第32話 女神エンジン⑩



 第十話 【盤次郎バンジロウ




 

 駒次郎が紹介してくれた、アヒルノ旅籠に到着したのが正午。

 彼がそうだと教えてくれた。

 すぐ食事にして、入浴して、40分。ごろ寝10分、駒次郎の事情聴きとりに5分。

 

 現時点での、PLAY TIME 01:55:00


 これからは、プレイタイムで時間帯を把握していこう。

 宿に着いた時に1時間だったから、今は12時55分ということ。


 さて夕飯までにやっておくことがある。

 だらだらと時間を無駄にできない。まだポイントが必要だから。

 何をすべきなのかが俺自身よくわからない。

 手掛かりを探そうと思う。


 手掛かりというのは、例のゴロツキたちと旅籠に奉公している駒次郎の兄、それと駒次郎の家にあたる長屋だ。長屋のほうには今行くべきではない。


 ゴロツキたちに遭遇すると、戦いに成り兼ねない。

 恨みを買っているから俺自体を徹底的に痛めつけようとするだろうし。

 2人で行動を共にするのが安全なのだから、実家に行く選択はなしで。


 となれば、兄に会わせてもらって話を聞いてみようと思う。

 駒次郎にその旨を伝えると、兄は奉公人の身で持ち場を勝手に離れられないから、そこに足を運んでくれという。



 ◇



「ご足労をかけます」


 駒次郎にねぎらわれながら兄のいる宿の裏庭へと足を運ぶ。

 ご足労というほどの距離ではない。


 薪割りをしている若者がいる。

 わりと大人で、真面目そうな青年だ。


「──さきほど話をしていたグンを連れてきたよ」


 駒次郎が作業中の兄にそう声を掛けると。

 足音で気づいていたのか、こちらを見て会釈をしてくれた。


「なにもお構いはできませんが──」

 

 軽装だが、着物の上を腰元でむすび、上半裸で汗を流している。

 筋肉は隆々としていて小麦色に焼けていた。

 一目でそこに男らしさと力強さを感じた。


「はじめまして兄の盤次郎です。弟の逃亡を助けて頂いたそうで」


 兄は、バンジロウ。弟はコマジロウ。

 町民なのに堅苦しい名前だな、どっちも。

 盤と駒……親が将棋好きなのかな。


「どうも。バンさんでいいですかな。その……状況を知りたいんですけど」


 仕事中だから、盤次郎の手は休まず動いている。

 カツン。カツン。


「お里のことで駒次郎が大変な目に遭い、その救出にもお金がかかるため、こうして日夜、身を粉にして働いています」


 右手に鉈を持ち、軽快なリズムで薪を割る。

 カツン。カツンと音が裏庭に響く。


 盤次郎は手元に目をやりながら。


「これで安心とはいかないですよね? 契約を踏んで逃げてきたのだから」

「ええまあ。このままここに長居もできないですね。ヤクザはしつこいし、見つかっても解消できる手立てがあれば別だけど」


 今更、逃げてきたことが仇になって親兄弟に迷惑が掛からないか、不安な表情を浮かべる駒次郎。

 

「バンさん、単刀直入に聞きます。お金しか解決法はないのですか? 訴えることで解決はできませんか」


 いくら何でも、役人の力無くして丸くは収まらない気がする。

 ヤクザは人の骨の髄までしゃぶるのが生き甲斐のような連中だ。


「事情だけでも知ってもらって、知恵を借りることはできませんか」

「たしかに酷い話ではあるからね。状況が状況ですし、駒次郎はまだ子供ですし。でもすでに訴えでたんですが、証文があるため、それだけでも買い取れば引っ込みをつけると役人に詰め寄ったようです」


「詰め寄った?」


 役人が詰め寄られるのか。ヤクザごときに。


「お役人にも色々いて、泣き所があるようなのです」

「それは……役人も金を借りるからってことですか?」


 俺の問い返しに、盤次郎はコクリと肯いた。


「ヤクザ者から金を借りるって普通じゃないな」

「グン。金を借りたら、そういう奴らだったってこともあるからね」


 なるほどね、そういう経緯もあるか。

 取引に応じるしかない所にすでに持ち込まれた状態か。

 結局、金銭面じゃないか。

 薪割りって儲からないよな。たぶん。下働きだもんな。


「その証文の代金はいくらですか?」

「それは3両になります。働けば何とかなるかと」


 そうか。

 さすがに役人を相手にどぎつい条件を付き出しはしないか。

 だが、どこまでも金に汚いことに変わりはない。

 違法労働としてすんなり解放させてやれないのかよ。


「コマさん、つらいだろうけどお里ちゃんは諦めて、自分のことを考えないか」


 駒次郎に現状に目を向けて、自分を大事にしてほしいと言ったつもりだが。


「諦めるなんて、できないですね!」


 え、なんで兄の盤次郎が語気を強めていうの?


「バンさん……? それは七十五両を意味するんですよ!? 本気ですか!」

「つい興奮してしまって、すまない」

「もしかして、お里ちゃんを好いているのはバンさんですか?」

「い、いや。ただの幼馴染ですよ」


 え、2人とも同じことを言うんだね。

 なんで?


「お里ちゃんって、おいくつでしたっけ?」

「十六です」

「コマさんとおないか。年頃だよな。なぜそんなにその娘さんに執着するんですか? お二人とも恋心を抱いてはいないのに」

「助けなければならないんだ。あの子を……どうしても」


 2人の顔が急に曇った。

 理由を聞かせてはもらえないかと、すこし踏み込むと「ただの幼馴染」だという。


 これは駒次郎も兄も、何かを抱えているのは間違いないな。

 それが何かは、まだわからない。

 幼馴染を、赤の他人と割り切った考えを改めなければいけないのかも。



 うん……なんだ?

 こんな昼間に、鈴虫でも鳴いたか。

 どこからか、リンリンと涼し気でちいさな音がした。


「ちょっとごめん。旦那さんが呼んでいらっしゃるようで。席を外しますよ」


 誰かが知らせに来た様子はなかった。

 奥からの合図だったのかな。

 盤次郎が言いながら、勝手口のほうへ足を運んでいく。


 汗だくで暑いのに、着物を羽織って。

 上裸では、さすがに不都合が生じるか。

 呼び出しなら仕方ない、すこし待つかと切り株に腰掛けると。


「グ、グンはどうして……」

「え?」

 

 焦り口調で、駒次郎が尋ねてきた。兄の姿を目で追う俺の視線をまるで遮るように。


「どうして、ここまで親切にしてくれるの?」


 警戒されている……のか。

 あまり隠すと為にならないかなと思い。


「じつは親が亡くなったばかりでね、たいして親孝行ができなかったから。代わりに困っている人の助けになる旅をしようって決めたんだ」


 亡くなったのは俺のほうだけどな。


「そ、そうか。健気なんだな」

「ありがとう。お節介かもしれないけど何か手伝えることはないかと思ってね」


 駒次郎は相好を崩した。


『……もしもし、お里か。周囲に気を付けろ。身請け金はかならず何とかするから……いま宿屋の蔵に潜り込めないか調べているから……』

 


 駒次郎に健気といわれて、気持ちが和らいだ。

 互いに、風呂に浸かったときの笑顔に出会えたみたいに。


 だが、また急に忍者の聴力が働いて、耳をかすめるんだ。


 なんだ、この会話は?

 しかも……まさかの盤次郎の声じゃないか!?





 ◇





 

 俺の耳に届いた声は、今話したばかりの盤次郎の声だ。

 これは独り言だろうか。


 いや、それはないと思う。


 声は人目を伏せるように、こもった声だった。

 それに内容がやばい。


 鈴虫の鳴き声のような、音が聞こえてから宿の主人に呼ばれたと離席した。

 足音からすると30歩くらい小走りで駆けた。

 その間、勝手口を抜けて、正面玄関に行った感じだった。

 主人が入り口付近にいつも居るんだろうか。

 どこに居るかは働き手として知っていても不思議じゃないけど。


 どこへ行くんだろうと、俺の目は自然と盤次郎の後ろ姿を追っていた。

 一応、外に出て行ったわけだから。


 そう思ったときに駒次郎が慌てた口振りで問いかけて来たんだ。

 駒次郎の疑問に、多少、話を盛って答えた。

 その後、耳に声が聴こえてきた。

 

 空耳じゃないなら、とんでもない内容になる。



「まじか……」



 この宿の蔵を破るという計画を漏らしていた。

 そのつもりで居るなら、独り言は断じて避けねばならないはずだ。

 

 分かっている。


 彼は、確かにこう言った。

 お里……周囲に気を付けろ、と。


 お里は、宿の周囲にいるのだろう。

 俺の悪い予感が当たったのか。

 駒次郎がヤクザ者たちにやらかしてしまったことを心配していた。


 きっと、お里をも逃がしたんだな。

 駒次郎のほうはおとりの逃走劇だった可能性が出てきた。

 この兄弟は随分と思い切った行動を起こすんだな。



「え、ちょっと待って…」



 もしかして。

 俺、こいつらの逃亡の片棒担いじゃったのか?


 まあ、それは今さらだよな。


 それよりも、なぜ逃げてしまわないんだ?

 お里を一人どこか遠くへやることができない……だろうし。

 そこまで仕出かしたんなら。

 三人で遠くへ逃げればいいだけだ。


 もしかしたら、路銀がないのかもしれないな。

 それしか考えられないかな。

 しかし近くに潜んでいるのは、まずいな。


 だからといって、蔵を破って金を盗むとか。

 見つかったら、遠島だぞ。さすがに──流刑はないか。

 

 路銀を確保してから夜逃げをするつもりなのか。

 だとすれば、近いうちに決行する可能性大だな。

 

 宿の蔵を狙って兄が下働きで、潜り込んでいたのか。

 そう考えると、二人で……いや待て。


 盤次郎の話からすると、もう一言忘れている。

 身請け金を用意する、と言っていたような。


 となると、お里はどこにいる。

 やっぱり女郎屋じゃないか。

 逃げてきた線が消えると、独り言の線が浮かぶ。

 だが、盤次郎は宿周辺でお里と会話をしていたはずなんだ。


 お里の分の足音はあったか。

 いや微塵も感じなかった。


 いったいどういうことなのだ。

 これは探らないわけにはいかないぞ。


 駒次郎はこの状況を把握しているよな。

 なのにどうして俺をこの宿に連れてきたんだろ。

 この先も俺が協力するかは分からないのに。


 勘ぐられてバレたなら、仲間に引き込もうというものではないと思う。

 強さを知って居るからな。


 駒次郎が見張りで、俺に宿屋の者たちを引きつけてその隙に乗じるのか。

 めんどくせえな。

 役人に追われるのは避けなければいけないのに。


 第一、蔵の鍵の開け方を知って居るのか、こいつら。

 いや問題はそこだ。

 なにかを調べると言っていたな。


 駒次郎をなんとか遠ざけて、盤次郎の動向を探るのが難しいなら。

 蔵の状況でも見に行くか。



「コマさん、宿屋は退屈だな。腹ごしらえもしたし、芝居小屋でも見物に行こうよ。案内のほど、お願いできますか?」



 唐突な問いかけに駒次郎は、すこし不思議そうな表情をみせるが。

 そんなことならお安い御用だと微笑みを返した。

 二人はアヒルノ宿を後にした。


 芝居小屋まで案内されたら、入場せずに駒次郎にこう伝えた。



「バンさんを手伝わなくていいの? 

 心配でしょ? もう道は覚えたから先に帰ってもいいよ」


「え……」



 意表を突くとはこのことか。

 一緒に見るわけではないんだな、といった顔つきだった。

「それもそうか」と彼は兄の待つ宿へと帰って行った。


 少し意地悪をしてしまったが、これは知りたいことを知るためだ。



 

 ◇




 

 このまま、ゆるりと芝居見物をするつもりはない。

 駒次郎が宿へ向かって歩いていくのは確認済みだ。

 彼がこちらに疑念をいだく様子はない。


 俺の動向を見張るような素振りも見受けられなかった。


 盤次郎が席を外した理由を、駒次郎も知っているはずなのだ。

 道中、芝居を見学し終わったら、なんどきになるのかと尋ねた。

 約一時間くらいと知ることができた。


 盤次郎が離席したころ、さらに10分が経過したと思う。

 それで午後2時05分。芝居小屋までさらに5分。


 PLAY TIME 02:10:00


 さて、彼よりも先に宿へ帰るとするか。


 いくらか遅れて宿に彼が戻って来ても、遭遇しない自信はある。

 この忍びの聴覚で聞き分けるのだ。足音もばっちりとインプットしてある。

 もちろん、普通に帰るわけもない。

 木の上、家屋の屋根の上を飛ぶが如く、風のように駆け抜けていく。


 屋根の上から忍び入ってやるのさ。

 蔵なんて大きいものはすぐ見つけられる。

 問題は鍵の形状だ。


 江戸で主流だったのは、鍵を差し込んで回して開ける錠前だ。




 ◇




 足早に宿へ引き返した。

 屋根瓦の上を忍び足で走り、蔵の場所を特定した。

 上から見渡せば楽勝だった。


 だが一度、天井裏に潜んで様子をみる。ほかのねずみが潜んでいないか。

 ここで別の忍びや泥棒に出くわしたら大変だ。

 何事も慎重に、念には念を入れよだ。


「よし、誰もいない」


 いまは人が近づく気配はない。

 ここに誰かが前もって潜んでいる様子もない。よく観察し、視認した。

 そして宿屋の蔵の前に降り立った。


「案の定だな」


 このタイプは合鍵を準備する必要がある。

 この場で造るのは無理があるかな。


 蔵だと言うのに、ひっそりと奥まった所にあるわけではなかった。

 傍に見えている部屋は、奉公人の部屋のようだ。

 奉公人たちが朝から体操でもしていそうな庭に面して蔵が建っている。


 これにて夜間は関係者の目も、耳もあり、物騒な物音でもすれば眠気まなこの奉公人が起きて来そうだ。


 それが何よりのセキュリティになると俺は思う。

 警報機もカメラもない時代だからな。

 それでも泥棒たちが素人でなければ、忍び足でバレる可能性は低い。


 中庭のひらけた空間があたかもその錠前を見張るかのように広がっている。


 ロウで型を取り、をここでやってる暇はなさそうだ。

 それについては。

 さきほど奉公人の部屋に忍び入り、畳の上に横たわり耳を澄ましてみた。


 小鳥がさえずっていたので様子をうかがっていると、小さな枝をくわえ、飛び立とうとした。

 さらに上空で鳶が甲高くさえずった。

 小鳥がびくついて、くわえていた枝を落としたのだ。


 枝が庭の土の上に落ちる際に小石にぶつかった。

 そんなささやかな音でも、障子越しによく響いてきた。


 わりと至近距離だ。


 一人で部屋にいて窓を閉めていても、ベランダの物干しざおに鳩が止まってちょこちょこ移動すれば、カチャカチャという足音が室内にいても良く分かるんだ。

 また、フンを床に落としても、ペシャンっと水滴が壁面に跳ねる音が聞けた。


 もっとも泥棒は高い所からフンを落とさないけどね。

 開錠するのにここで時間を掛ければ見つかるリスクは高くなる。

 つまり鍵は事前に用意しなければ、ここの環境ではアウトだろうな。


 忍びの聴覚は最近身についたものだし。


 昔を思い起こせば、いくらでもそんな経験はある。

 現代人より昔の人の方が文明の利器がない分、感覚は研ぎ澄まされているのではないかと。


 夜間なら常人の耳でも異変に気づくことができるだろう。

 なにせ蔵の傍だ。

 蒸し暑い夏の夜に、雨戸まで閉めて眠るとも思えないし。


 ところで鍵師の知り合いでもいるのか。

 それとも、あいつらは裏家業でもとより手癖が悪いとか。


「はは……考えすぎか」


 駒次郎と接した分には、そこまでの悪徳さは感じられなかった。

 それに弱いふりをしていたとも思えない。

 街道のときは、心底震えていた。涙も本物だった。

 強いなら俺を巻き込む意味がわからない。


 俺はたしかに人生の経験は浅いけど、あいつが極悪人で俺のことを何から何まで欺いているとは、到底思えないから。


 それに蔵の鍵のことは見ればわかることだ。

 ひと月もここに居たんだからな。

 要するに、頼れる仲間が居ない証拠だと思うのだ。


 どちらにしたって、もたもたし過ぎだ。


 帰り道、宿の周辺も軽く捜索してみたが、お里らしき娘は見当たらない。

 この宿を気にしながら、妙に顔を隠したり人目を避けたりする人物で年頃の娘を重点的に注視するようにしたけど該当者はとくに居なかった。


 盤次郎がなにかを調べると言っていたが。


 主人の部屋でも嗅ぎまわっているのだろうか。

 鍵のありかを探るために。

 鍵も本物を盗んだほうが確実だからな。


 彼らの身の上を聞かされたから、根っからの悪人とまで言わないけど。

 ぬすっとの手伝いを、人助けとするのはどうにも気が引ける。


「……採択したいが俺にも相談者がいない。迷ってる時間はねぇのにな」


 いや、まだ彼らはぬすっとじゃない。

 金策の目途が立たないけど、やめさせるべきだ。


 運良く、誰にも見つからず大金を手に入れたとしても、後ろ暗い未来しか待ってはいない気がする。


 もっとも、彼らとそこまでの付き合いをする予定も、時間も俺には残されていないから気にする所じゃないのかも知れないけど。


 すっきりして終わりたいのだと、胸の奥で時代劇を見ていたころの俺が勇ましくささやくのだ。


 出会いも別れも、涙で飾らせるなと。


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