第3話 地下水路にて
オデュッセウスの地下水路はとても暗く、酷く
それが原因なのか、もしくは目の前に居る不気味な『不審人物』が原因なのか、いずれにせよエルとマリナは何か、『破滅』を予感させる悪寒を感じていた。
「動かないで」
まず、マリナが牽制する。目の前の白ローブの男は顔を仮面で隠している上に、刃物をつい先ほど投擲してきた。まだ攻撃の手を何か隠し持っていると見るべきだ。ゆっくりと、剣先を男に向けながらマリナは近づいていく。ゆっくりと、警戒を解かずに。
エルはというと、緊張で動けなくなってしまっていた。声が上手く出ない。息は、辛うじて出来ている程度。ただ、ただただエルはマリナの背中と男の左手にある『本』から目が離せなかった。
(…………あの本、もしかして倒れていた人から奪った物なのかな)
そのエルの推察はおおよそ外れてはいないのだろう。あの本を目当てに被害者を襲ったのであれば、なんとか犯行の理由は説明出来る。
「……………………」
白ローブの男は近づいてくるマリナに全く反応せず、ずっと二人の方を向いたまま立っているだけ。エルはこのまま捕まってくれると良いなと思っていたが、そんな甘い展開にはならなかった。
突如、白ローブの男の手にある『本』が独りでに宙に浮き、開き、パラパラとページがめくられていく!!
「ッ!? おい!! 何をしているッ!?」
マリナも異変に反応し即座に距離を詰め、男の方へと向かったが遅かったようだ。あの『本』のページの動きが止まったかと思えばエルとマリナの二人が何かの力によって吹き飛ばされる!!
なんとか下水には落ちずに済んだ二人だが、起き上がって態勢を直した頃には『本』は宙に浮いており、開いているページがマリナたちの方へと向けられている。
「い、一体何なんだその本は…………」
「マリナ、さん……」
二人は今何が起きているのか必死に理解しようとするが、理解よりも先に『本』の動きの方が先に起こってしまった。
『本』から、どす黒い…………見るからに異様な『マナのようなモノ』が放射されたのだ。
「え…………何?」
しかも、その黒いマナはマリナの方へと向かっていく。あまりに唐突でかつ、理解の範疇を超えた出来事であるが故に経験豊富な彼女でも反応が遅れてしまった。
黒いマナからはとてつもない嫌悪感を感じる。この世界では、マナというのは『血液』『空気』と同様に生きるのに必須で身近な存在なはずなのに、目の前のマナには脳が…………本能が警鐘を鳴らしてくる。
もう避けようがない。そう確信したマリナは目を閉じ、起きるであろう何かに対して備えた――――――
だが、その『何か』がマリナの身に起こる事は無かった。
「マリナさんッ!!!!」
ドンと突き飛ばし、エルがマリナの代わりにあの『マナのようなモノ』を受けてしまった。ソレは徐々に少女の肉体に装備を貫通して沈み込んでいき、次第に完全にエルの中へと消えていってしまう。
エルは倒れ、動かなくなった。
「あ、ああ……」
マリナは咄嗟にエルに手を伸ばすが、何も出来なかった。…………自分を庇ってくれたエルに対する尊敬の意志と、あんなまだ小さい少女に自分の身代わりをさせてしまった自分に対する怒りがごちゃ混ぜになっていき……最終的に目の前の仮面の男へそのごちゃごちゃになった感情をぶつけた。
「お、お前ッ!!!!」
カッとなりマリナは激情に突き動かされ男の元へと接近する。ただ、頭に血が上りすぎていて彼の手に小さなナイフが握られていたことに気が付かなかった。
接近してくるマリナに男はそのナイフで彼女を切りつけるッ!!
「……ぅあああ!!」
なんとか反応出来たマリナは間一髪のところでナイフを剣で弾いたが、彼女の露出していた指に切り傷を作ってしまった。次第にマリナの意識が薄れていく。
「こ、これ…………は、……毒? まずい……効くのが、はや……ぃ……」
動け。動けと頭では思いつつも彼女の身体はもう動けなくなっていた。
マリナは薄れていく意識の中、ただただ仮面の男を睨むことしか出来なかった――――
そして男が見ていたのはマリナでは無く、マリナの後ろで動けず苦しんでいたエルの方を見ていたことにも気づけなかった。
(あつい、あついあつい、あつい…………)
エルはあの『マナ』を身に受けてから全身が激痛と高熱に包まれていた。まるで生きたまま燃やされているかのようで、そしてどこか自分の身体の一部が冷たくなっていく感覚を覚える。全身が熱くなる中、ただ一つだけ対照的に凍えていく…………それは…………。
(し、しんぞうが…………)
エルもまた、マリナと同様に意識を失った。それと同時にエルの肉体を苦しめていた激痛と高熱は引いていく。
その様子をまじまじと見届けた仮面の男は二人と『本』を放置し、穴の奥へと進みその場を後にした――――――
◇◇◇
「…………ぁ」
マリナは気が付くと見知らぬ天井が目に入る。どうやら、何処かの屋敷のベッドで寝かされているようだ。…………エルの姿は近くに見えない。マリナは一応警戒しつつ、そっと静かに体を起こす。
「目が覚めたんですね」
「ぬわぁ!? だ、誰!?」
自分のすぐ隣に居たメイドに声をかけられ心臓が飛び跳ねそうになる。マリナは一旦深呼吸して、会話を試みていく事にする。
「申し遅れました。私はエル様の保母も兼ねているラーテル家のメイド長、『イリアス』とお呼び下さい」
メイド――――ベートは深く頭を下げる。白いカチューシャ、長い丈の上品なスカート、丁寧な言葉使い、なんというか……イリアスは『模範的メイド』という印象をそのまま人の形にしたような感じだった。ただ…………。
(メイド……家事とかの手伝いをしてくれる人だっけ、アタシでも気配に気づけなかったところを見るとまぁ普通の人じゃなさそう……)
マリナはまだ疑心を抱いていた。そして気になっていた事を次々と質問し始める。
「じゃあここは……エルの家ってことで合ってる?」
「はい。エル様はオデュッセウスの貴族であるラーテル家の一人娘ですので、エル様の家と受け取ってもらって良いでしょう。騎士団の方々が運んできた際にはもう気絶していらっしゃったので、私の判断で屋敷の一室で療養させていました」
「あ、そうだったんだ……ありがとう」
「…………え。エルって、お嬢様だったの??」
なんだか色々と聞き逃せない言葉を聞いた気がするマリナは目を丸くする。対照的にイリアスは全く姿勢を崩さず、ハッキリと答えた。
「はい。お嬢様ですね」
「にしては……」
「まぁ、とてもお元気ですよね」
イリアスは微笑む。その笑顔には何の屈託もない。マリナは少しづつ警戒を解けていけた。
「んぅ…………じゃあ、その『お嬢様』は今どこに……多分アタシと一緒に運ばれたとは思うんだけど」
「エル様は、もうご自身で起きられて今は自室内でトレーニングをしておりますね」
「元気だねぇ~。騎士団の方々が運んできたとか言ってたけど、誰がアタシ達を見つけたのかは? 分かったりする?」
イリアスはコホンと咳払いをする。マリナは質問攻めにしていた今の態度が良くない事に気づく。
「……色々気になるのは当然でしょう。ですので、私の口から概要を説明いたしますね。もう騎士団の方などからお話は伺っているので」
◇◇◇
「まずあの殺人は間違いなく物品目的の犯行でした。被害者の職業は……俗に言うところの『闇商人』で、非合法的な取引を常日頃から行っていました。あの『本』もその非合法取引の商品だったのでしょう」
「あの本は結局何だったの?」
「…………その話は後でします。次に貴方たちを見つけた人物ですが、騎士団長でした。彼はエル様と夜間パトロールの待ち合わせをしていたのですが時間を大きく過ぎても来ない状況から異変を察知し、即座に騎士団を総動員して捜索が開始。
例の殺人の現場も発見され、目撃者の女性のおかげで貴方たちの居場所も分かったということです」
イリアスは話しながら注いでいた紅茶をマリナに差し出す。それを受け取り、グイっと飲むがマリナには「うん。良い香り。おいしい」としか表現出来なかった。
「そして犯人の消息ですが、分かりません。我々ラーテル家としてもエル様をトラブルに巻き込んだ犯人は許せないのですが、追跡は困難でした。『穴』の奥まで探してみましたが途中で道を瓦礫で塞がれてしまっていて、消息が掴めなくなったと…………」
「あの人、明らかに普通の人では無いし何か妙な策を使って逃げたとしても不思議じゃないね」
「一応騎士団の方で今後も指名手配するそうですが、ローブにフード……そして仮面の関係上効果は薄いでしょう。素顔が分からないのですから」
とりあえず、とても上品とは程遠い仕草でグビグビと紅茶を飲み干したマリナはカップを机に置き、ずっと置いといていた話題に触れた。
「『本』自体の詳細もまだ分からなかったり……?」
「『本』の内容自体は分かっています。ただ、その性質上安易に触れるべきではないので…………」
イリアスは深呼吸をし、マリナの青色の瞳を見つめ、問いかける。
「『悪魔』をご存知でしょうか」
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