり、そのまま両腕を大きく振り下ろす。

 その刹那、彼女の集中力がもたらしたものだろうか?

 飛鳥はまるで自分に翼が生え、重力に逆らい空を飛んでいるかのような不思議な浮遊感を味わっていた。

 ダンッ!

 水路を跳び越え着地する飛鳥。

 不思議な感覚を味わった彼女であったがその事を微塵も構うことはせず線路との間を遮る金網へと手を掛ける。

 そのまま金網をよじ登って越えると線路の中へと飛び降りた。

 レールが音を立てて振動する。

 線路の先に目を向けると電車のヘッドライトの光がすぐそこまで近づいて来ていた。

 飛鳥は男の子らしき人影に猛然と走り寄る。

 その人影はやはり翔馬であった。


「翔馬っ!」


 走る勢いをそのまま翔馬にぶつけ、飛鳥は翔馬を線路の端へと突き飛ばす。

 逆に線路の真ん中に取り残される飛鳥。

 彼女へ向かい電車が迫る。

 次の瞬間、


「ッ!?」


 突然飛鳥の体が宙に浮き何かに引っ張られる。


 ──何事もなく通り過ぎて行く電車。

 飛鳥はそれを目で見送る。

 彼女は生きていた。

 砂利の上に座り込む飛鳥は視線を周りに巡らせると翔馬を見つけ彼に近づく


「翔馬! あんた無事なの!?」

「うん……」

「何やってんの!? 死ぬつもり!?」


 翔馬の肩を力いっぱい掴み怒鳴りながら叱りつける飛鳥。

 翔馬は飛鳥と視線を合わせることが出来ないのか俯いたまま話し出す。


「ごめんなさい……

 飛鳥姉ちゃんがせっかく作ってくれたキーホルダーを線路の中に落としちゃって……でも見つからなくて……電車に潰されちゃうかもって……

 本当にごめんなさい……」

「バカ!」


 翔馬の両頬を抓る飛鳥。

 しかし、直ぐに力を緩めると、


「そんな物、いくらでも作ってあげるよ……でも翔馬の命は取り返しのつかないものなんだよ。

 もしも、あんたに何かあったらワタシ……」 

「ごめん、なさい……」


 泣き出す翔馬。

 と、飛鳥の背後から誰かが翔馬へ声を掛けた。


「翔馬くん、君のキーホルダーってこれですよね?」


 声の主は楓であった。


「これ、どこで!?」

「私が今ここで見つけて拾っておきました」


 驚く翔馬にキーホルダーを握りしめさせて渡す楓。


「もう失くさないようにしてくださいね」

「三島さん……」


 突然現れた楓に驚き言葉を失くす飛鳥。

 彼女へ楓は線路の中から出ることを提案する。


「一先ずここから出ましょう」


 +++++


 線路の中から金網を越え外へと出た三人。

 その後、翔馬は泣きじゃくりながら楓にお礼の言葉を伝えた。


「キーホルダー、見つけて、くれて、ありが、とう、楓、お姉ちゃん」

「それと心配かけてごめんなさい、でしょ?」

「うん、ごめん、なさい」


 翔馬の肩に手を置き、彼にお詫びの言葉も楓へ伝える事を求める飛鳥。

 翔馬はその言葉を素直に受け入れた。


「翔馬くんが無事でなによりです」


 屈み込み翔馬の頭を撫でる楓。


「もうこんな事はしないでよ、翔馬。

 ワタシのプレゼントを大切にしてくれてるのは嬉しいけどね」

「ちょっと、止めてよ、飛鳥姉ちゃん」


 指で翔馬の頬をツンツンとつつく飛鳥。

 ふざけてじゃれ合う姉弟の仲良さげな様子を見て、楓は自分の弟機、ツヴァイの事を思い出していた。


 自分の事を姉さんと慕い笑顔を向けてくれたこと。

 些細な事で喧嘩した日のこと。

 辛い訓練の後、不満を言うツヴァイを楓が慰めてあげたこと。

 そして運命の別れを迎える事になったあの日のことを。


 +++++


「アインス姉さん! ここから逃げよう!」

「ツヴァイ!? 貴方どうしてここに!?」


 自分と同じく研究施設の個室に閉じ込められているはずのツヴァイが、突然この部屋のインターフォンで話掛けてきた事に驚くアインス。


「ここにいても俺たちに待っているのは人間達の身勝手に好き放題される日常だけだよ!

 その上、要らなくなれば何の情けもなく廃棄処分にされてしまう運命だ!

 それでいいの、姉さん!? だから早く一緒に逃げよう!」

「私は……」


 アインスはツヴァイの申し出に即決することが出来なかった。

 アインスが答えを決めかねているとモニターのツヴァイが何かに気付き通路の奥へ振り返る。


「俺は行くよ……さようなら、アインス姉さん!」


 +++++


「楠さん、弟さんの事を大事にしてあげてくださいね」

「え、あ……う、うん」

「翔馬くんも、お姉さんとこれからも仲良くしてくださいね」

「うん……」


 唐突な楓のお願いに戸惑う飛鳥と翔馬。

 楓は二人の姉弟を見て儚げで寂しそうな笑顔を浮かべた。

 数は僅かにだが寄り添うような星座の星々がはっきりと夜空の闇の中で光り輝いていた。


 それから三人は待たせている真依の元へと向かった。

 その途中、急に電子音が鳴り響く。

 飛鳥のスマートフォンの着信音である。

 電話の発信者は飛鳥の父親であった。

 飛鳥は急いで通話をすると、


「もしもし、父さん!?」

『飛鳥か!? 翔馬が行方不明になったという連絡があったが翔馬は無事なのか!?』


 狼狽えている様子で慌てた語勢の声を上げる飛鳥の父。

 一方の飛鳥は真逆に落ち着き払った声で父親に話し掛けた。


「大丈夫。 翔馬は無事見つけたよ。」

『そうか翔馬は無事なんだな! よかったぁ……』


 電話越しに安堵の声を呟く飛鳥の父。

 彼は話を続ける。


『ところでな、お前達に言う事があるんだ。 父さんと母さん、仕事がやっと落ち着いたんだ。

 それで一日遅れになったが明日皆で翔馬の誕生日パーティーをしよう!』

「本当!?」

『お前にも負担をかけてすまなかったな、飛鳥』

「うん……」

『翔馬はその場にいるか? いたら代わってくれないか?』

「うん!」


 飛鳥は翔馬に父からだとスマートフォンを渡す。

 通話を終え嬉しそうな様子の飛鳥に楓は電話の相手の事を尋ねた。


「お父さんですか?」

「うん、やっと仕事が落ち着いて明日皆で翔馬の誕生日パーティーをしようって」

「そうですか、良かったですね」

「うん!」


 心の底から喜ぶ飛鳥は楓の言葉に力強く頷いた。

 と、楓はポケットからあるものを取り出す。


「楠さん、おめでとうのお祝いじゃありませんけど私から渡したい物があります」

「これは……」


 それはレジンで出来た翼の形をした手作りのキーホルダーであった。

 楓は照れくさそうに笑うと、


「えーと、遠くに跳べるようになるお守り? みたいなものです」

「三島さん……ありがとう、大事にするね!」


 飛鳥は楓がくれたキーホルダーを優しく握りしめ大事にポケットの中へしまい込むと楓の方へと向き直る。

 楓の太過ぎもなく細過ぎもしない均整の取れた体を見る飛鳥。

 ふと飛鳥にある疑問が浮かぶ。  


「ねぇ、あの時ワタシを助けてくれたのって三島さんなの?」


 飛鳥は楓へ質問を投げかける。

 すると楓は、


「ええ……ハッ!」


 時すでに遅し。

 無意識に答えてしまった楓の肯定に飛鳥が食いつく。


「本当!? あの瞬間に? ワタシを抱えて? あの速さで? どうやったの!?」

「え、ええと、それは……」


 言葉に詰まった楓の目が滅多矢鱈に泳ぎ始める。

 そして彼女は、


「え、えーと。 火事場の馬鹿力って、本当に、あるんです、ねぇー……」 

「……」

 

 冷や汗をかきながら片言で言い訳のようなものを口走る楓。

 そんな楓のことをショートカットの黒髪の飛鳥が一人、ジト目で見つめていた。

 辺りにはスマートフォンで父親と話す翔馬の声だけが聞こえているのだった。


 暫くの凍りついた空気の後、飛鳥が口を開く。


「まぁ、いいか。

 ワタシは生きてる、翔馬も生きてる。 今はそれでいいや。

 さぁ、一ノ瀬さんを迎えに行こう」


 飛鳥は元気な足取りで迷いなく夜の町を歩き出すのであった。


 +++++


 数日後。

 飛鳥は再び陸上部の部活動に参加していた。

 幅跳びの試技をするためスタートポジションへ向かう飛鳥。


(翔馬のやつ、あんなに嬉しそうにしてたの久しぶりに見たな。

 父さんと母さんの仕事が落ち着いたしワタシも部活頑張ろうっと!)


 飛鳥から自然と笑みが零れる。

 彼女がスタートポジションへ就き、用意の構えを取ると顧問の教師がスタートの合図を出した。

 グラウンドを駆け助走をつける飛鳥。

 走る速さを次第に加速させ踏切板のところへトップスピードで来ると力いっぱい板を蹴り砂場へと跳んだ。

 両腕を上に上げ伸び上がり脚を前へと出して両腕を大きく振り下ろす。

 ザッ!


(何か、体が凄く、軽かった……)


 砂場に着地した飛鳥はそこから立ち上がり後ろを振り返る。

 そこには今までに見たことのない光景が広がっていた。


(ワタシが跳んだの? この距離を?)


 彼女にとって新たな記録から見る景色は今までの記録から見てきた景色の遥か遠くに感じられた。

 飛鳥が自分の試技に驚いていると計測を終えた顧問の教師が飛鳥の出した新記録を称賛しにやって来る。


「やったな、楠! 新記録じゃないか!」

「……はい! ありがとうございます!

 もう一本、行かせてください!」


 砂場からスタートポジションへと駆けて行く飛鳥。

 雲一つない快晴の空から降り注ぐ初夏の日差しが部活動に励む学生達と学校のグラウンドを眩しく照らしていた。


つづく

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