第57話
ヤイバの予想は的中した。
というより、予想外の風景が森の奥に待ち受けていた。
無数の巨木が屹立する、そこは既にファンタジーな原初の森。その樹木から樹木へと橋が渡され、上へ上へと立体的な町が形成されていた。ちょっとした都市といってもいい。
案内してくれたエルフの男が、幾分警戒心を和らげたのが感じられる。
まさしくここは故郷、亜人にとっての最後の居場所なのだろう。
「客人、まずは怪我をなんとかしよう。我々は魔法を失ったが、薬師がいる」
「ありがとうございます」
町中を進み、何度も階段を上がる。
集落の人々は皆、ヤイバたちを見て驚きにざわめいている。その顔ぶれは、ホビットやドワーフといったお馴染みのキャスティングだ。ちらほらとダークエルフやリザードマンもいる。10年前は敵味方だったろうが、今は滅びを待つ運命の者たちなのだろう。
その中から一人、エルフの女性が歩み出る。
若々しくとも、その言葉と所作は重ねた年月を感じさせた。
「まあ、怪我人がいるのね。人間なんて何年ぶりかしら」
「お願いできますか、アルマ殿」
「ええ、すぐに部屋に運んで頂戴。……あら? あ、あなた、もしや」
アルマと呼ばれたエルフの女性は、シャリルを見て顔を強張らせた。そこには、驚きの中に微かな喜びと、それを感じた戸惑いが読み取れた。
シャリルもアルマを見て、言葉を探しながらも沈黙してしまう。
ヤイバはすぐに察した。
恐らくアルマは、シャリルの家族だ。
「……い、今はごめんなさい。まず怪我人の手当ね。でも、本当に、驚いてしまって」
「あ、あのっ! あなたはもしや、僕の」
シャリルも動揺したが、アルマは静かに微笑み、直後に表情を引き締める。
そして、彼女の言葉でその場のあらゆる亜人たちが動き出した。
「お湯を沸かして頂戴。それと、薬草がもっと必要だわ。長老たちにも誰か報告を」
あっという間に慌ただしくなって、忙しさの中でシャリルが立ち尽くす。
ヤイバはカホルをエルフたちに託すと、そっとシャリルの肩を抱く。
「あとでゆっくり話せるよ。僕たちはとうとう、ここまできたんだ」
「ヤイバさん……」
「ちなみに、お父さんは? ちょうど、魔王と戦ってた時期の生まれだよね、シャリル」
「……父は、亡くなりました。傭兵として、冒険者として戦ってたとだけ」
「そっか」
それでシャリルは孤児院に拾われ、そこで育った。
彼だけじゃない。魔王が率いる闇の軍勢との決戦は、無数の戦災孤児を生んだそうだ。その中には、シャリルのような混血児もいるし、親のわからぬ子供も多数いた。
そして、世界の存亡をかけた戦いから10年……復興したのは人間社会だけだった。
なにはともあれ、カホルは皆に任せて大丈夫だと思う。
訝しげな視線は先程から無数に交錯しているが、敵意は感じられなかった。
「さてと。チイ、カホルについてあげてくれる?」
「わかりました。ヤイバ君は」
「ブランシェとシャリルと、ここの責任者に……長老ってさっき言ったよね。そういう人に会ってくる。……恐らく、この集落がイクスさんのアキレス腱なのかもしれない」
もう既に、ヤイバには理解できていた。
それを確認する必要がある。
なにせ、この集落は外界から閉ざされ、意図的に隠蔽されているのだ。伯爵の親衛隊がうろついている理由もわかる。それは、監視して逃亡者を出さないようにしているのだ。
ここの人たちは既に、檻の中の獣にも等しい。
それをわかっているから、諦観にも似た穏やかさに満ちているのだ。
最初に出会ったエルフの男に話して、さらにヤイバは奥へと進む。
「長老たちはこの奥だ。失礼のないようにな」
「はい。それと、その」
「わかっている。ハーフエルフは汚れた混血児……そういう認識は人間社会のものだ。たとえ半分でも同朋は同朋だな。……皆が皆、そう思ってくれればいいのだが」
「配慮に感謝します。彼は……シャリルは僕たちの大切な仲間なので」
男の背に続いて、階段を登る。
気付いたが、子供がこの町には全くいない。
以前にイクスから聞いていたが、エルフは長寿ゆえか伴侶や家庭、子孫を残すことに全く頓着がない。人間とは真逆で、発情期というものが全くないし、孤高ともいえる個人主義が基本の種族なのだ。
恐らく、ドワーフやホビットたちもそうなのかもしれない。
あるいは、人間たちに……伯爵に、厳しく制限されている可能性もあった。
「ヤイバ、きんちょー、してる?」
「ん、まあね。ブランシェは大丈夫?」
「よく、わかんない。でも、みんな、なかま……おおぜい、はじめて見る」
手を繋いで歩くブランシェが、周囲を見渡し驚きに目を丸めている。そんな彼女に注ぐ視線は、珍しさと愛おしさがないまぜになった雰囲気だった。
子供は珍しいのだろうし、しかもダークエルフだ。
ブランシェは気恥ずかしいのか、ネコミミフードを目深く被ってうつむく。
そうこうしていると、巨木の頂上に位置する簡素な小屋が現れる。そこは森の上に突き出て、久々の陽光がヤイバたちを迎えてくれた。
「長老、客人です。……少し訳アリのようですが、まさかイクス様の」
「……入るが良い」
「ハッ!」
イクスの名が出て、思わずヤイバはゴクリと喉が鳴る。
失礼がないように身を縮めて、入室と同時に頭を下げた。たった一部屋の簡素な小屋は、そこだけ空気が厳粛に張り詰めている。
ただ、中央で振り返ったエルフの長は、ニコリと笑って緊張を和らげた。
やはり、見た目は若い。
ともすれば、ヤイバの母と同じくらいの年代に見えた。
「よく参られた、旅人よ……この場に冒険者が来たということは、つまり」
ふむと唸って、長老と呼ばれる女性が腕組み小首を傾げる。
彼女はヤイバが挨拶をするより先に、ド直球で話題の豪速球を放ってきた。
「エクストラ・スクロール……イクス様のことじゃな?」
「……はい」
「やはりか。あのキルラインなる男、まだ魔法を求めて彷徨っておるのか」
「そして今、その全てをほぼ完全に手に入れました。イクスさんが囚われてるんです」
「なんと! ……あやつのことじゃ、さしたる抵抗もできなかったじゃろうな」
「やっぱりですか? この町がひょっとして……まるごと全員、人質という」
「うむ」
亜人は全て絶滅した。
それはもう少し未来においての、確定した歴史になるだろう。実際にはこうして少数が生きているが、既に伯爵の管理下にある。生かすも殺すも伯爵次第……同胞の命を握られていては、最強魔導師のイクスでも手出しができない。
そのことを長老は改めて言葉に出した。
「ワシたちが生きていられるのも、伯爵のおかげ……とはいえ、ここは一種の収容所じゃよ。世界各地から亜人が集められ、詰め込まれておる」
「じゃあ、戦後の10年で絶滅したというのは」
「ワシらはこうして生きておるがの。子孫を残す道も断たれて久しい。外の人間たちが言うように、実質的には滅んだも同然じゃ」
「そんなあなたたちを、イクスさんは」
「あのお方はお優しい。優しすぎるのじゃ……イクスねえは、昔からそうじゃったよ」
かなりの高齢なのか、見た目に反して「どっこいしょ」と長老はベッドに腰掛けた。そして、隣をポンポンと叩く。室内には他にこれといった調度品もなく、酷く質素な、悪く言えば貧しい小屋だった。
客をもてなすテーブルと椅子すらないのだ。
それでヤイバは、シャリルやブランシェと並んでベッドに座る。
隣に見下ろせば、長老はより若々しく年頃の乙女にすらみえた。そういう時代を思い出しているのか、彼女も目元が優しく緩んでゆく。
「イクスねえは、我らエルフの中でも高貴なる存在……ハイエルフの生まれじゃった。ワシが生まれた頃にはもう、エルフの長として一族を森で見守っていたのじゃ」
「確か、三千歳とか言ってましたよね」
「うむ……しかし、10年前にあの戦いが起こった。その前からずっと、世界の脅威とイクスねえは戦い続けておったのじゃ。そして、自ら望んで呪いを背負った」
「全ての魔法の習得。この世から魔法を消すために、自分の身体に」
「そうじゃ。魔法とは文字通り、魔を滅する外法……本来、平和な世界には必要のないものじゃ。そして、これからの平和は人間だけのものになるじゃろう」
その時だった。
ブランシェがフードを脱ぐや、ベッドから飛び降り長老の前に立つ。
彼女の身体のあちこちが、小さく輝き出した。
それは、ブランシェがイクスから奪った魔法。先日預けられた魔法も含めて、その数は十とちょっとくらいだ。だが、それを見た長老は驚きに目を細める。
「そ、それは……まさか、その刻印は」
「イクスからもらった。わたし、ぬすんだの。はくしゃくのめいれいで」
「なんと! ……そうかや、そなたもまた呪いを身に」
ヤイバは改めて、今までの経緯を簡潔に語った。
あの転生勇者ツルギとミラの息子だということには、シャリルすら驚いたようだった。
そして、伯爵にイクスが囚われていること、それを救いたいことを告げる。
しかし、自分で口にしてみても難しいように思えた。それは、ひっそり監禁されるように暮らす、ここの民全員の命に関わることだからだ。
「……事情はわかった。じゃが、ワシらにはもう」
「いえ、カホルの治療だけでも大変にありがたいですよ。改めて感謝を」
「して、勇者の子よ……これからどうするのかや?」
「イクスさんを助けます」
「ホホ! 即答とはの」
「もちろん、ここの人たちを犠牲にするようなことはしません」
全てが繋がった、この異世界の謎は全て解けた。
一つだけを残して、全て。
そのことを改めてヤイバは、長老に問うてみる。長老はイクスに及ばずとも、この場所では最高齢の人物、知の集合体であるはずだから。
「月、とな?」
「はい。この星の衛星なんですが。あ、えっと、どこから説明すればいいかな」
「大地が丸く、星の海に浮かんでおることは承知しておる。しかし、月とな……ふむ!」
長老はしばし思い出すようにうつむき、そして目を見開いた。
だが、衝撃の真実が語られる前に、先程の弓矢使いの男が駆け込んでくる。
それは、ヤイバたち以外の招かれざる客の来訪を告げてくるのだった。
とあるエルフの隠居生活 ながやん @nagamono
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