第5話

 丘の上にポツンとある一軒家が私の住む家だ。なので家の周りなら外に出ても特に厄介な事に巻き込まれることはない。

 気が向いた私はご主人様の許可を取って外に出てみることにした。

 玄関のドアを開けて軒下に出る。

 随分久しぶりに家の外に出たけれどあんまり良い気分にはならない。

 天気は曇りで雨の匂いがしてすぐにでも降ってきそうだ。

 ちょっと歩いて町を広く見渡せる場所に行ってみた。灰色の町は部屋の中からながめるのも変わらず嫌な感じがした。

 むしろ、煤の嫌な臭いが鼻について不愉快だった。

 丘の下の町の魔導工場からは灰色の煙が上がっていて、曇天な空をさらに憂鬱に仕立てている。

 町から目を離し、振り返って私の立つ丘を見渡してみると、こちらはこちらで本当に何も無い原っぱが広がっている。実に退屈な場所だ。よくこんな場所に家を建てたものだ。

 丘の上と下の町でまるで別世界みたいだが、どちらも気怠い事は共通していた。

 ご主人様は「前の家主は厭世的な老魔術師だったよ」なんて言っていた。

 老魔術師はご主人様の魔術の師匠らしい。

 老魔術師はどんな気持ちであの灰色の町を見下していたのだろう。


 不意にポツリと鼻先に水気を感じた。雨が降ってきたようだ。私は煤の混じった雨に濡れるのは嫌だったので全速力で家へと帰った。

 久しぶりに走った。とても愉快だった。


 家に帰ると一階の暖炉近くのソファで本を読んでいたご主人に「おかえり、外はどうだった?」と聞かれた。

 私は「久しぶりに運動が出来て楽しかったですよ」と答えた。

 ご主人様は「そうか。なら良かった」と微笑み本に視線を落とした。

 最近のご主人様は自室に篭らないで一階で本を読む事が増えた。私に気遣いをしてくれているのだろう。

 今日の家事がひと段落した後、私も自室に戻らず、暖炉近くの柔らかいく大きな椅子に座ってパチパチと鳴る暖炉を見つめて暖まる事にした。

 私は一人の時間が好きな獣人だと思っていたが、他人と話をする時間が増えて実際、安堵していた。

 自分で思っているより私は一人の時間が寂しかったのだろう。


 パチパチと火の音がする合間合間にご主人様が本をめくる紙の擦れた音がする。

 その速度は以前よりも随分早い気がする。ご主人様は字が読めなかったはずなのにもうかなり読めるようになったようだ。


 私はそれを見て「ご主人様、字が読めるようになったんですか?」と聞いてみたら「うん。もうほとんど分かるよ」と私の方を見て答えた。

 それを聞いて私はちょっと字を教えて欲しく思った。それと言うのもこの小さな家の中にいて家事が終わると凄く暇なのだ。

 爪の手入れか暖炉の火をぼーっと見る事しかやる事がない。

 私はご主人様に「もし良ければ字を教えてください」とお願いしてみた。

 ご主人様は少し考えた後「良いよ。明日にでも図書館で俺が勉強した本を借りてくる」と微笑んだ。

 私は「ありがとうございます」と返した。


 それからしばらくして外の雨は本降りになってきた。

 ボタボタと屋根に雨が降る音が天井から聞こえてくる。

 私は雨漏りしそうだなと不安に感じたけれど、暖炉のパチパチと鳴る火の音とは違う不規則なリズムの雨音に心地よさを覚えた。

 私はそれらの音に耳を傾けながら瞼を閉じて微睡んでいった。

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