朝
早朝、ようやっと太陽が地平線から顔を出し始めた頃、俺は公園の中を走っていた。公園にいるのは俺だけではない。犬を連れて俺を追い越していく女性、自転車に乗ってすれ違う幾人か、いかにも残業帰りといったクマが目につく男性、部活の朝練に向かう学生、ベンチに座っている老人。いずれも、良く見る顔だ。
はぁはぁ、と息を切らしながらいつもの道を走る。すると、向かいから走ってくる見慣れない女性がいた。パッと見た感じ、引き締まった身体が目につく、顔は遠くよくわからないが普段から運動をしているのは一目瞭然。一ヶ月、健康のためにと親からダイエットをさせられている俺とは違うのだろう。
まぁ、それでも一ヶ月続いただけ凄いのだが。
俺は、いわゆるニート、もしくは無職、死語だとプー太郎。細か言葉の違いに目を瞑ってほしい。どうせ全部似たようなものだ(Ya⚪︎oo!知恵袋を信じるならばニートの方が正しいかもしれないが、どうだっていいだろう)。因みに、俺はバイトはしているがそれ以外の時は家に引きこもっている。
そんな生活を続けているからか、自慢じゃないが俺は肥満体型だ。日に日に酷くなる肥満についに母がキレたので、先にも述べたように一ヶ月前からダイエットを(強制的に)することになったのだ。
意外にも、それは長く続き、雨天の日以外は毎日家から公園を一周し戻ってくるというルーティンを完走している。まぁ、肥満体型がそれですぐ解決するわけじゃないが、最近はやりがいを感じている。
閑話休題
だが、そんな俺の気持ちを逆撫でするようなことが起こった。
向かいからやってきた女性とすれ違う時だった。
「チッ、見苦しいデブが」
俺より少し高いその女性は俺を見下ろしたのち、そう呟いた。本人は聞こえないように言ったのかもしれないし、行ったつもりもなかったのかもしれないが、俺には聞こえた。百歩、いや千歩……万歩譲っても、喧嘩を打っているようにしか聞こえない。どこをどう取り繕っても喧嘩を打っているようにしか聞こえない。
頭にきた。
というか、ここまで言われて怒らないやつは聖人か、よほど人がいいやつでしかありえない。『うるせぇ、外見だけの性悪女が!』と声を大にして言えたらどんなによかっただろう。だが、悲しいかな。俺にはそんな勇気も度胸もなかった。
足をゆっくりと止めて後ろ振り返るも、性悪女はいなかった。
イライラというか、モヤモヤが心の中に渦巻いた。そのまま俺は苛立ちのままに家へと走った。その足取りはいつもより荒く、速かった。
◇◆◇◆◇◆◇
バリバリ
パソコン画面に映るアニメを見ながら、ポテトチップスを貪り食う。本日3袋目だ。塩、コンソメを食べ終え、現在ガーリック味を食べている。
え、そんな情報入らん? 何のアニメを見ているかを教えろ?
スマホのチャットにやけ食い報告と、ついでに味の話も添えたら、ネッ友からそんな返答が返ってきた。甚だ遺憾である。
ネッ友の質問に答えるとすれば、明日から始まるseason3の復習としてseason2を見ている、となる。ちなみに最終話……なのだが、感動のストーリーも今朝の事件のせいか前見た時の8割以下の感動に成り下がっている。いや、もしかしたら、ただ2度目だからという理由かもしれないが、そんなことは関係ない。掌握女が悪いったら悪い。
再び、やけ食いを続ける。
LL : ところで、なんでやけ食いしとるの?
ネッ友のそんな質問が飛んできた。
MATERIAL : 今朝、ランニングしてたら見苦しいデブと言われた
改めて分にするとぶり返してくる怒り。かつて、これほどまでの侮辱を受けたことがあっただろうか? いや、これまでの過去においてそんなことはなかったし、未来永劫こんな侮辱を受けることはないだろう。
腑が煮え繰り返るほどの怒り? 怒髪天を衝く? そんな言葉では言い表すことはできない。この怒りは、誰にも止められない。唯一、時間というものが解決するだろうが、そんなものは数年先だ(本人の主観による意見です)。
あの性悪女を殺さぬほどにズタズタに引き裂いて、地獄の窯で死ぬ一歩手前の温度で煮詰めて、泣けど叫べど助けも来ず、達観した状態になるまで追い詰めてもなお、許すことはできないだろう。
天が許しても俺は許さない。全人類が彼女を許しても、俺だけは、この俺だけは許さない。
アニメを見るのも忘れ、意味もない思考に没頭する。バイトの時間まであと少し、俺はそれにすら気づかなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
親から言われて初めてバイトの時間が迫ってることに気づいた俺は急いで支度をし、走っていく。
その時間は短いようで、体感的にはとても長かった。
こんな状況に陥ったのも全てはあの性悪女のせいに違いない。間違っていると分かっていても俺の頭ではそのような方程式が出来上がった。
x+性悪女の言動=俺がバイトに遅刻しそうになっている理由
益体もない考えだが、こんなことでも考えていなければ発狂してしまいそうだった。それほどまでに俺はあの性悪女に追い詰められていた。
諸悪の権化、全人類の敵、凡ゆる理不尽の始まり。そのような言葉で喩えるのが正しい存在、それが性悪女なのだ、
はぁはぁ
ようやっと、職場に着いた。時間は2分前。ギリギリだが、遅刻ではない。
俺は嫌々ながら裏口のドアを開いて中に入った。
◇◆◇◆◇◆◇
にっくき性悪女。
俺はバイトから帰った後もそんなことを考えていた。明日は嬉しいことにバイトはない。一番の問題はほとんど日課となりつつある早朝のランニングをするか否か。
答えは出ない。
出ないのだ。
そう、出ないの……
気がつけば、朝になっていた。残念なことに、一ヶ月の間にルーティーン化した俺の身体は否応にも朝早くに起きる。そして、いつものように玄関から出て走り出したところで、昨日の悩みを思い出した。
だが、走り出してしまったのだ。帰ることはできないし、なんとなくここまで来ると負けた気分になる。意地でいつもの道を走る。いつもの顔見知りがいるが、そんなことに構っていられる気分ではなかった。
俺の頭の中ではあの性悪女と会った時にどうするか、それだけが頭の中でぐるぐると回っている。そもそも、会わなかったらいいのではとか、そんなことも考えたりしたし、祈りもした。
だが、俺の祈りは神に届かなかった。もしかしたから、普段から無神論者だったのが災いしたのかもしれない。どちらにせよ、彼女が向かいか走ってきた。
顔を伏せ、目を合わせないようにして走る。息苦しい時間が続いた。
女の視線を感じる。
すれ違う時、今度は間違いなく、大きな舌打ちが聞こえた。
やっぱり、この性悪女は俺のことが嫌いなんだな。心の中で沸々と何かが湧き出ていくのが感じられた。
その後のこと、俺は一生忘れない。それは俺にとっても、性悪女にとっても、意外なことだっただろう。何せ、俺自身、なぜそんなことをしたのかわからないのだから。
俺は足を止め、振り返った。
女は、何事もなかったかのように走っている。憎たらしい。
「性悪女が!!」
俺は思いっきり大声で叫んだ。
振り向いた女の表情はボケっとしており、それがとても面白かった。もしかしたら、俺はあの性悪女が俺を貶してくる気持ちを理解できたかもしれない。
俺は、その間抜けな性悪女の顔を見て満足し、自宅へと走っていった。足取りは軽く、速かった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。