【短編】幻想の森(仮)
春になるとこの森の小動物たちが活動し始める。鳥のさえずりを聞きながら森の中を散策するのもまた癒やしの時間だ。
木々は空高く幹を伸ばす。枝葉は太陽の光りをいっぱいに浴びて気持ちよさそう。
葉っぱで覆われた空の隙間から太陽の光をおすそ分けしてもらった。私は人間という生き物なのだけれど、人間じゃない。だからこの太陽の光が少しもったいなくて、どこかに保存したくなる。
今まで暗い暗い空間で生きてきた。光りの当たらない、じめじめしたところだった。光りが当たらないから暖かくはなかった。寒いところを自分の国みたいに思って、ひとり守り通していた。
外に出たのは何年振りだろうか。すでに時間の感覚は失われていた。社会的人間という役割を放棄して、引き籠もっていたからだ。
久しぶりの外界。正と負の境界線が曖昧になっていく。どちらにも属さない私が生まれた。
深呼吸をするとその美味しい空気が肺を満たしていく。酸素が体に巡っていく。脳に到達すると思考が鮮明になる感じがした。
一回、二回、と深呼吸を繰り返す。その度に自分の体をリセットさせていく。汚れや穢れを流し出すようにゆっくりと行った。
この負の産物はたぶんこの森の中を循環して浄化されていく。綺麗なものに生まれ変わって生きていく。それはたぶん花かもしれないし、それはたぶん水かもしれない。輪廻のような無限時間の中を廻っている。
生まれ変わったような私の体は、その肌に風を感じる。木々の隙間を縫うように抜けていく風はひやりと私の肌から微熱をさらう。ほどよい冷たさはこの太陽の光と足してゼロになる。そのゼロは「無」ではなく「有」のゼロ。生命の息吹はこの「有」のゼロから生まれると私は確信するほどに。
木々の葉っぱが優しい風に揺れる。さわさわと音を立て、それぞれその音色が違う。私の聴覚は鈍感で、音階を理解しない。それでも木々が織りなす音色はそれぞれの個性として感じることができた。内の世界ではまったく分からないことだろう。
ふと、木の枝に小鳥が止まる。その声が透明度を増し私の耳に届く。歌うようにささやくようにその鳴き声は伝わってきた。
風に揺れる木々、歌う小鳥、音の符号は分からないけれど、その波長はきっとゆるやかな波をしている。
耳を澄ませば水が流れる音が聞こえる。近くに小川があるのだろうか。私はぎこちない脚を動かし歩き出した。
小川を発見するとわくわくとした感情が湧き出してきて、その中に片足を突っ込んでみた。
「冷たっ!」
動いて火照った足元は小川の冷たさをより敏感に感じた。冷たいという感覚がよみがえる。あの暗い空間は寒くかった。寒さと冷たさという感覚と兄弟のようで違かった。私は嬉しくなって両足を突っ込んだ。
よく見てみると小川には小さな魚が泳いでいた。流れに逆らうように上流へと向かっていた。と思うと、下流へと引き返す。なんとも自由な魚である。
その魚を捕まえようとそーっと近付く。けれど、何度も何度も逃げられてしまう。
「よしなよ」
私に声を掛けるものがいた。振り返ってみると尻尾の可愛いリスがいた。
「魚は水の中でこそ生きられるんだ。僕たちがこの世界で生きているのと同じように、魚は水の中で生きているんだ。陸に揚げたら死んじゃうよ」
私はその言葉にハッとしてその魚を追いかけるのをやめた。残酷なことをしていたのだ、私は今目の前の魚を殺そうとしていたのだ。まったく気付かなかった。リスの言う言葉は深く胸に突き刺さった。
小川から出るとそのリスは逃げていった。私に殺されるとか思ったのだろうか。人間という生き方を忘れた私の姿はやはり人間だった。無自覚に私は動いていたのだ。まさに人間であるかのように。皮肉のような私の存在にこの森の動物たちは逃げていく。この姿がいけないのだろうか。なりたくもない人間になって、否応なしに社会の中に組み込まれて、私は何を成したのだろうか。正直なのはこの森の動物たちだ。醜い姿を澄んだ目で見通している。
再び優しい風が吹いた。でも、私には寂しさが残っていた。あの魚とリスは私から逃げていった。仲良くなれずに去っていった。この寂しさは仲良くなりたいという気持ちの裏返しなのか。
いつまでたっても私はひとりぼっちなのか。
続く……?
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