第52話
ヤイバは一人、地下の牢獄に放り込まれた。
向かいには、女性陣一同がまとめて監禁されている。
鉄格子の向こう側では、カホルとチイが必死にブランシェをなぐさめていた。彼女は皆と一緒に複数の魔法を浴びた挙げ句、恐怖の対象であるキルライン伯爵と衝撃の再会を果たした。
そして、幼子でも気づいただろう……自分が問題の種の一人であるということが。
「わたし、めいわく……ごめん、なさい」
「ブランシェちゃんは悪くありません。悪いのは」
「そうだし! あんの伯爵んヤロー! 絶対あーしがとっちめてやる!」
この地下の湿った空気に、少女たちの怒りと嘆きが入り交じる。それは水滴の滴る音をも伝えて、微かに血の臭いがした。
やはり、結社は……自然を愛する仲間たちの実情は邪悪なものだった。
集う民が善良極まりないだけに、ヤイバも酷く憤慨してしまう。
表向きは健全な環境保護団体だが、裏ではこうして敵対者を不当に消してきたのだ。
「……まあ、それはさておき」
ヤイバは自分の激昂しやすい短慮な性格を己で戒める。
見た目に反して意外と短気、それはヤイバの悪い部分である。だが、自覚して気をつけるなら、それはもう悪癖ではない。
今のヤイバは、冷静に状況を把握して行動を選んでいた。
とりあえず、向かいの牢獄で身を寄せる三人に声をかける。
「三人とも無事? 怪我はないよね」
頷きを返す三人の中で、チイだけが「あら?」と首を傾げる。
それも当然で、本来ならヤイバたちは消し炭になって死んでいてもおかしくない。なにせ、あのイクスの魔法を連続で身に受けたのだから。場所を考慮しての中規模な攻撃魔法だったが、不思議なことに誰も火傷一つなかった。
その理由を今度は、ブランシェに優しくゆっくり問いかける。
「やっぱりね……ブランシェ、さっきの魔法は全部イクスさんから君に写し取られてるね?」
「うん。炎と氷、そして雷撃……あんましつよくないやつ。それと、レジストまほう」
「レジスト魔法だったんだ、最初のあれは。つまり、魔法への耐性を上げる魔法」
「それも、もらった。わたし、またうばっちゃった……」
しょげるブランシェを、カホルがギュムー! と抱きしめる。
そしてヤイバは確信した。
先程のイクスには、殺意も敵意も全くなかった。その証拠に、真っ先にヤイバたちへ対魔法防御を施し、そのうえで無効化されるレベルの魔法を何発か放ったのだ。
それは、ブランシェへの魔法の譲渡のようなものなのだろう。
彼女は彼女で、伯爵に逆らえない事情を抱えながらも戦っている。
直接言葉を交わさなくとも、ヤイバにはそう信じられた。
「つまり、イクスさんは……ヤイバ君。もしや、逆らえない状況下で」
「僕たちに少しでも魔法を預かってほしくて、あんなことをしたんだ」
「それで伯爵は慌てた様子を少し見せたんですね」
「ああ。ブランシェに魔法を浴びせるとどうなるかは、彼自身が一番よくわかっているからね」
ダークエルフのブランシェ、ブランク・スクロール。ブランクの名が指し示す空白の巻物は、呪いの力で受けた魔法を相手から奪い取る。
その証拠に、ぼんやり光るブランシェの身体に、魔法の刻印がいくつか増えていた。
それを再度確認し、ヤイバは今後の方向性を話し合う。
「とりあえず、自力での脱出は無理っぽいね。チイ、カホル、そっちは?」
「施錠されててびくともしませんね」
「あーしのバカヂカラでも無理かもー」
三人とも、イクスの秘蔵のコレクションを身にまとっている。どの武具も魔法の加護が幾重にも張り巡らされた逸品揃いだ。
だが、こうした特殊な環境、監禁状態では戦闘能力は意味を持たない。
試しにヤイバは、いくつかのナイフを取り出してみる。
竜の甲殻をも切り取る業物でも、鉄格子はびくともしない。おそらく、なにかしらの合金製なのだろう。物理的に無理ならと魔力殺しの一振り、スペルスラッシャーを使ってみる。
しかし、これは魔法のかかったものしか切れない。
そして、鉄格子は純粋にただ硬いだけの物理的な強さなのだった。
「ふーむ、他には……お決まりの炎、氷、雷、あと土? というか、樹かな、これは」
どのナイフも今は、現状を打開するアイテムにはなりえない感じだ。
強いて言うなら、例の「物理的な切れ味だけは竜をも切り裂く」という、例の一振りに僅かな希望がある。
「どれ、もう少し頑張ってもらおうかな。ええと、うん。フィジカルリッパーと呼ぶことにしようか」
他のナイフにも、あとで名前をつけようと思う。
こういうときのセンスは、ヤイバも人並みの高校生だ。つまりは、中二病を脱した後に訪れる、高二病レベルのものである。
それでも、フィジカルリッパーを鉄格子に当てて前後にノコギリのように動かす。
パラパラと粉がこぼれて、小さな傷がついた。
多分、一本切断するだけで丸一日はかかりそうな雰囲気だ。
そう悠長にはしてられないし、さてどうしたものかと考え込む。
すると、不意にひそめられた小さな声が響いた。
「皆さん、大丈夫ですか? お食事をお持ちしました」
シャリルだ。
彼は周囲をキョロキョロと見渡し、見張りの人間がいないことを確認する。そして、熱いスープののったトレイを脇にどけると、懐から鍵束を取り出した。
すぐに意図に気づいて、ヤイバがその手を止めようと声を掛ける。
「まずいんじゃないかな、シャリル。君は結社の人間だろう?」
「はい。伯爵にも多大な恩義があります。でも」
「でも?」
「わからないんです。あんなに優しく威厳に満ちた伯爵が、こんなことを」
シャリルは逡巡を見せたものの、結局ヤイバの牢獄に鍵を差し込む。ガチャン! と小さく錆っぽい音がなって、ヤイバは自由の身になった。
すぐにシャリルは、向かい側の牢獄も解錠してしまう。
そして、彼は出てきた皆をぐるりと見渡し、言葉を選んだ。
「あの、イクスさんという方から伝言です。西の森……翠緑ノ樹海に向かってほしいと」
「イクスさんが? その、翠緑ノ樹海というのは」
「まだ人間の開発も途上の、昔と変わらぬ原生林です。危険なので、その奥へ踏み込む者はほとんどいません。帰ってこなかった人も数え切れない秘境です」
「なるほど。よし、行こうか、みんな」
「……いいんですか? その、危ない場所なんですけど。それに」
シャリルは口ごもって、そして小さく呟く。
「僕のことを信じて、そんな場所へ……その決断力はいったいどこから」
「多分、イクスさんを信じてるからかな。イクスさんが君を信じたなら、僕たちも信じるよ」
「ヤイバ君が行くのであれば、私も同行するのは当然ですね」
「も、もちろんあーしも行くし! ……ブランシェちゃんも、ね?」
「うん。わたし、いかなきゃ」
シャリルは驚いたように目を丸くする。
当然だろうとヤイバは思ったが、自分の決定に過ちを感じない。
シャリルは結社の人間、いうなれば伯爵の側の立場だ。そのシャリルがヤイバたちを逃がしたという事実は、すぐに知れるだろう。待っているのは、伯爵の怒りと罰だ。
だが、シャリルは儚げに笑って出口を指差す。
「先ほど日が落ちました。夕闇に紛れて外に出られるはずです」
「シャリル、君は」
「……大丈夫なんです、僕は。伯爵の寵愛を一心に受ける身ですので。こうみえても僕、伯爵とは浅からぬ関係なんですよ? 大丈夫、伯爵も話せばわかってくださいます」
妙な含みがある言い方だ。
だが、安心させるようにシャリルが微笑むので、その手をヤイバは握った。
「わかった、じゃあ一緒についてきて」
「えっ? い、いえ、僕は大丈夫なので」
「君は結社の人間で、伯爵の信頼も厚い人間なんだろうけどね。僕たちは伯爵の本性を知っている。だから、君も救いたいんだ」
うんうんとチイが頷き、わざと声を尖らせる。
「それに、いざというときシャリルさんは伯爵に対する人質として機能する……違いますか? まあ、そういう状況にはならないと思うし、させませんが」
カホルやブランシェも、シャリルの手に手を重ねて旅へと誘う。
そう、逃走劇の始まりである。
逃亡は同時に、新たな謎への前進……果たして、イクスが指し示す新たな土地には、いかなる真実が眠っているのか。
それをヤイバは、シャリルにも確かめてほしいと思った。
もうたびに旅の仲間だし、嫌な予感がするからだ。
伯爵はシャリルを殺しはしないだろう。
だが、罰は免れぬはずだし、シャリルの流麗なる少女然とした美貌に不安が募る。
「シャリル、君は僕たち悪漢に脅され、殺されそうになったので渋々同行した。誘拐されたってことにすればいい」
「ヤイバさん……で、でも」
「結社の多くの人たちは、善意で自然保護活動をしている。それは疑わない。ただ、その善性に伯爵はつけいり、裏でなにかを画策している。それは」
それは、魔法の復活。
そして、自分が第二の魔王となって人類社会の科学文明を滅ぼすことである。
そのことはまだ胸に秘めて、シャリルにはあえて秘密にする。
彼の中の伯爵を壊したくなかったし、真実を受け入れるには手順を踏む必要があるからだ。こうして一同は、戸惑うシャリルを半ば強引に連れ出し、本部の施設を脱出するのだった。
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