第29話 女神エンジン⑦
第七話 【修行開始】
所持金のことを俺が気にすると、女神は口を開いてくれた。
『私の配慮だ。
抜け忍は初心者のグンにはほぼ無理だから、里忍で任務を受注状態にしておいた。
その支度金が忍びの里から出ているのだ。自由に使ってかまわん。その任務は10日以内、そんなに滞在せぬからな』
え、つまりそれは……。
3日以上はここに居ないから、受けた忍びの任務は遂行する必要がないんだな。
手持ちの金は俺が生きるために自由に小遣いにできるってことか。
ただ忍者の場合、人助けをしなくてはならないおまけがあった。
強いジョブを選んで生き残るハードルが低くならないように、ノルマが課せらるのだな。
子供なんかだとその日の食いぶちにも困って、餓死するかもしれないからな。
「ネコババじゃん。あ、ありがとう。【女神エンジン】便利っ!」
『呪文は、まじないとも呼ぶだろ。江戸ではおまじないだぞ、いいな』
女神は念を押すように言う。
ゲームの目的はスキルの獲得だけだと。そのために江戸の異世界で、3日生存する。
その間、起こるイベントに参加するも、しないも自由だ。
現代とはちがうから、死だけは回避するべく注意を払わなければならない。
そういうゲームなのだ。
忍者の場合は、任務の支度金は踏み倒せることもある。
ノルマの人助けは必須事項。
特に戦う必要性はない。
ただ生き延びるのみ。
『もし失敗したらスキルは得られぬ。やり直しは効くがその度に段々スキルがしょぼくなるぞ。スキルを持てば楽になるから、出会い系クエストを申請して見てくれ』
気がかりだった。
出会い系を随分と推してくるんだが。
たしか、時間内に女神に逢うってやつ。
その時点でスキルがひとつ獲得なんだよな。
申請すれば、ゲームの難易度は確実に上がるぐらい俺にも分かる。
普通の町人と忍者が選べる時点で、難易度に差が出るはずだからな。
どんな内容か聞いてはいけないんだったよな。
スキルのほうはどうだろう。訪ねてみるか。
「スキルの種類とか、やっぱりいまは訊けないんだったね?」
女神はこくんと肯く。
『それはお前が取得すれば判明するだろ、女神エンジンでな!』
取得したときのお楽しみというわけだ。
すべて説明したからと手を振って彼女は町の方角の空へ、スーッと消えて行った。
つまり生きるのが辛くなれば、女神に頼っても良いということか。
そこにはまた別のルールのゲームが追加される。
あ、行っちゃった。
とうとう一人になった。
こうなりゃ歩を進めてとっとと宿を見つけに行くとするか。
金の心配もないことだし。
所持金は懐の財布に入っている。
この金は預かってくれないのか、チェックしておこう。
◇
貯蔵は所持金に採用できるか──【女神エンジン】。
ピピ!
不可能だ。両替の折りに一時的に預かるだけだ。
◇
これは持ち込んだアイテムとは違い、落としたり取られたりの可能性もある。
そういうことだ。
気を付けなきゃいけない。
持ち込みのアイテム……印籠はなくならない。
つまり見つかっても知られるだけで壊されたりしないってことか。
なにせ、葵の御紋だから、いきなり誰も奪ったりも出来ないだろうし。
でも俺がそれの持ち主として相応しくないことが疑われると厄介になるのだな。
別に見せつけるつもりなんてないんだよ。
分かっている。偽物だと知れたら、打ち首だろう。
ドラマでよくある話だ。
さて、先を急ぐとしよう。
言われたとおりに街道まで出ると、ピピっと女神エンジンが反応した。
手の中に新たな荷物の感触がした。
「なんだ? 荷物が現れたぞ」
手に取ってみると背中に背負うランドセルぐらいの箱があった。
開けて中を覗くと大小の包みが、たくさん収納されていた。
そっと包みを解くと、丸薬や粉が見えた。匂いは現代のものに似ていて苦い感じだ。
これは、薬箱かな。
あ、なるほど。
俺は忍者だけど外を出歩くときは薬売りに
◇
女神と別れて街道に出る。
ひとり静かに歩を東へ進めると、間もなく人通りが増える地点へときた。
ジョブチェンジをして忍者になったらしい。
さほど実感はない。
先ほど、世を忍ぶ仮の姿である薬売りになったばかりだ。
だが確かに荷物を背負って山林沿いの街道を軽々しく歩けている。
遠足でたまにこういう舗装のない道を歩くことがある。
半日で足首あたりから指の付け根まで、ヘトヘトになってしまう。
家路につけば、過度の筋肉痛による心の悲鳴などは当たり前だった。
電車もない。バスも通ってない。こっちの当たり前はそこに尽きるよな。
そういえば、とつぜん馬が走って来たりするんだよな、この時代は。
え、なんか背中に強い視線を感じた。
背後から耳元に、人のわめき声が明瞭に届いてくるこの感じはなんだ。
どうやら、誰かがもめているようだけど。
10人ほどの大人と若い男がひとりいて、追いかけっこの最中か。
なにやら寄ってたかって若者をいじめているようだ。
通りすがりに肩がぶつかったとか、その類ではなさそうだ。
ずいぶんと遠くから追いかけられて、付きまとわれているみたいだ。
だが会話のやり取りから、金の話のようだ。
金銭トラブルか。
金のことでもめている若者が誰かに助けを求めて、こっちに向かってくる。
俺の30メートル手前を全力で走っているようだ。
俺は自分をエスパーかと思うほど、すでに背後の状況がくみ取れていた。
足音がばらついているのだ。息もかなり乱れているようだ。
運動会のリレーで、人数不足のチームにより他の人の分まで自分が走る。
そんな経験をいつしかしたよ。
まさにヘトヘトになって、もつれているのがわかった。
若者は大人たちを必死に振り払い、猛ダッシュを決め込んだ。
俺の背中から、肩に手をかけて「ごめんよ!」といって、すぐ脇に倒れ込んだ。
ぶつかって来たものだから、ついつい、「大丈夫ですか」といって彼をみた。
倒れた拍子に膝をすりむいた彼に、背中の薬箱を降ろし、軟膏をぬってやった。
「親切はありがたいけど。こ、こんな高価な薬で手当てをされても、おれ払えねえから……」
申し訳なさそうに俺に向けられたその声は震えていた。
「お金を請求したりはしないよ。ただのお節介だから気にしなさるな」
気軽なくちぶりで彼の肩をポンと叩いた。
「だって薬屋さんでしょ?」
「うんまあ。でも困ったときはお互いさまっていいますよ」
「本当に!? どうもご親切にありがとう」その笑顔すら痛々しかった。
「ところどころ、ひどい傷だらけですが大丈夫ですか。さあ肩をかしましょう」
まだ子供じゃないか。中高生ぐらいだろうか。
ちょんまげでもないし。町民だな。
俺は、傷だらけの彼を一目見て、派手にやられたもんだなと思った。
念頭には、人助けをしなければという思いがあったわけだ。
状況を見るに見かねて、つい、訳も聞かずに手持ちの薬で手当をしてしまった。
ほんとに売って歩くわけでもなし。
もとより俺のものかどうか不明だし。
「おい、そこの若ぇの! そいつをこちらに引き渡してもらおうか」
男たちが追い付いて来たか。
中には力自慢の大男もいるみたいだ。
ああ、いわゆるヤクザ者というわけですな。
品がなく、ガラの悪い連中のお出ましだ。
だけど相手は10人はいるぞ。
いきなりの難敵じゃないか。
この世界で、俺はまだなんの経験もない。
偶然、おなじ街道を歩いていただけだ。
「か、堪忍してくれよな。巻き込むつもりはなかったんだ」
「まあ、こちらも巻き込まれるつもりなどないのですが」
「ぶつかった上に親切に手当てをしてもらって、肩まで貸してくれる人に遇ったのは生まれてはじめてだ。迷惑はかけられない。おれが出て行けば済む話だから」
人数が人数だからな、腹をくくったか。
親切にした俺を巻き込みたくない……か。
この若者は思いやりの心を持っているようだ。
俺も、どの道なにかを選択しなければならない。
その人助けの難易度をいまさら下げられるかという話だな。
死ななきゃオッケーなんだろ。
ここで一発、決めておくか。
◇
俺も腹をくくった。
ヤクザ者。ゴロツキともいう。
やつらは当然のように若者を連れて行こうとしている。
「悪いこたぁ言わねぇ、そいつを庇い立てすると、
言って、
前に出て来た大男が、へらへらしながら拳を組み、指を鳴らしてみせた。
後方に構えているのが親分か、兄貴分だな。
「痛い目は遠慮します。さて──なん発喰らえば、引き下がるのかな?」
ペコリとお辞儀をして、すぐ頭を上げた俺の手は緊張で
「あん?
大男はへらへらと見下して笑う。
俺が発した言葉の意味はだれにも理解されないようだ。
傍にいた若者でさえ、「やめときなよ」と震えた声で制止する。
それで止めるぐらいなら、手当まではしていない。
俺は、背後に彼らを感じたとき、状況を把握しながら、落ちていた小石をすでにいくつか懐に隠し持っていた。
その小石を男達に悟られぬ様にびゅんっと投げつけてやった。
力の差を得意げに自慢して、油断をしているようなので隙をつくことができた。
「ぐごっ。痛ててててぇ──っ!!」
「あ、アニキッ! どうしたんでやすかっ!!?」
事情なんか、いちいち聞いてられるか。
どうせ奴らも、四の五の言わせるつもりはないはずだからな。
もとより、俺は話し上手じゃないし。大人に挨拶などしないし。
後方に控えていた兄貴分に向けて、いきなりイシツブテを投げた。
「へえ、命中率30なのに一発で顔面にヒットしたぞ!」
顔を狙ったつもりはなかったが、それでもクリーンヒットだった。
すでに顔を押さえて、うずくまっていた。
なるべく全員を相手にしないで済む方向でと、後ろのそれっぽいのを狙った。
「てめぇの仕業かッ! そいつも一緒に畳んでしまえっ!」
石をぶつけられたゴロツキが子分たちに命じた。
子分たちの怒りの声が飛んできた。
「てめぇら、囲んでしまえ! そうそう喰らってたまるか、ガキがナメた真似しやがって」
「か、囲まれたよっ! 有無をいわさず盾突いてどうするんだよ」
イキリたったゴロツキの本気をみて、若者が震えだす。
「逃げるんだよ、俺と来るか? それともあいつらと行くか?」
俺は、ひょいっと身をひるがえして見せた。
軽業なら、いつもやってきた。
若者は戸惑いながらも首を横に振る。
目一杯、首を横に降り続けた。
近づいて俺の腕にしがみつきながら、涙目で嫌だと訴えてくる。
もちろん、あいつらと行くことを拒んでいるのだ。
「よし」
俺は彼の手を掴みかえして、一緒に逃げるぞ、といった。
その前にこいつらをもう少し、片付けておかなきゃな。
「ヤーさんたちこそ、囲んだって無駄なんだってことを思い知るといい」
言って、
俺は引き続き、イシツブテを投げた。
人差し指と中指の間に挟まるような、ちいさな石ころだ。
碁石のようにちいさいサイズだ。
念の為に人数分いじょうは拾っておいた。
強そうな奴から当てていき、外したら二発、三発とくりかえす。
懐の石がなくなれば、すぐさま拾えばいいだけだ。
俺は常人の三倍速く移動できるのだから。
若者を守りながら、六人、七人と負傷させていった。
「小僧がナメたマネをしている……だけど、そちらさんは俺に一矢報いることもできないでいるじゃないか?」
「くっ……なんという不覚。おのれぇ──」
「もう諦めなよ、それとも後の三人にはこの特大のやつをお見舞いしようかな」
俺は奴らに状況を把握しろ、といった。
とどめに小石ではなく、ゴロツキの頭ひとつ分はある小岩を手に言い放つ。
「ひぃえぇええええ!! あ、兄貴っ! 助けてくだせえ」
「ちっ、わかった。ここはおめぇの腕に免じて見逃してやらぁ! だがこのままじゃ終わらねえからな。覚えてやがれ!」
「それでいい。いまは引いてくれるみたいだ。君、名は何というんだ?」
「駒次郎です、十六になります」
年上か。町民なのに堅苦しい名前だな。
「コマジロウ……コマさんでいいな。俺は群、十四。グンと呼んでくれ」
俺は、ゴロツキたちが啖呵を切りながら後ずさりしていくのを確認した。
若者、駒次郎もそれをしっかり見届けていた。
「グン……あんた強いんだな! 疾風の如きだったじゃないか」
興奮気味でありがとうと彼は何度もくりかえした。
とりあえずの礼を言ってくれた。
「俺は東の宿場町にいくところだ」
「ツナセにいくのか。案内しましょうか」
「ツナセ? ここは江戸じゃないのか?」
ツナセ、どこだそりゃ。
「ここはツナセ街道で、先の宿場町もツナセっていうんですよ。江戸はね、ずっと東だよ。江戸に行かれるんですか」
「ああ、そうなの? 田舎からでてきたもんで。道に疎いんだ。コマさんの事情を道々聞かせてもらってもいいかな」
「それは、もちろんです」
詳細は一応知っておかねばな。
ヤクザ者は一時的に引き下がっただけだろうし。
身を隠せる宿を早くみつけなければ。
宿を拠点にあとの対策を考えるとしよう。
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