エピローグとヒロインレース第二回戦

 波瀾のお見合いから、5日が経過した。

 あの後、僕らは一体どうなったのか。

 それを語る前に、まずは今置かれている状況に触れさせて欲しい。


『ソイヤっ! ソイヤっ! ソイヤっ! ソイヤっ!』


 サンコーこと私立三津浦学園、高等部校舎。

 その共用廊下を、朝練終わりのラグビー部員たちが、野太い掛け声と共に進んでいる。

 一団の中心にいるラガーマンたちが神輿の様に担いでいるのは、負傷者用の担架。


「あ、あぁ……あ……うぁぁ…………」


 そこには、僕こと清瀬友春が、遠い目をして鎮座していた。

 いや、正確には設置されている、といった方がいいかもしれない。


「あの、ごめんなんだけど、あんま揺らさないでもらえる? めっちゃね、響いてんのよ。患部にさぁ……」

『ソイヤっ! ソイヤっ! ソイヤっ! ソイヤっ!』


 その証拠に、僕のか細い懇願は、眼下の一団にまったく届いていない。

 隙あらばバカ騒ぎを求める男子高校生の性か、ちょっとしたお祭り状態だ。

これがここ最近の、僕の登校風景。


 別に、ドンドンブラり揺れるヒーローごっこで、不特定多数と縁を結びたいわけじゃあない。

 俗に言う、ぎっくり腰というやつだ。

 そのせいで、近頃の僕は登下校を母さんに車で送迎してもらい、校内の移動を親交のある運動部に手伝ってもらうという、不自由極まりない生活を余儀なくされている。

 後者はおもちゃにされてる気が、しないでもないけど。


『へいっ、一丁上がり! またのご利用お待ちしてまっす!』


 僕を教室の席に送り届け、ラグビー部の一団が掛け声とともに撤収していく。

こんなバカなノリが横行しても、さほど騒ぎになってないあたり、我が母校って感じがする。


「お疲れ様、トモ」

「カバン、机にかけとくぜ」


 僕の両隣に座ったのは、世話焼きついでに一緒の車に乗って来た、夏葉と颯吾だった。


「あう、あぅ……」

「なかなか良くなんねぇなぁ、腰」

「誰のせいや思とんねん……」


 腰痛の原因は、例のママチャリでの逃走劇だ。

 お見合いをぶっ潰した後、僕と颯吾は怒れる大人たちを相手取って、東京二十三区を舞台にした壮絶な鬼ごっこを、8時間以上も繰り広げるハメになった。

 最終的には夏葉の親父さんが、千咲さんの父親にDVの証拠を突き付け、交渉の末に手を引かせてくれたから良かったものの、長時間ボロ自転車を漕ぎ続けたせいで、僕の身体はバッキバキ。

 明くる日の朝。起き上がった瞬間に手痛い魔女の一撃を見舞われてしまい、今に至る。


「それでソー君、千咲さんはその後どうなったって?」


 僕の腰にクッションを仕込みながら、夏葉が問う。


「実は俺もよく知らないんだよ。今頃色んな手続きで大忙しだろうから、こっちから連絡取るのも憚られてさ」

「確かに、引っ越しとか転校とか親権の問題とか、いっぱいあるもんね」

「『このお礼は後日改めて』って言ってたから、ひと段落したら向こうからコンタクト取ってくるんじゃないか? 知らんけど」


 僕が言うと、颯吾は大きく伸びをした。


「彼女が元気でやってるなら、礼なんてどうでもいいよ、俺は。……おっと。わりぃ、ちょっと抜けるわ」


 特別格好つけた風でもなく、極自然にイケメンアンサーを返して、我が相棒は席を外す。

 どうやら、クラスメイトに呼ばれたらしい。

 また新しい相談事だろうか。つくづく、抱えるタスクの尽きない男である。


「相変わらず欲がないねぇ、ソー君は。あれだけ千咲さんのために奔走したんだから、ちょっとくらい見返りを求めてもいいのに」


 呆れ半分の笑みを浮かべて、夏葉が言う。

 やれやれ、分かってないな。

 僕らの親友は、実は途方もない欲張りなんだ。

 世界を自分色に染め上げる壮大な計画を、着々と進行中なんだぜ?

 とは、口に出しては言わない。男同士の秘密だから。


「あ、もちろんトモもいっぱい頑張ってたと思うよ。改めて、お疲れ様」

「まぁ、ご近所同盟崩壊の危機は初めから存在しなかったわけだから、その点は無駄骨だったけどな。……こりゃナツに借りを返すのも、当分先になりそうだ」

「ん? 何の話?」

「いや、ほら。去年の春に僕、散々ナツを避けて、傷つけただろ? だから何らかの形で罪滅ぼしをしないと、って常々思ってて……」


 僕の言葉に、夏葉はただでさえ真ん丸なお目目を一層丸くして、ぽかんとする。


「え、なに、そんなこと気にしてたの?」


 僕の人生ワースト1位の出来事を、『そんなこと』呼ばわりしないで……。

 そりゃお前からすれば、斬り捨て御免してきた有象無象どもの一人に過ぎないんだろうけどさ……。

 と、僕が内心イジけていると。


「ふーん、そっか。なるほど、そういうことだったんだねぇ。……ふふっ」


と、何やら一人で頷いて、夏葉が急に吹き出した。


「もー、ほんとにおバカさんだなぁ、トモは」


 出来の悪い弟に向けるお姉ちゃん然とした、困り顔の笑み。

 見慣れたそれの中に、いつもとは違う照れの様なものを感じたのは、都合の良いバイアスを無意識にかけてしまったのだろうか。

 ともかく、僕の脳内の初恋フォルダ(現在進行形)に、また一つ新しい情景が追加された。


「そういう話なら、その借りは現物支給で返してもらおっかなー。【こころ作戦】を手伝ったご褒美も、まだもらってないし」

「えぇー、例えば?」

「この一ヶ月、曲がりなりにもトモと色々回ったせいで、遊びたい欲に火が点いちゃったんだよねー。……そうだ、日帰りで旅行とかどう? 久々に江ノ島とか行きたいかも」


 あー、はいはい。遊びの幹事やれってことね。


「そんなことでご満足いただけるんなら、今日中にみんなの予定を聞いてやるよ。どうせなら今回の関係者全員集めて、パーっとやろうぜ」

「あー、うん。そうだね、それも魅力的だけど……」


 そう前置いた夏葉が、不意に僕に身を寄せて、耳打ちする。




「別に私は二人っきりでもいいよ。……たまには、ね?」




 ………………ゑ?


「ではではそういうことで。ご一考くださいましー」


 予想外の発言にフリーズした僕の頭が再起動する前に、朝のチャイムが鳴り響き、夏葉は自分の席に向かってしまう。

 え、なに怖い。どういうこと?

 自分に色目を使ってる男に、脈なしと断言しておきながら、二人きりでお出かけのお誘い?

 それって、つまり……、


「財布役、って、コト?」


 だって、それしか考えられなくない?

 天の方で誰かがズッコケた気配がしたけど、多分気のせいだ。


「朝っぱらから何を訳分かんないこと呟いてんのよ、あんたは」


 そう言って僕の隣にドカっと座ったのは、輝夜だった。

 走って来たのか、ほんのり汗ばんで、髪も乱れている。


「いや、こっちの話……てか、遅刻ギリギリなんて珍しいな」

「お弁当作ってたら、思ったより時間かかっちゃって」

「弁当? 何でまた。お前、昼は購買か学食だろ」


 冷たい缶コーラを頬に当て、顔の火照りを鎮めながら、輝夜は答える。


「……あんたんとこの妹ちゃんに聞いたのよ。秋津の攻略を狙うなら、肉じゃが作りは覚えといて損はないって」

「え? 沙雪が?」


 あいつ、何でそんなライバルに塩を贈る様な真似を?


「先輩と沙雪ちゃんと三人で話し合って決めたのよ。鈍感バカの秋津を落とすのは一筋縄じゃいかないし、私ら以外のライバルも多いから、協力できるところは協力しようって」


 あー、なるほど。

 楓吾は結局のところ、僕がこの一ヶ月暗躍していたことはおろか、ヒロイン三人衆に好意を向けられていることすら、気付いてないままだ。

 ぽっと出の第三者に掻っ攫われる様な事態を防ぐためにも、同じ目的のもと情報共有できる共同戦線は、あった方がいいかもしれない。


「うん、いいなそれ。凄くいい」

「清瀬もたまには協力しなさいよね? あんたが蒔いた種なんだから」

「おう、任せろ」


 思い返せば暴走以外の何ものでもない【こころ作戦】だったけど、奥手な彼女たちが一歩を踏み出すきっかけになったのなら、あながち無駄じゃなかったのかもしれない。


「ま、楓吾は手強いから、すぐに事態が動くことはないだろうけどさ」

「分かってる。そこはみんな気長に行くつもりよ」


 そう言って、僕らはこつんと拳を突き合わせる。


「おーす、みんなおはよう。ホームルーム始めんぞー」


 と、そこで担任が教室に入って来た。

 程良い距離感で親しまれている男性教諭に尻を叩かれ、生徒たちが席に着く。


「えー、今日はみんなにサプライズニュースがあります」

『男ですか、女ですか!?』

『芸能人だと誰似!?』

『スタイル良さげだった!?』

「うん、落ち着けぇ? 先生、転入生だなんて言ってないぞぅ? 合ってるけど」

『よっしゃあ! 美少女転校生だー! 俺の青春が今、始まるぅ!』

『待ちなよ男子、イケメンかもしれないでしょ?』

『何はともあれ、転入生の中の転入生……出てこいや!』

「おーい、先生を置いて話を進めるなー」


 お祭りモードの熱気を受けて、教室の扉がガラリと開く。


「「「「ほぇ?」」」」


 その顔を見た瞬間、四人分の間抜けな声が教室に響いた。

 きめ細やかな白い肌。

 腰の先まで伸びた、濡羽色の髪。

 出身地のパブリック・イメージをそのまま具現化した様な、はんなりとしたその少女は、頭の中に漠然とある大和撫子のイメージにぴたりと……。



「東条千咲、いいます。みなさん、どうぞよろしゅう」



「「「「ふぁーーーーーっ!?」」」」


 綺麗にシンクロした四人の叫びが、ハイレベル美少女の登場に色めき立つ教室の喧騒を斬り裂いた。


「ん? 東条さん、もしかして何人かとは既に面識があったりする?」

「はい、こちらに越してくる際に、とてもお世話になった方たちで」

『はいはーい! 質問いいですかー?』


 担任とやり取りする千咲さんに、クラスメイト(主に男子)が一斉に手を挙げる。


「すみません。聖徳太子やないから、一つずつお答えさせとくれやす」

『その喋り方、もしかして京都の方ですかー?』

「はい、生まれも育ちも」

『何でこの時期に転入してきたんですかー?』

「まぁ、その……家庭の事情いうやつで」

『ぶっちゃけ、彼氏いますか!?』


 最後の勇み足な質問に、千咲さんは面喰らいながらも、照れ臭そうに頬に手を当て、答えた。


「お付き合いとはまた違いますけど、それに近いお相手やったら、その……」

『いるんスかぁぁぁ⁉』

『チクショー! どこの馬の骨が俺の東条さんを!』

『あんた、あの娘のなんなのさ』

『やべえ、田村がショックのあまり息してねえぞ!』

『斜め45度で叩きゃ治るよ、試してみ』

『一体どんな奴なんですか、そのお相手はー!』


 血涙を流す男子勢の阿鼻叫喚を前に、頬を朱に染めた千咲さんが、教室の片隅に向け、小さく手を振ってみせる。

 一斉に集まる、クラス中の視線。

 教室窓際一列目、最後尾。

 そこには、ぽかんと口を開けたままの楓吾が座っていた。


「そちらの秋津楓吾さんの許嫁いうことになっとります。……一応」


『はああああああああああああああ⁉』


 はああああああ⁉ 千咲さんを除く全員が、はああああああ⁉ 今日一番の絶叫を上げ、はああああああ⁉

 何だそれ、聞いてないぞ相棒!

 千咲さんとの縁談は、仮のものじゃなかったのか⁉


 …………おやぁ?

 クラスメイトに揉みくちゃにされてる楓吾の、あの目。

 これは、あれですね。

 あいつ自身、マジで初耳なやつですね。

 前に言ってた『このお礼は改めて』って、まさかあれか?

 受けた御恩を一生かけて返しますっていう、昔話的なニュアンスの……。


 パァンッ! ブッ、シャァァァッ!!


 不意に隣で生じた、謎の破裂音。

 その発生源を恐る恐る窺うと、輝夜の机に大量のコーラがぶちまけられていた。

 震える手の中には、無惨にひしゃげた350ミリ缶。

 え、まさか握り潰したの?

 満タンの炭酸飲料が入った缶を?

 プルタブ、開いてなかったけど?


「ほーん…………やってくれるじゃないの、あの女狐」


 地獄の底から漏れ出た様な低音ボイスが、僕の鼓膜を静かに揺らす。

 放たれた熱気によって、輝夜の髪が膨らみ、ウネウネと蠢き始めていた。

 その様、まさに幽鬼の如し。

 や、やばいよやばいよ! このままじゃ千咲さんが『血裂ちささん』にされてしまう!

 そんな危機感から、僕は慌てて教壇の方に目を向ける。


 …………おやぁ?

 僕の心配をよそに、当の本人は超弩級爆弾を投下した直後とは思えないくらい、涼しげな笑みを浮かべていた。

 激昂したカグヤージャンと、堂々と目を合わせながら。

 あれ、もしかして。

 これまでか弱い姫君としての側面しか見る機会がなかったけど、千咲さんって案外……、


「ギヨゼェェェ……」

「ななな何でヤンスか、富士宮の姐御」

「この後、緊急の作戦会議するから身体空けときなさい。……イイワネ?」

「……かしこまりましたぴょん」


 千咲さんによるこの電光石火の先制攻撃は、そのあまりの鮮やかさから、かの伝説的成功を収めた奇襲作戦になぞらえて『2年B組パール・ハーバー事件』として長く語り継がれることになるのだが。

 それはまた、別の話。

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ラブコメがわからないっ!~友人A視点で見るヒロインレースのススメ~ 小鳥遊 千斗 @takanashi-sento

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