第3話 仲間
厳かな謁見の間。昨日とは打って変わって、そこには王と、シモと、私。そして数名の近衛兵しかいなかった。静かな出立だった。
「それでは、行ってまいります」
シモが杖を片手にゆっくりと、だが確かに深く一礼する。私も慌ててその隣で見様見真似の礼をした。
「うむ」
玉座の王は、威厳のある顔をわずかに憂いさせた。
「勇者シモ、そして同行人チコル。そなたらに神の加護があらんことを……シモ、決して無理はするな。チコル、彼を頼む
「御意」
「はい!」
格式ばった挨拶も終わり、ついに私とシモは王国の外へ出る支度が整った。
私物といえば、急いで店から持ってきた着替え数日分と、愛用していた調合器具の最小セットだけ。あとはすべて、王宮が用意してくれた真新しい旅装束と背嚢だ。それがやけに肩に重い。
謁見の間を出て、城の正面玄関へ向かう途中、私は一度だけシモに時間を貰った。
私の店、つまりは今日から伝説の大魔道士ソロン様の職場となる場所へ、最後の引き継ぎをするためだ。
店の前に着くと、そこは異様な光景が広がっていた。
いつもの『OPEN』の札の隣に『本日より店主代理:ソロン』という達筆すぎる看板が掲げられている。そして、店の前にはいつもの常連客……ではなく、何事かと遠巻きに様子を伺う市民の人だかりができていた。
みんな目を丸くして、ひそひそと囁き合っている。
「おい、あれって……」「まさか、あのソロン様がなぜこんな店先に……」
その視線の先。カウンターの内側で、ソロン様は退屈そうに長い白髪を指で巻いていた。
「おお、来たか。チコルにシモよ」
私たちが店に入ると、ソロン様は重々しく立ち上がった。その威圧感だけで、店の棚の薬草がカサカサと震える。
「あ、あの、ソロン様! 本当にすみません、こんなこと……」
「構わん」
ソロン様は私の緊張を意にも介さず、カウンターをトン、と指で叩いた。
「して、経営方法とやらを拝聴しよう。レジスターなるこの機械、なかなか興味深い。魔力ではなく、物理的な歯車で計算しているようだが……」
「あ、はい! えっと、まず、腰痛の軟膏はあちらの棚の二段目、マンドラゴラの根は三回煮詰めてから月の石の粉をひとつまみ……それから、売上はこの日報に……」
ソロン様への引き継ぎは、それはそれは緊張した。だが聡明なソロン様は、私がしどろもどろに行う説明を「ふむ」「なるほど」「客単価はいくらを想定している?」などと鋭い相槌を打ちながら、瞬く間に全ての手順を覚えてくださった。
「理解した。問題あるまい。むしろ、この在庫管理システムは改善の余地があるな。属性別の陳列を試みたい」
「あ、どうぞご自由に……」
もはや私の店ではない何かになりそうだ。市民の方々の驚いた反応が、いつ無くなってこの光景に馴染むのか、それが少し気になるところだ。
「シモ」
引き継ぎが終わり、私たちが店を出ようとした時、ソロン様がシモを呼び止めた。
「……死ぬでないぞ」
それは、伝説の大魔道士の言葉とは思えないほど、静かで、個人的な響きを持っていた。
シモは振り返り、いつものように力なく笑う。
「大丈夫、大したことないよ」
「……そうか」
ソロン様はそれ以上何も言わず、再びカウンターの椅子に深く腰掛けた。
城門の前まで戻ると、国王陛下自らが見送りに立っていた。
「チコルよ」
王は私を呼び、傍の従者が捧げ持っていた一本の杖を差し出した。
「これは餞別だ。そなたの旅の助けとなろう」
「こ、これは……!」
私は息を呑んだ。
柔らかい材質の、白樺のような美しい木肌が本体となっており、私の背丈ほどもある。杖頭には、希少種であるケット・シーの額から削り出したという青い宝石があしらわれていた。光の角度で、まるで猫の瞳のように輝きが変わる。
そっと握ってみると、見た目よりもずっと軽く、自分の魔力がすうっと馴染んでいくのが分かった。これなら咄嗟に構えることも容易だろう。
「ありがとうございます! 大切にします!」
「いいなあ。僕のコレも、チコルの杖くらいかっこよければなあ」
城門をくぐり、用意された馬車に乗り込む前。シモが、自分の古びた杖と私の真新しい杖を見比べて、本気で羨ましそうに呟いた。
なんて返せばいいのか分からなかったため、私はとりあえず、受け取ったばかりの杖の先で、彼の横腹を軽く小突いた。
「用途が違いますから!」
「そうだけどさ〜、まぁ久しぶりの外出だ。ワクワクするね」
馬車に乗り込むと、シモは窓の外を流れる城下町の景色を、子供のように目を輝かせて見つめている。
「……ですがシモ。何故陸路なんですか?」
私は、馬車の揺れに耐えながら尋ねた。
魔王軍が壊滅してからは、魔物の飛行部隊もいなくなり、空路が一番安全で早いと聞いている。飛空艇を使えば、どんなに遠い場所へでも数日で着くはずだ。
「それなのに、わざわざ馬車で……国境までしか行かないなんて」
今、私たちは国境沿いまでの道を、頑丈だが乗り心地の悪い馬車に乗って移動している。舗装されていない石畳の隙間に車輪が挟まるたびに、ガタン、と大きな音を立てて揺れ、お尻が悲鳴を上げた。
私はゴソゴソと何度も姿勢を変えて痛みを逃がそうとするが、シモはそんな揺れさえも懐かしむように、平気な顔をしている。
そんな私を見て、シモは楽し気に笑った。
「苦労しない旅なんて、つまらないじゃないか」
「……っ、人が苦しんでいるというのに、笑うなんてヒドい人!」
「あはは、ごめんごめん。でも、本当だよ。空からじゃ見えないものが、地面にはたくさんあるからね」
シモはそう言って、道端に咲く小さな花を指差した。
「お二人さん、会話が弾んでるとこ悪いが、そろそろ国境の門が見えてきますぜぇ!」
御者台から、野太い声が飛んできた。
「ありがとう、テデロ!」
シモが嬉しそうに声を張り上げる。
シモと親しげに話す馬車の走行主はテデロさんというらしい。日焼けした顔に屈強な体つき、魔王討伐に向かった際にも、シモたちを危険な地域まで送り届けた、腕利きの御者なのだという。
馬車が速度を落とし、国境の巨大な門の前で停止した。
「ほらよ、着いたぜ。シモ、くれぐれもケガだけはすんなよ」
テデロさんは馬車から飛び降りると、シモの肩を熊のような手でバンバンと叩いた。
「あいたっ、大丈夫だって」
「そのセリフを言う時が一番危ねえんだよ、お前は昔から!」
テデロさんは豪快に笑い飛ばし、次に私に向き直った。
「ピンク髪のお嬢ちゃん。シモの見張り頼んだぞ。あいつ、昔は馬車なんかより先に走って行っちまうから、こっちがヒヤヒヤしたもんだ。今は……まあ、逆の意味で目が離せねえからよ」
「は、はい! お任せください! 」
私がビシッと敬礼すると、テデロさんはニカッと笑った。
「僕はもう子供じゃないんだから……」
テデロさんが豪快に笑うと、シモはばつが悪そうな顔でごにょごにょと文句を言う。そのやり取りが、私にはとても微笑ましく見えた。
* * *
「達者でな!」
テデロさんの乗った馬車が、砂埃を上げて王国へと戻っていく。
私たちは、その姿が見えなくなるまで手を振った後、改めて目の前に広がる未知の領域へと向き直った。
一歩先は、もう王国の魔法障壁の外。
目の前には、鬱蒼とした森の入り口が、まるで巨大な獣の口のように開いている。
私たちは森の入り口付近で、シモが持っていた古い地図を開いた。
「今いるのが、スターロワ王国の国境から少し出たところ。そして、この先の森が、俗にいう『迷いの森』。通称『乙女心の森』です」
私が地図上の森を指差して説明する。
「『乙女心』?」
「はい。この森一帯は、地脈の魔力が非常に不安定で、その影響で植生や地形の移り変わりが極端に激しいんです。昨日までキノコだらけだったのに、今日は一面花畑になったり。かと思えば急に茨だらけになったり。だから『乙女心』、なんて私たち魔道士の間では呼ばれているんです」
「へえ~、知らなかった。じゃあ、僕が昔通った時とは、全く違う景色かもしれないんだ」
「そういうことです。魔物も、その時々の環境に適応した種が出ると言われています」
シモは「ふんふん」と大げさに頷きながら、説明が終わるやいなや、杖を手にさっさと森の中へ入ろうとする。
私は慌てて彼の肩を掴んだ。
「シモ、勝手に動かないでください! 私がまず魔力探知で周囲の安全を確認しますから」
「えー、大丈夫だよ。昔もここ通ったし」
納得いかない様子で、シモが振り返る。
「僕、一応勇者だったんだよ」
「元・勇者様でも、ダメなものはダメです!」
私はシモの前に立ちはだかった。
「怪我人を先頭にして、魔物がいつ出るかも分からない森へは行かせられません!」
私がシモの持つ、あの古びた杖を指してビシッと言うと、シモは「ああ」と小さく声を漏らした後、一瞬、その表情を曇らせた。
「……これね」
シモは自分の杖を軽く持ち上げ、カラカラ、と音を立てる。
「ケガじゃないんだよね」
彼はそう言うと、おもむろに自分の足をコンコン、と叩いてみせた。まるで感覚がないかのように。
「え……? なら、どうして杖なんか……」
私は、言ってから後悔した。
シモの顔が、私の一言によって、はっきりと陰ったのだ。さっきまでの快活さも、好奇心も消え、そこにはただ、深い疲労と諦めのようなものが浮かんでいた。
「……病気なんだ、多分」
その一言は、森の静寂に重く響いた。 私は、息を呑んだ。
病気。
そうだ、彼は二度目の旅の理由を「わからない」と言った。回復役として私を指名した。そして今、この弱々しい姿。
私は、全てを察した。
この旅は、何か強大なものを討ち取るための、英雄の旅ではない。
何かしらの要因で、先が長くはないかもしれない彼の、最後の願いを叶えるためだけの旅だということを。
私は、そのための「延命措置」として呼ばれたのではないか。
「ごめんなさい、私、配慮がなくて……」
「いや、いいんだ」
シモは力なく首を振った。
「あらかじめ、ちゃんと伝えていなかった僕が悪いから」
私が何も言えないでいると、シモは杖を突くようになったいきさつを、ぽつぽつと話し始めた。
まるで、自分自身に言い聞かせるかのように。
「魔物由来の病気って、今もまだあるでしょ。昔はどうしようもなかったけど、今じゃ大抵のものに特効薬ができてる。でも……僕は、まだ薬がない病気にかかっちゃったんだ」
「……特効薬が、ないものに?」
「うん。由来が、魔王だから」
シモの言葉に、つきんと胸の奥が冷たくなるのを感じた。
「討伐の間際に、最後の一撃だけ喰らっちゃって。黒い靄みたいなやつ。その時は何ともなかったんだけどね……そこから罹患したみたいでさ。ポーションも、どんな高位の回復魔法も、何も効かないんだ」
私自身、店で数多くの病気やケガを治す薬を生成してきた。だが、それはあくまで一般的なものだ。魚人族や竜族など、希少種由来の病となると、文献でしか見たことがない。
ましてや、魔王の病気など、聞いたことすらなかった。
「ソロンにも診てもらったんだ。帰国して、身体がだんだん動かなくなっていく時。でも、あの人が」
シモは、そこで一度言葉を切った。
「『私には手に負えない』って……あんな顔したソロン、初めて見たよ」
伝説の大魔道士ソロン様が、匙を投げた病。
なら、尚更。私なんかが同行人にふさわしい理由が見当たらない。
「同じ世界を見せてあげたい」なんて、聞こえのいい言葉で。結局、私は、彼の墓場を探すための旅に呼ばれたのだとしたら。
私の役目は、本当に彼を癒すこと?
いいや、癒せやしない。ただ、彼が倒れた時に、無駄だと分かっているヒールをかけ続けることだけ?
私の顔が絶望に歪んでいくのが、シモにも分かったのだろう。
彼は、冷たくなった私の手をぎゅっと握りしめた。
「チコル、誤解しちゃいけないよ」
その声は、弱々しかったが、真っ直ぐだった。
「僕は、死ぬことを前提にこの旅を決めたわけじゃない……死ぬためじゃないことだけは確かだ」
シモは、私のアッシュグレーの瞳を、彼の光の薄い瞳で、強く見つめ返した。
「僕は、いつかキミと旅をするために、また仲間に会うために、旅するんだ」
私と違い、シモの言葉はどこまでも一途で熱がこもっていた。
身体は全盛期と比べたら筋肉が落ち、細くなってはいるものの、その勇者としての広い心の器は、少しも変わっていなかった。
不思議な感覚だった。さっきまで不安ばかり抱えていたはずが、シモのその一言で、心が少しだけ楽になる。
この人は、諦めていない。
「大丈夫、なんてのは無責任かな」
シモはそこで初めて、はにかむように笑った。
「けれど、僕は最期まで抗うさ。だから、手伝ってくれる?」
私は、握られた手に、そっと力を込めて握り返した。
「……はい!」
墓場探しなんかじゃない。
これはきっと、彼を治すための、希望を探す旅なんだ。
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