第51話

 僅かな時間、ほんの一瞬の刻。

 ヤイバの鼓動も呼吸も止まった。

 眼の前に今、ずっと探していたイクスがいる。その額には十字傷が痛々しく、まるで罪の十字架を刻まれたようだ。

 そのイクスが、泣きながらも涙を手の甲で拭う。


「少年、来てしまったのかや……すまんのう。じゃが、早く皆で逃げるのじゃ」


 ヤイバは耳を疑った。

 握ったナイフを、思わず取り落としそうになる。

 なんとか絞り出した声は、予測不能な事態に震えていた。


「イクスさん、助けに……助けに来たんです、僕たち」

「うんうん、ありがたいのう。心からの感謝を、少年。じゃが、ワシはここを動けん。さ、今ならまだ間に合う……逃げるのじゃ!」


 イクスの左右から、いかつい男たちが飛び出してくる。下手の良いスーツの内側から、彼らは銃を取り出した。まだまだ前時代的な、フリントロック式の拳銃。だが、そこから発射される弾丸は、魔法の加護がある防具を貫通するかもしれない。

 とっさにイクスが「逃げよ、少年!」と叫んだ。

 同時に、つむじ風が舞って男たちを気流の渦が包む。

 行動に集った人々から、感嘆の声があがった。


「おお、あれは!」

「あれが、魔法……かつて魔王を倒した、失われし力」

「なんということだ、伯爵は魔法の力を手に入れているのだ!」

「星の泉の力を感じるぞ。まだ、星の泉には命が宿っている!」

「守らねば……自然界、この星の環境を!」


 イクスは結果的に、ヤイバを守ってくれた。

 銃を抜いた男たちは、小さな竜巻に包まれて右往左往している。

 だが、そこで声をあげたのはキルライン伯爵だった。


「皆様、御覧ください! これが、魔法! 錬金術より発達し、今やこの世界を汚して汚す科学に抗う、唯一の法!」


 両手を広げて大げさに身振り手振りに舞う伯爵。

 この手のアジテーション演説は、彼の得意技、いや……必殺技だ。

 そのまま伯爵は、驚く聴衆たちに向かって声を張り上げる。


「イクス様の尊き魔法……それを盗もうとする輩がいるのです! ごらんください! この少年少女が連れるあの幼子を! あれなるは、呪われしダークエルフ!」


 視線がブランシェに殺到した。

 それで思わず、チイが彼女を庇ってくれる。そんなチイごとブランシェを守るように、拳を構えてカホルが前に出た。

 最悪だ。

 まるで真逆の立場になってしまった。

 本来それは、ヤイバたちの現実世界での伯爵の行いだ。ブランシェを道具のように使って、イクスの魔法を次々と奪ったのは伯爵なのである。

 だが、そんなことをこの場で説いても無駄だ。

 いっそ、やるか……そんな短慮な己をヤイバは自ら戒める。

 伯爵を攻撃した時、イクスがそれを庇ったら……それこそ最悪中の最悪だ。


「ヤイバっち! どうする? やっちゃう?」

「やらない! やれない! どうする……とりあえずカホル! ブランシェを、チイを守って」

「お、おうてばよー! あーしだってやる時はやるんだからね!」


 気丈に弓を構えつつ、チイが「ヤイバ君」とこちらに目線をくれる。だから、つとめて冷静を取り繕っって、ヤイバは大きく頷いてみせた。

 だが、銃を持った男たちは奥から次々と現れ、このままでは包囲されてしまいそうだった。そんな時、以外な人物の声が走る。


「伯爵、キルライン伯爵様! 彼らは悪い人間ではありません! なにかの、そう……なにか、誤解があるのではないでしょうか!」


 シャリルだ。

 彼はステージに上るや、伯爵に詰め寄り懇願めいた声をあげる。

 だが、気持ち悪いほどに優しい声音で伯爵は笑う。それは、もはや隠しもしない悪辣な笑みだった。計略を繰り返し、ついに獲物を罠にはめた時のそれである。


「君は確か、シャリル君だったね?」

「はい、伯爵。どうか彼らと対話を持ってください。彼らは善良な旅人で、僕を助けてくれました。決して悪意のある人間ではありません!」

「シャリル君……それこそが彼らのやり口、手口なのだよ」

「は、伯爵?」

「君はもう、彼らの術中に陥っている。騙されているのだよ、かどわかされているのだ!」


 どよめきが収まらぬ中で、ヤイバは身構えつつ思考を巡らせた。

 シャリルの説得、これはもう意味がない。シャリル自体には感謝しているし、結社の人間たちが心から環境保護を想っていることも疑う余地はなかった。

 だが、それを全て利用して、伯爵はなにか悪事を企んでいる。

 彼自身も環境汚染を憂いているかもしれないが、解決の手段が外法なのだ。

 そう思っていると、不意によろりとイクスが歩み出た。

 杖がないからか、その足取りはおぼつかない。

 足腰が弱った彼女にとっては、一歩を踏み出すだけでも億劫だろう。だが、彼女はそっとヤイバたち四人に手をかざす。その掌に、魔法の刻印がぼんやりと光った。


「イクスさん……!」

「少年、すまんのう。こうでもせねば、お主が……お主たちが危険じゃ」

「洗脳されてるとかじゃないようですね、安心しました。……訳があるんですね。それも言えない訳が」


 イクスは首肯を返すでもなく、首を横にも振らなかった。

 ただ、魔法がほとばしってヤイバたちを包む。なにかしらの波動が全身を突き抜けたが、不思議とダメージはない。なんの魔法をかけられたのかも、さっぱりわからなかった。

 だが、ブランシェが「……とれた」と呟くので、伯爵が激怒する。


「皆様! この者たちは不埒な罪人です! ええい、護衛の者たちはなにをやっている! 撃て、撃てっ! イクス様は魔法はお控えを! イクス様がでるまでもありませぬ!」


 伯爵が慌てたが、もう遅かった。

 背に背を預けてひとかたまりになるヤイバたちに、強力な火炎が放射される。あっという間に周囲に飛び火し、講堂は灼熱の獄炎地獄と化した。

 だが、すぐにヤイバは察した。

 手加減されている、この火力では建物全体が燃える心配はなさそうだ。派手に炎が舞っているが、ゲームのエフェクトみたいに建物そのものへの延焼を意図的に避けている。

 そしてもう一つ……直撃を食らったのに、ヤイバたちは無傷だった。


「イクス様! いけません、いけませんぞお! 魔法が、ああ! 魔法が盗まれる」


 無言でイクスは、次々と魔法を放った。

 その派手な雷やステージを貫き生えてくる巨岩の槍。氷の刃が襲ってきても、全ての魔法がまるで素通りするようにヤイバたちを突き抜ける。

 そして、ブランシェに写し取られてゆく。

 一通り魔法攻撃が終わったのは、消耗でふらりとよろけたイクスがへたりこんだからだ。


「……そうか、そういうことか。けど」

「ヤイバ、まほうたくさん、もらった。つかう?」

「いや、駄目だっ! ブランシェ、君は手加減ができる?」

「ちょっと、すごく、むずかしい」


 結局、ヤイバはナイフをしまうと防具を脱いで普段着に戻る。手の甲の紋章で平服に戻ると、黙って両手をあげた。

 降参することにする。

 今は、今だけは。

 それに驚くカホルだったが、チイがそっと耳元に囁くのでヤイバに続いた。


「あーもぉ、好きにしろだし! ……あ、でも拷問とかいやだなあ」

「その心配はないでしょうが、カホルさん。暴力的なのは伯爵だけですし」

「チイたん、あ、あのさ。こんなときにあれなんだけど、あ、こんなときだから」

「ええ、私からも申しておきます。必ずカホルさんやブランシェちゃん、ヤイバ君を守りますから」


 なんか、カホルが突然煙を吹き出してその場に倒れた。

 それでチャンスと見たのか、無抵抗なヤイバたちにスーツ姿の男たちが殺到する。あっという間に組み伏せられ、全員が拘束されてしまった。

 思わずヤイバは、声をあらげる。


「彼女たちに、女の子たちには乱暴はよすんだ! 僕たちは抵抗しない、だから、ッガ!」


 逆関節を極められ床に突っ伏したまま、頭を蹴られた。

 背後では、チイやカホル、ブランシェも囚われの身になったらしい。

 それで伯爵は、落ち着きを取り戻すと静かに聖人モードをとりつくろった。本当にこの男は、自分を使い分けるのが巧みだ。賢者のごとき静かな物言いで語りだす。


「同志諸君! 彼らは魔法を狙っているのです。哀れな……なにが彼らをそうさせるのでしょうか? 我々はただ、滅びつつある自然を守りたい、それだけなのに」


 たいした役者だと思うと、心の底から憤りがこみ上げる。

 このわざとらしさも、一周回って本気の本音に見えるから驚きだ。

 そして、結社の人々はみな一様に伯爵に心酔しているようだった。

 この場では勝者がだれか、ヤイバにもはっきりとわかる。

 だが、一人では立てなくなったイクスが、息を荒げて言の葉を紡ぐ。肩を上下させる彼女は、本当に苦しそうに汗を全身ににじませていた。

 まるで危険を示すように、全身の紋様が明滅している。


「は、伯爵……少年たちを、放すのじゃ。元の世界に……か、かえして、やるのじゃ」

「おお、イクス様! なんとお優しい! しかし、そうは参りません。なにせこの場で今、この瞬間! 皆様が見てる前でそこのダークエルフに魔法を盗まれたのですから!」


 こうしてヤイバたちは囚われの身となり、地下牢に連れて行かれることになった。

 そして、確信する。

 この結社、自然を愛する仲間の会は、伯爵が作り上げた非合法な面を隠していると。そもそも、本部の建物に地下牢が存在することが、それを裏付けるなによりの証拠なのだった。

 善良な人々から軽蔑の視線を浴びつつ、ヤイバたちは暗闇の中に引きずり込まれるのだった。

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