第47話 アルファベット

 ◇◆◇◇◇◇



 父上用に馬車を1台借りて領地へと向かう。

 私の希望で、道中に立ち寄ったキルニス村を経由するルートを進んでいた。

 皆には話して無いが、私が宿泊を偽装する為に借りた宿に何らかの被害が出ていた場合、謝罪と損害補填を約束する為だ。


 聖都を出たのが昼過ぎだったせいかキルニス村に到着した時には完全に日が落ちた所だった。

 私が部屋を借りた宿を訪ねると、店の明かりが全て消えており入口の扉も閉まっていた。

 まだ宵の口で周囲の酒場が賑わっている時間、宿の戸口が閉まるには早い。


「なんか閉まってるみたいだな。別の宿を探そうぜ!」


 私の馬に便乗しているレオニス君が肩の上で話しかける。

 やはり何か被害にあって宿を開けれなかったのだろうか?

 …そう不安な思いを抱えながら私達は別の宿に部屋を借りた。


 その後、小さな酒場で夕食を済ませ、私は酒場の店主に閉まっていた宿の事を聞いてみた。

 店主は目を伏せ少し言い難そうに声を潜め、話してくれた。


「ああ、昨日夜遅くに野盗が襲撃してな。…宿屋夫婦は殺されたんだ。あの家、娘さんが居るんだが、たまたま隣町のレディポートに仕入れに出かけててな運良く助かった。明日の朝帰って来るらしいが、両親が死んだ事を知ったらと思うと気の毒でならねぇよ」


 私の心に衝撃が走ると同時に、部屋を借りる時に接客をしてくれた穏やかな夫婦の笑顔が脳裏に浮かんだ。

 呼吸が浅くなり手足の指先から一気に冷えてきて、全身を凍えるような寒さが襲って来た。

 私は思わず両手で自分の体を抱きしめ、寒さから逃れようとする。

 異常な状態でも私の思考は冷静に状況を分析する。

 恐らくこの寒さは血圧の急激な低下から来ているのだろう。

 私は血の気が引くという現象を生まれて初めて経験した。


 あまりの寒さに我慢しきれなくなり自分の体を抱きしめたまま、その場に座り込んだ。


「お、おいお客さん、大丈夫か?」


 店主は急に座り込んだ私をカウンターの内側から覗き込むように見てくる。

 しかし、私は強烈な罪悪感に心が支配されて店主から目を背けた。


「……私のせいだ」


 誰の耳にも聞こえない程のかすれた小さな声が自然と口から洩れた。

 その時、誰かが後ろから声を掛けてきた。

 父上か、マリーか、クラウスか?それとも……

 私は声の主を確認する前に意識を失った。

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 ・

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 目を覚ますと宿の部屋らしき場所のベッドの上だった。

 ベッドの脇にはイスに座った姿勢のまま器用に眠るマリーの姿があった。

 私の事を看病していてくれたんだろう。


 窓の外を見ると夜空を一面の星々が彩り、何事も無かったようないつもの風景が広がっていた。

 夜空はこんなにも澄んで綺麗なのに私の心は晴れる事は無かった。


 私が宿の部屋を借りた事で、宿の夫婦が殺されたんだ。


 明日、隣町から帰って来る娘さんに何と詫びれば良い?

「私を狙っていた野盗がいると予想して部屋だけ借りたのだが、案の定襲撃されてしまった。その結果、ご両親が亡くなってしまったようだ。すまなかった」…などと白々しく、そんな説明できる訳がない。


 いや、殺した連中がサンサーラ教の雇った連中とは限らない。

 もしかしたら本当に物取り目的で襲撃したの野盗だったかも知れない。

 それに自分が悪い訳じゃ無い、その人殺しを雇ったのはサンサーラ教団の連中だ!


 ”――私は、悪く無い! 父親を人質に取られた被害者だ!!”


 そう思う事で自分が感じている罪悪感を軽減しようとしている。

 私は自分がとても浅ましい人間のように思えた。

 どう言い訳をしようと、両親を失った娘さんの悲しみは消える事は無い。

「父親と母親が野盗の襲撃を受けて殺された」この事実だけは変える事ができないのだから。


 被害者の立場を自分の家族と置き換えた時、私はどうするだろうか。

 公爵家の私にはそれなりの資産と権力がある。

 必ず犯人共を見つけ出し、しかるべき処分を受けさせるか…あるいは自らの手で葬るかするだろう。

 しかし、何の力も持たない宿屋の娘はただただ泣き寝入りをするしか無いのかも知れない。

 …ともかく、このまま何も言わずに立ち去る訳にはいかない。


 ふと視線を落とすと、宿屋の前のテーブルに人影が見えた。

 そしてテーブルの上には、こんもりとした黒い塊が乗っていた。

 あれは、寝ている黒猫?…と言う事はラルク君か。

 彼は何やら小さな物を夜空にかざし、覗き込んでいるように見えた。


 そうだ!色々有り過ぎて忘れていたが、彼はいったい何者なんだ。

 じいが初めて見ると言う国の重要人物だけが所持を許された漆黒のカードを持ち、そこに本来記されるべき加護や特殊才能ギフトを完全秘匿された人物。

 そして全世界に支部があり、各国で影響力の高い貴族をも信者に持つサンサーラ教団本部を任されているオノス・フェニック大司教に対して絶対服従を強いる事のできる権力。

 そんなもの、あるとしたら大国を治める国王くらいしか思いつかない。


 それに、【雷槌いかづちミョルニル】を装備した私の本気の一撃を1で受け止めていた。

 常人なら重さだけでも圧し潰され、武器そのものが纏う高電圧で感電死してもおかしくない。


 彼は冒険者ギルドに登録してないのでDランク相当の力しかないと言っていたが、クラーケンの脚に刻まれた見事な斬り口、私の本気の一撃をほぼ無傷で受け止めた力は本物だ。

 あの秘匿されたカードが彼の底知れない能力の全てを物語っているような気がした。


 そういえば、大司教が妙な事を口走っていたな。

「…それは言えません、に口止めをされております。ですがと認識しております」と。


 大司教は伏せられた彼の個人カードの内容を知っていて、何者かに口止めをされている。

 そして言葉通りの意味なら、私と同じ”神”の名を持つ加護を受けている。

 サンサーラ教の大司教が平伏し、国が隠蔽する神、まさか”創造神の加護”なのか!?

 もし、そうだとしたら……伝説に語り継がれる天界の使者みたいなものじゃないか。


 その瞬間、私はラルク君の事を考えると重い気分が少し晴れるようだと気付いた。

 私の中の探求心や知識欲がくすぐられて、悩み事や不安を感じている気持ちが脳の領域の隅へ隅へと追いやられているんだと思う。


 私はマリーを起さないようにそっとベッドを降りると、ラルク君の元へと向かった。



 ◆◇◇◇◇◇



「お前、まだ屋台の事を根に持ってんのか? さっき酒場で散々食ってただろう」


 スピカはテーブルの上で不貞腐れたように寝そべって、ブツブツと何か呪言のような言葉を呟いている。

 こいつの食物に関しての執着心や熱意はどこから湧いてくるんだ。


「わかったよ、教団とマウリッツさんとの話が解決したらもう1度聖都へ行こう。僕も見て回りたいしね」


 僕がそう言うとスピカは目を輝かせ「本当か! 約束だぜ!!」と叫ぶ。

 スピカの機嫌が180度反転し、その豹変ぶりを見て苦笑する。

 こういう単純な所はそこいらにいる気まぐれな猫だよなぁ……


 それにしてもあの巨大な槌を受け止めた時、僕の全身を覆うベールは確かにスピカが作ったものだった。

 教会の天井を破壊する程の電撃を放てる武器の威力を軽く痺れる程度まで軽減できるなんて、僕が思っている以上に凄いヤツなんじゃないか……?



「やぁ、良い夜だね。それにしても君達は本当に仲が良いんだな、少し妬けるよ」


 急に後ろから声をかけられて、少しビクッと体が反応してしまった。

 振り向くと、優しく微笑んだクーヤさんが立っていた。

 急に倒れたから心配していたけど顔色は良さそうで安心した。


「僕の方が世話をやかれる側らしいけどね」


 僕はおどけるように答える。


「フフッ、なんだいそれ?」


 他愛も無い会話を交わし、クーヤさんは対面のイスに腰を下ろした。

 クーヤさんは腰の小袋から干肉を取り出し、スピカの口に射し込んだ。

 スピカは平たい干肉を半分口からはみ出した状態で、モキュモキュと咀嚼そしゃく音を鳴らし食べ始めた。

 この目が横線のように細くなっている表情は”不味くは無いが旨くもない”食物の時だな。


「まさか本当に物語の王子様として現れてくれるとは思わなかったよ。あの場を治めてくれて、ありがとう」


 昨日、レディポートでごろつき冒険者に絡まれた後に言っていた冗談を思い出す。

 たまたま大司教が僕の加護の事を知っていて、偶然その宗教団体が破壊神を崇拝対象として扱っていただけで、僕自身何かをした訳じゃ無いので感謝されると少し困る。


「失礼を承知で教えてほしい。君は僕と同じく”神”を冠する者の加護を受けているのかい?」


 クーヤさんは視線をスピカに向けたまま頭を撫でている。

 神は神でも破壊神なんですが……神様には違いないのか?


「うん、詳しくは言えないけどね」


 僕は少しだけ濁した言葉で正直に答えた。

 嘘ではないけれど、ほんのちょっとだけ後ろめたい気分になった。


「そうか。私が君の事が気になるのは、そのせいかも知れないね」


 そう言うとスッと立ち上がり、僕に向き直った。

 彼女は悩みが晴れたような、そんな表情を浮かべていた。


「お礼が言いたかったんだ、私はこの村に少し用事があるから明日は先に帰って待っていてくれ」


 そう言い残し、僕の返事を聞く事無く宿の方へと戻って行った。

 残りの干肉を飲み込んだスピカが「俺達も部屋に戻ろうぜ、夜は冷えるからな」と僕の頭に飛び乗る。

 その後、僕も部屋に戻り眠りについた。



 翌日、僕とクラウスさんはマウリッツさんの護衛としてそのまま屋敷に向かい、クーヤさんは昨夜話していた通り用事があるので村に残ると言い、随行しマリーさんも一緒に残る運びとなった。


「お嬢様の事はお任せください。ラルク様、それにクラウス、公爵様ロードをよろしくお願いします」


「了解だ、マリーもお嬢様の事を頼んだぞ」


 別れ際、クーヤさんは軽く手を振って見送ってくれた。

 しかし、その表情は昨夜よりも暗く少しだけ悲壮感が滲んでいたように見えた。


 護衛と言う仰々しい言葉とは裏腹にモンスターや野盗が襲ってくる事もなく、約半日かけてユーイン家の屋敷へと到着した。


「お帰りなさいませ公爵ロードマウリッツ卿、御無事で何よりでした。ラルク様、この度は大変お世話になりました事を深く御礼申し上げます」


 帰る早々、ジョルディさんが深いお辞儀で迎えてくれた。

 マウリッツさんとは昨夜夕食の時に少し話しただけだったが、屋敷に着くなり僕を自分と娘の命を救った恩人だと話し執事やメイドに持て成しの準備をするようにと指示を出した。

 家主が戻り、急に忙しくなった執事やメイド達は慌ただしく駆け回る。


 日が沈み始めた頃、用件を済ませたクーヤさんとマリーさんも無事、屋敷へと戻って来た。

 クーヤさんは帰るなり「今日は申し訳無いが気分が優れないので休ませて貰う」と言い、早々に部屋へと入り、その夜彼女の姿を見る事はなかった。

 マリーさんに何があったか聞いても「お嬢様から口止めをされていますので、すみません」と言うだけで教えてはくれなかった。


 その夜は初めて訪れた夜よりも豪華な夕食が並び、スピカとレオニスが子供のように瞳を輝かせて喜んでいた。


 夕食後、僕はマウリッツさんにルーン技術の事を聞いてみた。

 クーヤさんが博識と言っていた通り、マウリッツさんはルーン技術の事を知っていた。

 教団の教会で僕が身に着けていた剣と盾を僕が造ったと知ると、たいそう驚いて詳しく話を聞いてきた。

 僕はタロス国で学んだ事や、自身が経験して来た事、読んできた専門書などの事を話した。


「そうかタロス国で学んだのか。もう失われた技術だと思っておったが。このハイメス国には輸入商品として見かけた事がないからな。ふむふむ」


 そう言いながら、まじまじと武具を品定めする。

 マウリッツさんの話では神話の時代の武器には、この世界のことわりに干渉したり歪めたりする程の力があり、このユーイン家に伝わる【雷槌いかづちミョルニル】も「天の雷そのものを具現化した武器」と伝えられているらしい。


 尽きる事のない電撃を放ち、常人の腕力では持つ事すらできない上に「完全なる不滅」という話だ。

 要するにどんなに硬い物にぶつけても、欠けたり壊れたりしないらしい。

 そして古代ルーン技術は、それを再現しようとして生まれたものだと語る。


「教会で君が娘の一撃を受け止めた時はびっくりしたわい。なみの冒険者では、あんな芸当できないからの。鎧と剣と盾に刻まれた合計15文字のルーンと君自身の力が【雷槌いかづちミョルニル】と娘の力と同等だったという事は、まさに驚愕だったよ。今でも信じられないくらいだ」


 少し離れた位置で見ていたマウリッツさんの目にはそう映っていたのか。

 実際にはレオニスの腕力とスピカの障壁があったから、なんとか抑えられたって感じだ。

 そう考えると彼女の持つ伝説の武器の力は、ルーン文字が最低でも15文字以上刻まれているのと同義という事になるのか。


「私も文献で読んだだけなのだが、神話の時代に破壊神と人類との世界大戦が起きたのは知っているね? その時、我が国ハイメスは強力な魔法結界により世界で2番目の防衛力を誇っていた。そこで使用されていた絶対魔法防壁に古代ルーン文字に似た”アルファベット”と言う今では失われてしまった文字が刻まれていたそうだ。」


 マウリッツさんはティーカップを傾けてふた口ほど紅茶を飲むと再び話し始めた。


「いくつかのアルファベットは現代でも残っていて自然に使用されている…身近なものでは冒険者ランクにもちいられる”Dランク・Cランク”等が名残りらしい。」


 アルファベット……

 どこか聞き覚えのある言葉のような気がする。

 子供の時…いや、もっとずっと前?


「”数字とアルファベットの組み合わせがこの世界の基礎を造り上げている”……私が読んだ最も古い文献にはそう記されておった。古代ルーン文字は創世記の人々が神の御業に近付こうとしてできた物だと考えておる。まぁ仮説でしかなく実証するには至らんがの」


 マウリッツさんは、その豊富な知識の引き出しから様々な話をしてくれた。

 その中でも興味深い話だったのが”世界最高の鍛冶師”の話だ。

 この地域に伝わる御伽話に出て来る人物で、絶滅したと言われる小人種ドワーフという種族の末裔で不老不死という呪いに悩む人物の話。


 その人物の名前は”ジルナーク”。

 不老にして不死、世界最高の鍛冶師と言われたその人物は数々の武器や防具を造り、破壊神を倒した剣もその人物が造った物だと言われているらしい。


「もし御伽話の人物が本当に不老不死ならば、今もどこかで生きているかも知れんの。その者であればルーン技術はおろか、この世のことわりの断片に触れておるかも知れん。……おお、そうじゃ!!」


 鍛冶師の話をしている最中にマウリッツさんは何かを思い出したようで、机に座り何やら書類を書き始めた。

 しばらくすると、その書類にユーイン家の家紋の封蝋をして僕に手渡してきた。

「これは何ですか?」と聞くと、聖都にある魔法学園スペルアカデミーに入る為の紹介状だと言う。

 なんでも、魔法学園スペルアカデミーの敷地内にある「大図書館」とよばれる施設の地下に「禁書庫」があるらしい。

 そこは限られた教員のみが入室できる場所で、そこに古代ルーン文字に関する書物があるはずだとマウリッツさんは言った。


「私の妻が魔法学園スペルアカデミーの講師をしておってな、妻なら禁書庫に入る事ができるだろう」


 そう言えば母親が魔法学園スペルアカデミーで働いて居るとクーヤさんが話していたな。

 僕の想像の中でクーヤさんが眼鏡をかけて教壇に立っている姿が浮かんでいた。

 たぶん、クーヤさんと同じ 半妖精種ハーフエルフだから見た目もそっくりなんじゃないかな。


「落ち着いたら、その書状を持って魔法学園スペルアカデミーを訪ねて見るといい」


「ありがとうございます。僕も今度ゆっくり聖都を回ってみたいと思っていたので行ってみます」


 深夜を教える音が壁掛け時計から鳴り響く。

 マウリッツさんの話は興味深くて面白く、時間が立つのを忘れる程だった。

 僕は改めてお礼を言うと、「私も久しぶりに楽しい一時ひとときだったよ」と言ってくれた。

 仮にお礼が社交辞令だったとしても、僕にとっては大変貴重で意義のある時間を過ごせた事が単純に嬉しかった。


 部屋に戻るとレオニスがベッドの中央を占拠しており、それを見たスピカが無言で蹴り飛ばした。

 しかし、レオニスは起きる事無く幸せそうな寝顔を浮かべ熟睡していた。

 レオニスはスピカの張った障壁の範囲外にいたので、クーヤさんの武器が発する電撃をもろに受けていたからなぁ……この熟睡も頷ける。


 僕は床に落ちたレオニスを拾い上げベッドの脇にそっと置いた。

 蹴り落とされたのに起きないとはな、頑丈なのもある意味考えものかも知れない。


 そしてスピカは部屋の入口付近のイスの上で丸くなり、僕はそのままベッドに入り眠りに付いた。

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