これからも、これが僕らの日常風景

「なるほど、替え玉か。……ガキ共が、ふざけた真似を」


 秘書の男が、苦虫を嚙み潰した様な顔で言う。


「その通り~。ガキのおふざけに振り回された気分はいかがっスかぁ~?」

「……勝ち誇ってるところ悪いが、一応確認しておく」


 ん?


「これでこっち側には、お前らを見逃してやる理由が完全になくなったわけだが、地の果てまで逃げる覚悟はできてるんだよな?」

「えー、と……」


 勝ち確ムードから一転。不穏な空気を感じて、周囲を見回す。

 これまで乗り気じゃなかった他の大人たちも、本格的に仕事のスイッチが入ったのか、真剣な表情でじりじりと間合いを縮めてきている。

 あっ、そっかぁ。

 僕たちを尋問して、千咲さんの居場所を聞き出せば、まだ逆転の目はあると踏んでるのか。

 最悪、人質にして千咲さんを奪い返そうって魂胆かも……。


「なぁ、相棒。これってもしかして」

「そりゃもう、メチャヤバよ」


「お前たち、そいつらを生かして帰すな!」

『応ッ!』


「撤ッッッ‼」「退ッッッ‼」


 颯吾父の号令に合わせて、一斉に襲いかかってきた大人たちから、僕らは全力で背を向けた。

 行く手には、高さ二メートル以上はある、金網のフェンス。


「トモ!」

「ほいさ!」


 その手前でレシーブの構えを取った颯吾の腕に足をかけ、跳躍。

 フェンスを上りきったところで、今度は僕が颯吾の手を取り、引き上げる。

阿吽の呼吸のコンビネーションで、僕たちは金網の向こうへと一瞬の内に転げ出た。


「待てコラガキィ!」


 うわぁ! 強面の秘書がもう目の前に! 

 ……いや、待てよ?


「トモ、何してんだ早く逃げるぞ!」

「ちょっと待ってな……オラァ!」


 フェンスに張り付き、一気に登りきろうとする秘書の手に、僕は懐から取り出した瓶をの中身を振りかけた。


「ぐわぁっ! て、手のひらが焼ける様に痛む⁉ 何だこの液体は、塩酸か⁉」

「我が家の妹の謹製みそ汁だよ、バーカ! ありがたく味わいな!」

「塩酸入りみそ汁だと……悪戯じゃ済まされんぞ貴様ァ!」

「いや、本当に材料は100パーセントみそ汁のそれなんだけど……」


 希釈しないとマジで危険なんだな、これ。ちょっと反省。


『もしもし、清瀬君。ちゃんと切り抜けられた⁉』

「あ、レイラ先輩? 大丈夫……とはまだ言えないですけど、何とかスタートダッシュは決まりました! あとは逃走用の足があれば何とかなりそうです!」

『ならちょうど良いわ。料亭の裏口に移動手段を用意してあるから、それを使って頂戴』

「マジっすか、流石先輩! ちょうど今差し掛かったとこなんで、ありがたく使わせてもらいます!」


 逃走の足を一旦止めて、周囲を見回す。

 が、レイラ先輩が言う様な素敵アイテムは見当たらない。


「駄目です、先輩。ボロッボロのママチャリしかありません。もしかしたらお店の人に間違って撤去されちゃったのかも……」

『それよ、それ。その自転車』

「……は?」

『自宅が近かったから乗って来たのだけれど、脱出の際にうっかり置いてきてしまったの。せっかくだし、逃走に使いがてら回収してきて頂戴。あ、返却は週明けの学校で構わないから。それじゃあ、よろしくね』


 プツッ、ツー……ツー……。

 イヤホンから流れる無慈悲なビジートーンが、やたら鮮明に頭に響く。


「ざっけんな、あのアマぁぁぁ!」

「うおっ、急にどうしたトモ。先輩は何だって?」

「そこにあるママチャリに乗って逃げろとさ」

「えぇ……(困惑)」

「ま、まぁ、徒歩よりはマシかもな。……それ行け、颯吾! 馬車馬の如く漕いで、漕いで、漕ぎまくれ! 僕は荷台から指示を出す!」

「おうよ! ………………あ。」


 うん? どしたどしたぁ?

 颯爽とママチャリに跨った颯吾が、出発直前で動かなくなってしまったぞぅ?


「……あのな、トモ。非常に言いにくいんだけど、その」

「何だよ、こんな時に」

「うーん、お見合い会場で長時間正座してたのが、良くなかったのかなぁ。どうなんかなぁ」

「いいから用件を言え」

「足、攣っちまった」

「…………………………………」

「…………………………………ごめんて。」




「チックショウォォォォォォォォォォォォォォォ‼」




 数秒後。

 女性用の着物姿でママチャリに跨った僕は、自分より二十センチ以上デカい相棒を荷台に乗せた体勢で、料亭の敷地を勢いよく飛び出していた。

 風邪の日に見る夢みたいな、カオスな状況だろう? 残念だけどこれ、現実なのよね。

 あはは、おふぁっくですわよ☆


「あー、クソ重ぇ! お前また図体デカくなっただろ!」

「どうだろう。180超えると、1~2センチ程度は伸びても気にならないからなぁ」

「死ね!」


 この世の全ミニマム男子を敵に回した颯吾が、追手の有無を確認するため、後ろを振り返る。


「あー、でもそんなに急がなくても大丈夫そうだぞ、トモ。見た感じ、連中は俺らが店の敷地を出たのにも、気付いてないっぽい」

「本当か? いやー、助かったぁ。ぶっちゃけ今の時点でかなり足がヤバくて……」


『逃がすかこのクソガキ共ぉぉぉ‼』


【本日の一品】

エンジンとスキール音のシンフォニー ~恫喝を添えて~


「悪い、忘れてくれ」

「おまっ、ほんと、お前さぁ!」


 振り向かずとも分かる四輪駆動のプレッシャーに背中を押されて、ペダルを漕ぐ足にあらん限りの力を込める。


「…………くふっ」


 そんな僕の後ろで、颯吾は小さく肩を震わせていた。


「ふふっ、くははっ……あぁ――――はっはっはっは‼」

「おいおい、どうした。身の危険を前に、とうとうおかしくなっちまったか?」,


 脈絡なく笑い始めた相棒に尋ねると、奴は心底楽しそうな声音で、こう言った。


「たまんねぇなぁ、トモ! 俺はお前と無茶してる時が、一番楽しいよ!」


 ふざけんな。

 張っ倒すぞ。

 二度とごめんだ。

 無数の悪態が、喉元まで出かかる。


 だがそれらは、腹の底から飛び出てきた最も強い言葉に、押しのけられてしまった。


「否定はしない!」


 仕方ない。

 それが偽らざる、僕の本心なのだから。

 あの時千咲さんに言えなかった、僕が颯吾に付き合い続けている理由。

 それはどうしようもなく単純で、利己的で。

 聞き手によっては、ガッカリするかもしれない。


 結局のところ、僕はこいつと一緒に無茶をしてる時の自分が、たまらなく好きなのだ。


「こうなったらもう風になるしかねぇ! 振り落とされんなよ、相棒!」

「おぅ、やったれトモ!」


 最高潮になった互いのテンションを、背中に感じて。

 逃亡中とは思えない程、晴れやかな笑顔を浮かべた二人を乗せた自転車は、暴力的な加速をもって下り坂へと突っ込んでいった。

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