第53話
外に出ると既に日は暮れ、夜の帳が施設を包んでいた。
どうやら集まった同志たちで晩餐会が行われているらしく、賑やかな歌と音楽に笑い声が入り交じる。その中心に今、イクスがいる。
だが、ヤイバは気配を殺して今は逃げ出すしかなかった。
そのまま王都からも遠ざかり、西へ……あっという間に街道は獣道になり、人の行き来が感じられない大自然が真っ黒く広がっていた。
「ええと、翠緑ノ樹海だっけか。流石に夜に見知らぬ秘境に入るのは危険だね」
「はい、なので……手前の開拓村で一晩お世話になりましょう」
「開拓村? シャリル、それは」
「すぐ見えてきますよ。ほら、明かりが」
そういえば、周囲は申し訳程度に道が整備されているし、木々は伐採されて材木に加工されるのを待っている。そういう丸太を積み上げてあるあたり、この辺はまだ人間の領域のようだ。
というよりは、開拓……森を切り開いて、どんどん人間社会を広げているみたいだった。
それをシャリルがどう思ってるかは、あえてヤイバは聞かない。
ブランシェを気遣うチイやカホルも、黙って今は脚を動かしていた。
やがて、小さな小屋がいくつか見えてきた。
こじんまりとした集落でも、人の息づく明かりに心が落ち着く。
早速シャリルが、一軒の小屋のドアを叩く。
「すみません、旅の者です。もしよければ、一晩だけ軒先をお借りできないでしょうか」
こういう時、こちらの世界で生まれ育ったシャリルの存在がありがたい。
少し間を置いて、ドアが開いた。
顔を出したのは、ヒゲで毛むくじゃらな大男だ。だが、一同をぐるりと見渡し、子供ばかりだと思うや頬を崩す。厳つい見た目に反して親切そうな印象だった。
「おうおう、子供ばかりでこんな夜に……さあ、入れ入れ! なんだ、女の子もいるじゃないか」
「ありがとうございます、助かります」
「さ、お嬢ちゃんも入んな。大したもてなしはできないがな。なにせ開拓途中の貧乏村だからよ! ガッハッハ!」
「あ、僕は……その、男、です」
「なんだって! ……ああ、その耳。やっぱり噂は本当なのかねえ」
簡素な小屋で、部屋は一つしかない。
手作りのテーブルに椅子、そしてベッド。
部屋の隅には斧と一緒に、酷く原始的なチェンソーが置いてあった。暖炉に火が燃えているが、石油の臭いが微かにする。
この世界はまだまだ発展途上、黒いダイヤこと石炭がインフラの中心だ。
だが、既に次のステージ、石油を使う機械もちらほら出始めた時期らしい。
ヤイバが観察眼を鋭く、そして見た目はぼんやりと室内を見渡す。その視線に気づいて、開拓民の男は嬉しそうに笑った。
「こいつが珍しいか、ボウズ! チェンソーつってな、燃える水を入れてやりゃ、どんな大木でも真っ二つさ。まあ、その、石油? つったか? 高いから滅多には使えねえ」
「それで、普段は斧を使ってるんですね」
「ああ。10年前ならきっと、魔法使いさんに頼めば手っ取り早かっただろうよ」
「魔王が率いる闇の軍勢の時代ですね」
「ああ。あんときゃ俺も大変だった。でも、従軍したおかげでホレ! この土地を切り開く平和な日々が手に入ったさ」
男はチイやカホル、そしてブランシェと女性陣に先に茶を配ってくれた。
自分は酒瓶を手に「ボウズたちもやるか?」と朴訥な笑顔を見せてくれる。
早速、ごく自然な会話を装ってチイが探りを入れ始めた。
「この先はまだ未開の地、翠緑ノ樹海と呼ばれる危険な森と聞いてますが」
「ああ。だから俺もジリジリ地道に切り開いていくしかねえ。けどな、お嬢ちゃん。もう時代は変わったんだ。ここにももうすぐ教会が建つし、行商の連中も店を構えるだろう」
「町が、できるんですね」
「そうさ! 国王はあの戦いのあと、従軍した民全員に土地を保証してくれたんだぜ? 自分で切り開いた土地は、その者の所有として良いってな!」
なるほど、開拓民のモチベーションは高いらしい。
魔王は倒され、亜人は皆滅びた。
そして錬金術から発達した科学技術が、文明開化の産業革命を呼んできたのだ。
この世界は今、人類社会の新たな開花期を迎えているのである。
ヤイバはシャリルの心中を察して、そっと隣で手を握った。
少し驚いたようにシャリルはヤイバを見て、そして手を握り返してくる。
「さて、子供たち! 腹は減ってねえかな? 干し肉や乾かした果実、それとパンが少しある。あとは、やっぱ酒だな!」
「あ! あーし、ちょっとお酒ほしいかも……デヘヘ。なんか、目覚めちゃった? みたいな?」
「おうおう、お嬢ちゃんはいける口かい?」
「いやあ、こないだ始めてビールをのんだらさあ。いやあ、大人っていいなあって」
チイがすかさず隣で「カホルさん?」とメガネを上下させる。
その表情を見て、ドキリ! としたのかカホルは黙った。
ヤイバとシャリルも、お酒は遠慮して少し食事をご馳走してもらうことになった。気さくな男は、景気よく色々と出してくれて、おかげで空腹と疲労が静かに消えてゆく。
そして、話はこの先……未知の秘境、翠緑ノ樹海の話になる。
「こっから先はまだ、人の手が入ってねえからな。そして……迷い込んだら出てこれねえ。帰ってこなかった人間が何人もいるのさ」
「危険な森なんですね」
「ああ。だがな、妙な噂があってな……それで、分け入っていく連中が定期的に訪れやがる」
男はちらりとシャリルを見た。
少女然とした可憐な美少年は、その耳が少し尖っている。
ハーフエルフなのだが、男はその事自体に言及はしなかった。
だが、突然ヤイバたちは驚くべき情報を手に入れてしまう。
「樹海の奥でな……エルフを見たって噂があってよ。与太話のたぐいだとは思うんだが」
「エルフがですか!」
思わずシャリルは立ち上がった。
ヤイバも内心、驚きである。
なぜなら、イクスに事前に聞かされていたからだ。魔王をどうにか倒し、異世界より召喚された勇者……ヤイバの両親はもとの世界に戻っていった。
そうして、疲弊した世界が復興を始めた時、人間だけが立ち上がれたのだ。
もとより個体数も少なく、子をなす意思が薄い亜人たちは滅びた。
戦いの中で死んだ者が多すぎて、残った人数も自然に消滅せざるをえなかったのである。
「でもまあ、ハーフエルフのお嬢……じゃなかった、ボウズに、そっちはダークエルフだなあ。噂もまんざらホラ話じゃないってことだな」
ビクリ! とブランシェが震えて固まる。彼女は、一生懸命かじっていた干し肉を両手で握ったまま、ぶるぶると震えだした。
だが、それを察した男はバリボリと頭をかきむしりながら破顔一笑。
「いや、悪い悪い! 訳アリとみたが、俺はしがない木こりだからよ。ホビットだろうがドワーフだろうが、関係ねえ。ダークエルフが魔王に加担したのも、昔の話よ」
本当に気さくでおおらかな人で助かったと、ヤイバは胸をなでおろす。チイが「大丈夫ですよ」と声をかけて、ようやくブランシェは食事を再開した。あぐあぐと懸命に食べるその姿に、木こりの男がまなじりを優しく緩ませる。
「あの、この集落には何人ぐらいの開拓者がいるんですか?」
ヤイバは感謝と敬意を忘れないように、言葉を選んで木こりの男に語りかける。どうやら見知らぬ他者との会話が珍しいらしく、男は妙に嬉しそうに喋ってくれた。
「小屋が三つあっただろう? 四人……あ、いや、お向かいさんに赤子が生まれたから、今は五人だな。互いに協力して森を切り開いて、あとで平等に土地を分かち合うつもりさ」
「なるほど」
「それに、こっちはまだまだ奥が深い。あとからまだまだ開拓者は来るだろうよ」
「翠緑ノ樹海が怖くないのですか? 随分と物騒な森のようですけど」
「んー、それなあ。デカい魔物もうろうろしてるし、それに」
「それに?」
「時々あれよ、例の結社? 自然を愛する仲間たちとかいう組織の連中がいやがる。不思議なことに、それも結構奥で出くわすってんだよ。武装してやがるし、きなくせえなあ」
やはり、イクスが指し示した道の先になにかがある。
それがイクスを見えない鎖で拘束しているのか、それとも伯爵に握られた弱みの元凶か。とりあえず、ヤイバとしては仲間たちとともに進んでみるしかない。
そして、シャリルは意外そうな顔で話に混ざってくる。
「結社の人間がですか? 武装している……もしや、伯爵の親衛隊の方々かな」
「あいつらも悪い奴じゃないんだけどよお。自然を守りたい、この星は死にかけてる……なんて言われてもな」
瓶から直接酒を飲みながら、男は少し困ったような顔をしてみせた。
だが、すぐに豪胆な笑顔でガハハと笑う。
「まあ、ちょくちょくこの村にも来るし、仲良くしてらあ。ここは皆で協力しないと、生きていけない土地だしよ。結社の連中が運んでくれる品は、いい値段で売ってくれるからありがたい」
「その、かなり奥の方で親衛隊がうろついているんですか?」
「ん、ああ。まあ、顔見知りみたいなもんよ。時々一緒に飲んだりな」
「……なぜ、翠緑ノ樹海の奥に親衛隊が」
「あいつらも、あれだ。環境保護運動ってのをやってんだろ? 星の泉が枯れちまうって、いつも真面目で真剣に働いてらあ。邪魔にはならないが、ちょっと罪悪感をあおられるぜ」
当然だ。
この男は今まさに、一攫千金を求めて大自然を切り開いているのだから。王がそれを許したし、魔王との戦いを生き残った、これはその恩賞でもあるのだ。
それに、ヤイバは今は納得してるし、理解もしている。
伯爵だけが、過激な危険人物なのだ。
結社の人間たちは本当に、穏やかな環境保護団体、無害な民でしかない。
「おっと、そろそろそっちのお嬢ちゃんがオネムだな。さ、今日は女たちでベッドを使ってくれ。男は雑魚寝だ! ちょっと余ってる毛布を隣から借りてくらあ!」
ドスドスと男は大股で出ていった。
確かに今、食事をしたままブランシェが船を漕いでいる。
そして、ヤイバは見てしまった。
別に全く構わないといった印象のチイと、その横で真っ赤になって俯いているカホルを。三人で川の字になれば、ちょっとベッドは狭いかもしれないが……チイは特殊な寝相の持ち主で、それにカホルが耐えられるかが試される夜が始まろうとしていた。
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