第54話

 早朝、一晩世話になった開拓民の男に礼を言って出発する。

 ヤイバたちはここからさらに西、いまだ人の手が及ばぬ樹海の奥へと進むのだ。

 鬱蒼と茂る木々の密林……翠緑ノ樹海。

 人を惑わせ迷わせる、恐るべき魔境という話だった。同時に、結社の人間、それも武装した伯爵の親衛隊をみかけるという話もある。

 なにより驚くのは、滅びたはずのエルフを見たという噂だった。


「……カホル、大丈夫?」

「んあー? あーし? へーき、へーき!」

「眠れなかったのかな」

「眠れる訳ないじゃん、無理ゲーだっての」


 はぐれぬように固まって、ブランシェを中心に守るようにして歩く。

 すでに獣道すらもなく、時には草木を分け入っての強行軍だった。

 そんな中、今日はカホルの顔色がすぐれない。

 チイも心配したように、眼鏡を上下させながら顔を覗き込んでいた。


「カホルさん、体調が優れないのですか?」

「あはは、違う違う……ちょっと寝不足なだけ。チイたんは元気じゃん」

「ぐっすり朝まで寝られましたから」

「……じゃ、覚えてないんよねえ」

「? あ、もしや私の寝相が悪かったのでしょうか」


 違うと思う。

 ヤイバは幼馴染だから知っている。

 チイは寝る時、必ず誰かに抱きつく癖があった。カホルの話では、間に防波堤としてブランシェを寝かせたのだが、気づけばガッチリ背中に張り付かれていたという。

 優等生の委員長には似合わぬ悪癖だが、この抱きつき癖は今も健在らしい。彼女なりに、仕事ばかりで家にいない両親を思うと寂しいのかもしれない。

 小さい頃からチイは鍵っ子で、ほぼ常にヤイバの家で暮らしていたのだった。


「カホル、ご愁傷さま。キツくなったら言って、少し休憩するから」


 ちらりと見れば、シャリルも大きく頷く。

 ヤイバは内心、イクスが示す道の先になにがあるのか、今すぐにでも知りたい。持ち前の探究心だってウズウズしているし、イクスを救うためのヒントがあるような気がするのだ。

 だが、無理は禁物である。

 ここは異世界、剣と魔法の時代が終わっていても、ヤイバたちの世界ではないのだから。


「カホル、びょうき? だいじょぶ?」

「ううん、へっちゃらへっちゃら! 大丈夫だよっ、ブランシェたん!」

「わたし、けがを治すまほう、使える、よ?」

「ありがとね。でも、あーしはほら、強いから! だいじょーブイッ!」


 重そうなまぶたの奥に瞳をうるませつつ、カホルはニカッと笑う。

 彼女の心情を考えれば、昨夜はさぞ自制心をフル稼働させただろう。自分が同じ立場だったら、ヤイバにはちょっと自信がなかった。

 いつのまにか、イクスに抱き着かれて眠る想像が脳裏に広がる。

 あわててそれをかき消し進めば、少し開けた場所が突然現れた。


「ちょうどいい、少し休憩しよう。まだまだ先は長いだろうからね」


 それどころか、大自然の懐に飛び込めばその先は闇……空も狭く、木々が奪い合うように枝葉を伸ばしていた。薄暗い中に日だまりがあって、そこだけがぼんやりと明るい。

 危険な原生動物もいるだろうし、ここはまだまだ人間の文明が及ばぬ未開の地。なにが起こるかはヤイバにも予測不能だった。

 そんな時、シャリルが中途半端に尖った耳をピン! と立てる。


「人の気配がします。近付いてくる……足音は、二人ですね」

「ちょっとまずは、物陰に隠れて観察しよう」

「賛成です。話の通じる人たちかどうかは大事ですし、もしエルフだったら」


 そそくさと皆は、茂みの中へと身を伏せた。

 どうやらこの広場は、人為的に作られた樹海の中の休憩所のようなものらしい。そこに、ガシャガシャと鎧を鳴らして二人の男がやってくる。

 兜を被り、手には槍を持っていた。

 武装している時点で、ヤイバの警戒心はワンランク上昇する。

 だが、小声のシャリルが耳元で教えてくれた。


「結社の同志です。でも、なぜ……伯爵の護衛のための親衛隊ですが、伯爵から離れて行動しているのはとても珍しいんです」

「どうする……やり過ごすかい?」

「ヤイバさん、ここは僕に任せてもらえないでしょうか」

「交渉、というか、対話が成立するかな」

「大丈夫です。……僕は今でもやはり、結社と伯爵を信じたいですから」


 シャリルの顔立ちは少女然としておだやかだが、瞳には逼迫した光が揺れていた。

 彼にとっては、伯爵は恩人。結社は社会との大切なつながりの一つだ。まして、この時代にハーフエルフとして生きてゆくには、なにかと苦労も多いだろう。

 昨夜の開拓者の男みたいに、誰もが気にせず迎えてくれるとは限らないのだから。

 タイミングを見計らって、シャリルが立ち上がると自ら歩み出る。


「こんにちは。結社の同志とお見受けしましたが、このような場所でなにを?」


 シャリルに振り向いた男たちは、即座に槍を構えて、そしてホッとその穂先を下ろす。やはり、敵意はないようだ。見守るヤイバもハラハラするが、シャリルは冷静かつ穏やかに言葉を選んでゆく。


「おお、君も結社の構成員かい? いつもお疲れ様」

「親衛隊の皆様こそ、お疲れ様です」

「いやあ、これも伯爵からもらった仕事でね。10年前は魔王だなんだで冒険者家業もよかったんだが……今は武芸じゃ食ってけなくてね。ああ、知ってるかい? この奥に――」


 片方の男は、恰幅がよくて饒舌なタイプだった。笑顔の端々に人の良さがにじみ出ている。もう一人は痩せた長身で、目つきが鋭い細面の若者だ。だが、ヤイバは妙な空気を感じ取る。痩せた方の男は、先程からまじまじと舐めるようにシャリルの全身を見つめている。そして、相棒の言葉を遮ると警戒心をあらわにした。


「その話は同志諸君にも語ってはならない筈だぞ。忘れたのか、伯爵の命令を」

「おっと、そうだったな。そういう訳で、ここから先は進まないほうがいい。なにか、薬草の採取とかかい? この土地はまだ自然が豊富だし、守っていきたいもんだよ」


 瞬時にヤイバは察した。

 そのまま目線を横にスライドさせれば、バラバラに隠れたチイやカホルも頷きを返してくれる。ブランシェだけが、目を丸くして瞬きを繰り返していた。

 やはり、なにかある。

 イクスが行けという先、この鬱蒼たる樹海の奥に秘密が隠されているのだ。

 そして、それは伯爵が意図的に隠蔽していて、こうして見張りの人間まで配置している。

 直感は今、確信に変わっていた。

 だが、信じられない光景へと繋がって、誰もが気配を隠しつつ驚かされた。


「……その伯爵からの密命をおびているのです。どうか、僕を通してくれないでしょうか」

「ほう? ああ、そうだな……ククク、お前があの有名なハーフエルフの」


 シャリルの立場を活かした機転に、何故か長身の男がいやらしい笑みを浮かべた。その意味がヤイバには、わからなかった。そして、怒りとともに知らされることになる。

 男の片方が歩み寄って、シャリルのおとがいをクイと手で上向かせる。


「なるほど確かになあ。これもエルフの血か? 随分と綺麗な顔じゃないか。なるほど、それは確かに伯爵にかわいがられる訳だ。そうなんだろう?」

「そ、それは……噂は耳に入っていますし、事実です」

「公然の秘密、ってやつだろ? なあ、ちょっと脱いでみろよ」


 最初は、なにを言っているか意味がわからなかった。

 シャリルの表情は凍りついてしまっているし、男の笑みがどんどんだらしなく歪んでゆく。太った方の男は、なにがなんだかわからないようだ。

 そして、そっとシャリルは上を全部脱いで見せた。

 あらわになる肩はあまりにも華奢で、肉付きも薄くかすかに肋骨が浮き出ている。


「毎晩、伯爵にかわいがられているんだろう? ええ?」

「ま、毎晩ではないです……普段は孤児院で働いてますので」

「なるほど、お気に入りにもなる訳だ。そうだよなあ、エルフの血をひくってことは、こういうご時世ではそれくらいの価値しかなもんなあ」


 ヤイバは一瞬、頭が真っ白になった。

 だが、息を殺して自分を落ち着かせる。

 見れば、既にチイが弓に矢をつがえていたが、カホルがなんとか抑えているようだった。

 つまり、そういうことだった。

 シャリルはその容姿と生い立ちゆえに、キルライン伯爵のなぐさみものになっているというのだ。逆らえぬ立場故に、彼はそれを受け入れて尚、伯爵を尊敬していた。性を搾取され虐待されているという考えは、少なくとも今は罪悪感くらいしか与えてくれないようだった。

 そこですぐ、脱ぎ捨てた着衣をもう一人の男が拾ってくれた。


「こら、子供だぞ! ……そんなものは根も葉もない噂だと思っていたがなあ。さ、服を着なさい。もしや密命とは、ふむ……同胞たちに会えるよう、伯爵が取り計らってくれたのだろう」


 太った男の方は、どちらかというと常識的で温厚なようだった。だが、服を差し出す手が震えている。彼もまた、伯爵の違う一面を知ってしまったのだ。今この瞬間、なんの準備もなく。

 動揺はあらわで、それを隠すように苦笑する男。

 一方で、痩せた長身の方はつまらなそうに鼻を鳴らす。

 そして、聞き捨てならない一言に、ヤイバは驚きを噛み殺す。


(同朋……? じゃあ、やはりこの樹海の奥には? ……見えてきたぞ、伯爵の闇が)


 本当なら、今すぐ引き返して伯爵をブン殴りたい気持ちでいっぱいだった。イクスへの非礼、そして乱暴な振る舞い。のみならず、ハーフエルフという社会の異端児であるシャリルに漬け込み、その美貌を欲望のはけ口にしていたのだ。

 その一方で、闇深い森の奥に隠している。

 それはきっと、産業革命を迎えた人類たちが忘れ始めた、この世界の亜人たち……おそらく、エルフの生き残りがいるのではないだろうか。

 見張りの親衛隊が去ったあと、姿を現す誰もが暗い顔でシャリルへの言葉を探して黙るしかできないのだった。

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